2010年12月27日月曜日

連載コラム158 from 台湾

3年ごとに行われている国際学力調査(PISA)。

本調査は経済協力開発機構(OECD)が、
65カ国・地域の15歳(高校1年生)を対象に、
行う学力テスト。

文章や資料から情報を読み取り、
理由を記述するなど思考力を測る問題が多く
真の学力が分かるとされている。

今回のPISAの結果、
日本は読解力8位、数学的応用力9位、
科学的応用力5位。

今回もトップ3には入れなかった。

低下する日本の学力
その昔、「日本人は数学が得意」「理科が得意」
と言われてきた。

2000年のPISAの結果、
日本は読解力8位、数学的応用力1位、
科学的応用力2位で、
「さすが理数大国日本」だと言われてきた。

ノーベル化学賞の受賞者も日本人がとても多い。
世界に誇る頭脳を日本人は持ち続けてきたのである。

ほかのアジア諸国は、日本を目標とし、
将来の国の発展を託す子供たちの教育に
力を注いできた。

逆に日本は学校よりも塾が勉強の場となり、
学校の先生への尊敬の意が薄れ、
「詰め込みすぎている」「子供がストレス」と
ゆとり教育へと突入。

結果、年を追うごとに子供たちの学力は低下し、
2000年のPISAは、
読解力15位、数学的応用力10位、
科学的応用力6位という散々な結果となってしまった。

日本をダメにするのは誰?
日本の学力はなぜここまで低下してしまったのか。
それは学校制度に問題があるだろう。

一昔前、小学生で塾へ行く子は少なかった。
しかし今は「学校は遊びに、勉強は塾で」というケースが
増えているという。

「仕事をしているが子供を預けられる場がない。
なので塾へ通わす」という親もいるが、
学校の勉強だけではダメだと感じて塾に通わす親が
ほとんだ。

学校の先生が強くクラスをコントロールできないため
なかなか授業が先に進まない。
応用まで手が回らず基礎だけしか教えない。

学期末に配られるつうしんぼも、
客観的な学力を伝えない絶対評価通知表。
競わせることを完全に止めてしまったのである。

塾へ通えない低所得世帯の子供たちは
当然のように落ちこぼれていく。

子供は競うからこそ伸びる
今回トップ3にランクインした中国圏の学校は、
日本の保護者が悲鳴をあげそうな詰め込み教育を
展開している。

主要教科である国語、数学は連日5ページの宿題。
他の教科からも宿題は出るため休むヒマはない。

試験は頻繁に行われ、結果も発表される。

勉強についていけない子供は辛いだろうが、
それでも日本の学校教育を受けるよりかは
高い知識を身につけられるだろう。

子供は競うからこそ伸びるのである。

台湾では半年以上の実習を受けないと
公立校の教師試験を受けられない。

教師もランキング付けされるため気は抜けられない。

日本も教師免許を含む、全てのシステムを見直し
有能な先生による、厳しく高い教育が公立校でも受けられるよう
すべきである。

明日を担う日本の子供たちのために。


▼写真は、現在開催中の台北花博覧会の様子です。美しい花が沢山で心が洗われます。


















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

2010年12月15日水曜日

連載コラム276 from北海道●伝説のアクションスター

先日、千葉ちゃんが運転中にタクシーと衝突事故を起こしたニュー
スが舞い込んできたが、けが人はいないとの情報に、まずは胸をな
で下ろしています。
本当に無事で何よりでした。
この千葉ちゃんとは、JJサニー千葉氏のことで、旧芸名・千葉真
一さんのこと。
事故のニュースが飛び込んできた時、『つぶやき』では、「だれ
だ?」とか「いつ改名したの?」なんて書き込みばかりだったの
で、意外と千葉ちゃんの新しい芸名は浸透していないらしい。
どうも、千葉真一の名まえのほうが、ピンとくるのでしょう。
それは、私も同感。
ご本人の思いはともかく、ファンにとっても、いまだにJJは、な
かなか受け入れがたい名前なのだ。
千葉ちゃんが、JJに改名したのは、2007年のこと。
当時、大河ドラマ『風林火山』に出演していた千葉ちゃんは、記者
会見で「肉体の限界を感じた。今年いっぱいで、『千葉真一』を葬
りたい」と宣言し、その宣言通りに、11月には、さっさと『JJ
サニー千葉』に改名してしまった。
千葉ちゃんにとって、千葉真一という芸名は、肉体の役者そのもの。
千葉真一という役者が持つ肉体のイメージを保てなくなったら、こ
の名前は限界と感じたのだろう。
惨めな姿をさらすことになるだけと思ったらしい。
まさに、体育会系の千葉ちゃんらしい、すっぱりとしたご決断である。
しかし、だからといって、ファンは私だけに限らず、この新しい芸
名に、少なからず動揺したのではないでしょうか。

私の千葉ちゃんファン歴は長い。
長いけれど、かの有名な『キイハンター』がブレイクした頃は、ま
だ自分が小さかったから、個人的には、この後からになる。
ヤクザ映画を経て、娯楽時代劇へ転換をはかったことで、伝説の人
気アクション時代劇『影の軍団』も誕生したのだが、この頃の千葉
ちゃんは、実に役者としても、アクションスターとしても、まだま
だ脂がのりきっている時期でもあった。
『影の軍団シリーズ』は、三作までつくられ、アクション時代劇と
しては、大いに人気があった作品だ。
千葉ちゃんの役どころは、もちろん主役。
伊賀の松末で頭領の役どころ。
そして、千葉ちゃん率いるジャパンアクションクラブの面々も、こ
の時代劇には当然登場するのだが、シリーズ1作目では、初回から
最終回まで火野正平などの固定ファンの多い役者で脇を固めている
ことからも、この作品に、制作側も十分力を注いでいたのがうかが
い知れます。
実はこの『影の軍団』は、シリーズ1作目こそストーリーとしては
まともだけれど、視聴率を稼ぎ、続編になったとたん、なんでもあ
りのやりたい放題の娯楽作となってしまった。
この手の手法は、人気シリーズ『必殺』でも同じようなことが言え
てしまうのだが、まぁファンというものは、多少の疑問や不満を抱
えたとしても、切れのいいアクションが見られれば、その辺は、広
い心で受け止められるものだから、あまり問題がないわけです。
ですが、長いことファンでいると、つい懐かしさにかまけて、ウキ
ウキした気持ちで昔のDVDなんかも購入したりして、高まる気
持ちのまんま見てみれば、唖然呆然としてしまうことも多く、見つ
けたくもないのに、ドラマのアラを見つけてしまった時なんぞ、
「え~?」とか「うそ~」とか、奇抜な展開に頭を抱えてしまう始
末でありまして、まぁ、それでも興ざめはしないんだけど、きっと
自分が大人になった分、純粋な清い目だけで見れなくなってしまっ
ているのですな、悲しいけれど、それが真実かもしれんなどと、独
り言をぼやき、懐かしのDVDに期待しすぎていた自分に、感慨
にふけったりしてしまうわけで、それでも、映像はしっかり私に語
りかけてくるから、若かりし頃のかっこいいギラギラとした千葉
ちゃんをそのまんまに閉じこめた映像は、すこぶる惜しみなく、こ
れでもかと、どうだ、参ったかと、私にシャワーのように浴びせか
けるので、だからなのですが、多少の、いや決して多少ではないけ
れど、やりたい放題に苦笑いしてしまっても、じゅうぶんに許せて
しまう。
千葉ちゃんのかっこよさに、まぁいいじゃないのと、頬を赤らめ
て、海より広い心で受け止められるわけです。
そして、二度三度とまんべんなく繰り返し見ては、少女のような心
持ちになっていく。
どこまでも浸って、キャーキャーはにかんで、バカ丸出しだけど、
このすこぶる幸福感は、ジャニーズやK'POPや、韓流のなんた
ら様とか、龍馬を演じた福山くんとかにはまって、おっかけをす
る、またはしたくなるファンの方たちと、そんなに変わらなくはな
いのではないかと自分でも感じました。
そう、ちょっと好みが渋チンなだけ。
それだけのことなのだ。

