2011年12月16日金曜日

連載コラム182 from 台湾

2011年は急速に円高が進んだ年であった。

その昔、1ドル100円で「円高だ!」と騒いでいた日本だが、
2007年からサブプライムローン問題、リーマンショック
などが相次ぎ、円高に拍車がかかることに。
90円台、80円台になり、超円高の時代が来たと騒がれた。

それでも80円を切ることは、さすがにないだろうと思い込み、
世間は、なんとか踏ん張ろうと頑張った。

しかし、3月11日に未曾有の大地震、東日本大震災が発生し、
円高が急速に進み、一時76円に。

その後も世界的な不況のあおりをうけ、円高は直らず、
政府や日銀が大金を投じて円売り・ドル買いの為替介入
をしたものの、相変わらず77円前後の状態が続いている。

大打撃を受けている企業が多いなか、
日本のメディアは「円高だからこそショッピングチャンス!」
と前向きに報道しているが、果たしてそうなのだろうか。

円高値下げはほとんどなし
円高だと海外の物が安く購入できる。

だとしたらスーパーに並ぶ輸入食品も値下げされ
海外メーカーのおしゃれな服やIKEAなどの輸入家具
沢山のものが今までよりもかなり安く購入できるはずだ。

しかし、果たして大幅に値下げが行われているだろうか。
値段はあまり変わらないのが現状のように思えてならない。
コーラ1本の値段にしても、80円に下がるわけではなく、
同じ100円~120円なのである。

なんでも、食料や原油などの資源は新興国の需要が増えて
いるというのこと、そして、不安定な中東・北アフリカ情勢
などを背景に値段が高くなっているのだという。
その結果、輸入される物の値段は下げられないのだそうだ。

また、ガソリンなどは半年先のものを予約で購入してるため
すぐには値段が下がるわけではない。

今、ガソリンには140円という値段がつけられている。
では、これから下がるのかというと、
決してそうわけにはいかないだろう。

結局、日本にいては円高も何も関係ないのである。
そもそも100円ショップが大流行しているため、
ちょっとやそっとの値下げでも満足しないという心理も
あるのだろう。

アンケートでも「恩恵感じない」
先日、消費者庁が「円高の恩恵を感じているか」という
アンケート調査を実施した。

その結果、恩恵を受けてないと答えた人が
消費者の6割に達したという。

ちなみに円高への期待を抱く人は8割を越えたということ
から、みな、値下げを期待しているようである。

だったら、インターネットで海外のショッピングサイトに行き
個人で輸入するというのはどうだろうか。

その言葉に問題のない人であれば、確かに難なく
そういう道を選ぶことができるだろう。

しかし、郵送料が思いのほかかかったり、
税金をとられることになったり、換算レートも1、2円高く
設定されていたりとモヤモヤを感じることもある。

サイズが合わなかったり、トラブルがあっても、
日本ほどスムーズに対応してくれるケースも少ない。

なぜ海外では安い?
筆者は、この円高を上手く利用できないものかと
アマゾンの米サイトで買い物をするようになった。

とはいえ、以前、このアマゾンでクレジットカード情報が
ハッキングされたことがあったため、購入には
かなり慎重にはなっていたのだが。

全ての物を購入できるわけではないのだが、
本やDVD、CDだけでなく、PCに関するものや服、靴、
コスメに玩具も購入することができる米アマゾン。

郵送料は高いが一番時間のかかるスタンダードでも
比較的早く着くため重宝している。

このサイトでショッピングをして気がついたことが。
同じ製品が、日本とアメリカでは価格に大きな差がある、
ということである。

購入しても日本では使用できないがテレビなどは
同じ商品でもアメリカだと10万以上安く買えることもある。

日本のメーカーの商品の話である。
なぜ、日本は何もかもが高く売られているのだろうか。

デフレから抜け出せるのか
もともとデフレなのだから、円高など関係ないという
そんな声もあるそうだが、
消費者視線から見れば、とんでもない話だ。

給料は安くなる、仕事を失う人もいる、
それなのに税金は増やすという。

国民はどんどん貧しくなっていくもの。
1円でも安くものは買いたいのだ。

いつ円安時代が到来するのか分からないが、
円安だからと物を値段を一斉に上げることにならないよう、
切に祈る。


▼写真は、台湾の街を回るリサイクル回収業者です。






















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム300 from 北海道●なくならない放射性物質と原発輸出

除染が行われるようになって、新たな問題が浮上している。
NHKクローズアップ現代で取り上げた「知られざる都市濃縮」では、
その実態に迫っていた。
千葉県・柏市でおきているゴミ処理からおこる放射性物質の濃縮。
生活ゴミと一緒に、集められる落ち葉や草木に付着してるごくわず
かな放射性物質が、焼却場では、高濃度の放射性物質に変化していた。
原因は、ゴミを高温で燃やす過程でおきる放射性物質の濃縮。
ゴミを100分の1に減らせる最新の焼却施設では、焼却灰から高
濃度の放射性物質が検出されている。
ゴミの量が減っても、放射性物質はなくならない。
ゴミのかさが減ったぶん、放射性物質が濃縮されてしまうからだ。
このゴミ処理施設では、こうした焼却灰を埋めることもできず、焼
却場の中で、ただただドラム缶に保管している。
作業員たちは、防護服を身につけて仕事にあたり、施設内の通路、
空きスペースは、行き場のないドラム缶であふれかえり、年内にも
いっぱいになる見通しだという。
保管場所が他に確保できないと、ゴミの収集は止めざるおえない。
柏市の焼却場では、一日におよそ1トンの灰が排出されており、こ
れまでも、国や東京電力に灰の保管場所を確保するよう求めてきた
が、具体的な回答は、いまだないという。
これまで、首都圏の焼却場からでた灰の埋め立ては、地方に運ばれ
ることが多かった。
自前の埋め立て処理場を持たない都市の自治体が、地方を頼ってき
たからだ。
しかし、処理された灰から高濃度の放射性物質が検出されれば、話
は別である。
そんな灰は、どこも引き取れない。
国は、放射性物質を含んだ焼却灰を、これまでの目安の8000ベ
クレルを超えても10万ベクレル以下であれば、セメントで固めて
埋め立てられると各自治体に処理方法を示しているというが、これ
には、専門的な技術や施設がないため、どこの自治体もいまだ処理
には至っていない。

放射性物質はなくならない。
ゴミの焼却を通して、それをはっきりと示されていた。
原発事故によって、もたされたリスクは、あまりにも大きすぎる。

それなのに、国は原発輸出にいまだ頑なだ。
政府がヨルダン、ベトナム、ロシア、韓国と結んだ原子力協定が、
国会でも承認されてしまった。
これによって、年明けにも、日本の原発輸出が可能になる。
野田さんのいう「国際的な原子力安全の向上に質する」とは、なん
なのか?
福島原発事故も、いまだ収束していないのに、平気で安全などと
云っている。
原発事故がもたらしたリスクが、震災復興の足かせになり、除染に
よってあらたな問題がつきつけられているというのに、それらいっ
さいには目をつぶり、とにかく輸出をと方針を変えようとしない。
原発マネーで、もうかるのは、ごく一部のふところだけ。
私たち国民は、その恩恵にさえあずかれない。
恩恵どころか、原発を輸出すれば、輸出先の核廃棄物まで、この日
本は引き受けなくてはならなくなる。
いま、国内の核廃棄物の処理問題でも、手を焼いているというの
に、そんな余裕などどこにあるというのか。
輸出先でも運営の指導問題が残る。
ヨルダンは、日本と同じように、地震多発国だし、原発の海外輸出
には、軍事転用も危惧できない。

日本は、あの震災によって、さまざまな気づきがあったはずである。
原発事故によって、それまでの安全神話も、既成概念も、吹き飛ば
されたはずなのだ。
気づき、畏怖の念を抱いているのは、私たち国民だけで、政府はな
にも変わろうとしない。
原発の輸出は、日本が加害者になることだって、十分ありうる話。
その時、日本は、国際社会に、どう責任を取るつもりなのだろうか。
地球の気象変動も災害も、昔とは大きく変わっている。
地震や災害が、輸出した国で、ぜったいにおこらない保障など、ど
こにもないのだ。
リスクの問題、いっさいを解決できないかぎり、原発輸出は悪、と
私は思う。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年12月1日木曜日

連載コラム181 from 台湾

先日、筆者の女友達が離婚をした。
結婚歴10年、小学生になる子供が2人いる。
夫は大手メーカーに勤めており、海外赴任のため、
家族一緒に東南アジア某国に住んでいる。

いわゆる絵に描いたような理想的な家庭だった。

しかし、友人いわく「駐在生活が始まってから、
家庭・家族はめちゃくちゃになった」とのこと。

実は、離婚はしなくても海外赴任をしたため
破滅状態になる家庭は多い。

一体、何が起こるのだろうか。

日本人サラリーマンの売春
冒頭で紹介した友人は、東南アジアのある国に住んでいた。
その国では売春は違法であるが、
半ば公然として女性を買うという行為が行われている。

日式カラオケ店やバーのところへ行き、
気に入った女性がいれば、交渉して外に連れ出し
安い値段で性行為が行えるのである。

値段は決して安くはないが、
「現地の人と仲良くなるのが、その国に慣れる早道」
という意味不明な理由をつけて日本人は通いまくる。

日本人はよいカモで売春婦は金銭目的で近づくのに
「日本人とは違い、情がある」「素人っぽい」と
都合のよいように考えまくるのだ。

この売春だが、接待という名で顧客や出張者へ
行われている。

知らぬと思ったら・・・・・
このような接待をすると、帰宅はゆうに12時を越える。
1時2時になることもしばしば。
ラブホテルという名ではないが、行為の後にホテルで
寝てしまい、朝帰りする者も少なくない。

「仕事だから」の一言で妻が納得すると思うようだが、
それは大きな間違い。

妻たちは気がついているのだ。
香水の匂いはもちろんのこと、数々の小さな変化に。

海外の日本人の妻のコミュニティは恐ろしく狭い。
中にはそれに属さない人もいるが、
子供がいる人は学校のつながりで妻同士も密になる。

「どこどこの会社の駐在員たちは、どこそこの女を買っている」
「どこどこの会社の誰々が、C型肝炎でひっかかった」
「どこどこの~が、性病にかかり、妊娠中の奥さんにうつした」
「どこどこの~が、現地採用の日本人女性と交際している」
などなど。

商売人はどこにでもいるもので、日本人妻相手の探偵もいる。
今すぐに離婚することは考えないが、
子供が巣立ち、夫の体調が悪くなった頃、姑舅の介護が必要に
なった頃、浮気や不倫された証拠を突きつけ、有利に離婚する、
そんなことを考えている妻もいる。

妻が何も知らないと思ったら、大間違い。痛い目にあうのだ。

三拍子そろった日本人駐在員
独身の頃、日本人駐在員と一緒に飲む機会が何度かあった。
友人の一人が、日本人駐在員と不倫関係にあったからである。

不倫、と思っているのは友人の方だげで、男の方は軽い挨拶
程度に思っていたに違いない。

クラブに連れていってもらったことがあるが、
その時、ホステスとぶっちゃけ話をしたところ、
「日本人駐在員は、金あり、優しく、そして臆病だからいい」
と言っていた。

海外に住み、日本では味わえぬほど良い対応をされ暮らしをしている
彼らは、気が大きくなり、金払いがとても良くなる。

優しいから、ちょっと押せば断らず自分を買ってくれる。
プレゼントやお小遣いも、どんどんくれる。

臆病だから、本気になったふりをすれば、手切れ金のつもりの
さよなら金もドンとくれる。

「それに、日本人は早いし小さい。ベッドで凄く楽」
そう彼女たちは大笑いしていた。

所詮、そんな扱いなのである。

しかし、彼らは「情が厚い」「自分を愛してくれている」と
勘違いしまくるのだ。

そして全て失う
冒頭の友人だが、彼女の夫もお気に入りのホステスという
名の売春婦に熱を上げたそうだ。

彼女は異国の地で子育てに奮闘し、頑張ってきた。
夏や正月休みには、家族で旅行に行きたかったが、
姑舅がうるさいので、日本に長期一時帰国をしていた。

夫は数日一緒に帰国し、後は現地に戻り、
恐らく売春婦と同棲まがいなことまでしていたそうだ。

このことは子供たちも知ることになり、子供が毛嫌いを始め
彼女はもうだめだと腹をくくったらしい。

来春には本帰国になるが、すぐに離婚し、たっぷり慰謝料と
養育費をしぼり取ると彼女は言っていた。

夫は反省しているそうだが、仕方ないこと。
あまりにも大きな代償だが、それを招いたのは彼なのだから。


▼写真は、屏東県の墾丁の夜店の様子です。

















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム299from北海道●橋本さんの大阪都構想

大阪ダブル選挙は、実にあっぱれな戦いだった。
大阪人でなくても、この選挙だけはどうにも気になると、我が夫も
漏らしていたくらいだったし、この度の選挙結果を全国の多くの人
達が気に掛けたのではないだろうか。
茶髪で色眼鏡の風貌でお馴染みの橋本弁護士をお茶の間のテレビで
見掛けるようになって、あっという間に大阪府知事に就任し、今度
は大阪市市長である。
橋本劇場とまで言いたくなるその演説をテレビを通して見ただけで
も、どこか引きつけられるものがあった。
まるで、小泉純一郎さんをほうふつさせる。
大阪ダブル選挙の争点は、「大阪都構想」だったが、これをきっか
けに、大阪の景気を回復したい、閉塞感から抜け出したいという市
民、府民の気持ちの表れだったのだろう。
府知事時代にも、大阪の二重行政について、橋本さんの話をメディ
アを通して聞いたことがあったが、元大阪市長の平松さんも度々テ
レビ出演し、これまでもふたりがクローズアップされることはそれ
なりに多かったようにも感じる。
平松さんの印象は、その当時と今も変わっていない。
とにかく、いい人というイメージだ。
本当なら、選挙で白黒なんかつけないで、話し合いで解決できれば
良かったのだろうが、それがどうにも難しかった。
水道局のこと一つ取ったって、府と大阪市の機関が並んで隣接して
いる問題ですら、綱引き状態だったのだから。
ただ、橋本さんと平松さんの対立に、大阪が抱える問題は、全国に
も普通にあって、特別なことではないのだと思った。
北海道にも、二重行政が存在している。
例をあげれば、北海道開発局。
2008年の5月と6月に発覚した北海道開発局をめぐる談
合事件は、当時開発局の幹部や局長と逮捕者が相次いで、新聞にも
デカデカと掲載された事件だったが、その後、地方分権改革推進委
員だった東京都副知事の猪瀬さんが、北海道開発局廃止のための案
を提案し、それが実現までにはいたらず、昨年の7月になって
から国土大臣だった前原さんが再度廃止に着手しようとした。
そもそも北海道開発局とは、国土交通省の出先機関である。
北海道内の国担当の公共事業を管轄している機関だが、これが国土
交通省の中では、北海道局と北海道開発局にわかれている。
しかも、ここの官僚機構は、非常に閉鎖的。
事業のすべてが北海道だから、業者とのつきあいも長く、顔見知り
なのだ。
だから、北海道開発局のOBがこれらの業者に天下ることで、
談合が繰り返されてきた。
北海道は、公共事業への依存度が深いという。
「北海道特例」と呼ばれる優遇制度があるからだ。
これは、事業の地元負担率が他府県より低めに設定されているから
で、つまり、北海道では、公共事業の際、他とくらべて国が多く負
担してくれているのだ。
北海道は、歴史や国土も特別だから、道民のよりよい暮らしのため
に特例が設けられているのだが、その特例に便乗して、巧妙な多重
行政が増えてしまっているのも実体なのだ。
しかも、国土交通省は、全国に8つの地方整備局、出先機関が
あるが、北海道だけは北海道開発局としてここだけで11カ所。
職員の数も、全国と比較してケタ外れに多い。
そして、これとは別に、北海道庁管轄の土木現業所なる事業機関が
同じような支庁に存在している。
ちなみに、道路や空港の整備や維持管理を中心に事業を行っている
のが北海道開発局で、現在は、名称もあらためて「開発建設部(開
建)」となっているが、北海道庁管轄の土木現業所の事業内容も北
海道開発局とほぼ同じ内容だ。

二重行政をなくすことは、容易なことではない。
二重行政と真っ向から戦う強い力が必要なだけに、なまはんかには
取り組めない難しさがある。
だから、大阪維新の会が掲げた大阪都構想も、法改正の問題も含め
て、すべてが問題の山住なのだ。
橋本さん達が、本当に大変なのはこれからなのだろう。
実現するかどうかだって、今の段階ではわからない。
でも、橋本さんの発信力の素晴らしさに、非常にワクワクさせられた。
大阪から、全国へ。
そんなふうに、願います。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年11月15日火曜日

連載コラム180 from 台湾

日本の生活保護受給者が過去最多を更新する
205万人超えとなった。

ちなみに過去最多は戦後の混乱が続いていた
昭和26年の204万人。

この昭和26年をピークに経済成長とともに減少し
平成7年には88万人代にまで減った。

しかし平成20年のリーマン・ショックの影響で
職を失った人が急増し生活保護受給者も激増。

311の影響で、今年7月には205万人を超え
過去最多を記録してしまったのだ。

生活保護とは
厚生労働省によると、生活保護制度とは、
「生活を困窮する者に対して、その困窮の程度に応じ
必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活
を保障するとともに、自立を助長すること」
を目的にしている制度とのこと。

福祉事務所や町役場で手続きができるもので、
持ち家や車、貯金などの資産が全くないことが
証明されると最短で2週間以内に受給開始されるという。

金額は自治体により異なる。生活するのに必要なお金が
都会と田舎では異なるからである。

例えば子供2人抱えた母子家庭の場合、
東京などでは約19万、地方では約16万がスタンダードな
額だとされている。

ちなみに、支払いは
食費、光熱費、衣服など日常生活に必要な「生活扶助」、
家賃「住宅扶助」、義務教育を受けるために必要な学用品
「教育扶助」、医療サービス「医療扶助」、介護サービス
「介護扶助」、出産費用「出産扶助」、仕事に就くために
必要な技能修得費用「生業扶助」、冠婚葬祭「葬祭扶助」
の項目の中から必要に応じて支払われることになっている。

生活保護は国民の税金
生活保護のお金はいうまでもなく国民の税金から出ている。
現政府が消費税を増やす方針を打ち出し
非難の声があがっているが、無駄使いをしている政府、
自治体はもちろんのこと、生活保護が財政を圧迫している
ことは明らかである。

働けない者が国の保護を受けるのは、仕方のないこと。
医療費や介護費まで国が肩代わりしてくれるのは
素晴らしいシステムだと思う。

今は元気に日々を暮らし、仕事をし、真面目に税金を
おさめている自分も、いつ病や事故に倒れるか分からない。
住む家まで追われてしまったとき、セイフティーネットが
あるということには安心するし、税金を払う意味があると感じる。

