2011年9月2日金曜日

連載コラム293 from北海道●さようなら、ボーちゃん


先日、実家で暮らしていた愛猫のボーが亡くなった。
享年21。
本当に、よく頑張って長生きしてくれた猫だったと思う。
ここ2年ほど、ときどき会いに行っても、すこぶる老いを感じるよ
うになっていたので、心配だったのだが、ボーは、人間の年齢に換
算すれば、とうに100歳は越えるほどの老齢である。
それでも、あまり走り回らなくなったぐらいで、彼女の暮らし向き
は、よく眠り、ゆったりとスローペースになったぐらいのものだった。

今から1年と半年前に、私の両親と同居していた祖母が他界し、他
界する少し前あたりから、ボーは、祖母の側へは、いっさい近寄ら
なくなっていた。
祖母は、一階のリビングに隣接している和室に寝ていたが、体を起
こすこともままならなくなってからは、和室に設置した介護用の
ベッドで横になっていることがほとんどで、祖母の臨終の時など
は、ボーは二階にこもりっきりになり、下の階にはまったくおりて
はこなかった。
想像できることは、たぶん本能的に、祖母に死臭を感じたのだろう。
人間にはもちえないセンサーが、猫にはあるのだ。
それは、猫だけに限らず、きっと動物ならみんなに備わっているの
かもしれない。

ボーは、雑種のメス猫だった。
生まれてそれほど経たない時に、ダンボールに入れられ捨てられて
いた猫だった。
それを小学生たちが、見つけ拾った。
最初は、自分たちの中の誰かが飼おうと、小学生たちは考えたのだ
と思う。
しかし、物事はそうたやすく運ばず、けっきょく誰の家でも猫を引
き取れなくなった小学生たちは、毎日まいにち帰宅してから、みん
なで手分けして家を一軒いっけんまわり、この猫を飼ってはくれな
いだろうかと交渉をした。
私は、ぐうぜんその話を、当時働いていた職場で聞いた。
看護助手をしていた吉川さんという知人が、小学校に通う自分の娘
が、クラスメートと一緒に、毎日、猫の飼い主を捜し回っているの
だと私に打ちあけたのだ。
吉川さんは、取りあえず今は、自分の家で猫の世話をしているけれ
ど、できることなら、飼い主を見つけて、ゆだねたいとのことで、
私もその当時はペットが禁止のアパート暮らしだったので、迷いに
迷ったが、まずはその猫をみせてもらうことにした。
考えるまでもないが、とうぜん、対面してしまえば、情がわく。
私は、どうしても、猫を見捨てられなくなっていた。
猫は、まだてのひらより、ずっと小さく、耳と目が顔にアンバラン
スなくらい大きくて、か細い声でしきりとミィミィ鳴く姿が幼気だった。

その日から、猫との暮らしが始まった。
名前は、ボーと名付けた。
正式な名付け親は私ではない。
その当時、私の家によく出入りしていた友人がつけた名である。
メス猫なのに、ボーなんて名前は、ちょっと可哀想に思えた。
それでも、猫自身は、自分の名に不満らしい仕草もみせず、愛くる
しいままに、すくすくと成長していった。

私は、ボー相手に、よく会話をしたものだ。
もっぱら、彼女を抱き上げて、話を聞かせるのは私のほうだけど、
ボーは私の話を聞きながら、よく喉をならしていた。
抱かれるのが、なにより好きな猫で、一緒にいることをすこぶる好んだ。
台所に立つ時は、胸からさげたエプロンで袋をつくり、その中に
ボーを押し込んで食事の支度をしたし、彼女の食事は私が自分の指
から直に食べさせた。
猫缶を食べられるようになってからは、マグロの缶詰を嫌って、カ
ツオの猫缶ばかりを好み、それ以外に好きなものといえば、笹かま
ぼこやカツオ節で、たまに良質な鮭の切り身を焼いた時だけ、彼女
は美味しそうにほうばるが、生魚はいっさい口にしない。
刺身をどんなに食べさせようとしても、ガンとして受けつけないのだ。
それでも、新鮮な刺身が手に入った時など、私なんぞは飼い主のエ
ゴで、彼女に無理に食べさせようとした。
手にのせて、ボーの注意をひき、匂いを嗅ぎにきた彼女が、案の定
そっぽを向いてしまうと、そんなこと言わないで、いいから食べて
ごらんとばかりに、こちらが猫なで声をだして、ボーの口に、刺身
を無理矢理もっていく。
だが、嫌がるボーは、歯をイーにして、ぜったいに拒否した。
それなので、こういう時の結末は、ボーの口の周りで、刺身が無残
にぐっちゃりとつぶれて張りつくだけだった。