ヤクザ映画はともかく、私はそうした娯楽時代劇を子供の頃からこ
よなく愛してきました。
夫などに言わせると、「なんだ? またおっぱい出してる。エッチ
なシーンばっかりじゃん」というけれど、これは、あの当時につく
られた娯楽時代劇ならではの宿命みたいなもので、裸を出して、視
聴率を稼ぐお約束みたいなもの、別に私のせいではない。
そういった意味では、時代劇に興味なくても、女の裸見たさに、つ
いに見てしまう男性陣も多かったのではないでしょうか。
なんて、私なんかは、断固として目的が違うのだが、どうもこの手
の作品のかっこよさが理解できない人には、いまだに誤解のタネで
もあり、どんなに切れのいいアクションがあっても、なんでもあり
の娯楽時代劇となると、特撮の連打だったりするし、忍者服が自衛
隊のようなありえん迷彩色だったり、悪役が子供向けの戦隊もの番
組に登場するどぎつさだったり、熊と格闘するシーンでは、どっか
の遊園地から借りてきたような等身大の熊の着ぐるみなんかを堂々
と使っちゃうわけだけど、しかし、とらえようによっては、これも
ご愛敬、作品の味なのだと受け止めれば、制作者の誰かさんが思い
ついた片っ端から、千葉ちゃんが、「よーし、それやってみよ
う!」なんて、軽いノリでどんどん撮っちゃってるのが目に浮か
び、勝手に微笑ましくなるわけです。

それでも、この頃のジャパンアクションクラブは、ままいい時代でした。
千葉ちゃんに、真田広之、志保美悦子や黒崎輝がそろいもそろって
出演するアクション時代劇こそ、まさにジャパンアクションクラブ
の花形看板役者のオンパレード作品。
真田広之などは、素晴らしく切れの良いアクションで、千葉ちゃん
に負けず劣らずのかっこよさでありますから、これにはイチコロ
で、真田広之主演の映画となれば、なんでも観に行きましたが、当
時はまだ映画も常にお得な二本立てで、『伊賀忍法帖』や『里見八
犬伝』などの名作はともかく、ヘンなタイトルの作品なんかもあっ
て、例えば、『燃えろ勇者』とか『百地三太夫』や『冒険者カミカ
ゼ』なんぞは、あまりにへたくそな筋書きに、ファンとしても点数
をつけかねるありさま。
それでもアクションの素晴らしさだけは大いに評価でき、そこはさ
すがであって、真田さんの若さと肉体の素晴らしさと切れのあるア
クションを武器に、タイトルが許せなくても、ストーリーがヘンで
も、帳消しに出来る。
まったくファンとは、愛情深い生き物ですなぁ。

ところが、ファンであるが故に、どうしても受け入れがたいことも
あり、ごく最近では、千葉ちゃんが今の奥さまと結婚披露宴をした
時の映像に、もうがっくり、目を覆いたくなりました。
奥さまと年の差があるせいか、どう見ても、あれでは花嫁と花嫁の
パパにしか見えない。
しかも、奥さまに花嫁衣装を着せたかったと言ったあたりが、あ
あ、千葉ちゃんも年を取ったのだとしみじみ感じてしまい、そこに
披露宴に招かれた招待客たちの顔ぶれにも、いささか困惑。
まったくダブルパンチです。
参列していた皆さまがたは、昔、縁のある方々などまるでいらっ
しゃらないのか、とにかく芸能人の寄せ集めらしい雰囲気がプンプ
ン漂い、歌手やタレント、もちろん俳優人もいらっしゃったのです
が、きっとさまざまな人とのご縁を切り捨ててきたのでしょう。
いや、そうせざるおえなかったんだよね、解るわかる。
好き勝手に生きてきたんだ、千葉ちゃんらしいと思わなくちゃ。
ファンは、それでも、あなたを理解してるよ、なんて、無理に自分
に言い聞かせてみるが、それでも、やっぱりモヤモヤ感はぬぐえない。
なんで、こんなにしてまで、披露宴やるのよーって、テレビに向
かって叫んでいた。
きっと、昔の千葉ちゃんならしないはず。
そう思うと、千葉ちゃんが身も心も、すっかり年を取ってしまった
ように感じてしまいました。
このぬぐいきれない葛藤に、結婚披露宴の映像なんて見るんじゃな
かったとうなだれ、いま見たことも思いっきり消去したい気分だっ
たのです。
身勝手な言い分なのは、重々解っているつもりです。
しかし、ファンとはしょせんそんなもの。
勝手に夢想して、自分だけのイメージが崩れていくことが、どうに
も受け入れられない。
そんなに冷静でも寛大にもなれないから、困ったもんです。

この時の衝撃を、私は馴染みの女子会で愚痴ったのですが、友人に
はすかさず笑い飛ばされ、「だって、すっかりおじいちゃんなんだ
よ、絶対にありえないって」と私が情けない顔で涙目になったとた
ん、友人二人は、「ダメダメ。現実をちゃんと受け入れなさいっ
て」と爆笑していた。
ファンであるが故に、役者も人間なのに、老いをなかなか認められ
ないのは、悲しいことです。
勝手に憧れて、勝手に思い描いて、どこまでも保守的なのだから。
永遠に、スターに年を取らせたくない自分の身勝手さに、ほとほと
嫌になってしまうものの、やっぱり心のうちは、どうにも複雑であ
り、ああ、ファンは辛いなぁと自分に同情する始末。
まったくもって、スターさまからみれば、迷惑千万な話なのだと思
います。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年12月1日水曜日