しかし、それを悪用している人が最近急増しているように
思えてならない。

あぶく銭に怖さ
職がない、とよく耳にするが、そんなことはない。
場所や条件を選ばなければ、あるのである。
経験不問や学歴不問の仕事も山ほどある。

死に物狂いで自力で生活しようと思えば
出来る人は、今、生活保護を受給している人の中に
いるはずである。

最近、若者・中年層の受給者が増えているというが
彼らの中で身体的に問題のない人の多くが
やれば何とかなるのではないかと思えてならないのだ。

近年、日本では「うつ」などの精神病疾患に対する
理解度が高まり、暖かい目で見られるようになった。

一昔は「うつ」だと告白すれば気味悪がられ、下手すると
リストラされたものだが、今は暖かく接してもらい
職場もストレスのない部署にまわしてくれたり、休職
してもよし、という風潮になってきた。

確かに「うつ」は辛いものである。苦しく、死にたいと思い、
動けなくなり、廃人のようになってしまう。

しかし、腫瘍があるわけでも血が出るわけでもないため、
「うつ」だとウソをつくことも出来るのだ。

「うつ」だから仕事ができない。そうウソをつき生活保護を
受け取っている確信犯も少なくないだろう。

もっと厳しく 
生活保護でパチンコに行く人はとても多いと聞く。
パチンコも依存症というものがあるのは理解できる。
しかし、人の血税で働かずパチンコに行くとは
いかがなものか。

公民宿舎を作る金があるのなら、生活保護者のための宿舎
をつくり、そこに住まわせるべきである。
そして、お金ではなく全て現物支給すべきである。

生活保護はなくしてはならない制度だと思うが、
もっと厳しくしていかないと、真面目に税金を払っている人間が
本当に報われない。

正直者がバカを見るということは、もう止めて欲しい。


▼写真は、台北にある関渡自然公園です。台湾固有の野鳥や渡り鳥がウォッチングできることで知られおり、水牛が泳ぐ姿も見られます。
















コラムニスト●プロフィール
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岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム298from北海道●TPP

とりあえずAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が閉幕したが、TPP
については、日本でも参加か否か、意見が二分し、未だよく解らな
い部分もある。
国力のため、経済成長のためと、世界に乗り遅れてはならない言い
分も解らなくはないが、アメリカ主導のシステムに乗っかること
で、日本はメリットよりデメリットを抱えてしまうことの方が実は
多いのではなかろうかと懸念はやっぱりぬぐえない。
輸出産業や株式市場には、参加がプラスであっても、食の安全面か
ら考えれば、どうにも危うさが隠せないし、何より不安に思うの
は、日本の医療制度の崩壊だろう。
日本では、国民皆保険が存在するため、すべての国民が等しく公的
保険による医療を受けることができるが、これは日本独自のシステ
ムであるから、この市場を開放してしまうと、海外の営利目的の企
業型医療機関が日本にも参入してくる。
自由化の危ういところは、そうした参入によって、今までごく当た
り前に、誰もが平等に医療を受けられていたことが、平等ではなく
なり、お金のある人しか治療を受けられず、医療格差を招いてしま
うことだ。
そもそも、TPPはなんのためのTPPかと単純に考えて
も、経済的に低迷しているアメリカが自国の商品を(雇用も含め
て)積極的に外の国に売りだし、買ってもらうがための画策ではな
いのか。
画策なんて言ってしまうと、いかにも意味深だが、ならば、日本も
アメリカの戦略に乗っかり、日本の産業も世界に進出して、攻めの
姿勢でといっても、日本の医療が積極的に海外の現場に打って出る
など、どうにも想像しにくい話である。
これまでも、自由化によって、日本のさくらんぼ農家が競争にさら
され、結果的にはプラスに転じた話を国会やメディアを通して、な
んども耳にしてきたが、日本の第一次産業が、すべて佐藤錦をブラ
ンド化させたさくらんぼ農家に当てはまるわけではないように思う
し、非常に不安に思うのは、日本のこれまでの高い規制が守られな
くなってしまうことにあるだろう。
遺伝子組み換え食品や輸入牛肉の規制緩和だけを上げても、この自
由化が現実となれば、私たち消費者の食の安全は個々にゆだねられ
ることになってしまうし、トータル的に外食産業などは、どう考え
たって、今より更に安値で出回る輸入品に傾いていくのは目に見え
る話なのだ。

加速するグローバルの波を押しとどめられず、日本もいつかはこの
波に巻き込まていくのだとしても、ただ押し流されるだけではな
く、日本にはもう少し時間が必要だ。
ホノルルでのAPEC(アジア太平洋経済協力会議)では、日本
が、TPP交渉参加に向けて、関係国と協議に入ることを表明し
た野田首相だったが、懸念材料を多く抱える日本にとっては、手の
内をみせず、あいまいな表現で濁してくれたことを私はそれなりに
評価したい。
TPP首脳会議に日本が出席できなかったことを悲観するメディアの声
もあるけれど、それはそれでアメリカ側の計算なのだろうと思うからだ。
野田首相には、帰国後もすぐにも国会が待ち受けている。
まずは今後の動向を見守りたい。



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年11月1日火曜日

連載コラム179 from 台湾

10月25日、
マレーシアで日本人女性が死刑判決を受けた。

女性は2009年10月、アラブ首長国連邦のドバイから
マレーシアのクアラルンプールに入国。
その際、空港で覚せい剤を隠し持っていたとして
逮捕、拘束され、裁判が行われていた。

女性は「知人から持って行ってと頼まれた、
スーツケースだった。中身は知らなかった」と主張。

しかし、法律通り「死刑」判決が出たのである。

女性は、判決を不服とし控訴する方針だというが
死刑を覆すことは難しいと見られている。

麻薬持込は重罪
日本に麻薬を持ち込もうとした場合、
間違っても死刑にはならない。

もちろん逮捕はされるが、綺麗な拘置所や刑務所で
三度の食が出るなど人間らしい扱いを受ける。

しかし、アジア諸国は違う。
前出のように、マレーシアだけでなく、中国、台湾、
シンガポール、タイに韓国も、
麻薬の持ち込みをすると、基本的に死刑になる。

ごく微量の場合、死刑は免れこともあるが、
無期懲役、終身刑になる場合も多い。

その場合、日本人のスタンダートからすると
信じられないような悪環境の中、人間以下の扱いを
受けながら刑に服すことになる。

アジアの中で、日本という国ほど麻薬からみの犯罪に
対してゆるい国はないのだ。

なぜ死刑なのか
では、なぜアジア諸国では麻薬絡みの犯罪を
死刑という最も厳しい処分にするのだろうか。

それは、ヨーロッパの植民地となっていた時代に
国民が麻薬で支配されていたからだと言われている。

アヘンなど麻薬中毒にさせられることによって、
思考回路はまともでなくなり、抵抗する力もなくなる。
理想的にコントロールできたため、使用されてきたのだ。

アジア諸国にとっては辛く苦い経験となっており、
祖国を守れなくなるほど力がなくなる麻薬は、
憎き敵だとみなしたのである。

また、麻薬が町に蔓延ると犯罪率も高まり
マフィアなどの争いのもととなる。

麻薬とは、それほど恐ろしいものなのだ。
だから、彼らは死刑反対団体に批難されながらも
スパスパと死刑判決を下し、執行してきたのである。

知らないでは済まされない
今回、死刑判決を受けた女性は、37歳の元看護師。
覚せい剤はスーツケースの中に入っており、
なんと3.5キロという重さであった。

3.5キロというと、生まれたての赤ん坊よりも
少し重いくらい。かなりの量である。

女性は「知人から持って行ってとたのまれた。
中身は知らなかった」という主張を
逮捕直後からずっと行っている。

しかし、ドバイとマレーシアを短期間に何往復も
しているという事実があり、
密輸人ということで間違いと判断されたのだ。

ハンドバッグの中など手荷物の中に、
「知らないうちに入れられていた!」というのならば
まだ同情の余地があるが、
知人から頼まれたというのは、やはり疑わしいだろう。

家族であれど頼まれたものの中身がなにかチェックする。

そんなことは、大昔から言われていることであり、
頻繁に国をまたいで移動する人ならば常識である。

女性は海外旅行歴が多く、ドバイとマレーシアに限っては
何往復もしてきたのだ。

「知らなかった」で済まないことは、彼女が一番知っている
はずなのである。

日本でも極刑を
日本でも近年麻薬絡みの犯罪が増え続けている。

密輸しようとして逮捕された犯罪者のニュースも
よく流れているが、
恐らく、その何倍もの量がスキャンされずに
密輸されているのだろう。

麻薬は一度手を染めるとなかなか抜け出せない
恐ろしいものである。

日本でも麻薬絡みの犯罪は死刑を含む
極刑にすべきである。


▼写真は、台湾の最南端、墾丁にある国立海洋生物博物館です。






















コラムニスト●プロフィール
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岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム297 from北海道●一枚のハガキ

監督・脚本・原作などで、これまで250本以上の映画を世に送り
出してきた新藤兼人監督の作品は、海外からも高い評価を受けている。
今年4月には、ニューヨークで新藤監督の回顧展が開催され、俳優
のベニチオ・デル・トロさんが、ディレクターをされて、彼のセレ
クションで「原爆の子」を含む10本の映画と「一枚のハガキ」の
先行プレミア上映がされた。
監督は今年で99歳になられた。
じつは正直なところ、私はそれほど多く監督の作品を観てはいない。
私が観たのは「竹山ひとり旅」や「どぶ」、「鬼婆」や「母」「藪
の中の黒猫」、そして「原爆の子」のみである。
どれも古い作品なのだが、新藤監督の映画を初めて観た時、ひどく
驚いた。
低予算の白黒映画でありながら、驚くほど上質な映画なのだ。
ストーリーに無駄がなく、ストレートでありながら、映画の一コマ
一コマまで見入ってしまう面白さがあり、特に乙羽信子が主演、出
演している作品は、本当に素晴らしい。
監督と、あうんの呼吸で作り上げた作品だということが、実に伝
わってきた。

映画界の巨匠、新藤兼人監督の作品『一枚のハガキ』には、監督の
心の叫びが詰まっている。
99歳の監督が、自らの終焉を感じ、これまで胸の奥底に封印して
きたことを言っておきたい、でなければ自分は死ねない、と監督の
そんな思いが、ひしひしと伝わってくる映画だ。
戦争はすべてを奪い、人生を狂わせる。
この作品は、監督自身が32歳の時に、招集され経験した戦争の実
体験を軸につくられた映画である。
上官がクジで決めた戦地から生きて戻ってきた仲間の兵士は、10
0人のうちたった6人のみで、監督はその中のひとりだった。
終戦をむかえ、社会復帰し、映画界の仕事に戻った監督は、自らの
幸運を素直に喜びながらも、その一方で葛藤を抱えたという。
なぜ、自分は生きているのか?
自分は、いったい何者なのだ、と。
太平洋戦争が激化していた1944年の3月に、監督は二度目の召
集令状を受けた。
32歳の時である。
一度目は、自身が20歳の時で、その時は徴兵検査に合格したもの
の、戦争には行かずにすんだ。
そして、二度目の招集で、監督は、広島の呉海兵団に、帝国海軍二
等水兵として入隊。
任務は、寄宿舎の掃除である。
その寄宿舎とは、やがて特攻隊となる予科練生のための宿舎だった。
場所は、奈良県の天理教本部とのこと。
ノミやホコリだらけの宿舎を仲間の100人と一ヶ月間掃除をした。
掃除が終わって、今度は100人の中から60人がフィリピンのマ
ニラへ陸戦隊となって行かされることになった。
その60人は、上官が引いたクジで選ばれた人達だ。
選ばれた60人は輸送船に乗り、マニラに着く前にアメリカの潜水
艦にやられ、みな還らぬ人となる。
そして、残りの40人のうち、30人がまたしても選ばれ、日本の
潜水艦に乗り込んだが、彼らも全員亡くなった。
新藤監督ら10人は、それから宝塚に派遣されたが、宝塚歌劇団の
劇場や学校を予科練生の宿舎とするため、また掃除をした。
その掃除がすんで、今度は10人の中から4人が選ばれ、日本近海
を防衛する、海防艦に乗せられたが、海防艦といっても名ばかりで
民間から徴収した漁船にすぎない。
それで、選ばれた4人も、命を落としてしまった。
クジで命の行く末を決められ、戦争に駆り出されても、戦うどころ
か、彼らはみな海のもずくとなって消えてしまい、監督は、最後ま
でクジで選ばれることなく、残りの6人の中のひとりだったが、戦
争が終わって、社会に戻ってからも、死んだ仲間のことが頭から消
えることはなかったらしい。
自分の運は、94人が代わりに死んでくれたから手にできた運にす
ぎない。
だからこそ、94人の犠牲の上に立って生きているということが、
肩に重くのしかかり、犠牲となった94人の魂を背負いながら、今
日まで生きてきたのだと。

新藤兼人監督の戦争体験記は、今回の映画のパンフレットのインタ
ビュー記事として掲載されていたものだが、私はこのパンフレット
を読んで、すぐに漫画家の水木しげるさんの戦争体験を思い出して
しまった。
水木しげるさんも、自身の戦争体験を漫画に描いている。
実写版にもなった。
南方ラバウル、ニューギニアへ配属され、仲間が次々に死にゆく
中、水木さんだけはあのジャングルで片腕を落としながらも、奇跡
的に生還した。
だからこそ、水木さんもまた、仲間の魂を背負いながら、生きてき
た人なのだろう。

戦争を経験した者だからこそ、語る権利がある。
映画のタイトルにもなった『一枚のハガキ』は、新藤兼人監督が、
じっさい仲間のひとりから見せられたハガキが、映画の中でもその
ままの姿で使われている。
激戦地の模様をひとつもからめず、クジで運命を決められ、生き
残った人間もまた人生を狂わされ、それでも、生きぬこうとする人
間の強さが映画から伝わってくる。
その強さが、映画を見終わった後で、心地よい後味の良さに変わっ
てくれるのだ。
この映画は、けっして暗い作品ではない。
戦争の理不尽さを訴えながらも、ユーモアをおりまぜて、時には笑
い飛ばすように、それでも生きぬこうする人間の強さを映画で訴え
ている。
主演は豊川悦司、相手役は大竹しのぶである。
脇役も安定感のある役者たちが満載だ。

この場では、映画の内容はあえて語らないでおこう。
ひとりでも多くの方が、『一枚のハガキ』を観てくださるように願
いを込めて、あえてそうします。
オススメです。



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年10月17日月曜日

連載コラム178 from 台湾

日本の観光庁が、東日本大震災後に激減している
外国人観光客を呼び戻そうと、2012年に全世界から
1万人の一般観光客を旅費無料で日本に招待することを
決定した。

インターネットで募集し、希望者が提出した旅行計画が
審査にパスすれば、日本への往復旅行券がもらえるという。

彼らには日本滞在中にインターネットで情報発信してもらい
口コミで観光客を呼びもどすことを狙っているという。

この計画には、11億円が使われるという。

驚き
この話を外国人の友人にしてみたところ、
3通りの驚きの反応があった。

一つは、
「もう旅行者を呼び寄せるまで、日本は復興したのか」
「さすが日本。もう被災地は元に戻っただなんて。
でも、滞在費用がかかるって聞いたから難しいかも。
ヨーロッパ(欧米人の友人)も今、大変だからね」
という驚き。

二つ目は、
「この前CNNで、被災地にはまだガレキとかが残っていて
被災者の生活も苦しいって報じていたけど、
なんで、自分の国民を助けないで、観光業を盛り返そうと
計画するの?このお金をまわせばいいのに」
「日本の新首相は日本はお金がないから国民みんなで負担と
税金あげるって言っているんでしょ。
なんで、こんなところでお金使うの?
もし、私が応募して当たったとしても、辞退するよ。
私のチケット代は、復興に回してくださいって」
という驚き。

三つ目は、
「そもそも何で観光客が行かないのか、
日本でのイベントなどが中止されるのか。
まずは、その原因を取り除くべきだろう。
フクシマ(第一原発)には世界中が迷惑しているんだ。
あんなに海を汚し、大気を汚しておいて、
ただだから来い、とは何事だ。
第一、タダチケットを目当てにするような人間が
再び日本に行くと思うか?」
という驚き。

なお、英国メディアは、このニュースを、
福島第一原発の写真入りで報じていた。

今なお検出される放射性物質
一方で、横浜で高いストロンチウムが検出された。

このストロンチウム、福島周辺で検出されたとき、
テレビに出演していた偉い学者が

「ストロンチウムっていうのは重いんですよ。
だから、遠くには飛びません。
今、検出されたのは、60年代に世界中で行われていた
水素実験や核実験で飛んできたものでしょう」

と鼻で笑いながらコメントしていたものだ。

東京の多摩でも、チェルノブイリ汚染地域を上回る
高濃度セシウムが検出されている。

しかし、ひっそり情報を公開し
メディアも小さく、もしくは全く報じないため
「大丈夫、大丈夫」な状態が続いている。

これから北風が吹き、枯葉が舞う季節になる。
汚染はどんどんと広がっている。

ちなみに、セシウムは、内臓にくっつき癌化するとされ
ストロンチウムは骨にくっつき癌化するといわれている。

可能ならば子供だけでも関東から離させることは
できないのだろうか。

コロコロ変わる日本人
ドイツで制作された特番では、
日本で高い地位にいる医者が、不安そうな住民を前に
「ニコニコしていれば放射能の影響は受けない。
気にしてクヨクヨしている人は放射能の影響を受け、
健康を害する」
と発言しているシーンを紹介。

「そもそも、日本人は意見に統一性がない。
コロコロ変わる。今回の原発事故でも、その悪い面が出たのだろう」
と分析していた。

今回の外国人観光計画も、最終的には失敗に終わるだろう。
11億円。また、我々の血税がドブに捨てられることになる。


▼写真は、花蓮県にある太魯閣渓谷です。



















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム296 from北海道●スティーブ・ジョブス氏を偲んで

私にとって、アップルのコンピューターは、なくてはならないもの
の一つ。
生まれてはじめてパソコンという物に触れた時も、アップルの製品
だった。
全てが感動だった。
なんて、かわいらしい!!
アップルのコンピューターは、その言葉に尽きる製品なのだと思う。
なぜなら、ゴミ箱をふくむアイコンの一つひとつに、制作者の遊び
心が詰まっているからだ。
パソコンのノーハウを一個も知らず、偶然習いに行った先であてが
われたコンピューターが、アップルの製品だったことも、私にとっ
ては運がよかった。
その時の講師の先生達は、よく授業の中でアップルのコンピュー
ターを絶賛していた。
いま思い返しても、微笑ましいぐらいに、熱烈にアップルのコン
ピューターを賛美していたから、彼らは間違いなく、アップル派の
人々だ。
「この受講が終わって、もしもパソコンを買うことがあったなら、
ぜひアップルのコンピューターを買いましょう」
これは洗脳ではなく、先生達が心から良いと思うことを、私達に推
し進めていただけなのだ。
そして、そんな先生達の意見に、私は素直に賛同した一人にすぎない。

