2011年5月1日日曜日

連載コラム285 from北海道●日本の再生を信じて 2

第二次世界大戦末期、日本のヒロシマやナガサキは、原爆の投下を
受けた。
原子爆弾の威力はすさまじく、一瞬のうちに、すべてを奪い去った
出来事は、今日の私たちにとっても悪夢のような出来事で、その哀
しみは深い。
戦争だったとはいえ、それまで存在していた街のすべてが、瓦礫と
なり、焼け野原となった。
一瞬にして変わり果てた景色と同じように、一瞬にして奪われた命
も多かった。
悲鳴すらあげる間もなく、何事かわからずに、死んでしまった者たち。
まだ命の灯火は消え失せなくとも、すでにその肉体はしたたり、腐
敗している者たち。
黒い染みとなって、地面に痕跡と思える影だけを残して去った人々。
あのおぞましい出来事は、ほんの少し前までそこに存在していた
人々の命を吹き飛ばすようにむしり取り、死の街へと追いやった。
これは、私たち日本人にとって、けっして消し去ることの出来ない
おぞましい記憶である。
しかし、そうした恐ろしい状況に巻き込まれながらも、かろうじて
助かった人々もいた。
ヒロシマやナガサキが、今日築き上げた美しい街並みには、そうし
た深い悲しみと人々の思いが込められている。
あの原爆で、生き残った人々は必死にその後を生き抜き、街を再建
したのだ。
情報がなかった時代である。
被曝そのものの知識もないに等しかった。
アメリカは、戦争を終わらせるための手段だったと言っているが、
原爆投下は、ある種、手にした原子力兵器の実験でもあった。
それでも。
あの惨劇の中から、命はきちんと受け継がれてきた。
原爆を投下された街が、見事な復興をとげ、人々にも暮らしが戻っ
ていったことは、本当はとてつもなく凄いことなのだ。
そしてこの凄さこそ、日本人の底力であり、強さなのだと思う。

日本は、原爆を投下された世界でも唯一の被曝国である。
だけれども、その唯一の被曝国である日本は、いつの頃からか、
「平和のための原子力」の声に自分らも賛同し、原子力政策をこの
国で推し進めてきた。
原子力は安全であるをうたい文句に。
その言葉を私たち国民のすべてが鵜呑みにしていたわけではないと
思うが、しかし、日本の豊かな電力供給を前に、私たちは原発のあ
り方も、安全についても、考えることを後回しにしてきたのではな
いだろうか。
原発の問題は、原子力発電所を抱える街だけの問題ではない。
福島のように、遠く離れた都会に電力供給をしている発電所も多い
ことを考えても、これはこの国の人々、みんなの問題である。
だが、原発を抱えない自治体や県からみれば、それはどこか自分た
ちとは遠い事だったのではないだろうか。
私を含め、今回のような原発事故が起こらなければ、日本の原発の
あり方を考えることもしない人達が、この国にはふつうに多かった
のではなかろうか。

東電がこの度ひきおこした福島原発事故は、もちろん東電の甘い体
質によるものだ。
2004年に発生した新潟県中越地震による東電柏崎刈羽原発の被
災後、東電側は、じゅうぶんに原発の安全を検証し、安全策を引き
上げる義務があったからだ。
それを今日まで怠ってきたために、この度の地震と津波によって、
福島原発は、取り返しのつかない事態を招いた。
東電に、どんな事情があったにせよ、その点から言えば、これはあ
きらかな人災だ。
自然災害の多い日本で、原子力発電所を稼働させる安全策に甘えが
あることは、許されることではない。
福島原発は、今回の事故の前にも、何度も稼働中に危うかった出来
事があったという話がある。
そのことを思うと、やはり今回の事故責任は非情に重かろう。