連載コラム275 from北海道●翼なき野郎ども

泉谷しげるという人が、なんか好きだ。
なんか気になるし、なんか面白い。
泉谷とくゆうの男臭さがどうにも気になるから、こちらは恐い物見
たさで、どうしても目が離せなくなるのだが、唐突に客に向かって
「ばかやろう、このやろう」と大声で怒鳴っている姿にも愛を感じる。
本人は、とってもシャイなのだろう。
だから、凶暴さに苦笑いしても、なんだか立ち去れない。
いや、去りたくないのだ。
私に言わせれば、泉谷しげるという人とは、そんなオーラをもつ人
である。
もし、ここで、立ち去ってしまったら、後で無性に後悔してしまう
ような、もったいないような、何か自分だけ見逃してしまうよう
な、損をしてしまう気をこちらにおこさせる人だ。
そういうことを、平然と思わせてしまう人。
それは、どんなに怒鳴ろうが暴れようが、威嚇して蹴られそうに
なったとしても、彼の内面に見え隠れする、照れとかあったかさを
ふと見つけてしまうからだろう。
ずっと、生きざまを見ていたくなる。
今度は、何をしでかしてくれるだろうと、どうにもワクワクさせられる。
泉谷しげるは、六十を過ぎても、しっかりと不良少年だ。
いや、不良少年きどりなのだ。
シンは、マジメなのに、だらしなく生きたいとさえ思っている。
本人は酒が飲めないのに、酔っぱらいの姿が誰より似合う。
ぐでんぐでんに酔って、酔いつぶれて、路上で吐いて、そのまま酒
瓶片手に寝てしまう姿が、異様に似合う人だ。
なんか、こういう人が私はとても好きだ。
とてもかわいいなんて、思ってしまうのだ。
本職は、ミュージシャンだけど、歌もやっぱり男臭い。
でも、ずっと聞いていたくなる。
たそがれたり、笑ったり、癒されたり。
そんな気分が長く続くのが、泉谷しげるの歌だ。
かっこいいおっさんだなと思う。
大道なんか、こっちから願い下げだと本気で語っている泉谷さんが
好きだ。
生涯、挑戦して、実験してやると偉そうに啖呵を切る泉谷さんが大
好きなのだろう。
男は、やんちゃな方がかわいくて、かっこいい。
一生、少年でいいのだ。
一生、身勝手でいい。
そういうことを、泉谷しげるという人は完璧に思わせてくれる。
こういうじいちゃんが欲しいと、若い女の子が泉谷しげるに目尻を
下げる姿に、素直に共感できる。
本当に身内だったら、マジで困るだろうなと思いつつ、しっかりと
共感できる。
若いときより、泉谷しげるは、今の方が断然かっこいい。
すぐに熱くなって、すぐに怒鳴りまくって、実は怒鳴ったのが本人
いわく発声練習なんて言う血の気の多さきどりも、泉谷しげるらしい。
らしいなんて、知ったかぶりしてこちらが言おうもんなら、「ばか
やろう」と、また怒鳴られそうだ。
でも、そんなところもひっくるめて、魅力だ。
泉谷しげるの歌は、メロディがいい。
歌詞も、ときどきドキッとさせられる。
あの独特の声質。
昔の歌は、特にそう。
でも、最近の歌も、衰えなんて、まったく感じない。
感じさせない、それが泉谷しげるの歌だ。

ときどき、役者として活躍しているが、その多才ぶりは素晴らしい
限りだ。
しかし、本職はミュージシャンだから、俺にとっての俳優業は、派
遣と一緒なんて高飛車な態度で言うけれど、その役者ぶりは、独特
の色彩を放つ。
それだからか、なんとも味のある役どころが多いのです。

「泉谷しげると翼なき野郎ども」という音楽番組があるが、これ
が、けっこう面白い。
番組は、すでに2008年2月から始まっているが、自分らの音楽
について熱く語るところも見所のひとつである。
番組の中で、ところどころ織り交ぜるライブも素晴らしい。
しばらく、ファンでいたいと思う。
いえいえ、ずっとファンでいたい限りだ。
泉谷しげるの男臭さとむさ苦しさに、これからも注目したいと思います。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

連載コラム157 from 台湾

11月23日、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃した。

全世界にニュースを発信している
CNNやBBCは速報で砲撃ニュースを報道。
日本を始めとするアジア各国も大きく伝えた。

むろん台湾でも砲撃のニュースは大きく取り上げられ
特集を組み報じている。

しかし、実は今台湾では反韓が高まっており
淡々と事実のみ報道する機関が多いのが現状である。

台湾で巻き起こる反韓の理由
中国の広州で開催されているアジア大会。
台湾はさほどスポーツに力を入れている国ではないが
とても人気がある種目がある。

バトミントンや卓球、野球などがそうなのだが
中でもテコンドーは国をあげて応援される種目。

台湾選手は世界タイトルも取っており
国民的アスリートと呼ばれる選手も多いのである。

今回のアジア大会でも、当然テコンドーは金メダルを
期待されていた。

しかし、美人で礼儀正しく絶大的な人気を誇る
女子49キロの楊淑君選手が、1回戦目で
まさかの「失格」。

審判団は「失格の理由はいえない」と述べたが、
失格の理由は「センサー」だとされている。

「センサー」は正確な判定を行うため必要なもので
各選手靴下などに入れているのだが、
楊選手にはつま先とかかとの2箇所に入れており
これが、どうやら「失格」と判断されたようなのだ。

テコンドーには韓国人の審判員が多く、
「金メダル欲しさに楊選手を失格にした」と
台湾人が激怒したのだ。

許せないことは許せない
台湾人の気質は日本人に似ており
穏やかであいまいなことをよしとする傾向がある。

しかし、今回の失格事件だけはどうしても許せなかったようだ。

実は問題の試合の審判員には中国本土の人間がいた。

10月の東京国際映画祭開幕イベントで
中国代表団が台湾代表団に対して
「台湾」から「中国台湾」と名称を変えろと言い出し
「あなたたちは中国人だろう!」「我々は台湾人だ!」と
大いにもめる姿がニュースで繰り返し流れていたばかり。

中国も韓国もずるい、勝つために最低のマナー違反をすると
大激怒したのである。

台湾では韓国の旗が燃やされるだけでなく
人気韓国人歌手の来台もキャンセルするなど
反韓感情は今ピークに達しているのである。

これには韓国人がびっくりしており、
どうにかしなければという動きが出ているほどでなのだ。

存在感が下がり続ける日本
そんな中起こった北朝鮮による韓国への砲撃。
台湾では淡々と報道している局が多いが、
それでも「反韓」と今回の事件はしっかり別けている。

台湾は、11月27日に5大市長選が行われたため、
ダントツ的に選挙関連のニュースが多かったのだが、
砲撃の件は各国首相、大統領の対応なども
特集で報道。

日本は最後の方にチラッとだけ紹介されており
ここまで存在感が下がってしまったのかと
がっかりしてしまった。
今後、北朝鮮と韓国だけでなく、アジアで起こる紛争で
日本がどこまで発言権を持つことが出来るのか。
お金ばかり出しているという印象をもたれている日本は
これからどうなっていくのだろうか。不安になってくる。


▼写真は、選挙活動中の台北市長の様子です。

















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

2010年11月15日月曜日

連載コラム156 from 台湾

こちらでも度々取り上げさせて頂いている
尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐる問題。

衝突のようすは一部始終が海上保安官により
撮影されており、前原大臣も最初のうちは
「このビデオがあるから」
と切り札のように扱っていた。

しかし中国で日本人がスパイ容疑で逮捕されると
日本は大慌てで漁船の船長を釈放。
船長は英雄として中国で崇められるようになった。

スムーズに事を運べない傾向にある現内閣だが
船長釈放直後からなぜか頑なに
「衝突のビデオは公開しない」と発表。

あまりにも中国一番、中国最終戦主義に
日本国民の怒りのボルテージは上がる一方だ。

外交下手すぎる現内閣
なぜビデオを公開しないのか?
恐らく日本は中国に気を使い「配慮していますよ」と
恩を売りたかったのだろう。

しかし、それを「ありがとうございます」と感謝する
そんなお人好しは中国人にはない。
よいカードが出されれば、それを取って利用する方が
賢いからだ。

中国メディアは、
「ビデオを公開しないのは、もともと日本がでっち上げたから」
と言うようになった。
学生らによるデモもヒートアップする一方。
でも批難の声が中国政府にも向けられ始めると
急にデモがコントロールするようになり、この上なく滑稽な展開に。
何もかもが政府によって操られているさまがよく分かる。