であるからして、私の初の専用のコンピューターは、パフォーマだった。
他の機種など、鼻っから眼中にはない。
スケルトンの愛くるしい図体のマックが登場すれば、ここぞとばか
りに乗り換え、今ではマックも4台目ではあるが、しかし、まんべ
んなく使いこなしているかというと、苦笑いして、首を横にふるし
かないだろう。
私は、マックユーザーとして、たぶん相当もったいない使い方をし
ている。
もっと、よくばりにいろんなことが出来るはずなのに、私のマック
は、使用者の体たらくな行いゆえに、宝の持ち腐れなのだ。
それでも、アップルの製品は、私にとってステータスでもある。
そして、そうあり続けたいと思う自分を、どこか誇らしく感じてい
るのだ。

マックのパソコンを使っていると、たまにチクリと嫌みを言われる
こともある。
いぜん務めていた職場でも、私がマックユーザーだと知った先輩上
司は、「あんなのはダメだ。アップルは、いずれつぶれるに決まっ
ている。やめたほうがいい」と言った。
実は、こういうのは、一度や二度じゃないのだが、なんで、他の機
種を使う人達は、マックユーザーを目のかたきみたいにするのだろ
うとよく思ったものだ。

去年、iPadが発売された時、それまでパソコンになんの興味
も示さなかった私の母が、珍しく私にうったえた。
「あれって凄いねー!お母さんも、あれが欲しい!」
母は、ページを捲るように小説や文章が読めてしまうiPadに
心底おどろいたらしい。
子供のように、ワクワクして、「ほしい、ほしい」としきりに訴え
ていた。
私の実家で、パソコンを使っているのは父のみである。
父にとってパソコンは、唯一母に威張れるアイテムだから、母に使
い方を教えて、一緒に楽しもうという発想は、全くないわけで、母
がその父を押しのけてスイスイとパソコンを使うようなことになっ
てしまえば、夫婦間の火種が増えて、険悪になるだけだからと、母
はパソコンを覚えることをあきらめてしまった。
まったく呆れてしまうほど、心の狭い父親である。
だから、この時も、「iPadがほしい!」と訴えたわりには、
けっきょくのところ諦め、母は健気にも父を立てて、家の中に波風
を立てないようにした。
父が、もっとおおらかな性格で、夫婦ふたりでパソコンも覚えて楽
しむことが出来たなら、どんなにいいだろうと娘の私は思うけれ
ど、今のところその可能性はゼロに近いから、これも仕方のないこ
となのかもしれない。
娘の私なんぞは、なんてくだらない威厳なんだと、父を冷めた目で
見てしまうけれど。

それはそうとして、iPhone4Sが発表された翌日、まさかス
テーブ・ジョブス氏の訃報が飛び込んでくるとは、夢にも思わなかった。
体調が思わしくなかったことは、よくよく解っていたけれど、それ
でも彼の死を想像したこともなかったし、それは、まだ先のことの
ように感じていたからだ。
彼は、素晴らしい発明家だった。
ただの発明家ではない。
芸術の域をも超える発明家だ。
彼が世の中に送り出した製品は、どれもがびっくりするような驚き
と感動に満ちている。
そして、美しい限り。
細部にまで、制作者のこだわりが詰め込まれていた。
彼の死を悼んで、iPhone4Sの予約や発売に、店に長蛇の列が
出来た。
彼の最後の作品を自分も手にしたい。
そんなユーザー達の気持ちの表れなのだろう。
だって、私ですら、ジョブス氏を悼んで、そんな気持ちなのだから。

願わくば、これからもアップル社は、ステーブ・ジョブス氏の精神
を受け継いでほしい。
そんな気持ちになる。

人生は短い。
他人の人生を生きるな。
ハングリーであれ、クレイジーであれ。

YouTubeを見ながら、ジョブス氏の言葉を今は心に刻みたい。



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年10月1日土曜日

連載コラム177 from 台湾

9月19日、東京都で脱原発でもが行われた。
作家の大江健三郎が呼びかけ、子供から大人まで
約6万人が参加したという。

海外のメディアはこれを大きく報じ、
やっと日本人もおかしいと思ってくれたと伝えた。

日本もやっと動き出した、と高く評価したのだ。

高まる日本人への批判
東日本大震災の時、海外メディアから
「忍耐強く、秩序を守る」と評価されていた日本人。

しかし、原発事故を隠蔽しまくる日本政府と東電に対しても
怒ることなく、「仕方ないから」と受け止め続けているため、
日本人はこの上なく単純で洗脳されやすい
バカな人種だと陰口を叩くものまで現れていた。

世界中で、汚い権力者たちに反発する国民が増えているのに
日本は何事もなかったかのように黙々と会社へ行き、
普段と変わらぬ生活を送り続ける。

水が汚染されようと、汚染された食物を買わされようと
「政府も偉い教授たちも大丈夫って言っているから」と
気にも留めない。

逆に「汚染されているなんて言ったら風評被害」と言い、
汚染された瓦礫は日本中にばら撒かれるという政府の方針が
打ち出された。

みんなで一緒に汚染されましょう、みんな平等に汚染されましょう。
みんなもそうなのだから、という、
あまりにも酷い日本人気質丸出しだと批判されていたのだ。

フジテレビへのデモ
3月11日後、愛国心を持つ日本人も増え、
韓国のドラマや歌手をプッシュし、報道まで韓国よりに放送する
フジテレビに対してもデモが行われた。

しかし、これに対して日本のメディアは一切無視。
唯一伝えていたネット上のメディアたちも
時間が経つにつれて、「主催者はだらしない人間」と
デモとは関係ないことを伝えるようになってきた。

挙句の果てには「日本の男は日本の女が韓国の男に惚れるのが
許せない。韓国の男はかっこいい。日本人の女、8割は韓国人に
惹かれる」というアダルトショップ・オーナーの見解まで紹介。

韓流なんて興味ない、どちらかというと嫌い、という
日本人女性も多いというのに、そんなことは無視しまくっている。

このように相変わらずメディアは本当に国民が知るべき
真実を知らせようとはしない。

新首相は原発再稼動すると断言
原発廃止をあげたデモが行われたその翌日20日、
新首相は「すぐに原発を廃止することはありえない」と断言。

来年の夏までには現在停止中の原子力発電所を
再稼動させると言った。

理由はエネルギーが足りないから。

しかし、日本は今年の夏、なんとかこの状態で乗り切った。
みんなが我慢しているから、という精神で乗り切ったのだ。

政府が円高の状況を見守るだけで、
やっと介入したと思っても良くならないので
海外の工場へとシフトする動きが出ている。

そして、その分のエネルギーが必要なくなっている。
別に原発なんていらないのだ。

でも、6万人の国民の声は政府に無視された。
本当にやりたい放題である。

国民から税金をしぼりとる酷い政府
相変わらずデフレで不景気で酷い状態の日本。
しかし、東日本大震災復興のためにお金は沢山必要。

そこで新首相は「所得税と消費税をあげる」と発表した。

お得意の、みんなで助け合う、のだというが、
その前に見直して欲しいことは山ほどある。

他国と比べて高すぎる公務員の給料。
パチンコや宗教など、これまで税金をかけないところにも
かけるべきだ。

そして、相変わらず多い政府機関による無駄遣いをなくす。

そうでもしないと、到底、納得できない。

正直、民主党になってから、日本は何もよくなっていない。

こんな腐りきった日本を変えることができるのは国民だ。
国民が立ち上がり、訴えることは
この腐り切った政府を変えること、脱現政府、なのかもしれない。


▼写真は、台北の最古の寺、龍山寺です。


















コラムニスト●プロフィール
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岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム295 from北海道●この国に思うこと

「改革派」でも知られる官僚、古賀茂明さんが、とうとう経産省を
退職した。
なにかこのニュースに、私自身は本当にがっかりさせられてしまった。
古賀さんの退職話は、すでに今年の6月から浮上していて、霞ヶ関
の腐った体質を相手に、ひとり猛然と闘う古賀さんに、心を熱くさ
せられた。
負けないで、とひそかにエールをおくった人も多かったと思う。
私たち国民にとって、国の中枢、霞ヶ関のことも、政治の実体も、
本当はひどく解りにくい。
国民生活と直結している増税や円高も、回転ドアのようにコロコロ
変わる政権うんたらも、私たちの生活とはあまりにもかけ離れてい
て、なにをされようが、あきらめモードにおちいりやすいけれど、
本当はそういう国民の体質こそが、国の甘えを増長させているのだろう。
震災でも美徳と称賛された、黙って耐えぬく日本人姿勢は、まるで
絶滅危惧種の生物のようで、だったら、霞ヶ関や悪徳政治家たち
は、繁殖力や生命力の高い外来種、もしくはやたらと順応性にたけ
ている害虫というところだろうか。

古賀さんの本を読んでゾッとしたのは、日本は私たち国民が思って
いる以上に、危機的状況にあるということだ。
私たちは、この場におよんで震災復興のための増税案が早急に決め
られようとしているさなかも、東電の賠償がなんだかうやむやにな
りつつある中でも、福島の除染もしてない癖に緊急時避難準備指定
区域の身勝手な解除令がされた今も、またしても怒りもせずに、
黙って受け入れてしまうのだろうか。

政府はいう。
これは、1000年に一度の震災だと。
未来の子ども達のために、借金を先送りしないためにも、今ここで
増税が必要なのだと。
それで、あっちにもこっちにも微々たる増税をかかげたがる。
それをこれからは、毎年ちょっとずつ小出しに国民に強いてくる。
でも、古賀さんの本によると、実際に増税だけでまかなおうとする
と、消費税なら30%は必要だという。
なぜなら、国と地方を合わせたこの国の借金総額は1000兆円を
突破する勢いだからだ。
つまり、国民ひとりあたり780万円もの借金を背負っているのだ。
しかし、国が疲弊しているこんな時に、増税をすれば、国民生活は
冷え込むだけだ。
切り崩すところは、他にもあるはずなのに、知恵を出したがらない。
増税は、いわゆる国民に対する脅しである。
復興のためだから、国民は協力しろよ、しないとこの国は破綻する
よと言っているのだ。
そして、さっさと増税した暁には、官僚たちは、自分たちの身分や
待遇はこれまでと変わらず、増税の一部も自分たちの保障に使うか
ら、なんてことになる。
だからこそ、まずは増税ありきという政府に、私たちは疑いを持た
なければならない。
国民に増税を強いるなら、官僚も公務員も政治家だって、痛み分け
が必要なのだ。
財務省だって、ためこんでいる国債を吐き出したがらない癖に、増
税だけはしっかりとやりたがる。
こういう時に使うんだろう? それは、と言っても、そういう頭は
鼻っからない。
使ってしまって、何かあったら困るじゃないか。
何かの時って、今じゃないの?と思っても、金を溜め込んで握って
いることこそ、更には増税こそが財務省の役割だと信じているからだ。
実際、与党のなかでも、やっと手放すJT株の売却に踏み切ろうと
しても、増税枠が定まらない。
前原さんは、9兆2000億円だといい、政府は株を売却するにし
たって、それは見込みだから最初に決めたとおり11兆2000億
円だと言っている。
街角インタビューでは、「復興のためだもの。仕方ないよね」とい
う声が多い。
助け合うことが悪いというのではない。
私たち国民は、この悪徳商法のような国のやり方に、もっと注意を
はらう必要があるということなのだ。
なぜ、増税をかかげながら、朝霞のような公務員宿舎が建設されな
ければならないのか?
蓮舫さんのテレビインタビューを聞いたけれど、まったく理解不能
である。
お得意の煙に巻くような説明は、官僚の入れ知恵なのだろう。
朝霞の宿舎を擁護する蓮舫さんに冷ややかな気持ちになる。
やっぱり事業仕分けなんて、ウソっぱちだったと。

国会で、経済産業大臣の枝野さんが、古賀さんが辞職したことをな
んども野党に追及されていた。
枝野さんの冷い答弁には、本当にがっかりさせられた。
そのうえ、公安・拉致・消費者大臣の山岡さんはマルチ商法の推進
議員だという。
もう、愕然とする。
野田政権は、霞ヶ関と取引したのだ。
どこの省も、自分達のことしか考えていない。
国民の方を向いて仕事などしていない。
この途方もない震災を抱え、そのうえ台風で和歌山や奈良の山村が
むごい状態にさらされたというのに、まだ自分たちの利権にか興味
がない。

ただ、国会の答弁で「みんなの党」に、かすかな希望を感じた。
江田さんや小野さんの質疑に、ぜんぶが腐っているわけではないん
だと思ったからだ。
それに、代表の渡辺さんは、公務員改革で古賀さんを唯一抜擢して
使った大臣だ。
小さな政党だけど、この党を中心に、若手を集めて、ついでに古賀
さんも呼んで、この国の仕組みを根こそぎ変えてくれないだろうか
という気持ちになる。

古賀さんは、テレビで言っていた。
「また、公務員改革をやりたくなったら、ぜひ呼んでほしい」と。
古賀さんは、あきらめていないのだ。
いつか必ず、この国が変わることを信じているのだろう。

福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」が、長い休業を終
えて営業を再開する。
踊るフラガールの笑顔に、力をもらうようだった。
南相馬市の産婦人科医院では、出産した若い母親と小さな命に、勇
気を感じていた。

この国の未来がどこへいくのか、すべては私たち国民の姿勢にか
かっている。
あきらめないこと。
そして、変えたいと思う姿勢こそが、私たち一人ひとりには必要な
のだと思う。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年9月23日金曜日

連載コラム176 from 台湾

2001年9月11日、
世界中を震撼させたアメリカ同時多発テロが発生した。

あの日、アメリカを飛ぶ4機の旅客機がハイジャックされ、
うち3機は、ニューヨークの世界貿易センタービルの
タワー1とタワー2、
バージニア州にある国防総省本庁舎(ペンタゴン)
に追突し爆破炎上。

残りの1機はワシントン州のホワイトハウスを標的にしていた
とされるが、乗客が必死に反逆。
テロリストは、飛行機を途中のペンシルベニア州に墜落させた。

この衝撃的なテロ事件で、
3000人近くが命を落とし、6000人を超える人が負傷。

その後、アメリカはテロとの戦争に突入し、
さらに大勢の犠牲者を出している。

辛い辛い10年
今年の9月11日で、アメリカ同時多発テロから
ちょうど10年が経った。

10年という区切りの良い数字であることから、
節目の年などと言われ、日本の放送局でも特番が放送された。

しかし遺族にとっては、何年経っても受け入れられぬ
苦しい日となっている。

生存者の中にも、「生かされている辛さ」を感じている人は多く、
あの日から生活が一転し、人生が大きく狂った人もいる。

彼らにとっては辛い、辛い10年なのだ。

報道の惨さ
911特番では、繰り返し飛行機が世界貿易センタービルに
追突、爆破、炎上する様子を流していた。

これが、遺族にとってどんなに惨いことなのか
番組制作会社や放送局は考えないのだろうか。

遺族にとって、あの映像とは、
自分の夫、妻、父、母、子供が絶望と恐怖の中、
亡くなる瞬間なのである。

人間は危険な目に遭うと、全てがスローモーションで
見えると言われている。

交通事故にあった人は、ぶつかる瞬間、時間がゆったりと
流れたとよく言う。

あの日、飛行機がビルに突っ込んだ瞬間も
被害者はそう感じたのかもしれない。
死の瞬間はこの上なく苦しかっただろう。

自分の愛する人がそんな風に殺される瞬間を、繰り返し、繰り返し
見せられることで、遺族が胸を引き裂かれるような思いになると
少しでも想像できないのだろうか。

911に限ったことではなく、311と呼ばれる東日本大震災でも
車が津波に流される映像などを流している。
遺族にしてみれば、気が狂いそうな映像なのに。

卑怯なメディア
大きな事件が起こるとメディアの卑怯さが見えてくる。

911後のアメリカでは、イスラム教徒に対する報道が
グジャグジャになっていた。
そして、イスラム教徒をかばうものは、激しいバッシングを受けた。

311では、福島第一原発の放射能に関する報道が
グジャグジャだった。

純粋に読者にありのままを報じるメディアなど
ないということなのだろう。

どこの国のメディアも、利権の元動いているのである。

そんなメディアが作る特番は、視聴率を稼げるよう
よりショッキングに作られる。

筆者は911の後、事実に基づいた記事などないと知った。

「貿易センタービルを駆け下りた!」という見出しの記事が
あったが、駆け下りた人など一人もいなかったからである。

本当に呆れてものも言えない。

どんどん悪くなる世界
あのテロの後、世界はどんどん悪くなった。
戦争はもちろんのこと、経済も悪くなり、治安も悪くなった。

アメリカでは愛国法などというものが出来、
誰もが政府に見られている状態が続いている。

大事件とは、政府が力をつける機会でもあるのだろう。

日本も311後、どんどんと悪い方向を行っているように感じる。

10年後の世界はどんな風になっているのか。
想像しただけで背筋が寒くなる。


▼写真は、花蓮県にある太魯閣渓谷です。
















コラムニスト●プロフィール
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岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム294 from北海道●野田政権のゆくえ

9月2日に野田内閣が発足してから、わずか9日目にして鉢呂吉雄
経産大臣が早くも辞任した。
みずからを「どじょう」に例え、挙党一致を掲げた野田政権は、内
閣発足後、つぎつぎと伝わる話は、大臣達の突飛な発言ばかりで、
まったく苦笑いしか出てこない。
鉢呂大臣の辞任劇も、そうした騒動の一端にすぎないようにも捉え
られるが、どうにも釈然としない感があった。
東京電力福島第一原発の視察後の会見で飛び出した「死の町」発言
も、この会見で大臣が発した言葉を一通り聞いてみると、それほど
問題があったようには思えない。
むしろ、福島の現状はそれほどまでに深刻と言いたかったのではな
かろうか。
東電の原発事故で、警戒区域や避難指定をうけた福島は、場所に
よってはゴーストタウンと言ってもいい過ぎではない。
鉢呂さんも、そのことを率直に述べただけなのだろうが、実際は
「死の町」という言葉だけが切り取られ問題視されている。
その後、夜になってから、大臣が議員宿舎へ帰宅した際に、囲み取
材の記者のひとりに近寄って、着ていた防災服をすりつける仕草を
し、「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言をしたとのことだが、
二度の失言というレッテルを張られ、今回の辞任に繋がっている。

