2011年8月16日火曜日

連載コラム292 from北海道●田代島のプロジェクト


宮城県の北東部石巻市に田代島という島がある。
この島は、全長が11.5キロメートルの小さな離島。
人口は100人あまりで、八割は高齢者だ。
島民の平均年齢は71歳というが、じっさい島で暮らす60歳以下
は10人にも満たず、子供はひとりもいない。
限界集落として、近い将来このままでは、無人島になってしまうこ
とも危ぶまれていたが、ここ数年で、漁師見習いの若者の移住な
ど、島の後継者はわずかながらも増えていた。

3.11の震災よって、この田代島も大きな被害を受けている。
あの大きな地震によって、屋根瓦や壁は崩れ、その後発生した津波
では、島の集落の大部分が被害に見舞われてしまったからだ。
多くの家々が、天井まで浸水し、また丸ごと流されてしまったケー
スも少なくはない。
島の産業である漁や牡蠣の養殖も壊滅的である。
津波で流失した漁船や漁具。
牡蠣の養殖場も、牡蠣剥きの作業場も被害を受けた。
島の唯一の業務用大型冷蔵庫に冷凍庫も津波で全壊。
船は四割が流され、港で使用していた重機やフォークリフトも海水
に浸かって動かない。
復興に掛かる費用は、とうぜん膨大である。
流失してしまった船や漁具など必要な資材を整えるためには、およ
そ1億5000万円が必要で、現役の漁師たちで負担したとして
も、一人当たり2000万円の借金を抱えることになり、その返済
には、20年以上も要する。
また養殖設備には、新たに8000万円もの費用が必要なのだという。
漁師のたいはんは、20年以上も払いつづける借金を抱えるには高
齢すぎるし、いま現在、島の後継者として移住している若い漁師見
習いにしたって、この借金はあまりにも負担が大きすぎる。
そこで、考え出された案が『田代島にゃんこザプロジェクト』。
島の復興、救済支援基金を、ホームページなどで呼びかけている。
支援基金は、一口1万円で、一口ごとに、謝礼として田代島の特産
島牡蠣が1キロ前後(牡蠣50個前後)が送られるが、これは牡蠣
棚の修復や育成に時間が掛かるため、発送まで4~5年掛かり、他
に猫ストラップや田代島オリジナル猫グッズなども基金の謝礼とし
て送られてくる。

『田代島にゃんこザプロジェクト』。
なぜ、この島の基金が、そのようなネームなのかというと、田代島
にとって猫との絆は、切っても切れない関係だからだ。
じっさい島では、人間より猫の数が多いとも言われているが、古く
からこの島では、猫を神様として崇める習慣があり、猫神社まであ
るが、猫島として島の猫を見に来る観光客が増え始めたのは、近年
になってからだという。

私がこの島の猫たちをテレビで目にしたのも、それほど古いことで
はない。
たしか、なにかの動物番組だったと思うが、島の猫たちののびのび
したようすに、とても微笑ましくなり、以前のコラムでも、島の猫
に触れて書いた。
また、私の敬愛する動物写真家の岩合光昭さんも、この田代島の猫
たちの写真を多く撮影している。
漁師から魚をもらったり、えさをもらったり、この田代島では島の
人間みんなで猫を飼っている。
猫を大切にし、猫との暮らしを守り生きているのだ。
私のような猫好きから見れば、それはとても穏やかで、平和的であ
り、優しさにあふれた暮らし方に感じた。
田代島に、猫が住みついたのが、いったいいつからなのか確かなこ
とは解らないが、きっと島で生きる人々にとって、猫は必要だった
のかもしれない。

岩合光昭さんの写真集に、こんなことが書かれてある。
―――今の時代はネコがネコらしく生きていくのが
時として難しくなっています。
ネコがネコらしくというのは
生きものとして生まれてあるがままに
生きること、歩き、食べて、恋をして、
子を育てる、ということです。
田代島のネコたちはネコの社会生活の
ルールを守る暮らし方をしています。
撮影対象として
無限に広がるネコの世界を
見せてくれるのです―――

3.11の大震災で、田代島でも多くの猫が命を落とした。
それでも、災害を逃れて生き延びた猫たちは、また今年も恋の季節
をむかえ、新しい命が次々と誕生しているという。
島の支援プロジェクトの案は、もちろん島民の知恵によるものだ
が、島を救うべく救済資金が多く集まっているのは、それだけでは
ないような気がしてしまう。
猫たちが、福をもたらせようとしてる、そんなことを感じてならない。

田代島の一日もはやい復興を私も願ってます。
島の産業も、暮らしも、島民と猫たちとの生活も、すべてが戻りま
すように。
田代島、がんばれ!!



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

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