遠慮、遠慮の外交
ほかの海外メディアも「ビデオに何が映っているのか」と
興味津々な状態であり、政府もこれはやばいと思ったのか、
編集したものを限られた人にだけ見せる、と、
これまた理解に苦しむことを言い出し、上映会を開いた。

編集するということは、都合の悪いことを隠すことではないか。
台湾のメディアは「また中国に遠慮しているのでしょう。
遠慮なんて言葉は通用しないのに」と呆れた風に報じていた。

これで満足だろう、とでも言いたげな現内閣は、
これで全てを終わらせるつもりだったようだ。

しかし、それで終わるほど日本人は腐っていなかった。

ビデオ流出は政府の責任
11月4日の動画投稿サイトYouTubeに
尖閣諸島沖の中国漁船衝突なる動画が掲載された。

動画は翌朝には消されてしまったが、
夜通し大型掲示板の「2ちゃんねる」で騒がれたため
多くの人が動画のコーピーをとり、今も掲載し続けている。

現内閣は、このまま闇に葬るつもりだったテープが
当然、このような形で流出されてしまい大激怒。

そう、動揺というより激怒であった。

そして、犯人探しのことばかりに言及するようになり
犯罪だ、きつく刑罰を与えなければと発言した。

挙句の果てには中国に説明しなければとまで言い出し、
どこまで中国に気を使うのか、理解に苦しむことまで
言い出す始末。

ビデオ流出のそもそもの責任は政府にあるのは、
誰の目から見ても明確ではないか。

愛国者は誰なのか
海外のメディアはこのテープ流出を
「なんでこんなテープを今まで必死に隠してきたのか」
と「?」的にも伝えた。

ここまできても「テープの全面公開しない」という内閣に
「これ以上酷いシーンがあるのか」という疑惑も強まる。

10日に「自分が流出させた」とた海上保安官が
名乗りだし今、「罪に問われるかどうか」に焦点が
あてられているが、これが有罪になったら
一体、日本の立場はどうなるのだろうか。

衝突してきた中国人船長は釈放し英雄になり、
最初に公開すべきだった日本政府の代わりに
国民に真実を見せた人物は罪人になるのは
いくらなんでもおかしいだろう。

日本国民を守らない、と知ったら
中国だけでなくほかの国々も襲撃すると
考えないのだろうか。

子供手当ての件でもうんざりしているのに
現内閣はつくづく愛国心のない人間なのだなと
悲しく思わずにいられない。

▼写真は、圓山大飯店の1階ロビー。ホテルとは思えない豪華な建築物です。
















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム274 from北海道●今の政府に思うこと

尖閣映像は、機密事項に値するか、いなかで、論議を呼んでいる。
初め、映像は石垣海上保安部で「厳重に保管している」とのこと
だったが、現職の海上保安官が、みずから名乗り出て、警察に出頭
してからは、映像は、海上保安大学を経由して、保安官が常務して
いた巡視船でもみることができたことが明らかになった。
YouTubeの尖閣映像では、事件のようすがはっきりと伝わってくる。
中国漁船が、巡視船にぶつかってきたのは、明らかだった。
船の衝突は、危険きわまりない。
命を落とすことだってある。
だからこそ、彼らが、あの映像を自分たちで、対策資料として共有
したとしても、なんら不思議ではないと思った。
むしろ、そうするのが、普通だろう。
尖閣事件は、映像の流出より、もっとその前の対応にこそ問題があ
るわけで、先の国会でも既に事件への対応が問題視されているが、
政府側は同じような答弁を繰り返してばかりだ。
YouTubeの映像を見て、なぜこれを隠ぺいしようとしたのか、はなは
だ疑問に思う。
もし、中国との外交カードに利用するとしたら、あの事件直後、中
国人船長を逮捕した時点で、あの映像を中国側に突きつけて、相手
の反応をうかがうことだって出来たはずだが、それは出来かねぬと
言うならば、逮捕した後に、即刻強制送還という方法しかない。
だが、ぶつかってきた相手を、そくざに帰すなど、今回のような悪
質な事件では、あまりしてほしくはない。
いずれにしても、対応を明確にせぬまま、「フジタ」の社員が中国
で拘束され、レアアースがストップする事態になってから、船長を
あわてて釈放したのだから、交渉も駆け引きもあったものではない。
では、なんのために、あの映像を隠したのか?
私が、もっとも愕然としたのは、管総理が尖閣の映像を見たのが、
ずっと後になってからだと言うこと。
国会の質疑応答の中で、見たかという質問に、菅さんは、平然と
「見ていない」と答えたのだ。
信じられないと思った。
この人の中では、尖閣事件など、それほど重要ではないのだろう。
だからこそ、この案件は、仙谷さんや外務大臣らに任せればいいと
でも思ったのかもしれない。
事件をなめた結果が、今回の映像の流出に繋がったのだ。
海上保安官は、日夜、命がけで働いている。
事実を闇に葬られたまま、また同じような危険と遭遇するのかと思
うと、憤りや葛藤を抱えて当然である。
尖閣事件の映像が、国家機密であると主張するならば、あの映像を
政府は厳重に管理する必要があったのではなかろうか?
そういうやりとりが、石垣海上保安部と政府の間で、なされなかっ
たことも、想像できる話である。
現場にだけ責任を押し付ける姿勢は、政府として見苦しいだけだ。

ソウルで行われたG20サミットに続き、横浜で開催された
APEC首脳会議でも、日本の影はとても薄い。
菅さんが、首脳会議に向けてギリギリまで勉強していた姿勢は、脇
に抱えたファイルからもうかがいしれるが、果たして日本は会議に
向けての戦略があったのかどうかも、あやしい限りだ。
あるのは、TPPへの参加を希望しているという姿勢だけ。
それも、中身については、国会でも詰めた話し合いなどまだされて
いないから、いたって不健全だ。
私は、TPPへの参加も意義はないけれど、この参加は戦略を
もってのぞまなければ、たちどころにこの国の第一次産業が危険に
さらされる不安もぬぐえなくはない。
TPPに参加することで、海外の輸入品を我々日本人は、もっと安い価
格で買うことができるけれど、もともと国土が狭い日本である。
日本の農家さんが作った作物は、必然的に輸出にまわされ、私たち
の口に入ることも少なくなっていくことを想像すると、この自由貿
易は、いったい誰のためのものだろうなんて、少し悩ましくなる
が、せめて最低限の保証くらいは、国が農家にすべきだ。
その保証も、以前のように公共事業などに流れたりしない、しっか
りとしたルートで保証するべきだし、日本の農家の存続や、後継者
の確保に繋がるような手をうってからでも、この参加は遅くないの
ではなかろうか。
なにか、政府の焦りのようなものが、漠然と感じられる。
世界の流れに出遅れることだけは、どうしてもさけたいと、そんな
焦りばかりが伝わってくるのだ。
オバマさんは、ちゃっかりとアメリカを売り込む作戦で、腹案を
持って、この会議に臨んだという。
できることならば、日本にも、しっかりしてほしい、そんな気持ちです。
日本の外交がしたたかで、強かった遠い時代が、少し懐かしくなります。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年11月1日月曜日