もともと鉢呂さんは、旧社会党グループの人。
農協職員だった1990年に無所属で衆議院選に出馬し、初当選後
に社会党入りし、その後、民主党に移っている。
政治姿勢は、左翼的な部分もあるが、人柄はマジメだ。
興味深いのは、この鉢呂さんが、震災後になんども積極的に福島を
訪れていることである。
各学校を視察し、クーラーの必要性や、学校もしくは周辺の放射線
規定量を下げるように、国会で熱心に訴えてきたのが、鉢呂さんだった。
それだけに、福島再生への思い入れは深かったはずである。
そのような人が、経産大臣に抜擢され、将来的には原発ゼロの社会
を目指すと発言し、急がれているTPPについても、元農協職員
の経験から慎重な姿勢だった。
新しい原発はつくらず、いま現在、建設を凍結している原発につい
ても、十分に検討していくと鉢呂さんは対応を示したが、たとえば
建設が着工済みの青森の大間原発では、工事の4割が進んでいる状
態で、将来稼働を前提にしたストレステストの対象にも大間原発は
含まれ、岡田前幹事長も、5月の視察の際に、すでに出来つつある
ものは、安全性を高めて、と擁護したことも、鉢呂さんは、慎重な
姿勢を崩さなかった。

3.11の震災、並びに福島の原発事故が、日本国内の原発を抱える自
治体にもそのまま影響をあたえ、踏みとどまり、考える方向に迎え
れば良いが、物事は、なかなかそうたやすくはない。
原発への依存度が高ければ高いほど、自分達の町は大丈夫と勝手な
思考停止におちいってしまう。
それだけ、国は原発を抱える自治体に金をばらまいてきた。
麻薬のように、次々と原発をつくらせ、原発で働かせ、離れられな
い仕組みをつくってきたのだ。
福島原発の被害の大きさが、復興の足かせになっていることは明確
なのに、原発を抱える自治体では、自分達の生活不安がまず先にくる。
原発で食べているということは、そういうことだ。

北海道も泊原発の再稼働を知事が容認したことや、北電のやらせ問
題が浮上している。
2008年の泊原発3号機のプルサーマル計画を巡る公開シンポジ
ウムで、北電が社員に計画推進の意見を出すようにメールを送って
いたが、このやらせ問題、すでに2000年の集会でも行われていた。
北電は、組合そのものが民主党である。
世論が脱原発に傾いても、北電の組合支持を票に取り込んできた民
主党には、頭の痛い問題である。
それほどまでに、日本の電力会社の力は大きい。
経産省との癒着もある。
国は、福島原発を抱える東電をはじめ、地域独占企業の電力会社と
手を握り合ってこれまでを歩んできたのだ。

私が解らないのは、なぜ野田さんが鉢呂さんを経産大臣に抜擢した
のかということだ。
挙党一致を掲げたのだがら、この選択も当然と言えばそれまでだ
が、どうにも腑に落ちない。
極めつきに、鉢呂さんの後任には枝野さんを任命している。
枝野さんについては、やはり即戦力と判断したからとのことだが、
鉢呂さんと枝野さんでは、あまりにも方向性に違いがありすぎて、
本命は枝野さんだったのかと疑いたくなった。
原発の早期稼働やTPPの推進、そして復興を理由にした増税路
線を掲げる野田さんと枝野さんに大きな違いはない。
やはり、こうした一連の動きをつなぎ合わせてみると、鉢呂さんに
は、適当なところでポストを降りてもらうことも考慮していた、な
んて怖い想像に行きついてしまうのだが・・。

鉢呂さんの「死の町」発言はともかく、囲み取材での言動につい
て、本人はその後の辞任会見で言葉をにごしている。
そもそも、帰宅する議員を待ち受けて、番記者たちが囲んであれこ
れオフレコで話しを聞くなど必要だろうか?
この取材には、写真を撮らない、メモをとらない、名前を出さない
という決まりがあるらしいが、この決まりをやぶってまでも、記者
達が公表する必要性があると感じた今回の騒動も、オフの場での言
動なら、鉢呂さんがどういう状況で帰宅したのかもどこかすっきり
としない。
とつぜん、集まっていた記者達に自分から近づき、着ていた防災服
をなすりつけたというが、普通に考えても不自然である。
思うに、きっとその前になにかしらあったのだろう。
もしかすると、鉢呂さんはお酒を飲んで帰宅したのかもしれない
し、その鉢呂さんに、待ち受けていた記者達が何かを言い、やりと
りした末の行動だったとしたら、納得がいくからだ。
福島の除染をしっかりとやっていくと打ち出していた鉢呂さんなだ
けに、残念な気持ちである。
本人は、もっと傷心し、悔やんでいることだろう。
私は、鉢呂さんに大臣の資質がなかったとは思わない。
きっと、鉢呂さんなりに、心を尽くして頑張っただろうと思うからだ。
だが、脇が甘かった。
マジメで一本気な性格が仇になってしまったのかもしれない。

囲み取材をするなら、記者達は決まり守るべきだ。
これからという大臣を辞任に追いやり、陰でほくそ笑んでいる記者
がいるとしたら、そのことに私はゾッとする。

そして、こんな時期に、東電が被災者に記入を義務づけた保証金請
求書類の内容が公になったが、これが60ページもある書類だ。
テレビを通じて見た限りでも、非情に記載事項が細かく、こんなも
のを被災者一人ひとりに書かせる東電に腹立たしくなった。
しかも、この請求書類、3ヶ月ごとに記載が必要というから、まっ
たくもって話にならない。
政府は、税金を注ぎ込んでも東電を救済するつもりだろうが、膨大
な賠償金を払えない東電の資産は、すぐさま凍結すべきである。
凍結した資産を売却し、社員のリストラや解体をし、発送電の分離
や電力の自由化をさせて、これまでの地域独占体質にメスを入れれ
ば、もっと価格は下がるし、電力料金の引き上げも簡単には持ち上
がらない。
一社独占を野放しにしているから、原発事故のしわ寄せも電気料金
の値上げで国民がしいられる。
どの道、賠償金は国が肩代わりして払うのだ。
なのに、東電の資産凍結も、売却の話もまるで出てこない。
経産省のお役人も、自分達の身を切ってまで、何かをするつもりは
ないだろう。
財務省は、どうあっても、復興を盾に増税しか頭にない。
野田政権に、いったい何を期待しろというのか。
それでも、被災地では、もう待ったナシなのだ。
震災から、もう半年も経ってしまったのだから。
せめて、被災した人々にはなんらかの希望をあたえてほしい。
ささやかな願いである。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年9月2日金曜日

連載コラム293 from北海道●さようなら、ボーちゃん


先日、実家で暮らしていた愛猫のボーが亡くなった。
享年21。
本当に、よく頑張って長生きしてくれた猫だったと思う。
ここ2年ほど、ときどき会いに行っても、すこぶる老いを感じるよ
うになっていたので、心配だったのだが、ボーは、人間の年齢に換
算すれば、とうに100歳は越えるほどの老齢である。
それでも、あまり走り回らなくなったぐらいで、彼女の暮らし向き
は、よく眠り、ゆったりとスローペースになったぐらいのものだった。

今から1年と半年前に、私の両親と同居していた祖母が他界し、他
界する少し前あたりから、ボーは、祖母の側へは、いっさい近寄ら
なくなっていた。
祖母は、一階のリビングに隣接している和室に寝ていたが、体を起
こすこともままならなくなってからは、和室に設置した介護用の
ベッドで横になっていることがほとんどで、祖母の臨終の時など
は、ボーは二階にこもりっきりになり、下の階にはまったくおりて
はこなかった。
想像できることは、たぶん本能的に、祖母に死臭を感じたのだろう。
人間にはもちえないセンサーが、猫にはあるのだ。
それは、猫だけに限らず、きっと動物ならみんなに備わっているの
かもしれない。

ボーは、雑種のメス猫だった。
生まれてそれほど経たない時に、ダンボールに入れられ捨てられて
いた猫だった。
それを小学生たちが、見つけ拾った。
最初は、自分たちの中の誰かが飼おうと、小学生たちは考えたのだ
と思う。
しかし、物事はそうたやすく運ばず、けっきょく誰の家でも猫を引
き取れなくなった小学生たちは、毎日まいにち帰宅してから、みん
なで手分けして家を一軒いっけんまわり、この猫を飼ってはくれな
いだろうかと交渉をした。
私は、ぐうぜんその話を、当時働いていた職場で聞いた。
看護助手をしていた吉川さんという知人が、小学校に通う自分の娘
が、クラスメートと一緒に、毎日、猫の飼い主を捜し回っているの
だと私に打ちあけたのだ。
吉川さんは、取りあえず今は、自分の家で猫の世話をしているけれ
ど、できることなら、飼い主を見つけて、ゆだねたいとのことで、
私もその当時はペットが禁止のアパート暮らしだったので、迷いに
迷ったが、まずはその猫をみせてもらうことにした。
考えるまでもないが、とうぜん、対面してしまえば、情がわく。
私は、どうしても、猫を見捨てられなくなっていた。
猫は、まだてのひらより、ずっと小さく、耳と目が顔にアンバラン
スなくらい大きくて、か細い声でしきりとミィミィ鳴く姿が幼気だった。

その日から、猫との暮らしが始まった。
名前は、ボーと名付けた。
正式な名付け親は私ではない。
その当時、私の家によく出入りしていた友人がつけた名である。
メス猫なのに、ボーなんて名前は、ちょっと可哀想に思えた。
それでも、猫自身は、自分の名に不満らしい仕草もみせず、愛くる
しいままに、すくすくと成長していった。

私は、ボー相手に、よく会話をしたものだ。
もっぱら、彼女を抱き上げて、話を聞かせるのは私のほうだけど、
ボーは私の話を聞きながら、よく喉をならしていた。
抱かれるのが、なにより好きな猫で、一緒にいることをすこぶる好んだ。
台所に立つ時は、胸からさげたエプロンで袋をつくり、その中に
ボーを押し込んで食事の支度をしたし、彼女の食事は私が自分の指
から直に食べさせた。
猫缶を食べられるようになってからは、マグロの缶詰を嫌って、カ
ツオの猫缶ばかりを好み、それ以外に好きなものといえば、笹かま
ぼこやカツオ節で、たまに良質な鮭の切り身を焼いた時だけ、彼女
は美味しそうにほうばるが、生魚はいっさい口にしない。
刺身をどんなに食べさせようとしても、ガンとして受けつけないのだ。
それでも、新鮮な刺身が手に入った時など、私なんぞは飼い主のエ
ゴで、彼女に無理に食べさせようとした。
手にのせて、ボーの注意をひき、匂いを嗅ぎにきた彼女が、案の定
そっぽを向いてしまうと、そんなこと言わないで、いいから食べて
ごらんとばかりに、こちらが猫なで声をだして、ボーの口に、刺身
を無理矢理もっていく。
だが、嫌がるボーは、歯をイーにして、ぜったいに拒否した。
それなので、こういう時の結末は、ボーの口の周りで、刺身が無残
にぐっちゃりとつぶれて張りつくだけだった。

ある朝、棚の上で寝ていたボーが足を滑らせて、落ちた。
ボーは、滑り落ちたことで、瞬時に慌てたらしい。
小さな体で、せいいっぱい着地をしようと、爪を立てた。
それが、棚の真下で寝ていた私の顔の上だったものだから、私の顔
はボーの爪で傷をつくり、血がふきだし、みるみる腫れ上がってし
まった。
その時のボーのことは、今でも忘れられない。
もう、これ以上ないほどに、彼女は気が動転していたからだ。
それでも、幸運なことに、職場が病院だった私は、出勤そうそう形
成外科に掛かり、予防接種の注射を受けて、傷を治すテープを半年
間張っただけで、まったく痕は残らず、完璧に治ったのだが、その
半年の間、困ったことはと言えば、ボーのことである。
彼女は、私の顔元にのぼってきては、目を細めて、傷を舐めたがった。
その行為が、あまりにもしつこいので、きっと彼女なりに私を心配
したのだろう。
動物は、自分で舐めて傷を癒す習性があるから、ボーの気持ちは有
り難いが、そのまま放っておくと、治療テープだってあやうくなる。
この時の半年間は、ボーの愛情に喜びながら、ボーから逃げ回るこ
とが多かった。

その後、ボーが私の実家で暮らし始めた経緯は、私の離婚が理由だ。
猫が家につく習性を知っていた私は、最初、ボーを前の夫にゆだね
ることにしたのだが、私が家を出てから、ボーはいっさいご飯を食
べなくなり、ソファの下にこもって夫を拒絶したらしい。
それが、幾日もつづき、おびえて全く懐かなくなったボーに困り果
てた夫が、ボーを引き取ってくれと私に言ってきた。
私が、前の家に顔を出しても、すぐさまボーは寄ってはこなかった。
名前をよんで、声を掛けても、ボーはソファの下で、ただじっとこ
ちらの様子をうかがっているだけだ。
それで、とにかく何か食べさそうと、私が冷蔵庫を開けてゴゾゴゾ
やりだしたとたん、ボーがソファの下からすっ飛んできて、すごい
剣幕で鳴きだした。
ボーは、私に抗議していた。
彼女は、きっと私に腹を立てていたのだろう。
どうして、勝手に家を出ていったのかと。
私に捨てられたと感じたボーは、とにかく私に捲し立てた。

実家で、私がボーと暮らした時間は、たったの2年ばかりである
が、ボーは、実家での生活を謳歌していたようだ。
最初は、住む家が変わったことで、彼女なりに戸惑いはあったもの
の、次第に家の中を少しずつ探索するようにもなり、家にも私の両
親にも慣れていった。
母は、ボーを家に連れ帰った当初から歓迎していたが、父は毛嫌い
していた。
父は、その前に飼っていた猫が家出をしてしまったことが、なかな
か忘れられず、前の猫が去った哀しみがまだ癒えずにいたから、も
う、二度と猫は飼わないと宣言をしていたのに、出戻りの私が猫を
連れてきたので、嫌悪していた。
「二階から猫をおろすな」と私に腹を立て、父は猫にいっさい触れ
ようとしない。
それでも、ボーは、階段を一段ずつおりるように、家の中で自分の
テリトリーを少しずつ広げていった。
そして、なにくわぬ顔で、父との距離も縮めていった。
気がつくと、家の中で、誰よりもボーに関心をしめしているのは父
だったし、私が次の結婚を決めて、実家を離れる前から、父はボー
の世話にあきれるほど積極的だった。
ボーのご飯係は、父の役目である。
トイレ掃除も、もちろん父だ。
ボーは、そのことがどこか当たり前のような仕草だ。
ボーは、甘える時は母に甘え、世話係は父と決めているらしく、こ
ちらが見ている限りでも、ボーのほうが父よりどこか偉そうだ。
顎で使うかのごとく、ボーが威張って父に「はやくしろ」と鳴いて
いる姿にこちらは失笑してしまうが、そんな時の父はボーにねだら
れて、いっそう目尻をさげていた。
父は、ボーに甘えられるのが、嬉しかったに違いない。
庭を歩き、他の猫とはいっさいつき合おうとはせず、興味があるの
は、大人の人間と鳥や虫ばかり。
冬の季節に、雪がチラチラ降り始めると、鳥や虫に話し掛けるのと
同じく、ボーは、ちっちゃい声で「エエエエエエ・・」と鳴いていた。
そんな時のボーは、可愛さに輪を掛けて、いっそう愛くるしい。

ちょうど一年前だ。
他界した祖母の初盆を迎えた頃、ボーはこれまでになく体調を崩した。
弱って、クローゼットの中にこもりっぱなしになったままで出てこ
なくなった。
猛暑で、その夏も連日暑い日が続いていたから、熱中症になったの
かもしれないと私は思ったが、母は他界した祖母がボーを連れて行
こうとしていると思い込んでいた。
「初盆だからね、きっと迎えに来たんだ」と母は私になんども言っ
たからだ。

ボーが亡くなる前の数ヶ月は、本当に体調にも波があって、今まで
無縁だった病院にもよく掛かるようになっていた。
老齢のため、歯槽膿漏で奥歯が抜け落ち、それからは口臭がひどく
なって、なんとも可哀想だった。
病院で検査を受けると、もう臓器もあちこちとかなり弱っていて、
手のほどこしようがないと言う。
当然、手術など絶えられるはずもない。
それで、とりあえずは栄養の点滴しか治療手段がないわけだが、こ
れを何日か続けていると、彼女はまた体力を回復し、元気に食事も
取れるようになって、家も庭も、普段通りに歩き回った。
しかし、やはり波があった。
一時的に元気を取り戻しても、また何かの拍子に弱ってくる。
そんな状態を繰り返した。
父は、必死だった。
ボーをなんとか助けようと、病院に連れて行き、ボーのために濃厚
な牛乳を買い求め、ボー専用の高級ハムを買ってきたり、とにかく
父なりに一生懸命だったから、父の思いは、きっとボーにも届いた
ことだろう。
ボーは、父が用意してくれる食事を嬉しそうに食べていた。

それでも、雨の日に、ボーはそっと家から抜け出したらしい。
どしゃぶりの中を、いつもの散歩道とは違う方角へ、まっすぐに歩
いていくボーの姿を見つけた母は、大声をあげて父を呼んでいた。
その間、母はボーの名前をなんども呼び叫んだが、ボーは振りかえ
る気配すらなく、わが家からどんどん遠ざかっていく。
雨の中を飛び出していった父が、慌てて後を追い、無理矢理ボーを
つかまえて、家に連れ帰ったというのだが、私は、この話しを母か
ら後で聞かさせた時、ボーの覚悟のようなものを感じてしまった。
たぶん、その時のボーは、自分の死を悟り、覚悟をきめて家を出て
いったのだろう。
猫は、猫に限ったことではないが、動物は自分の死を悟ると、そっ
と行方をくらましてしまう。
ひとりっきりで死ぬことが、何か当たり前のように、覚悟をきめて
しまう。
人間と暮らし慣れている猫でも、そんな習性は、さけられないのか
もしれないが、もし違うというならば、誰かがボーを迎えにきたの
だろうか?
あの世からボーを迎えに来たのかもしれない。

そして、雨の日から3日目に、ボーは静かに息を引き取った。
私は両親と共に、ボーの遺体を抱いて、火葬場を訪れ、動物霊園の
共同墓地におさめにいった。
21年も長生きしてくれたのだから、本当によく頑張ってものだ。
だから、それだけに思い出が深い。
今でも、ふと気を緩めると、ボーとの思い出がまざまざとよみがえ
り、涙があふれてしまう。
私ですらそうなのだから、長年ボーと暮らしてきた父や母は、どれ
ほ悲しいことだろうか。
きっと、両親は、今度こそ、もう二度と動物は飼わないだろう。
猫なんて、特にだ。
動物との別れを克服して、またペットと暮らせる人も世間にはいる
けれど、私の父も母も、それほど器用な人ではない。
だから、父と母にとってボーは、おそらく最後のペットになるだろ
うと感じた。