原発は、なぜ安全と国民にすりこまれてきたのか。
普通に素人のアタマで考えても、安全であることに疑問を感じる
が、そこには、絶対に安全でなければならない、国策として推進す
る以上、安全と言い切らなければならない専門家たちの愚かなこだ
わりがあったように思う。
安全であると宣言してきた物について、いまさら安全対策を引き上
げるなんて、原発は安全ではないと言ってるようなものだと、耳を
かさない姿勢を固持してきたのだと思う。
東電だけに限らず、国策として今日まで走ってきた原子力政策の裏
側に秘めた政治がらみの癒着や天下りともいえる組織的な腐敗もある。
原発の安全を自信を持って推し進めてきた以上、それが現実的には
自転車操業的な部分が大いにあったとしても、今更、引き返すこと
など出来ない事情についても、彼らは多くを国民に語らず、また国
民のほとんどもみずからそのことを知ろうとせずに、無頓着だった。
この度の原発事故によって、巻き起こされる風評被害に、世界はと
もかく、私たち国民まで振り回され、疑心暗鬼にかかり、すでに風
評被害によって人々に差別意識が生まれていることには、許せない
気持ちになる。
放射能物質の汚染という言葉が勝手に一人歩きし、これがまるで伝
染病のような解釈までもたれている。
なぜ、被災地から避難した人々が、このような差別を受けなければ
ならないのか。
彼らは、すでに震災で十分すぎるほど、傷ついているのに。
避難地の学校へ通い出した子供が、「福島から来た」と言ったら、
まわりの子ども達が逃げていったという話があったが、もう愕然とする。
これでは、ヒロシマやナガサキの原爆で、差別を受けてきた人々と
なんら変わりはない。
放射能がこわい、被曝がこわい、癌になる。
まったく、いい加減にしろと言いたい。
放射能をあびれば、そくざに癌になるのですか?
ならないでしょう?
もう少し落ち着いてほしい。
政府の発表にも、落ち度はあるのです。
非情に、理解しにくい。
不安をあおるような言い方は謹んでほしい。

今回、福島原発から20キロ圏内の住民に対して、強制退去という
勧告と、それに違反した者への罰金を政府が言い渡しましたが、な
ぜこのような罰則規定を設けなければならないのか、非情に理解に
苦しみます。
これまで、避難所で過ごしてきた人々はともかく、避難所へすら、
避難できない体の弱いお年寄りも多いのです。
酪農を営んでいた方々もそうです。
国は、福島をどうするつもりなのでしょうか?
原発事故は、いっこくも早い収束が望まれますが、それだからと
いって、全ての住民にこんな規制を言い渡すのは、あまりにも情がない。

こんな意見があります。
お年寄りには、ムリな退去は取りやめにするべきだと。
退去させて、ストレスを与えるほうが、よっぽど彼らの命を縮めて
しまう結果になると。
原発事故が収束に向かわない以上、放射能物質の汚染を受けるかも
しれないが、例えそうだとしても、癌が発生する確率はどれくらい
でしょうか?
そして、それは何年後のことなのでしょうか?
20年、いや30年後でしょうか?
放射能物質の汚染の除去についても、畑では今まで通り作物を作り
続けてもらい、それを国が買い上げ、畑の土を循環させて汚染を取
り除いていく方が、データーも取れるし、復興には近道なのでは?
これは、ある方の意見ですが、私も同じ気持ちです。

最近、中国は、トリウム溶融塩原子炉の研究開発を行うと公式に発
表しました。
現在、日本を含めて世界の原子力エネルギーのシステムは、ウラン
235を燃料としていますが、ウランを燃料とする原子力政策に
は、アメリカが推し進めてきた原発からでる核廃棄物の軍事転用と
いう思惑もあります。
それこそが、プルトニウム239です。
福島原発で水素爆発した三号機は、このプルトニウムを再利用した
発電所でした。
しかし、トリウムには、核廃棄物すら出ないし、非情に安全だと言
われています。
日本でも、原子力の専門家たちの中には、この考えを推し進めよう
とした人達がいたのだと思いますが、なんだかの政治的な理由で、
彼らの考えは潰されてきたのではないでしょうか?

生活スタイルを見直し、節電を心がけ、緩やかな暮らしへの舵取り
は、それはそれでいいと思うのです。
そのような声が多く沸き上がっていることに、私自身異論はありま
せんが、個々の暮らしはそれでよくても、企業にもそのスタイルを
押し付けることに、私はムリがあるのではと思ってしまいます。
被災地の復興に掛かるお金も含め、これからの日本は奮起して働か
なければなりません。
そのためには、電力はやはり必要なのです。
この国の明るい未来のために、その場に流されず、物事の本質を見
通す力が私たちには必要です。
福島の、そして被災された全ての東北に、人々の暮らしが戻るためにも。

被災地で咲く桜の花の映像が心に染みました。
痛々しい情景の中で咲き誇る桜の花に、日本に桜があって良かった
という気持ちです。
桜の花は、日本人の魂のようですね。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

0 件のコメント:

コメントを投稿