連載コラム155 from 台湾

10月23日、日本で小学校6年生の女児が
自ら命を絶った。

自宅のカーテンレールに首をつり
自殺したのだという。

父親は「学校でのいじめが原因」だと主張。
母親が外国人だからと同級生から
いじめられたのだとメディアに明かしたそうだ。

そして学校は相変わらず
「いじめがあったとは認識していない」と主張している。

日本のいじめ
いじめは日本の学校だけが抱える問題ではない。
アメリカでもイギリスでも、どんな国でも
程度の差はあれいじめは存在する。

日本はもともと島国で村意識が強い国だからか
「何でも一緒に」と強いられ「平均」を意識させられる。

例えば子供の体重や背の高さを平均値を使い
強く意識するのは先進国では日本くらいだろう。

個性という言葉を嫌い、平均だから安心、
平均以上は凄いと言われながら子供は育つのである。

子供たちは自然と「みんなと違う、あの子は変」と、
思うようになり、その意識がいじめへと発展するのだ。

母親の言葉の影響
「平均」「みんなと一緒」を意識して育った大人たちが、
子育てをするようになると、どうなるか。

やはり子供に「みんなと一緒」「またはそれ以上」を
求めるようになるのだ。
そして、親同士が会えば、当然そういう話になる。

母親の言葉や会話を子供たちは本当によく聞く。
そして、その言葉に強い影響を受ける。

国によっては小学校入学前に学校から、
「子供の前で決して先生の批判をしないこと」
と強く指示されるほど。
国籍、人種、関係なく子供は親や養育者の鏡となるのだ。

いじめの発端が、実は親が何気なく発した
言葉であったということは、きっととても多いだろう。

日本のいじめは、親の影響が強く出ているため
とても性質が悪いものなのだ。

先生のいい加減さ
そして日本のいじめが10歳前後の子供たちを
死に追いやる最大の原因は、
いじめが起きている現場にいる大人、
先生のいい加減さだといえよう。

一昔前は、先生が威厳があるとして崇められたが、
今の子供たちは、親が先生の悪口を言うのを聞いている。

そして、親が先生よりも強いという強弱関係まで
敏感に認識してしまっている。

そのため、先生も子供たちに強く言えなくなっているのだ。

今回自殺した女児は、いじめられっ子にありがちな
とても大人しい子で、学校側は

「いじめられると母親から訴えられていたが、
本人に聞くと別にと何も話さなかった」と弁解。

恐らく母親のことも「途上国から来た外人だし」と
なめきっていたのだろう。
子供も大人しいし、このままいじめに耐えてもらって
卒業して終わればいい、と思っていたに違いない。

ほかの発展国の学校では、よほど貧困層の荒れた学校で
ない限り、先生、学校、そしてカウンセラーが連結し
いじめっ子を徹底的に追求するはず。

いじめられ苦しむ子供を、すぐそこに居る大人が助けず、
誰が助けられるのだろう。

しっぺ返しは必ずくる
野放しにされた、いじめっ子がどんな大人になるか、
想像はたやすい。

いじめっ子は「先生もいじめをOKだと思ってくれてる」と
思っており、いじめを何とも思っていない。

親が介護が必要になったとき、「普通の状態」でなくなった、
そのとき、何の躊躇もなく虐待するだろう。

そう、しっぺがえしは必ず来るのである。

親も先生も大人の心がけ次第で、いじめの数は減る。
一日も早くそのことに気がつかねばならない。



▼写真は、圓山大飯店からみた台北市内。川の向こう側は11月にスタートする花博会場になっています。
















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム273 from北海道●癒し系たっぷりの映画

映画『めがね』も『プール』も、とても不思議な映画だ。
凝ったストーリーがあるわけでもなく、実にそぎ落とされた内容
で、ただ、ゆったりと過ぎていくだけの映画である。
どちらの作品も、主人公が旅に出たところから話は始まるのだが、
主人公のかたくなな心が、出会う人々のさりげない温かさによっ
て、ほぐれてゆくストーリーだ。
しかし、主人公が抱える複雑な心の葛藤については、なにも掘り下
げない。
映画『めがね』では、特にそうである。
あまり観たことのない、その不思議な世界観は、観る人を優しい気
持ちにさせる。
景色の美しさに魅了される。
砂浜から見渡す海がとても美しかったり、どこまでも晴れわたる空
がきれいだったり、緑が生い茂って、風がさわさわと鳴くさまは、
素朴な自然の美しさが、映像からよく伝わってくる。
映画『めがね』の舞台は、与論島。
日本にも、こんな場所があるんだと思ったのが、正直な感想である。
しかし、これだけのゆったりとした映画なのに、まるで飽きさせな
いのは、凄いことだ。
映画『めがね』では、「たそがれる」というセリフが、たびたび聞
かれる。
「たそがれる」を漢字で書くと、「黄昏れる」になり、その意味
は、黄昏を動詞化したもので、夕方になることを示すが、一般的
に、「たそがれる」は、そうそう使われないのではなかろうか。
とすると、このセリフひとつを取っても、これは制作者の世界観な
のだろう。
『めがね』も『プール』も、食べるシーンが多い。
テーブルをみんなで囲み、ただもくもくと食べるだけなのに、なん
だか面白い。
面白くて、実においしそう。
茹でた大きな伊勢エビを、みんなでもくもくと食べている。
彩り美しく重箱に詰められたご馳走。
バーベキューもおいしそうだし、もたいさんが作るかき氷なんぞ
は、実に食べたくなった。
かき氷用の小豆を煮る場面では、小豆の音にそっと耳をそばだて、
真剣勝負である。
その丁寧さに、おかしさが込み上げる。
実は、この丁寧さ、映画の随所でうかがえるので、それも楽しい限り。
鍋も出てくる。
映画『プール』の話である。
この映画は、タイの古都チェンマイが舞台なので、鍋もタイ風だ。
主人公・さよの母役の小林聡美のギターでの弾き語りの場面が、す
ごくいい。
透き通るような美しい歌声に、ただ驚き、この映画では、実にいい
エッセンスとなっていた。
それにしても、これだけのゆるい映画なのに、ラストは少し謎である。
謎というより、動揺したのだ。
菊子さん役のもたいまさこを意外なところで、さよが見掛けるシー
ンのこと。
これだけのゆるい映画だから、ありえない発想だけど、私は菊子さ
ん役のもたいさんが死んだと思ったけれど、たぶんこの解釈は、間
違いだろう。
「菊子さんは、ときどき、心だけで移動するから」
さよに、母の小林聡美が言うセリフである。
そして、車で空港へ向かう道の両側には、僧侶たちが列をなして歩
いているのだ。
托鉢の僧侶たちである。
風景に同化する僧侶たちを、映画のセリフぬきに、美しいと感じら
れるだろうか?
私は、原作の漫画を読んでいないけれど、自分の中にはないセリフ
や会話が、とても新鮮で、のびやかで、ひょうひょうとしていて、
いいなという気持ちだった。
映画の舞台になった与論島も、チェンマイも、天国に近い島に思え
た映画だった。