猫が自由気ままに外をかっぽし、猫たちのコミュニティがつくりあ
げられ、本来の猫らしい姿で生きられることは、やはり素晴らしい
に決まっているが、ボーのような猫を長年みていると、ああ、この
猫は、そういうこととはまた別な目的があって生まれてきたのだろ
う、なんて私は思ってしまう。
いつだったか、江原啓之さんが、動物の魂の最終的な目標は、人間
に生まれてくることと言っていたが、それならば、野生で生きる動
物より、人間と関わり、人間と近い距離で暮らす動物などは、もっ
ともその目的に近い存在といえるわけで、そのための訓練や修行の
場が、現世であるならば、きっといつかは、私たちのボーも、人間
になって生まれ変われることもあるのだろうか・・・・。
そんなふうに想像すると、私もまた、いつかの人生で、ボーの魂と
ひょんなことで巡り会えるかもしれないなんて、優しい気持ちになった。

ボーと過ごした時間の全てが、楽しく幸せだった。
どれほど、あの猫に癒され、与えられたことだろう。
猫との思い出の全てが、私にとっては宝物である。
愛しい時間なのです。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

連載コラム175 from 台湾

8月29日、民主党は菅総理大臣の後釜を決める
代表選挙を行った。

候補者は5人。前原前外相が有力だとされており
小沢氏と鳩山氏の支持を受けた海江田経済産業相との
一騎打ちになると、各メディアは報道。

ところが、蓋を開けてみると前原前外相は74票と低迷し
海江田経済産業相も143票。
半数の200票には届かなかった。

地味なイメージの野田財務省が102票獲得し、
海江田経済産業相との決選投票へ駒と進め、
215票を集め、新代表に選ばれた。

国民としては増税を明言しているのが気になるところだが
特定国に媚びることはないだろういう点では
よかったのかもしれない。

しかし媚びることがないため、民主党内を分裂させる
そんな存在になるかもしれない。

菅総理、まさかの爆弾
退任を発表した菅総理は、存在感がますます薄くなり
身内や近い人たちとだけ食事をする日々が続いた。

311からの復興を手がけるのは容易ではないと分かるが、
福島第一原発事故といい、あまりにもおそまつな仕事ぶりが
目立った人物であった。

そんな菅総理は、国民やメディアの注目が民主党代表戦に
向いている29日、
審査手続きが停止状態にある朝鮮学校への高校授業料の
無償化適応について審査を再開させたのである。

この審査は昨年11月に北朝鮮が韓国に砲弾攻撃したため
停止に追い込まれていたもの。

菅総理は「砲撃前の状況に戻った」と再開されたのだが、
果たしてそうだろうか。

どさくさにまぎれてこのようなことをする菅総理には
ますます不信感が募る。

海外メディアのリアクション
野田財務省が民主党代表に選ばれ、
新しい総理大臣になるだろうというニュースは、
海外でも大きく報じられた。

どのメディアも菅総理が311以降辞任しろと
プレッシャーをかけられていたこと、
チェルノブイリ以来、最悪の原発事故を起こした日本を
うまくまとめられず、事故の対応もきちんと出来ていないことが
綴られていた。

また、新首相が原発事故をどう終息させていくのか、
そして円高にどう取り組んでいくのかを、
注目ポイントとしてあげていた。

続く円高
野田財務省が代表になり、瞬間的に円高が進んだ。

世界的に不景気で、日本では相変わらずデフレ状態だが
それでも嫌がらせのように円が買われ続けられている。

このままだと不況は一層深刻化し、
格差は一層ひらき、治安は悪くなってしまうだろう。

野田氏は時限的な税再措置をとらざるえないと明言したが
一度した増税を、下げるなんてことは絶対にないだろう。

朝鮮学校への高校授業料の無償化だの、
そんなところへ金を流しているのだから、
金はいくらあっても足りないのである。

海外の日本人学校は相変わらず何の恩恵も受けられず
バカバカしいにもほどがあると、みな憤りを感じている。

これからの日本
国民のためでない政治が行われ続けてきた日本。
国民のためにならない報道を行ってきたメディア。

今回メディアは、前原氏優勢と書きたててきたが、
それを願っていたからであり、事実は違ったのではと
勘ぐってしまうほどである。

新内閣は、どこまで日本のために尽くしてくれるのか。
本当に心配でならない。


▼写真は、台北市内中心から見える台北101です。
























コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

2011年8月16日火曜日

連載コラム292 from北海道●田代島のプロジェクト


宮城県の北東部石巻市に田代島という島がある。
この島は、全長が11.5キロメートルの小さな離島。
人口は100人あまりで、八割は高齢者だ。
島民の平均年齢は71歳というが、じっさい島で暮らす60歳以下
は10人にも満たず、子供はひとりもいない。
限界集落として、近い将来このままでは、無人島になってしまうこ
とも危ぶまれていたが、ここ数年で、漁師見習いの若者の移住な
ど、島の後継者はわずかながらも増えていた。

3.11の震災よって、この田代島も大きな被害を受けている。
あの大きな地震によって、屋根瓦や壁は崩れ、その後発生した津波
では、島の集落の大部分が被害に見舞われてしまったからだ。
多くの家々が、天井まで浸水し、また丸ごと流されてしまったケー
スも少なくはない。
島の産業である漁や牡蠣の養殖も壊滅的である。
津波で流失した漁船や漁具。
牡蠣の養殖場も、牡蠣剥きの作業場も被害を受けた。
島の唯一の業務用大型冷蔵庫に冷凍庫も津波で全壊。
船は四割が流され、港で使用していた重機やフォークリフトも海水
に浸かって動かない。
復興に掛かる費用は、とうぜん膨大である。
流失してしまった船や漁具など必要な資材を整えるためには、およ
そ1億5000万円が必要で、現役の漁師たちで負担したとして
も、一人当たり2000万円の借金を抱えることになり、その返済
には、20年以上も要する。
また養殖設備には、新たに8000万円もの費用が必要なのだという。
漁師のたいはんは、20年以上も払いつづける借金を抱えるには高
齢すぎるし、いま現在、島の後継者として移住している若い漁師見
習いにしたって、この借金はあまりにも負担が大きすぎる。
そこで、考え出された案が『田代島にゃんこザプロジェクト』。
島の復興、救済支援基金を、ホームページなどで呼びかけている。
支援基金は、一口1万円で、一口ごとに、謝礼として田代島の特産
島牡蠣が1キロ前後(牡蠣50個前後)が送られるが、これは牡蠣
棚の修復や育成に時間が掛かるため、発送まで4~5年掛かり、他
に猫ストラップや田代島オリジナル猫グッズなども基金の謝礼とし
て送られてくる。

『田代島にゃんこザプロジェクト』。
なぜ、この島の基金が、そのようなネームなのかというと、田代島
にとって猫との絆は、切っても切れない関係だからだ。
じっさい島では、人間より猫の数が多いとも言われているが、古く
からこの島では、猫を神様として崇める習慣があり、猫神社まであ
るが、猫島として島の猫を見に来る観光客が増え始めたのは、近年
になってからだという。

私がこの島の猫たちをテレビで目にしたのも、それほど古いことで
はない。
たしか、なにかの動物番組だったと思うが、島の猫たちののびのび
したようすに、とても微笑ましくなり、以前のコラムでも、島の猫
に触れて書いた。
また、私の敬愛する動物写真家の岩合光昭さんも、この田代島の猫
たちの写真を多く撮影している。
漁師から魚をもらったり、えさをもらったり、この田代島では島の
人間みんなで猫を飼っている。
猫を大切にし、猫との暮らしを守り生きているのだ。
私のような猫好きから見れば、それはとても穏やかで、平和的であ
り、優しさにあふれた暮らし方に感じた。
田代島に、猫が住みついたのが、いったいいつからなのか確かなこ
とは解らないが、きっと島で生きる人々にとって、猫は必要だった
のかもしれない。

岩合光昭さんの写真集に、こんなことが書かれてある。
―――今の時代はネコがネコらしく生きていくのが
時として難しくなっています。
ネコがネコらしくというのは
生きものとして生まれてあるがままに
生きること、歩き、食べて、恋をして、
子を育てる、ということです。
田代島のネコたちはネコの社会生活の
ルールを守る暮らし方をしています。
撮影対象として
無限に広がるネコの世界を
見せてくれるのです―――

3.11の大震災で、田代島でも多くの猫が命を落とした。
それでも、災害を逃れて生き延びた猫たちは、また今年も恋の季節
をむかえ、新しい命が次々と誕生しているという。
島の支援プロジェクトの案は、もちろん島民の知恵によるものだ
が、島を救うべく救済資金が多く集まっているのは、それだけでは
ないような気がしてしまう。
猫たちが、福をもたらせようとしてる、そんなことを感じてならない。

田代島の一日もはやい復興を私も願ってます。
島の産業も、暮らしも、島民と猫たちとの生活も、すべてが戻りま
すように。
田代島、がんばれ!!



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

連載コラム174 from 台湾


近年、韓国で放送されたドラマや、活躍している歌手が、
日本を始めとするアジア全域で活動するようになった。

それまで、アジアで人気を誇っていたのは日本のドラマに
日本人歌手、日本のアニメにカワイイもの全て。

レスリー・チャンら香港の人気歌手たちが日本人歌手の歌を
こぞってカバーしヒットさせた時代もあった。

日本のアニメもアジア全域で放送され、
テーマソングは日本語のまま放送されるので、
現地の子供たちは、その日本語の歌を口ぐさむ。

大昔、日本がアメリカのドラマを大量に輸入
していたように、自国でドラマを作るより日本の輸入ドラマを
流したほうが手っ取り早い、というのが大きな理由だろう。

しかし、アジアのトップに立つ経済大国日本への憧れから、
日本の文化にふれようと日本のエンターテイメントを
輸入していた、というのも、また大きな理由であろう。

香港映画ブーム
その昔、日本でも香港映画ブームが起こった。

とはいえ、香港のエンタメ全てを輸入するものではなく
映画はジャッキー・チェンが主役のアクションものか
チョウ・ユンファが主役のマフィアもの。

キョンシー・ブームなるものもあったが、
あれは台湾の映画であり、香港ではない。

ようするに、ブームといってもそればかりを取り上げるのではなく
多くのエンターテイメントのうちの一ジャンルという形で
むろん、そればかりを放送する局などなかった。

しかし、韓国のエンターテイメントが日本に入り
韓流ブームが巻き起こったとき、
それをエンタメのブームだけで終わらせない放送局があった。

それがフジテレビだと、言われている。

韓流ブーム
個人的に、よい作品ならば制作国を問わず、
いくらでも輸入すべきだと思う。

残念ながら韓国ドラマの面白さがわからないため
全く視ないのだが、
韓国のグループ歌手は面白いので視ることはある。

海外在住者なので、はっきりしたことは分からぬが
フジテレビが韓国のドラマばかりを流し、
韓国の歌手をプロモートし、
地上派でありながら、ケーブルテレビのような
韓国専門チャンネルになっても、別によいのでは?と思う。

というのも、日本の地上派チャンネルの視聴率はとても低く、
視聴者よりもスポンサー重視する傾向があるからだ。
そのことを国民も知っているので、影響力は低いと
思われるからである。

しかし、報道番組でも韓国寄りに放送するのはどうかと思う。
特に意図的に日の丸の映像を流さない、とかである。

日本のメディア規制
8月7日、フジテレビの前で大々的なデモが行われた。
2500人が集まり「韓流をやめろ!」とデモ行進したそうだ。

しかし、これを報じる主要メディアはなかった。
日本は自国のデモ行進を全く報道しない、
メディア規制を厳しくかけている国だということを
また海外に披露してしまった。

今時、ネットでどんな情報も手に入れられるというのに、
規制をかけて完全にコントロールできると思っているのだろうか。

台湾では、この報道があった前から
「自国の番組をもっと放送しよう」という動きがあった。

それは、当然のことである。
ちなみに、台湾の報道メディアは大げさに報じることがあっても
自国を差し置いて他国に肩入れした報道はしない。

自分の国を愛さずして、どうするのだ?

怖い話
一昔前から計画されている日韓トンネルの建設費は、
10兆円ほどだという。

東日本大震災復興のため税金を上げるなどという話が
出ている中、この日韓トンネルの計画を進めようと
している議員がいるそうだ。

周辺国と仲良くするのは良いことである。
しかし、そこにドロドロとした黒い思惑、打算、利権、
そして大金がからむと、よくない方向へ進んでしまう。

日本が今後、どんな道を進むのか。怖くて仕方がない。


▼写真は、台湾中で見かけるリサイクルの台車です。台湾語で呼びかけながら住宅街をまわっています。























コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

2011年8月1日月曜日

連載コラム173 from 台湾

以前からこのコラムに書かせてもらっている
東日本大震災により起こった福島第一原発事故。

政府は国民にすぐに情報公開せず、
公開したとしても「今は大丈夫」と前置きできるくらい
長い時間が経ってから。
その数値ですら、もはや信用できないものとなっている。

震災から4ヶ月経つというのに原発内の放射能の数値は
長時間作業もできないほど高い。
予定表などというものを作ったらしいが修正しまくり
自己満足の表を制作しただけ。

スムーズに処理できないのは仕方ないだろう。
それほど深刻で大きな事故だからだ。

政府は、国民がパニックになるのを防いだというが、
明らかにプライオリティが間違っている。

日本はいつから真実を知ることができない国になって
しまったのだろうか。

笑えない中国高速鉄道事故
7月23日に、中国の高速鉄道が信じられないような事故を
起こした。

なんと追突し脱線、200人以上の死傷者を出したというのだ。

この死傷者の数は正しくないとう見方が強い。
どう考えても少なすぎるからである。

しかも、事故直後、高架にぶら下がっている状態の車体を
無理矢理地上に落とし、ろくな現場検証も行わないまま
埋めたのだ。

動かされた車体からは人間らしきものが飛び出しており
その映像はインターネット上で世界中の人に見られ、
メディアで伝えられた。

さすがにマズイと思ったのか、中国はなんと車体を掘り起こした。

笑うしかないような酷い対応。

でも、日本は決してこの中国の対応を笑ってられない。
日本だって似たようなものだからだ。

福島第一原発事故、放射能汚染に対して最悪な対応をしており
日本も「隠し事ばっかりやっている、信用ならない国」と
見られつつあるからである。

やはり起こった全国レベルの汚染
政府が真実を隠そうと奔走するため、
対応に統一がとれず、懸念されていた放射能汚染された食物が
全国にばらまかまれている。

遅かれ早かれ、こうなることは目に見えてきた。
だから海外では福島はもちろんのこと、周辺国からの食物は
輸入しないという処置を早くからとったのだ。

しかし、日本は「風評被害」という言葉を武器にして
国民に「変に怖がるな」「怖がるやつは裏切り者」のように
洗脳していった。

結果、汚染された牛肉までもが全国に流通。

安全だ安全だといわれてきた放射能だが、
ここにきて、さすがに日本国民の間にも「怖いかも」という空気が
流れだしたようである。

日本を立て直せるのは日本人
放射能は目に見えない。
内部被爆もすぐには健康に影響が出てこない。

それをいいことに日本政府はやりたい放題をしている。

日本国民が団結して復興をするのは当然のこと。
消費税を上げるのもやむをえないと思っている。

信じられないほどの円高に対しても何もせず
とうとう80円を切り、77円までさせてもボーっとしている政府。

いや、かえってみんな買うからいいでしょ、と
お得な買い物特集まで組む日本のテレビ。

ちょっと、待ってほしい。
もう少し危機感を感じて欲しい。

なぜ、ここまで世界中の人たちが「東日本頑張れ」というのか。
それは、それほど日本の状態が悪いからなのだ。
日は沈む、もう昇らぬとも言われているのだ。

日本人が目覚めるのかどうか、世界から注目されていることを、
もう少し意識してもらいたい。


▼写真は、台北市の動物園近くにある猫空ロープウェイです。



















コラムニスト●プロフィール
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岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム291 from北海道●怪優・原田芳雄さんを偲ぶ

圧倒的な存在感で、観る人を力ずくで魅了し、物語の中に引きずり込む。
原田芳雄は、そんな俳優だったように思う。
洗練された、上手い役者と比べても、原田芳雄という俳優は、そん
なちっぽけな枠では決しておさまりきらない。
放つ存在感が圧倒的に強く、濃い役者なのだ。
だから、原田芳雄が登場するだけで、引きつけらて見入ってしまう。
晩年の作品にみられる、穏やで、温かい役を演じるまでの原田芳雄
という俳優を、私はそんなふうに感じずにはいられない。
野生的で、アウトロー。
ギラギラした独特の不良性だ。

『どついたるねん』や『浪人街』、『われに撃つ用意あり』『鬼
火』など、100本を超える映画に出演し、テレビドラマにも多く出た。
マニアックな作品では、『痛快!河内山宗俊』なんかがとても好き
だし、『闇の狩人』も忘れがたい作品である。
そういう野性的なアウトロー役とは別に、『亡国のイージス』での
総理大臣役や、『ヤンキー母校に帰る』の教師役、NHKドラマ
『白州次郎』での吉田茂役の原田芳雄も、圧倒的な存在感の塊だった。
脇役であっても、この役は原田芳雄をおいて他にはいない。
そう思わせるほどのはまり役だからだ。

色彩がちがう、濃い作品とはまた別の映画『父と暮らせば』や『歩
いても歩いても』、『奇跡』なども、原田芳雄は実にいい雰囲気を
かもし出している。
落ち着いた役所から放たれる雰囲気は、俳優・原田芳雄が役者とし
て長年つちかい、積み重ねてきた熟練された職人技のような味わい
深さがある。
あの野太い声質も実にステキ。
だからこそ、あまりにも突然の訃報に、どうしてものみこめない気
持ちだった。