ある朝、棚の上で寝ていたボーが足を滑らせて、落ちた。
ボーは、滑り落ちたことで、瞬時に慌てたらしい。
小さな体で、せいいっぱい着地をしようと、爪を立てた。
それが、棚の真下で寝ていた私の顔の上だったものだから、私の顔
はボーの爪で傷をつくり、血がふきだし、みるみる腫れ上がってし
まった。
その時のボーのことは、今でも忘れられない。
もう、これ以上ないほどに、彼女は気が動転していたからだ。
それでも、幸運なことに、職場が病院だった私は、出勤そうそう形
成外科に掛かり、予防接種の注射を受けて、傷を治すテープを半年
間張っただけで、まったく痕は残らず、完璧に治ったのだが、その
半年の間、困ったことはと言えば、ボーのことである。
彼女は、私の顔元にのぼってきては、目を細めて、傷を舐めたがった。
その行為が、あまりにもしつこいので、きっと彼女なりに私を心配
したのだろう。
動物は、自分で舐めて傷を癒す習性があるから、ボーの気持ちは有
り難いが、そのまま放っておくと、治療テープだってあやうくなる。
この時の半年間は、ボーの愛情に喜びながら、ボーから逃げ回るこ
とが多かった。

その後、ボーが私の実家で暮らし始めた経緯は、私の離婚が理由だ。
猫が家につく習性を知っていた私は、最初、ボーを前の夫にゆだね
ることにしたのだが、私が家を出てから、ボーはいっさいご飯を食
べなくなり、ソファの下にこもって夫を拒絶したらしい。
それが、幾日もつづき、おびえて全く懐かなくなったボーに困り果
てた夫が、ボーを引き取ってくれと私に言ってきた。
私が、前の家に顔を出しても、すぐさまボーは寄ってはこなかった。
名前をよんで、声を掛けても、ボーはソファの下で、ただじっとこ
ちらの様子をうかがっているだけだ。
それで、とにかく何か食べさそうと、私が冷蔵庫を開けてゴゾゴゾ
やりだしたとたん、ボーがソファの下からすっ飛んできて、すごい
剣幕で鳴きだした。
ボーは、私に抗議していた。
彼女は、きっと私に腹を立てていたのだろう。
どうして、勝手に家を出ていったのかと。
私に捨てられたと感じたボーは、とにかく私に捲し立てた。

実家で、私がボーと暮らした時間は、たったの2年ばかりである
が、ボーは、実家での生活を謳歌していたようだ。
最初は、住む家が変わったことで、彼女なりに戸惑いはあったもの
の、次第に家の中を少しずつ探索するようにもなり、家にも私の両
親にも慣れていった。
母は、ボーを家に連れ帰った当初から歓迎していたが、父は毛嫌い
していた。
父は、その前に飼っていた猫が家出をしてしまったことが、なかな
か忘れられず、前の猫が去った哀しみがまだ癒えずにいたから、も
う、二度と猫は飼わないと宣言をしていたのに、出戻りの私が猫を
連れてきたので、嫌悪していた。
「二階から猫をおろすな」と私に腹を立て、父は猫にいっさい触れ
ようとしない。
それでも、ボーは、階段を一段ずつおりるように、家の中で自分の
テリトリーを少しずつ広げていった。
そして、なにくわぬ顔で、父との距離も縮めていった。
気がつくと、家の中で、誰よりもボーに関心をしめしているのは父
だったし、私が次の結婚を決めて、実家を離れる前から、父はボー
の世話にあきれるほど積極的だった。
ボーのご飯係は、父の役目である。
トイレ掃除も、もちろん父だ。
ボーは、そのことがどこか当たり前のような仕草だ。
ボーは、甘える時は母に甘え、世話係は父と決めているらしく、こ
ちらが見ている限りでも、ボーのほうが父よりどこか偉そうだ。
顎で使うかのごとく、ボーが威張って父に「はやくしろ」と鳴いて
いる姿にこちらは失笑してしまうが、そんな時の父はボーにねだら
れて、いっそう目尻をさげていた。
父は、ボーに甘えられるのが、嬉しかったに違いない。
庭を歩き、他の猫とはいっさいつき合おうとはせず、興味があるの
は、大人の人間と鳥や虫ばかり。
冬の季節に、雪がチラチラ降り始めると、鳥や虫に話し掛けるのと
同じく、ボーは、ちっちゃい声で「エエエエエエ・・」と鳴いていた。
そんな時のボーは、可愛さに輪を掛けて、いっそう愛くるしい。