映画『マザーウォーター』は、10月30日から全国公開である。
小林聡美や、もたいまさこ、市川実日子、加瀬亮、光石研など、お
馴染みの俳優に、小泉今日子や永山絢斗がくわわった味のあるメン
バーである。
監督は、『めがね』や『プール』で制作に関わった松本佳奈さん。
これが、監督デビュー作であるとのこと。
実に、興味深い限り。
癒しをもとめて、映画館に出掛けようと思う。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年10月15日金曜日

連載コラム272 from北海道●チリ万歳

チリのサンホセ鉱山の落盤事故で、作業員たちが、みな無事に生還
できた。
作業員を乗せたカプセルが、地上に引き上げられた瞬間や、家族、
人々との再会は、現地からの生中継で、世界中を駆けめぐった。
夫や父親の帰還に、涙を流し、がっちりと抱き合う家族の姿に、胸
にあついものが込み上げる。
彼らから伝わり、教えられるものは、人間の生命力や精神の強さだった。
本当に、全員が助かって良かった。
感動的な生還劇に、チリという国が、とても好きになる。
なんて素敵な国だろう。

絶望的な落盤事故に、一筋の光をあたえたのは、事故から18日目
に見つかった作業員からの手紙である。
掘削ドリルの先にはさまれた、地下に閉じこめられた作業員からの
手紙だった。
ひとつの手紙が人々に希望をあたえ、勇気をふるいおこし、奇跡に
繋がった。
世界は、悲しみや苦悩にあふれているけれど、人の心を揺り動かす
ものは、やっぱり愛なのだと思った。

作業に掛かった費用うんぬんや、ある作業員の愛人と奥さんのバト
ルうんぬん。
いいではないか・・・。
彼らの陽気な笑顔をみよ。
そんな、余計な情報は、まったく無用です。
それにしても、救出作業の手際の良さと速さには、びっくりだ。
チリは、日本と同じく地震が多いんですね。
救出作業中も、地震に見舞われたらしいけど、みんな無事に生還で
きて、良かったです。
救出作業に最後まで立ち会い、作業員ひとりひとりを握手と抱擁で
出迎えた、ピニェラ大統領の笑顔が、とても素敵だった。
いいなぁ、日本も、こういうトップが欲しいんだけどなぁって、気
持ちになる。
そう言えば、「たかじんのそこまで言って委員会」で、おちゃらけ
て言ってました。
日本の政治家は、ぜんぜん頼りないから、海外から良き人材を招こ
うって。
賛成とか反対っていうより、その発想が凄いなぁ。

国会を、時々見てます。
管総理と、仙石官房長官の態度に落差ありすぎでしょと、思う。
尖閣諸島問題で、尖閣諸島にいる、希少モグラの現地調査と保護う
んぬんなるやりとりに、なんで?という気持ちになった。
しょうもない質疑応答に、うなだれる。
尖閣周辺は、今や日本の漁師も、なかなか近づけない始末。
はっきりキッパリと、島は日本の固有領土ですって示すために、尖
閣のモグラ調査だと?
やる気があるとかないではなく、底の浅いつまらない考えですばい。
どうして、日本はいつまでも、こうなのでしょうか・・・。

昨年の暮れに、録画したNHKドラマ「坂の上の雲」を、今頃まと
めて見た。
原作は、司馬遼太郎の長編小説だ。
激動の明治時代の日本と世界を舞台に、松山出身の三人の主人公の
生き様に、心が震える思いだった。
堕落した今の日本の政界に、彼らは何を思うだろう。
日本人は、彼らがなしとげた奇跡の貯金を、見事に使い果たした。
国会より、自分は、この原作を読むべきなのだろう。

チリの奇跡の生還劇に、私も万歳です。
そんで、しばし、読書にひたります。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

連載コラム154 from 台湾

9月7日に沖縄・尖閣諸島沖で起きた
中国漁船衝突事件。

この事件は、中国漁船が尖閣諸島付近で
操業していたところをパトロール中の日本の
海上保安庁の巡視船に発見され、
停船勧告を無視し逃走。

逃走のさい、巡視船2隻に衝突を繰り返し
破損させたとして公務執行妨害で逮捕
したものである。

中国は「尖閣諸島は中国のもの。
違法行為などしていない」と主張し、
船長逮捕は大問題だと日本政府に警告。

日本大使を真夜中に呼びつけたりしたが、
日本が「手順に従い・・・」と船長を解放をしないため、
中国で仕事をしていたフジタの社員を、
「スパイ行為した」と逮捕した。