原田芳雄最後の主演作『大鹿村騒動記』は、小さな村で巻き起こる
騒動と、300年も続いている村歌舞伎を掛け合わせた悲喜こもご
もの喜劇である。
2007年にNHKドラマ『おシャシャのシャン!』の出演で、
大鹿歌舞伎と出会った原田さんが、村歌舞伎に衝撃を受けてから、
ずっとあたためていた構想を、坂本順治監督が実現した作品だ。
脚本は荒井晴彦さん。
昨年の11月に、長野県下伊那郡大鹿村で、二週間のロケでつくり
あげたスピード映画なのだが、撮影期間が短いこともあって、テス
トもリテイクもほとんどナシの撮影だったいう。
食堂「ディア・イーター」を経営する風祭善こと原田芳雄は、サン
グラスにテンガロンハットの無骨な男だが、村歌舞伎の花形役者で
もある。
しかし、その花形役者も、私生活では妻に逃げられ、18年間ひと
り暮らしをしてきた。
江戸時代からずっと途絶えることなく続いてきた村の伝統である歌
舞伎を、5日後にひかえたある日、駆け落ちをした妻の貴子と幼な
じみの治が帰ってきたところから、この物語ははじまる。
認知症を患っている貴子を、とつぜん帰すと治に言われてしまう善。
妻の貴子役に、大楠道代。
駆け落ちした善の親友、治役は、岸部一徳である。
原田芳雄と岸部一徳の掛け合いが最高に愉快だ。
岸部さんのとぼけた調子良さに、善こと原田芳雄は振り回され、ま
た認知症を患っている妻・貴子にも翻弄されてしまう。
それでも、村の大鹿歌舞伎「六千両後日文章 重忠館の段」の場面
は、実に圧巻。
この話は「景清伝説」の脚色、大鹿歌舞伎のオリジナルでもある。
それぞれの歌舞伎役を演じる石橋連司やでんでん、大楠道代も素晴
らしいが、なんといっても、景清を演じる善こと原田芳雄が、本当
にすごい。
上手いというより、荒くて、迫力のある歌舞伎に目を奪われる。
優雅で綺麗な歌舞伎なんかではない。
むしろ、土臭さや泥臭さを感じてしまうほど。
だけど、胸があつくなった。
すごい歌舞伎に、泣けてくる。
きっと原田芳雄は、全身全霊で景清を演じていたのだろう。
なにか、そのことが伝わってくるシーンだった。
いま、映画館の客席から、自分も観客役のエキストラ、大鹿村の
人々と共に、大鹿歌舞伎を見物しているような気持ちだ。
舞台の景清に、拍手やかけ声がわきおこり、おひねりは次から次へ
と舞台になげこまれ、それに触発されてか、自分までもがなんども
手を叩きそうになるのをこらえたり、なにかこの映画事態に、不思
議で新鮮な気持ちになった。
実は、この歌舞伎のシーンで、重たい衣装をまとい、慣れない所作
を繰り返した原田芳雄は、撮影途中で左肩を脱臼するアクシデント
に見舞われたのだが、それでも、観客に気づかれることなくアドリ
ブで全撮影を乗り切ったという。
大鹿歌舞伎のシーン以外は、たくさん笑えておかしくて、少しだけ
切なさを秘めた映画である。
こっけいであたたかい、『大鹿村騒動記』は、そんな映画だ。
でも、こんなに愉快で楽しいはずなのに、心から笑うことが出来な
かったのは、やはりこの映画が、原田芳雄の遺作だということを拭
えずに観てしまったからだろう。
残された時間を自ら自覚し、病気をこらえながら、命を削ってまで
この映画に挑んだ。
大鹿歌舞伎にこそ、演じることの原点がある。
それが、原田芳雄がこの映画にこだわった理由である。

巷が好きだった。
大衆の人々をこよなく愛してきた原田芳雄。
原田芳雄の、人間としての土臭さ温かさの源は、きっとそこからき
ているのだ。
そして、骨の髄まで映画が好きだった俳優である。

怪優・原田芳雄は、これからもずっと思い出の中に。
映画の中で、彼は永遠に生き続けるだろう。



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年7月16日土曜日

連載コラム172 from 台湾

日本のマスコミは今、信用できない。
以前から、このコラムでも繰り返し発言してきたが、
権力の前には何もすることができず、言いなりになるだけ。

3日に、松本前復興相が宮城県庁を訪れ、
村井知事と対談している最中に
知事に対して「「お客さんが来るときは自分が入ってから呼べ」
と上から発言したことに対して、
「今の最後の言葉はオフレコです。
いいですか、みなさん。いいですか? 
はい。書いたら、もうその社は終わりだから」。
と言い放ったときも、そうだ。

結局、この松本前復興相の態度の悪さ屈辱的な言葉を
報じたのは地元のマスコミだけであった。

他のマスコミは「オフレコという言葉は冗談だと思ったし」と
地元マスコミが大げさだと主張したというが、
そんなことは問題ではない。

この発言がどうして出たのかが問題なのだ。

報道はコントロール可能
東日本大震災後の日本を見ていると、
マスコミがいかにコントロールされているのかが
良く分かる。

放射能に関して、悪い情報が発表された直後には
大したことない、そんな酷い状況にはならないと報じる。

チェルノブイリほど酷い状態に、なることはない、
そもそもチェルノブイリとは違う型の原子炉だと言いながら、
福島第一原子力発電所はチェルノブイリ超えの最悪な状態に。

メルトダウンどころか、メルトスルーという状態なのに
今度は、チェルノブイリも、本当は悪い状態じゃない、
住んでいる人もいる、と伝える。

放射能被災地の農作物から放射能物質が検出されれば、
風評被害は可哀想と、逆に食べろとあおぐ。
意図的に市場に流出させても「気の毒だし」と
同情的な報道をする。

今回、松本前復興相の件で、被災者が激怒していることが
明るみになると、
いや、酷い被災者もいる、モンスター被災者がいる、
と情報を思いっきり操作するのだ。

政治家が、自分の暴言を、オフレコだ、
書いたらその社は終わりだと、言い放つほど
調子に乗ってしまうのもよくわかる。

日本では報道はコントロールできるのだから。

やめない首相、次から次へと判明する悪
やればやるほど、ボロが出てきて
空回りし続けている菅首相。

自身の政治資金管理団体が、
日本人拉致容疑者の長男が所属する政治団体に
なんと6250万円の政治献金をしていることが、
明らかになったときも、
「適正な献金」だと主張しただけだった。

段階を踏めば、誰にも献金できるのか。
一国の首相が、敵国のテロリストの息子に献金だなんて
これはアメリカがだまっていないのではないか。

次から次へとボロがでてくる菅首相。
でも、マスコミはこのことを積極的には報じない。

耐えるのが得意な日本人
原発事故で電力が少々減ることになり、
日本の企業は積極的に節電対策に取り組んでいる。

マスコミが連日のように節電を呼びかけるので
多くの人が「節電しなければ」「耐えなければ」という気持ちになり
熱中症で亡くなる人まで出たと報じられている。

文句も言わずに、マスコミの伝えることをうのみにし、
足並み並べようと必死な日本人。

こういう国民性なのだと、海外では気の毒に見られている。
耐えるだけ耐え、文句も言わない。
そんな国民は本当に意味でも自由を知らず気の毒だというのだ。

日本人が真の意味で自由を手に入れる日は、
一体、来るのだろうか・・・・

▼写真は、台北市を一望できる樹林区の山頂からの景色です。



















コラムニスト●プロフィール
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岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム290 from北海道●この国はどこへゆくのか

この国は、どこへ行こうとしているのか。
東日本の大震災から、4ヶ月という月日が経った。
いまだ、被災地の復興は進んでおらず、多くの潮に浸かったがれき
がそのままの姿で積み上げられている。
避難所での暮らしは、今や暑さとの闘いだ。
女川、石巻では、腐敗した水産物が強烈な異臭を放っている。
ウジがわき、ハエの量は、よもや尋常ではない。
腐った魚を総出で処理していた作業にあたっていた方が、あまりの
悪臭に倒れた話もある。
報道から伝わる被災地の映像からは、その強烈な臭いまでは伝わり
にくい。
復興がままならないまま、そこに留まり、じっと堪え忍んでいる
人々を思うと、本当にたまらない気持ちだ。
震災後、かろうじて助かった命も、ここにきて、亡くなってしまう
人があまりに多い。
その中には、将来を悲観して、自ら命を絶ってしまう、そんな人も
少なくはないのだ。
ようやく動き出した国会や、政府の動きをみていても、どうしても
希望を見いだせない。
ただただ荒波のように怒りが押し寄せてくるばかりだ。
私は、管直人という政治家が、昨年の総裁選で勝利した時から、良
い印象は抱いていない。
小沢派の樽床氏との一騎打ちで、総理大臣の座についた管さんの喜
びようは子供のようだった。
それほどまでに、総理大臣になりかった、その心情がよく伝わって
くる印象深い場面だった。
仕事に野心を抱くことは、決して悪いことではない。
だから、そのことだけをとらえて、指摘など出来ない。
けれども、総理になってからの仕事ぶりは、目を疑うものが多い。
初心表明の演説で掲げた突然の消費税アップや尖閣問題の処理や
APECでのようす。
菅さんの言動に不安が拭えないままこの国は歩み続けて、大きな震
災に見舞われた。
人間の能力は、それぞれに違うものだ。
だから、この国のトップとして、精一杯がんばってくれさえすればいい。
その思いが総理として心にありさえすれば、私たち国民には必ず伝
わるからだ。
そうすれば、私たちはきっと救われる。
小さな希望も見いだせる。
途方もない震災を抱えていても、総理の覚悟と誠意だけで、私たち
はきっと頑張れる。
しかし、今ではその願いすらも遠い。
私には、管さんの言葉がのみこめない。
国会での答弁は、もっと理解できない。
腹に一物を抱える答弁ばかりで、何を言いたいのかも何を話してい
るのかも掴みにくいからだ。
総理延命のために、知恵だけは働かせる菅さんである。
そのためには、閣内の大臣だって後ろから斬りつける。
市民運動家から政治家としてのし上がってきた菅さんは、たった一
人で今の地位を築いたのだろう。
だから、誰も信用していない。
誰も信じない人なのだ。
政治は、総理であっても、ひとりの力だけで成せるものではない。
特に日本の政界の内情は複雑だ。
癒着や利権や派閥が複雑に絡み合う中で、官僚たちのやる気をうま
く引き出していかなくてはいけない。
手腕が問われる大変な役所である。
だからこそ、この場におよんで震災を人質に取るなど、政治家とし
てあるまじき行為である。
いまや世論は、反原発に傾いているけれど、自然再生エネルギー法
案を通すことより、まずこの国のトップとしてやらなければならな
いことがあるはずだ。
被災地では苦しい夏を迎えている。
配られるはずの義援金も滞っている。
復興もままならない。
手を差し延べる民間企業やボランティアの映像ばかりが伝わるたび
に、国はなにをしているのかと怒りが込み上げる。
ただただ延命したいだけの総理に、この国は翻弄されている。
菅さん、あなたは自分の罪の重さを理解しているのでしょうか?
総理のイスはそのままに、直ぐさま更迭したい。
私は、そんな思いです。




コラムニスト●プロフィール
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赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年7月1日金曜日

連載コラム171 from 台湾

緊張が続いている福島第一原子力発電所。

日本のメディアは控えめに報道するだけだが、
今も、連日のようにとんでもない事実が、
明かされている。

6月末には3号機のプール水がアルカリ性になり
ラックの腐食が進みだし、最悪の場合は再臨界する
と報じられた。

1号機もアルカリで、2号機は水がほとんどないそうだ。

ゾッとするような重大なニュースをシレっと報道する、
日本のメディアの酷さ、
そして日本人の無関心さに驚きが隠せない。

事実を分かりやすく
今、日本のメディアは福島の原発事故に関して
難しい言葉を使った、分かりにくい報道しかしない。

東日本大地震発生直後に「ありえない」と言いながらも
起こった最悪な事態も、2ヶ月後にやっと明かし、
「最悪だったけど、今は大丈夫」と伝える。

今は大丈夫というが、日本の各地が汚染されている。
わざわざ上げた基準を上回る汚染ぶりなのだ。

一方で、風評被害がどれほど罪なことなのか
メディアは強く、大々的に報じる。

まるで原発周辺地区産のものを購入しなければ
人間失格の罪人のように。

それなのに、基準値を上回る農作物が出回ったりする。

メディアは事実を分かりやすく伝えるのが
役割なのではないのか。

権力に左右されないメディアは日本にはいないのだろうか。

バッシング
インターネットが普及している日本では
さまざまなフォーラムがネット上にあり、
今回の放射能に関する意見も活発に交換されている。

主婦が多く集まる某フォーラムで、
先日、こんなやり取りを見つけた。

放射能が怖い、子供を守るために海外移住も考えている
という書き込みをした主婦に対するバッシングだ。

「神経質しすぎるお母さんで、お子さんが可哀想」
「私は福島に住んでいるが、何か問題でもあるのか」
「身内がガンで放射能治療を受けたことがある。
放射能は身体に悪いだけじゃない」
「ガンなんて確率の問題。なるときにはなる」

このような書き込みがズラッと並んでいた。

バッシングを受けた主婦は
「実は子供をガンで一人亡くしている。
闘病は本当に凄まじいものだった。
残っている子には、二度とそんな思いをさせたくない」
「だから、ガンの確立を少しでも上げさせたくないのだ」
と付け加えていた。

この主婦が、なんでここまでバッシングされるのか。

何でも同じようにしなければならない、
運命共同体意識の高い日本人の体質の恐ろしさを見たようで
鳥肌がたってしまった。

事実は報道よりも何倍も悪い
6月27日。
福島県が全県民二百万人に実施する健康管理調査が
スタートした。

低線量被ばくが人体に与える影響に関しては、
医学的に十分解明されていないため、それを調べるのである。

今、メディアや政府が言っているように、問題ないかもしれない。
しかし、今までメディアや政府が言ってきたように、
実際は想定外な酷い影響を受けているのかもしれない。

これまでの流れを見て、
事実は報道よりも何倍も悪いと、日本国民は思うべきである。

海外は冷めた目で、そう見ている。
福島どころか、関東、日本全国で作られた食べ物は
誰も手を出さないではない。

目に見える健康被害が出たときは手遅れなのだ。
日本人が目覚めてくれるのを、祈らずにいられない。


▼写真は、幻想的な台北陽明山の山道です。




















コラムニスト●プロフィール
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岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
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結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム289 from北海道●奇跡

是枝裕和監督の映画『奇跡』は、子ども達が主役の映画である。
2004年の映画『誰も知らない』では、親に置き去りにされた子
ども達が、団地の一室で生き抜く姿をとらえた衝撃的な社会派ド
キュメンタリーでもあったが、映画『奇跡』は、同じように子ども
達に視点をおきながら、とても温かい映画だ。
離婚した両親が、それぞれに子どもを引き取り、離ればなれに暮ら
す兄弟がいる、そんな設定で、この物語ははじまるのだが、なかな
か環境になじめない小学六年生の兄と、前向きに順応していく小学
四年生の弟が、とても対照的で、笑ってしまうのに、心がチクリと
痛むのだ。
ある日、兄の航一は、噂を耳にする。
九州新幹線の一番列車がすれ違う瞬間を目撃すれば、奇跡がおきて
願いが叶うと。

映画『奇跡』を通して、自分の心が子ども時代に還っていくようだった。
あの頃の私は、いったい何を信じて生きていたのだろうか。
今よりずっと純粋な目で、物事を見つめ生きていたことは間違いない。
不安なことより、楽しいことや幸せを感じることが多かったように思う。
大人になってしまうと、心はそれだけ鎧をまとってしまう。
けっして無防備ではいられなくなる。
そのことが悲しいというより、映画を通して懐かしさに出会ったよ
うな気持ちにさせられた。

是枝監督の映画の凄いところは、けっして甘口のハッピーエンドで
終わらないところだ。
この時代に生きる家族のあり方は、非情にリアルで、リアルであり
ながら、子ども達が奇跡を叶えたいと信じ、がむしゃらに突き進む
ところに、ほんのりとファンタジーが隠れている。
そして、映画の中で、奇跡は子ども達の願望とは違うところで、出
会いを運び、温かさを秘めた形で現れる。

人は、どんなことを奇跡と感じるのだろう。
いま、生きていることそのものが奇跡だとしたら、もっと優しい視
点で、人生も見つめられるかもしれないと、そんなふうに思った。

この映画は、意外にも企画ものだったという。
3月に全線開業した九州新幹線を軸に映画をつくる、そんな企画に
是枝監督が抜擢された。
企画当初、監督の頭の中に浮かんだのは、『スタンド・バイ・
ミー』のような子ども達が線路の上を歩いているイメージだったら
しく、鹿児島に住んでいる男の子と、博多に住んでいる女の子が、
九州に初めて走る新幹線を見に行って出会うというストーリー。そ
の後、福岡~鹿児島間の新幹線の線路は高架線が多く、遠くや高い
ところから眺めない限り目線に入らない場所が多かったことと、子
役のオーディションで選ばれた兄弟の主役たちに出会ったことで、
更に脚本を書き直したという話だ。
主役の兄弟は、お笑いコンビ『まえだまえだ』の二人である。
この二人が、抜群に素晴らしい。
兄と弟のそれぞれの友だち役の子役たちも、一人ひとり味があっ
て、実に自然体。
それもそのはず。
監督は、子ども達には台本を渡さず、そのつど監督が口だてで子供
らに言うだけ。
撮影のイメージを伝えて、子ども達にはそれぞれ自然体で演技して
もらう仕組みなのだ。
こういうところが、まさに是枝監督のドキュメンタリーらしさかも
しれない。
映画『奇跡』では、大人達は脇役に徹している。
離婚した両親の父と母、祖父母、祖父の親友や学校の先生、また友
だちの母親などが、そのつど登場してくるが、いずれの大人達も過
剰に子ども達を干渉せず、温かく見守る姿が印象的だ。
それに、この脇役の大人達が、こぞって豪華キャストなのも見物である。

鹿児島名物かるかんが、この映画では楽しく美味しく活きていて、
祖父と兄の航一の会話や、兄弟の会話から、思わず失笑してしまう。
かるかんの味を「ぼんやり」から「ほんのり」に変わっていったよ
うに、ひとりの少年の心の成長を描いた、あったかくて、少しだけ
切ない映画だった。

作品の中で引用されている谷川俊太郎の詩「生きる」は、ひょっと
するとこの映画のタイトル『奇跡』の謎かけなのだろうか?