ちょうど一年前だ。
他界した祖母の初盆を迎えた頃、ボーはこれまでになく体調を崩した。
弱って、クローゼットの中にこもりっぱなしになったままで出てこ
なくなった。
猛暑で、その夏も連日暑い日が続いていたから、熱中症になったの
かもしれないと私は思ったが、母は他界した祖母がボーを連れて行
こうとしていると思い込んでいた。
「初盆だからね、きっと迎えに来たんだ」と母は私になんども言っ
たからだ。

ボーが亡くなる前の数ヶ月は、本当に体調にも波があって、今まで
無縁だった病院にもよく掛かるようになっていた。
老齢のため、歯槽膿漏で奥歯が抜け落ち、それからは口臭がひどく
なって、なんとも可哀想だった。
病院で検査を受けると、もう臓器もあちこちとかなり弱っていて、
手のほどこしようがないと言う。
当然、手術など絶えられるはずもない。
それで、とりあえずは栄養の点滴しか治療手段がないわけだが、こ
れを何日か続けていると、彼女はまた体力を回復し、元気に食事も
取れるようになって、家も庭も、普段通りに歩き回った。
しかし、やはり波があった。
一時的に元気を取り戻しても、また何かの拍子に弱ってくる。
そんな状態を繰り返した。
父は、必死だった。
ボーをなんとか助けようと、病院に連れて行き、ボーのために濃厚
な牛乳を買い求め、ボー専用の高級ハムを買ってきたり、とにかく
父なりに一生懸命だったから、父の思いは、きっとボーにも届いた
ことだろう。
ボーは、父が用意してくれる食事を嬉しそうに食べていた。

それでも、雨の日に、ボーはそっと家から抜け出したらしい。
どしゃぶりの中を、いつもの散歩道とは違う方角へ、まっすぐに歩
いていくボーの姿を見つけた母は、大声をあげて父を呼んでいた。
その間、母はボーの名前をなんども呼び叫んだが、ボーは振りかえ
る気配すらなく、わが家からどんどん遠ざかっていく。
雨の中を飛び出していった父が、慌てて後を追い、無理矢理ボーを
つかまえて、家に連れ帰ったというのだが、私は、この話しを母か
ら後で聞かさせた時、ボーの覚悟のようなものを感じてしまった。
たぶん、その時のボーは、自分の死を悟り、覚悟をきめて家を出て
いったのだろう。
猫は、猫に限ったことではないが、動物は自分の死を悟ると、そっ
と行方をくらましてしまう。
ひとりっきりで死ぬことが、何か当たり前のように、覚悟をきめて
しまう。
人間と暮らし慣れている猫でも、そんな習性は、さけられないのか
もしれないが、もし違うというならば、誰かがボーを迎えにきたの
だろうか?
あの世からボーを迎えに来たのかもしれない。

そして、雨の日から3日目に、ボーは静かに息を引き取った。
私は両親と共に、ボーの遺体を抱いて、火葬場を訪れ、動物霊園の
共同墓地におさめにいった。
21年も長生きしてくれたのだから、本当によく頑張ってものだ。
だから、それだけに思い出が深い。
今でも、ふと気を緩めると、ボーとの思い出がまざまざとよみがえ
り、涙があふれてしまう。
私ですらそうなのだから、長年ボーと暮らしてきた父や母は、どれ
ほ悲しいことだろうか。
きっと、両親は、今度こそ、もう二度と動物は飼わないだろう。
猫なんて、特にだ。
動物との別れを克服して、またペットと暮らせる人も世間にはいる
けれど、私の父も母も、それほど器用な人ではない。
だから、父と母にとってボーは、おそらく最後のペットになるだろ
うと感じた。

猫が自由気ままに外をかっぽし、猫たちのコミュニティがつくりあ
げられ、本来の猫らしい姿で生きられることは、やはり素晴らしい
に決まっているが、ボーのような猫を長年みていると、ああ、この
猫は、そういうこととはまた別な目的があって生まれてきたのだろ
う、なんて私は思ってしまう。
いつだったか、江原啓之さんが、動物の魂の最終的な目標は、人間
に生まれてくることと言っていたが、それならば、野生で生きる動
物より、人間と関わり、人間と近い距離で暮らす動物などは、もっ
ともその目的に近い存在といえるわけで、そのための訓練や修行の
場が、現世であるならば、きっといつかは、私たちのボーも、人間
になって生まれ変われることもあるのだろうか・・・・。
そんなふうに想像すると、私もまた、いつかの人生で、ボーの魂と
ひょんなことで巡り会えるかもしれないなんて、優しい気持ちになった。

ボーと過ごした時間の全てが、楽しく幸せだった。
どれほど、あの猫に癒され、与えられたことだろう。
猫との思い出の全てが、私にとっては宝物である。
愛しい時間なのです。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

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