お互い人質をとり駆け引きをする形になり、
日本はあっさりと降参。船長を解放した。

粘りのない日本
海外のメディアは、
「日本は外交が何か分かっていない」
「本当に粘りがない」と批判気味でこれを報道。

あまりにも思い通りに事が進んだ中国だが、
「衝突のビデオ」を公開されるとマズイこと、
逮捕した人質が、大金に化けることを確信。

粘りのない日本政府のことだから、
私たち国民が知らないところで大金が中国へと
流れたのだろう。

一部を公開する方向で話が進んでいた
ビデオも結局は公開されないことになったようだ。

中国のやり方が汚いと海外メディアで報じられ
イメージを悪くしたとも言われているが、
そんなの中国は気にもしていないだろう。

それどころか、日本政府が「衝突ビデオ」を
公開しないのは日本側に落ち度があるから、
攻撃をしかけたのは日本側だと主張するだろう。

遠慮、配慮、という言葉は身内でもない者に対して
与えるわけがないではないか。

日本政府は一体誰のための政府なのか。

恐ろしいメディアコントロール
外国のメディアまでが「日本は何をしているのか」と
疑問を投げかけている、
理解に苦しむ日本政府の対応。

外国だったらデモが起こるだろうに、と思っていたら
日本でも2000人を越えるデモが行われた。

何をされてもデモしない日本人が、
日本の旗を持ち「規則正しく」デモ行進したと、
CNNなどがいち早く報じた。

日本のメディアはどのように報じるのかなと
ロケーションフリーを使用し、
日本のテレビを見てみたところ、
どの局もデモのことを報じていなかった。

大手新聞の公式サイトも全く触れていない。
我が家では最も偏らず報道しているとして、
日本経済新聞をとっているが、
その新聞にも掲載されていなかった。

政府が関連していることは明らか、
そしてみんなしてそれに従った日本のメディアに
心底がっかりしたと同時に背筋が寒くなった。

ひょっとして選挙の結果だってコントロールされており、
日本国民の知らないところで、
日本は終わりに一歩、一歩近づいているのかもしれない。

こんな国、もう見捨てるしかないのかもしれない。


▼写真は、台北淡水河で見つけた美しいシラサギです。

















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

2010年10月1日金曜日

連載コラム153 from 台湾

9月7日に沖縄・尖閣諸島沖で起きた
中国漁船衝突事件。

この事件は、中国漁船が尖閣諸島付近で
操業していたところをパトロール中の日本の
海上保安庁の巡視船に発見され、
停船勧告を無視し逃走。

逃走のさい、巡視船2隻に衝突を繰り返し
破損させたとして公務執行妨害で逮捕
したものである。

これまでにも中国だけでなく台湾の魚船が
尖閣諸島沖に侵入しているが、
ここまで大事になることはなかった。

ここまで悪質な例はなかったこともあるのだが。

台湾のメディアの反応
この事件をうけて台湾メディアは早い段階から
特集を組み報じてきた。

時に日本大使を休日の真夜中に呼び出し
抗議をするという点は、
華僑にとって「この上なく侮辱的」なことになるため
繰り返し伝えられてきた。

日本でも「わざわざ夜中に呼び出したのか」と
報じられていたが、なにぶん残業好きな日本人。
それほど「侮辱」とは受け止めなかったように感じる。

しかし、台湾は「休日の真夜中に呼び出した」ことで
中国がこれからかなり強硬な態度に出ると
予測していたのだ。

驚くシンガポールメディア
比較的冷静な目で中国の動向を伝える
シンガポールメディアは、
今回の事件を「驚いた」と表現。

何に驚いたのかというと、
この1年でここまで中国と日本の間が
悪化したということに、である。

確かに、昨年まだ自民党が政権を握っていたとき、
麻生太郎元首相が訪中し、とても友好的なムードが
全世界に向けて報じられてきた。
麻生元首相のあの笑顔の効果もあり
日本と中国は、これからよきパートナーとなると言われ
事実、その後急速に間が縮まったかのように
見受けられた。

シンガポールは南シナ海の領域問題を抱えており
今回の日本と中国の件は決して人事ではない。

良いケーススタディとして注目しているのである。

中国人と真の友人関係を結ぶ難しさ
以前、シンガポールの友人がこう話してくれた。
彼の両親は中国から来た移民であり、
数年に1回、中国の故郷に山ほどの土産を持ち
訪れるのだという。

土産とは最新の電子機器など。
それを故郷の人々、親戚でない人にも配るのだという。

そして、驚いたことに、
彼らはそれを当然のように受け取るのだという。

インドでもお金持ちが貧しい者へ色々恵み、
それを彼らは当然のように受け取るが、
それは「それが良いこと」という宗教的な教えがあるから。

中国人はプライドが高い気質があるため
与えてあげる、受け取ってあげる、と、
両者が当然のようにふるまうのだという。

与えるもののプライドをどこまでくすぐり吸い上げるかも
ポイントらしく、シンガポール人の友人は
両親が彼らに使われていると憤慨していた。

同じ華僑であっても、こうなのである。
<次回も、中国人気質の難しさについて執筆していきます>


▼写真は、台北最古の関渡宮にある美しい石の狛犬です。
















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム271 from北海道●尖閣諸島沖の衝突事件に思うこと

尖閣諸島沖で、衝突した中国漁船と日本の海上保安庁巡視船の
ニュースが連日続いている。
衆院予算委員会が開かれ、臨時国会はいよいよ10月1日からだ。
すでに、予算委員会でも、尖閣諸島沖での衝突事件について、答弁
がされた。
中国人船長を逮捕したことで、今回の中国の報復は素早かった。
レアアースの輸出禁止から、「フジタ」の社員の取り調べと拘束
に、日本政府はきっと頭を抱えたことだろう。
9月30日現在、監禁されていた「フジタ」の社員は、4人のうち
3人が釈放されたと伝わる。
逮捕した船長を、釈放したことや、中国からの賠償の要求に、日本
側が耳を塞いだ姿勢が不幸中の幸いだったのか、真実は解らない
が、中国は、それまでの威圧的な態度をゆるめ出した。
しかし、この度の騒動の行方は、たまたまである。
これで、一件落着というわけではない。
日本が、心から中国という国を理解して行動をおこしたのかという
と、おおいに疑問が残るし、これでこの騒動は、ひとまず沈静した
としても、実際は、まだ「フジタ」の社員一名は、拘束され続けて
いるわけだし、レアアースの輸出に関しても、100%解決したわ
けではない。
むしろ、中国との経済的な交友関係には、このような事態がおこり
うるということを、日本は肝に銘じなければならない。

中国は、なかなか難しい国だ。
しかし、彼らは、そのしたたかさを武器に、国をここまで大きく発
展させ、成長させてきた。
それは、日本人が持つ気質とは、まったく違うが、だが、外の国と
の駆け引きは、日本の流儀が必ずしも通用しないことを、日本人は
そろそろ気づくべきだ。
日本の忠誠や流儀に、好感を抱いてくれる国もあるだろうが、外交
の場では、たいがいそんなものは通用しないと、むしろ、日本人は
腹をくくったほうがいい。

この衝突事件後、ある時期からいっせいに、日本のメディアが流し
た情報は、中国国内で、反日感情を剥き出しにした民衆の姿だった
が、この繰り返される映像に、非常に違和感を覚えたのも事実だ。
この映像は、どのように入手したのだろうと、まずそのことを思った。
尖閣諸島沖での衝突事件は、策略だったとも、突発事故だったと
も、言い難い。
漁船がスパイも兼ねていたという話もあるが、それも証拠がない限
り、想像のはんちゅうにすぎない。
しかし、その真実がなんであったにしろ、日本側は、感情的に逮捕
し、その場しのぎで対処したに過ぎない。
管総理は、予算委員会の答弁で、この件に関して、「政治介入な
し」と言ったが、誰の目から見ても、あの船長の釈放は、政治的な
判断だ。
しかし、そうであっても、那覇地検の判断という押し付け姿勢を、
政府はつらぬくだろう。

沖縄の人々には、普天間の問題に続き、今回に限らず、あの領海で
漁業をされている皆さんには、心苦しくなった。
どうして、沖縄ばかりが、このような思いをさせられるのだろうか。
私が心配するのは、今回の衝突事件は、まだ序の口だということ。
東シナ海の大陸棚には、大量の海底油田が眠っている。
そのことが、おおやけになってから、この海域は、自分達のもので
あると主張する国たちが出てきた。
それまで、ちっぽけな諸島を取り囲むこの海域に、なんの感心も示
さなかった国たちが、公然とてのひらをかえしてきたことにも、日
本は、事を荒立てずに、穏やかに対処し、東シナ海の油田は、日中
の共同開発という、極めて平和で友好的な合意のもとに、取り組む
ことにしたのだ。
だが、中国は、今や世界でも有数の経済大国である。
まだまだ成長過程にある中国にとって、資源の確保はとうぜんの必
要枠で、共同開発に乗り出した時点から、日本が当たり前に主張す
る領土、領海線など、ないに等しい。
日本側が考える配慮が、必ずしも他国の理解が得られ、暗黙の了解
などないことを、日本政府は自覚するべきである。

日本人は、世界でもまれにみる特殊な民族だ。
しかし、外交という駆け引きでは、日本人としての気質があだにな
ることもある。
穏やかで、一歩引く姿勢は、謙虚で好ましいが、優柔不断な国だと
見られるのも事実だ。
外交は、友好的な関係を結ぶことが全てではない。
世界は、さまざまな国であふれている。
それらの国々と、腹の探りあいをしながら、したたかに、渡り合う
ことこそ、外交と呼ぶのだ。