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

全編九州ロケで撮った映画に散りばめられた景色も見所である。
桜島に、新幹線に、街並みに、そして暮れなずむ夕日にも、監督の
優しい目線を感じてしまう。
是枝監督の映画は、やっぱりいい!
映画『奇跡』は、ほんのりと温かさと懐かしさを心に運んでくれる
映画です。




コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年6月15日水曜日

連載コラム288 from北海道●震災から、はや三カ月

義援金の配布が遅れている。
東日本大震災に寄せられた義援金は、いまだ全体の15%しか被災
者には届いていない。
阪神淡路大震災や中越沖地震、または北海道南西沖地震の災害の経
験は、この度の震災にまるで活かされていない。
『義援金配分割合決定委員会』は、厚生労働省の協力のもとに設置
された委員会である。
住宅全壊・全焼・流失・死亡・行方不明者は35万円。
住宅半焼・半壊は18万円。
原発避難指示・屋内退避指示圏域の世帯は35万円を基準としてい
るというが、これでは配布の前に綿密な調査と報告が必要である。
役場そのものも被災し、自治体としての機能を失っている市町村
だってあるというのに、義援金の支給は、被災者の詳しいデーター
(罹災証明書)にもとづいてなどとご丁寧な始末だ。
日本赤十字社は、立派な人道機関だから、ホントのことをいうとあ
まり中傷はしたくない。
だから、震災後しばらく経ってから、「被災者にお金が配られるの
は、夏ごろになるらしい」話を知った時は、ひどく驚いた。
「なんで夏までかかるの? ウソでしょう?」ってな気持ちだった。
それでも、義援金は皆さまの善意によって集められたお金だから、
このことを中傷してしまうと、寄付に躊躇してしまう人達もいるの
ではないかと思い、どうにもこの話題に触れることを私自身はひる
んでしまったのだ。
日赤の事情を理解し、のみこむしかないだろう、そう思った。
だが、東日本大震災から、もう三カ月という月日が経過してしまっ
た今となっては、あまりにも全てにおいて時間が掛かりすぎている。
被災地では、仮設住宅への入居が当たったのにもかかわらず、義援
金も手にできず、入居してしまうと金銭面で不安だからという理由
で、避難所に留まっている人々も多い。
それもそのはず。
仮設住宅へ移れば、光熱費や水道代、食料の面でも、自分たちで全
て負担しなければならないからだ。
被災者にこういう問題がふりかかるのは、すでに解りきっていたこ
とではなかったのか?
なのに、過去の震災経験がいかされず、義援金の配布までとどこ
おっていることに、いらだちを感じてしまう。
平等な分配を心がけるあまりに、本末転倒なのだ。
住宅損傷の調査など、本当に必要だろうか?
三カ月も先が見えない避難所暮らしを強いられている人々には善意
すら届かないなんて惨すぎる。
システムが悪すぎる。
手続きが多すぎるのだ。
被災者には、手始めに一律100万円の配布。
これぐらいのことが出来なければ、スピード感は保てないのではな
かろうか?
政府は、義援金について、いっこくもはやく配ってくれるよう要請
しか出来ないと言っている。
未曾有という言葉を誰もが発しながらも、なにもかもが手続きには
ばまれているのが現状である。
そして、『はばむ』といえば、被災地の復興が縦割りの行政機関に
いちいちはばまれている。
道路交通の諸々は国土交通省の管轄だといい、震災で発生した大量
のがれき処理などの廃棄物の処理は環境省が及んでくるし、また震
災の災害で今あるほとんどの土地が使えなくなり、農地を転用する
しか住民の住宅が建てられない現実があったとしても、それなら
ば、これまでの補助金を返せと迫られている始末だ。
医療法、農地法、廃棄物処理法、道路交通法、その他にもさまざま
な法律が被災地の復興をはばんでいる。
窓口がそれぞれに違うから、被災した自治体、住民側は、それぞれ
の窓口機関に問題になっていることを申請する手続きから始めなけ
ればならない。
いま、この国の政治に求められていることは、被災地からこうした
縦割りの行政を取り払ってあげることではないだろうか。
自分達の足元だけ注視して、政局争いなどやっている場合ではない
はずだ。
この国がいまおかれてる現状にちゃんと目を向けてほしい。
政治家は、政治家としての役割をきっちりこなしてほしいです。
国民は、震災の復興を通して、あなたたち政治家の行動を見ています。
誰が政治家として必要な人か、そうではないか、国民を甘く見ない
でほしい。



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

連載コラム170 from 台湾

6月2日、日本の国会で菅内閣不信任決議案の
採決が行われた。

直前の報道では可決されるようだといわれていたが、
当日まさかのどんでん返し。

採決が行われる数時間前に、民主党代議士会で、
菅首相が、
「大震災に一定のめどがついた段階で、
若い世代の皆さんに色々な責任を引き継いでいただきたい」
と語り、震災復興と福島第一原発事故の一定の目処がついたら
バトンタッチしたいと公言したからである。

この発言をうけて「菅首相は近いうちに辞任する決心をしてる」
とメディアは一斉に報じた。

そして、このことが大きく影響し、
投票総数445票のうち、賛成152票、反対293票で
否決される、という結果となった。

あまりにも無責任
この民主党代議士会には、
1日には不信任に賛成意見だとされた鳩山前首相も出席。

菅首相の発言を重く受け取り、サポートすると発言した。

心情としては、
「不信任案に可決され、辞任に追い込まれ、
無能さを世界中にさらされ、歴史にも刻まれるのは忍びない。
近いうちに、何かをきっかけにして辞任させるから
同じ党なんだから、見届けてやろうじゃないか」
というところなのだろう。

こうして菅内閣不信任決議案は否決された。

海外メディアは「否決されたが、菅内閣はもう終わっている」
そんなニュアンスで伝えた。

日本のマスコミも、不信任決議案の直後から、
退任は6月中、いや夏、秋などとお祭り騒ぎのように報道。
誰もが、菅内閣はもう終わったものだと見ている。

しかし、菅首相は「一定の、一定の」を繰り返すだけで
辞任時期の明言は避け続けている。
挙句の果てに、某大臣は首相は辞任するなんて言ってない
という風に言い出す有様。

あまりにも、あまりにも無責任である。

本来ならば
本来ならば、こんな時期に不信任決議案が出されることは
非常識であり、絶対にあってはならない。

みなが一丸となり首相を支えながら、
被災者救済、震災復興、原発処理を手伝うべきなのだ。

しかし、今の首相、内閣ではそれは出来ていない。

政治主導と言いながら、権力争いで復興事業を投げ出して
きたのである。

世界はそれを見つめてきた。

そして、菅首相が近いうちに辞めると言い出したらしいと知り、
ならばさっさと辞めて、適任能力のある者に
スムーズに引き渡すべきだと思っているのだ。

しかし、菅首相はその座にいつまでも居座ろうとしている。
少なくとも、そうしているように見える。

被災者にことより政治家のこと
不信任決議案が行われる前夜、代議士会で
菅首相は鳩山前首相と話し合いをしたという。

そして2人は「東日本大震災の復興基本法案の成立、
本年度第2次補正予算編成に目処がついた段階で
退陣するということで合意」したのだそうだ。

ご丁寧に確認文書を作ったそうで、
その文書も公開。

そこには、上から順に
一、民主党を壊さない
二、自民党政権に逆戻りさせない
三、震災復興ならびに被災者の救済に責任を持つ
と記してあった。

つっこまれても逃れられるようになのか、
文書には署名はなく、公式なものではないらしいが
こんな事態でも被災者は一番最後なのかと知り、
情けなくなる。

復興はすぐに結果がでるわけではない。
時間がかかることで、すぐに目に見えるものではない。

しかし、いまだに体育館で避難生活を送っている
被災者が多い事実。

2、3ヶ月まえに原発で起こった事が、毎日のように明かされていく
事実。

ここまで政府に舐められているのに、何もしない国民。

このままだと日本は沈没してしまう。

どうしようもない悪い流れ止めるのには、
やはり首相を内閣を変えるのが一番だと思えてならない。




▼写真は、台湾市内を優雅に散歩する台湾によくいる雑種ネコです。



















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

2011年6月1日水曜日

連載コラム169 from 台湾

東日本大震災発生から2ヵ月半が過ぎた。

この度の震災で、世界中から多くの義援金が集まり
支援も受けている。
しかし、はっきり言ってハイチ大地震と比べ
アメリカのメディアは被災者の大変さを伝えていない。

チャリティー活動もハイチ大地震ほど
活発に行われているわけではない。

カンヌ祭で東日本大震災被災者救援チャリティー
ファッションショーが行われたが、
最近の大きな活動といったら、これくらいである。

あまり活発にチャリティーが行われない理由は、
日本が先進国だということも大きいだろう。

しかし、日本にうんざりしているのが
真の理由なのではないだろうか。

地震・津波より原発
今、世界のメディアは地震・津波の恐ろしさより
原発問題と真実を隠そうとする東電・日本政府の
恐ろしさを問題にし、大きく伝えている。

原発に頼っている国が多いということもあるが
東電が真実を語らないことを問題視しているのだ。

結局大げさでなかった欧米メディア
CNNの看板リポーター、アンダーソン・クーパーは
震災発生直後、リディア行きを取り消し宮城入きを決行。
被災地から被災者の視点に立った素晴らしい報道を
世界に向けて発信した。

しかし、彼はすぐさま東京へと向うことになる。
福島第一原発が爆破し、放射能が漏れていることを
懸念したからである。

その時から世界中が原発は深刻な状況に陥っている
メルトダウンしている可能性が高いと報じるようになり、
アメリカは半径80キロ以外へ批難するよう指示。

欧米の国も東京を出るよう指示したり
色々な勧告をだしていた。

そんな彼らを日本政府・メディアは「おおげさ」だと
こけおろした。

日本政府は「ただちには人体に影響ないレベル」
「メルトダウンは最悪の事態。
そこまでいってないと予測されている」と連呼した。

日本のメディアは「いたずらに脅かすのはよくない」
と、「たいしたことないから、大丈夫」だと伝えた。
「放射能は少し浴びたくらいなら、逆に健康になる」と
言った、とんでもない学者までいた。

ところが、今になって東電は
「メルトダウンしていた」
「地震発生後まもなく空焚きになってた」など
最悪な事態であったと公表。

欧米は大げさでも何でもなかったのである。

異常な状態の日本
メルトダウンどころかメルトスルー状態だという
福島第一原発。

自衛隊ヘリを飛ばせた派手な水かけパフォーマンスや
消防署による放水、戦車も出すと言うなど
見ごたえあることばかり行ってきた日本政府だが、
もう長い間、1時間に何トンも原発に向って放水しているが
さっぱり水がたまらないという事実。

見た目では変化がないため、
視聴率が稼げないと見切りをつけたテレビは、
報道を控えめにするようになり、周辺住民や被災者以外は
普通の暮らしが戻っている。

しかし、海外メディアはこの日本の今を
「異常な状態」だと分析。

日本は、放射線の怖さ、東電の隠蔽体質の酷さ、
日本政府の情けなさを批難報道しないどころか、
「放射線より怖いのは風評被害」
と、放射線を浴びた食べ物を食べようと推進していると。

売る側からしたら「日本政府が大丈夫と言っている。
えらい学者が大丈夫と言ったから、政府もOKを出している」
という気持ちなのだろう。

売らなければ生活が成り立たないどころか、
赤字になる人も多いのが事実。

しかし海外では「それはあまりにも異常。日本は狂っている」
と言われているのだ。

「日本人は皆がそうだから、と言うが、
皆が内部被爆し、皆が死ねばいい、ということなのか」
というのだ。

この異常な状態をとめられるのはやはり政府しかないだろう。
しかし、菅内閣にその力はない。

放射能汚染を食い止めるためにも、少しでも疑いのある
食物は売らず、政府か東電がまとめて買い取り破棄すべきである。

そうでないと汚染は日本中に広まり、
日本は世界から孤立してしまうだろう。



▼写真は、台湾のごく一般的な果物屋に並ぶフルーツです。パパイヤ、グアバなどが旬です。

















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム287 from北海道●情報の非公開に思うこと

先の国会で記憶に新しいのは、5月20日の参議院予算委員会で、
自民党の佐藤正久議員が福島第一原子力発電所事故後の政府対応
を、厳しく批判したことだ。
福島県出身の佐藤議員は、元陸上自衛官。
2004年からの自衛隊イラク派遣では、第一次復興業務支援隊長
を務めている。
イラク派遣時に、イスラム圏のルールに従って、口ひげをたくわえ
た風貌でもお馴染みの人だが、あの当時、サマーワの部族長や住民
らと信頼関係を築いたことでも有名である。
いつだったか、さだまさしさんがコンサートで、この佐藤さんとは
古い友人であると語っていた。
佐藤さんの純朴な人柄に触れたさださんの話が、今思い出しても懐
かしい。

3月23日になって、原子力安全技術センターが、放射性物質の広
がりを予測するシステム『SPEEDI』のデーターを公開した。
『SPEEDI』とは、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシ
ステムのことで、原子力発電所などから大量の放射性物質が放出さ
れたり、そのおそれがある場合、周辺環境における放射性物質の大
気中濃度および被ばく線量など環境への影響を、放出源情報、気象
および地形に基づき予測するシステムのことである。
驚くことに、この『SPEEDI』には、開発費も含め、これまで
に約240億円が注ぎ込まれ、昨年の予算も7億円だったという。
『SPEEDI』のデーターは、3月13日から原子力安全委員会
や経済産業省に情報が送られていたが、国民には公表されなかった。
公表されなかった理由について、政府と東電の原子力対策本部事務
局長を務める首相補佐・細野豪志議員は、「公開によって、社会全
体にパニックが起こることを懸念した」と言ったが、この発言に
は、しんそこ疑問を感じてしまう。
12日に、原発20キロ圏内に避難指示が勧告された人々は、いっ
せいに避難したのだ。
その中で、放射線量の高い地域へと避難した人々は、のべ1万人である。
ただただ山の方へと避難した浪江町、南相馬の住民たちは、原発か
ら北西へと向かった。
そして、15日の福島第一原発二号機の爆発によって、この人々は
避難先で更に高い放射線にさらされている。
後日公開されたデーターでは、原発から北西に向かって飯舘村ま
で、放射線の被害は及んでいるが、原発から33キロ余り離れた飯
舘村長泥の屋外積算放射線量は5月29日までの67日が経った今
も、危険区域だ。

『SPEEDI』の情報を知っていた内閣府の原子力安全委員会も
文部科学省も経済産業省の原子力安全・保安院も、責任の所在は自
分達にはないと、どこかひとごとだ。
ましてや総理官邸の枝野官房長官は、『SPEEDI』の存在を後
日知ったという。
これは、いったいなんなのか?
避難した住民が危険にさらされることを承知で、この機関に携わっ
ていた人々は事務的な判断しかできなかったというのか?
責任は、これらの情報に関わった人々全てにあるのでないか?
この人たちには、その認識すらない。
組織として情報が統一されていないのも、終わっている証拠である。
福島原発の海水注水中断の騒動も、これとまったく同じだった。
このことは、後になって、現場の吉田所長が、自分の判断で注水を
継続していたことがあきらかになったが、このとき、東電は吉田所
長の処分を検討していると公にした。

私たちは、この震災で、心をひとつにしてと思っているが、あまり
にも温度差を感じてしまう。
現場で奮闘する人々は誰もが必死なのに、東電の上層部からはその
誠意すら伝わってこないし、『SPEEDI』の情報が公開されな
かった事実をめぐっても、やはり同じことを感じてしまうからだ。
情報を扱い握っている人達には、国民の安全のために情報を公開す
る義務があったはずだ。
それなのに、危険地域に避難してしまった住民の痛みや不安、怒り
すら想像することは出来なかったのだろうかと思うと途方もない気
持ちになる。
もし本当にそんな感情をみじんも感じていないとすれば、それは人
としてあまりにも機械的すぎるのではないか。
そして、こんな人達ばかりが国民の安全を握る情報の源にいること
も、組織としては終わっているのだろう。

しかし、だ。
それでも、この大規模な震災、原発事故を抱えて、今まさに内閣不
信任案の提出で、国会は盛り上がろうとしている。
確かに管さんには、がっかりするし、スタンドプレイが多いのには
腹立たしい。
ここぞという時の総理としての態度にも問題が多いのも事実である。
だけれども、管さんを総理の椅子から引きずりおろしたところで、
そのかわりは見つかるのだろうか?
人材がまったくいないわけではないが、いまの国会が総理をめぐっ
て解散になったところで、選挙どころではない被災地を抱えては、
国会が空転するのは目に見える話ではないのか?
それに、管直人という人は、そんなにやすやすと総理をやめる人で
はない。
悪い言い方をしてしまえば、それだけ総理の椅子に執着しているからだ。
本人にやめる意志がない限り、総理の入れ替えなんてできないし、
日本の法律ではそれも難しい。
こういう最悪の情況下で、日本のトップに問題があるのは、腹立た
しいことだが、それならばそれで、まわりが補佐してトップのいた
らない部分を補っていくしか道はないのではなかろうか。
さっそくG8でも、管さんのスタンドプレイは目立っていたが、こ
れは民主党の性分なのかもしれない。
鳩山前総理にしろ、管さんにしろ、勝手に派手なパフォーマンスを
して国際公約を掲げてしまう癖は、まるでオオカミ少年のようで、
世界からの信用はますますなくしてしまうのだけれど、目の前の震
災の規模とこれからの長い復興を思うと、やはり取るに足らないこ
とのように思えてしまう。
なにを優先するか、そのことに尽きるのではないだろうか。
トップの入れ替えは、復興の道筋がある程度たってからでも遅くは
ないはずだ。
国難のために、難破船を修繕してでも進むべく、日本の政治家たち
は覚悟と努力をしてほしいと思います。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年5月15日日曜日

連載コラム168 from 台湾

世界中を驚愕させた東日本大震災から
2ヶ月が過ぎた。

津波で崩壊された町や村を立て直そうと奮闘する人、
仮設住宅に入り、新たな仕事を見つけ働き出したり
学校に通いだしたり、新天地に向ったりする人。

悲しみと苦しみから、立ち上がる人が多いと
報じられている。

しかhし、相変わらずライフラインが戻らない地区があり、
一日一食しか食べられないという人も存在するのだという。

近年、何かと格差が広がっていると言われてきた日本だが
格差は被災者にもあるのだ。

そして、それを政府は見て見ぬふりをし、
投げ出し、別のもっと派手な事ばかりに目を向けている。

美談だらけのマスコミ
日本のマスコミ、特にテレビに言えることだが、
今回の大震災に関する美談が多すぎて、
これでよいのか?と疑問に思ってしまう。

小学校などで避難生活を送る人たちを報じたときも
ムードメーカー的な人にスポットを当てたりするが、
本当に一番大変で一番頑張っている人は、
仮設トイレの糞尿を始末するなど掃除や衛生管理を
している人ではないか。

東北はお年寄りが多く住んでいるが、
介護は半端なく大変なこと。
認知症の人も多いというのに、そういう人たちの姿は見えない。

子供たちはストレスで荒れているだろうということも、
容易に想像できるが、そういう姿も一切見えてこない。

海の男たちは気性が荒いことで知られるが
彼らが執拗なマスコミに怒りをぶつける姿も見えない。

みな、疲れた顔でも穏やかでいるのだ。

こんな姿ばかり見ていたら「意外と大丈夫そう」と
思えてしまう。

お涙頂戴の美談も、家族の目線で見ると
本当にここまで報じてよいのかと心配になってしまう。

信用度ゼロの日本
日本は、第二次世界大戦から立ち直り、
豊かになった。

小さな国なのに世界中で使われるようなものを作り
世界中が憧れる一流ブランドも日本で生まれた。

しかし、今。
やはり日本、日本人は「何を考えているのか分からない」と
見られている。

これまで日本は信用できる国、民族だと
世界から思われてきたのに、それが崩れ落ちてしまったのだ。

本音を言わない、本当のことを明かさない。
イエスでもノーでもない、あいまいな単語ばかり連発し
逃げてばかりいる。

文部科学省は今月6日に、米エネルギー省と共同で行った
航空機による放射線モニタリング調査の結果を発表し、
チェルノブイリ並みの汚染を確認していたことを明かしたが、
この報道も「やっと発表したのか」「何を今更」と
冷ややかな目で見られているのだ。

首相も無能だが、これでよいのか
菅総理はリーダーシップのなさが浮き彫りになり
信頼性のなさなど、全てが情けなく感じるほど
酷い有様であるが、そんな彼を選んだのは
誰でもない日本国民である。

菅総理を選んだ覚えはないと言う人も多いだろうが
民主党を選んだのは日本国民なのだ。

選挙にも行かず、文句ばかり言う人が多い日本だが、
それも異様である。

世界はこれほどまでに嘘つきな政府を作ったのは日本人、
世界中に迷惑をかけまくっているのは日本人だと
思っている。

ころころ総理が内閣が変わっていることでも
冷たい視線で見られていたのに、
本当に情けない。

震災のこと、原発の問題、
政府の決断力が問われる大事な時期であるのに、
野党ならず与党も菅総理に対して言いたい放題で
サポートする人があまりいない。

このままでは日本の格差はどんどん広がり
日本はどんどん汚染させ、汚染された食品などが
日本中にばら撒かれ、日本は終わってしまう。

不満を抱えながらも、今総理である菅総理を
支えられなのであれば
いますぐ適任者に総理を置くムーブメントを
起こすべきである。
それが出来ないのなら、菅総理を支えるしかない。

全てのツケは今、日本国民に降り注いでいるのだ。


▼写真は、台北市内から車で1時間ほどで行ける山間の川沿いの温泉街ウーライです。
















コラムニスト●プロフィール
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岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム286 from北海道●ビンラディン殺害に思うこと

オバマ米大統領が、国民向けの緊急テレビ演説を行い、ウサマ・ビ
ンラディン容疑者をパキスタンで殺害したと発表した。
このニュースは、世界を駆けめぐり、日本でも報道の扱いは大きかった。
ビンラディンが潜伏していたといわれる地区は、パキスタンの首都
イスラマバードから北へ60キロのアボッダバード、いわゆる富裕
層が集まる地区だという。
ビンラディンは、この地区にある建物に潜伏していたという話である。
2001年9月の米同時多発テロの首謀者として指名手配されてい
た国際テロ組織アルカイダの最高指導者であるビンラディンを殺害
したことに、歓喜わくアメリカ国民の姿に、私個人としては、なに
か複雑な感情をいだいてしまったのも事実である。

米特殊部隊が殺害した国際テロ組織アルカイダの最高指導者ビンラ
ディン容疑者は、射殺された時、武装していなかった。
つまり丸腰だったのだ。
その丸腰の相手を捕らえることをせずに、射殺したのは、計画の段
階で、最初から殺すことを目的としていたからである。
では、なぜ殺す必要があったのだろうか?
遺体を海に流したと発表された今では、これが本当にウサマ・ビン
ラディンだったかどうかも確認することはできない。
だいいち彼は射殺された時に、頭を打ち抜かれている。
遺体を晒したとしても、私たちには顔の判別などできない。
イラクで、身柄を捕獲されたサダム・フセインの時とは、まるで違う。
殺したという出来事だけ公表されたことに、どうしても違和感を感
じてしまうのは、真実は別なところにあるのではないかという気持
ちになるからだ。

9・11の被害者の遺族の中には、「容疑者が死んだからといっ
て、息子が帰ってくるわけではない。特別な感情はわかない」とい
う意見もあるし、「殺すよりも、逮捕して、なぜ事件を起こしたの
か、明らかにしてほしかった」という意見もあるが、「ほっとし
た」という遺族の意見もある。

これまでも、ビンラディンはすでに死亡したという話も何度も浮上
しているが、彼は、重い腎臓病をわずらっていて、透析治療を受け
ていたことについても、その真実については、判然としない。
そもそも、本当に米同時多発テロの首謀者は、ビンラディンだった
のだろうか?
10年前の9・11テロ実行犯を、アルカイダの最高主導者である
ビンラディンと名指ししたのは、ブッシュ前米大統領だったが、ビ
ンラディンは、当時この事件への関与は否定している。
その後、3年後の2004年になってから、ビンラディン本人によ
るビデオテープにより、アルカイダによる犯行声明がおおやけに
なったが、彼の犯行声明といわれるテープには、それまでも、偽物
だったという話もあり、CIAが、本物だと断定しただけで、替
え玉による録音だったともいわれているのだ。
それに、国際テロ組織アルカイダについても、未だ不透明だ。
アルカイダという組織が実際に存在するのかどうかも、議論はわか
れるところだが、ある説によると、アルカイダは、上下階層関係に
整序されたピラミッド型の秩序や、指揮命令系統をもたない組織
で、反米過激思想を持つ者が勝手にグループをつくり、それぞれが
アルカイダを名乗り、自発的にテロ行為を行っているにすぎないという。
そう考えると、国際テロ組織アルカイダの最高指導者とされるビン
ラディンは、組織的な象徴にすぎないわけで、アルカイダには、も
とから中心となる総本部も最高指導者も存在しないということになる。

9・11のテロ実行犯である首謀者のビンラディンを殺したこと
は、オバマ米大統領にとって大きな功績となる。
つまり、オバマ大統領にとっては、このことがきっかけで、国民の
支持率を取り返し、国の指導者としてもやりやすくなるのだろう。
だが、すでにこのことへの報復は始まっている。
パキスタンでは、2件の爆破テロが、発生しているからだ。
イスラム社会で巻き起こった国民による自発的な民主化で、イスラ
ム社会は変わろうしているさなかに、どうしてアメリカは、世界に
自分らの権力を振りかざそうとするのか。
彼らの社会は、彼らの手によって変わらなければ、何も生まれない
し、何も育たない。
ビンラディンを殺害したとされる不透明な出来事は、テロと名乗る
過激派を怒らせ、彼らの自爆テロを引き起こすだけではないのか。

私たち人類は、いつも一筋縄ではいかない。
長い歴史を振り返ると、世の中は確実に良い方向に向かっているの
だと思いたいが、どうしても苦難にぶつかってしまう。

『世界は、不思議な形で動く。
変わらぬものはないが、その変わり方は誰にも読めない。
誰がいつこの流れに巻き込まれるかもわからない。
心して日々を生きよ、ということだろうか。』
これは、曽野綾子さんがレポートエッセイ集でつづった言葉だ。

それでも、この世界に、光を見つけたいものだ。
先にある未来に、きっと光はあると、私は信じたい。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年5月1日日曜日

連載コラム285 from北海道●日本の再生を信じて 2

第二次世界大戦末期、日本のヒロシマやナガサキは、原爆の投下を
受けた。
原子爆弾の威力はすさまじく、一瞬のうちに、すべてを奪い去った
出来事は、今日の私たちにとっても悪夢のような出来事で、その哀
しみは深い。
戦争だったとはいえ、それまで存在していた街のすべてが、瓦礫と
なり、焼け野原となった。
一瞬にして変わり果てた景色と同じように、一瞬にして奪われた命
も多かった。
悲鳴すらあげる間もなく、何事かわからずに、死んでしまった者たち。
まだ命の灯火は消え失せなくとも、すでにその肉体はしたたり、腐
敗している者たち。
黒い染みとなって、地面に痕跡と思える影だけを残して去った人々。
あのおぞましい出来事は、ほんの少し前までそこに存在していた
人々の命を吹き飛ばすようにむしり取り、死の街へと追いやった。
これは、私たち日本人にとって、けっして消し去ることの出来ない
おぞましい記憶である。
しかし、そうした恐ろしい状況に巻き込まれながらも、かろうじて
助かった人々もいた。
ヒロシマやナガサキが、今日築き上げた美しい街並みには、そうし
た深い悲しみと人々の思いが込められている。
あの原爆で、生き残った人々は必死にその後を生き抜き、街を再建
したのだ。
情報がなかった時代である。
被曝そのものの知識もないに等しかった。
アメリカは、戦争を終わらせるための手段だったと言っているが、
原爆投下は、ある種、手にした原子力兵器の実験でもあった。
それでも。
あの惨劇の中から、命はきちんと受け継がれてきた。
原爆を投下された街が、見事な復興をとげ、人々にも暮らしが戻っ
ていったことは、本当はとてつもなく凄いことなのだ。
そしてこの凄さこそ、日本人の底力であり、強さなのだと思う。

日本は、原爆を投下された世界でも唯一の被曝国である。
だけれども、その唯一の被曝国である日本は、いつの頃からか、
「平和のための原子力」の声に自分らも賛同し、原子力政策をこの
国で推し進めてきた。
原子力は安全であるをうたい文句に。
その言葉を私たち国民のすべてが鵜呑みにしていたわけではないと
思うが、しかし、日本の豊かな電力供給を前に、私たちは原発のあ
り方も、安全についても、考えることを後回しにしてきたのではな
いだろうか。
原発の問題は、原子力発電所を抱える街だけの問題ではない。
福島のように、遠く離れた都会に電力供給をしている発電所も多い
ことを考えても、これはこの国の人々、みんなの問題である。
だが、原発を抱えない自治体や県からみれば、それはどこか自分た
ちとは遠い事だったのではないだろうか。
私を含め、今回のような原発事故が起こらなければ、日本の原発の
あり方を考えることもしない人達が、この国にはふつうに多かった
のではなかろうか。

東電がこの度ひきおこした福島原発事故は、もちろん東電の甘い体
質によるものだ。
2004年に発生した新潟県中越地震による東電柏崎刈羽原発の被
災後、東電側は、じゅうぶんに原発の安全を検証し、安全策を引き
上げる義務があったからだ。
それを今日まで怠ってきたために、この度の地震と津波によって、
福島原発は、取り返しのつかない事態を招いた。
東電に、どんな事情があったにせよ、その点から言えば、これはあ
きらかな人災だ。
自然災害の多い日本で、原子力発電所を稼働させる安全策に甘えが
あることは、許されることではない。
福島原発は、今回の事故の前にも、何度も稼働中に危うかった出来
事があったという話がある。
そのことを思うと、やはり今回の事故責任は非情に重かろう。

原発は、なぜ安全と国民にすりこまれてきたのか。
普通に素人のアタマで考えても、安全であることに疑問を感じる
が、そこには、絶対に安全でなければならない、国策として推進す
る以上、安全と言い切らなければならない専門家たちの愚かなこだ
わりがあったように思う。
安全であると宣言してきた物について、いまさら安全対策を引き上
げるなんて、原発は安全ではないと言ってるようなものだと、耳を
かさない姿勢を固持してきたのだと思う。
東電だけに限らず、国策として今日まで走ってきた原子力政策の裏
側に秘めた政治がらみの癒着や天下りともいえる組織的な腐敗もある。
原発の安全を自信を持って推し進めてきた以上、それが現実的には
自転車操業的な部分が大いにあったとしても、今更、引き返すこと
など出来ない事情についても、彼らは多くを国民に語らず、また国
民のほとんどもみずからそのことを知ろうとせずに、無頓着だった。
この度の原発事故によって、巻き起こされる風評被害に、世界はと
もかく、私たち国民まで振り回され、疑心暗鬼にかかり、すでに風
評被害によって人々に差別意識が生まれていることには、許せない
気持ちになる。
放射能物質の汚染という言葉が勝手に一人歩きし、これがまるで伝
染病のような解釈までもたれている。
なぜ、被災地から避難した人々が、このような差別を受けなければ
ならないのか。
彼らは、すでに震災で十分すぎるほど、傷ついているのに。
避難地の学校へ通い出した子供が、「福島から来た」と言ったら、
まわりの子ども達が逃げていったという話があったが、もう愕然とする。
これでは、ヒロシマやナガサキの原爆で、差別を受けてきた人々と
なんら変わりはない。
放射能がこわい、被曝がこわい、癌になる。
まったく、いい加減にしろと言いたい。
放射能をあびれば、そくざに癌になるのですか?
ならないでしょう?
もう少し落ち着いてほしい。
政府の発表にも、落ち度はあるのです。
非情に、理解しにくい。
不安をあおるような言い方は謹んでほしい。

今回、福島原発から20キロ圏内の住民に対して、強制退去という
勧告と、それに違反した者への罰金を政府が言い渡しましたが、な
ぜこのような罰則規定を設けなければならないのか、非情に理解に
苦しみます。
これまで、避難所で過ごしてきた人々はともかく、避難所へすら、
避難できない体の弱いお年寄りも多いのです。
酪農を営んでいた方々もそうです。
国は、福島をどうするつもりなのでしょうか?
原発事故は、いっこくも早い収束が望まれますが、それだからと
いって、全ての住民にこんな規制を言い渡すのは、あまりにも情がない。

こんな意見があります。
お年寄りには、ムリな退去は取りやめにするべきだと。
退去させて、ストレスを与えるほうが、よっぽど彼らの命を縮めて
しまう結果になると。
原発事故が収束に向かわない以上、放射能物質の汚染を受けるかも
しれないが、例えそうだとしても、癌が発生する確率はどれくらい
でしょうか?
そして、それは何年後のことなのでしょうか?
20年、いや30年後でしょうか?
放射能物質の汚染の除去についても、畑では今まで通り作物を作り
続けてもらい、それを国が買い上げ、畑の土を循環させて汚染を取
り除いていく方が、データーも取れるし、復興には近道なのでは?
これは、ある方の意見ですが、私も同じ気持ちです。

最近、中国は、トリウム溶融塩原子炉の研究開発を行うと公式に発
表しました。
現在、日本を含めて世界の原子力エネルギーのシステムは、ウラン
235を燃料としていますが、ウランを燃料とする原子力政策に
は、アメリカが推し進めてきた原発からでる核廃棄物の軍事転用と
いう思惑もあります。
それこそが、プルトニウム239です。
福島原発で水素爆発した三号機は、このプルトニウムを再利用した
発電所でした。
しかし、トリウムには、核廃棄物すら出ないし、非情に安全だと言
われています。
日本でも、原子力の専門家たちの中には、この考えを推し進めよう
とした人達がいたのだと思いますが、なんだかの政治的な理由で、
彼らの考えは潰されてきたのではないでしょうか?

生活スタイルを見直し、節電を心がけ、緩やかな暮らしへの舵取り
は、それはそれでいいと思うのです。
そのような声が多く沸き上がっていることに、私自身異論はありま
せんが、個々の暮らしはそれでよくても、企業にもそのスタイルを
押し付けることに、私はムリがあるのではと思ってしまいます。
被災地の復興に掛かるお金も含め、これからの日本は奮起して働か
なければなりません。
そのためには、電力はやはり必要なのです。
この国の明るい未来のために、その場に流されず、物事の本質を見
通す力が私たちには必要です。
福島の、そして被災された全ての東北に、人々の暮らしが戻るためにも。

被災地で咲く桜の花の映像が心に染みました。
痛々しい情景の中で咲き誇る桜の花に、日本に桜があって良かった
という気持ちです。
桜の花は、日本人の魂のようですね。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

連載コラム167 from 台湾

未曾有の大被害をもたらした東日本大震災から
早くも1ヶ月半が過ぎた。

被災地は復興に向けて少しずつ動き出しているが
逆に震災以降、どんどん酷い状況に追い込まれている
そんな人たちもいる。
福島第一原発の事故により
強制的に避難するよう強いられたり、
生計をたてていた農業、酪農、漁業を止めるよう
指示された人たちである。

出荷を止められた酪農家は、
乳牛を生かすために餌を与え、毎日乳をしぼって
捨てているという。

お金は飛ぶ一方で、労力も半端ないのに
原乳を売ることができないため収入は入ってこない。

そんな人たちが、26日に東京電力へのデモを行った。
東電の本社に入り、直接訴えたが
満足のいく対応や保障に関する答えは
得られなかったそうだ。

うやむや、あいまい
日本政府は福島第一原発事故により
大気や海に流れ出ている放射能に関して
「ただちに健康に被害をおよぼすものではない」と
一貫して発言してきた。

東京電力、保安院、政府の連結は、
今なおスムーズに取れているようには見えないが、
政府の作戦はあながち間違いではなかったと思う。

なぜなら国民はこの政府の言葉を信じ
今では原発事故にさほど強い関心を示さなくなったからだ。

政治的な指示を受けているからか、
東京電力に恩や借りがあるからか、
日本のメディアも原発についてあまり報じなくなってきた。

海外メディア向けの東電や保安院の発表には、
今や誰も来ない。真実を明かさないと分かっているからだ。
日本のメディアも酷い。加害者だ。

その結果、原発周辺に住んでいない人たちにとっては
何事もなかったかのような日常に戻っている。

風評被害の怖さ
福島第一原発事故により福島県・茨城県の人たちの、
農作物、酪農物、魚などが風評被害を受けている。

これを助けようと積極的に購入する活動も広がっている。

しかし放射能というのは目に見えるものではないし、
食べてすぐに被害が出るものではない。

小さい子供がいるなど、食に気をつけている人たちにとって
東電や政府が出す後出し情報はあまりにも酷いものばかりで
到底、今出ている発表を信じる気にはなれない。

千葉県の水道水にしても、
「数日前に出ていたものは大人の基準値も超えていた」と
発表していたくらいなのだ。

彼らからしてみれば、風評被害を受けているという人たちが
本当に被害者なのか分かったものではない。
売ろうとしているものが危害を与えるものであれば
被害者ではなく加害者になるのである。

風評被害の真の怖さはここにあるのだ。

政府は、「ただちに」「すぐには」という表現は一切やめるべきだ。
そして、もっちきっちりと検査をし、ここからここまではダメで、
ここからここまではグレー、ここからは安全と分けるべきである。

苦しいのは日本だけではない
福島第一原発事故から漏れ続けいてる放射能は
日本だけでなく世界中を漂っている。

韓国では「放射能がきた!」と休校する騒ぎとなった
と伝えられた。
これはあまりにも大げさだと韓国政府がたしなめていたが
同時に日本に対しても強く批難している。

世界で一番日本への義援金を集めた台湾にも
福島第一原発事故の被害は及んでいる。

高雄の漁師たちの魚の売れ行きが悪くなっていると
伝えられているのだ。
理由は、放射能に汚染されていると懸念されているから。

台湾では今なお日本の被災者に対する
募金活動が行われているが、放射能問題には敏感に
なっている。

今月の初めには、台湾にも放射能が来たと言われ、
小さな子供たちは外に出ないほうがいいのではと
噂された。

しかし、台湾は漁師たちを含め日本を批難する声は
あがらない。

台湾も地震国であり、いくつもの原発を持つため、
「自然災害によりもたらされたのだ。わざとではない。
仕方ない」と考えているのだ。

耐えているのは日本人だけではない。
被災者、被害者のためにも日本は全ての情報を公開し
真実を明かすべきである。


▼写真は、台北市内にある大安森林公園です。広々とした公園で101も見えます。
















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