総理の座におさまって、嬉しさが隠しきれない管総理の姿をテレビ
で目にするたびに、私は憂鬱になる。
この国の将来に、漠然とした危機感を覚えてしまうからだ。
それは、民主党政権に対する私の不安でもある。
これは、長きに渡った自民党政権のひずみでもあるが、民主党は、
政治に対する姿勢も、ビジョンも、戦略も、まるで素人だ。
そして、極めつけに、「与党になって、まだ一年たらず。我々の精
一杯の努力を、温かい目で見守ってほしい」と与党の方々は、未だ
に口にするけれど、誤解してもらっては困るのだ。
政治に、失敗などあってはならないということを。
政治に携わることも、総理大臣におさまることも、本当は栄光でも
なんでもない。
あるのは、この国を守る苦悩だけである。
そういう命がけの政治をする覚悟が、今の政府に、与党の皆さんに
はあるのかと、私はお聞きしたい。
それは、クリーンであることより、よっぽど重要である。

中国という国は、日本より、ずっとしたたかで、国力を更に広げ、
推し進めようと、そのためにはあらゆる手段もいとわない。
地方都市の再開発で、家や農地を強制徴用され、取り壊された人々
が、抗議の焼身自殺を次々とし、また、乳児用の粉ミルクを飲んだ
赤ん坊の胸が膨らんだ事件は、現在の中国国民のもっとも関心の及
ぶところだというのに、今回の尖閣諸島沖の衝突事件を逆手にとっ
て、当局への不満をかわすために、反日感情をあおって、国民の士
気を高めようとするところは、なかなかたくみである。
尖閣諸島沖の衝突事件も、じっさい中国国民がどれほど知っている
のか解ったものではない。
日本に伝わる映像、報道は、全て中国当局の管理下にあり、意図す
るものだということを、私たち日本人は、まず理解しなければならない。
今回の事件で、更に愕然としたのは、日本のマスコミが押し掛け
て、一般中国人に向けて、カメラやマイクを向けて、この事件をど
う思うかなどと、手当たり次第に質問したことだ。
中国内だけではあきたらず、日本を旅行する中国人や、沖縄にまで
おしかけて、沖縄在住の中国人に、この質問を繰り返した。
これは、マスコミの暴力に他ならない。
日本のマスコミは、いつもこういう幼稚な行動にでる。
彼らと、漁船の衝突事件とは、なんの関係もないのに、同じ中国人
というだけで、カメラやマイクをむけて、自分たちの正義を振りか
ざそうとする。
私は、同じ日本人として、とても恥ずかしくなった。
ましてや、沖縄在住の中国人なら、もっと複雑な感情を抱いている
のは、解りきったことではないか。
グーグルの中国内の撤退からもはっきりと解るように、中国政府へ
の不満や不平を堂々と国民が主張できる国家体勢など、現段階の中
国では、まだありえない。
ネットの書き込みは、常時、当局にチェックされている。
望ましくない書き込みは、そっこく削除されてしまうのが、いまの
中国の現状だが、それでも、このネットがもたらす影響が、当局へ
の不満を増殖させていることから、中国政府が手を焼いているの
も、また現状なのだ。

明日からの臨時国会でも、きっと、この後手後手に回った政府の対
応に、国会では追及責任の手を緩めないだろう。
だが、出来ることなら、責任問題を後回しにしてでも、今後の対策
など、建設的な話し合いをしてほしいものだ。

沖縄は、常に危険にさらされている。
尖閣諸島の周囲だけではおさまらず、そのうちに、沖縄も自分達の
領土だと主張してくることだって、先々はありうる話で、そのよう
な事態が及んだ時に、どのようにかわし、どのように対処するの
か、そのためのシミュレーションは必要枠であるけれど、日本の狭
い領土を守りきるためには、やっぱり見せるための軍力が、そろそ
ろ必要なのではないかと、感じた。
このままだと、この国の将来は、とても危うい。
「フジタ」の残りの社員が、一日もはやく釈放されることを、いま
は願うばかりである。

コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年9月15日水曜日

連載コラム152 from 台湾

日本の警視庁が9月1日から30日までの1ヶ月間、
身元不明相談所を開設している。
これは警察が保管している身元が分からない
遺体の受取人を探す目的で開設したもの。
所在不明の高齢者のニュースで、
音信不通になっている親族の所在に関する
世間の関心度が上がっているためか、
はたまた遺体の数が増えすぎて
その保管場所に困っているからなのか。
それにしても、その数の多さに驚愕してしまう。
公開されている情報
警視庁の公式サイトでも公開されている
身元不明者の詳細。
遺体発見場所、死亡推定日、性別、血液型、
身体特徴、発見された時の着衣と所持品が
公開されており、衣服や所持品が写真で
掲載されている。
時計や鍵など手がかりとなりそうなものは
アップで掲載するなどの配慮もしており、
部分入れ歯まで掲載したケースもある。
性別や年齢などを選べば、ある程度まで絞れる
検索機能もついているのだが、
発見が遅かったからか、年齢が20~40歳など
幅が大きいものもあれば、血液型が不明というものも
ある。
しかし、ほくろや傷跡など身体特徴を細やかに記載
しており、発見につながりそうな情報も多い。
似顔絵があるケースもあり
こちらは警視庁に直接問い合わせると
見せてもらえることになっている。
身元不明遺体が多い日本
今回警視庁が公開している身元不明遺体には
番号がふられており、男性は682番まで。
女性は675番まで番号が振られている。
全てが公開されているわけではないが、
中には何も特徴がつかめない遺体や
すでに引き取り人が現れた遺体もあるのだろう。
しかし、これだけの人数が身元不明遺体として
扱われた/扱われているのだということは
異常なことではないだろうか。
しかもあくまで、これは東京都で発見された遺体だけ。
ほかの都道府県でも同じ数ほどの身元が分からぬ
遺体があるのだという。
自殺の多さとも関係か
日本は、なぜこれほどまでに
身元不明遺体が多いのだろうか。
外国人登録していない不法滞在者の
数が増えており、彼らが犯罪に巻き込まれた
ということも考えられるが、
現在日本に入国する際、外国人は指紋の
登録を強制的にさせられるため
指紋がある限り身元は判明するだろう。
世界的に見て日本の自殺数が多いことは
以前にも執筆したが、この自殺の数と
身元不明遺体の多さは関係しているのでは
ないだろうか。
格差が拡大したため犯罪に手を染めた挙句
命を奪われる人の数も増えているのであろう。
誰にも知られず死に、
死んだことを誰にも知られたくないという心境。
やはり日本は戦場なのではないだろうか。

▼写真は、台北の街角にあるお寺の写真です。











コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム270 from北海道●人生は流れる雲のごとく

文藝春秋の九月号に、故つかこうへい氏を偲んで、俳優の風間杜夫
さんが、追悼文を載せていた。
つかさんは、7月10日に入院先の病院で亡くなった。
享年62歳、病名は肺ガンだった。
今年1月に、ガンを患っていることを公表した記事を目にしてか
ら、気掛かりではあったものの、まさかこんなに早くに逝かれると
は、露ほどにも思わず、私はショックをおこした。
涙が止まらず、悔しさでいっぱいになった。
風間杜夫さんの追悼文には、つかさんとのおもしろくも楽しい思い
出がつづられている。
風間杜夫と平田満は、劇団・つかこうへい事務所の看板役者だった。
当時の私は、北海道の片田舎で、高校の演劇部に手を染めていた。
部員に同期の学生はひとりもおらず、2コ上の先輩のみである。
新入部員獲得の呼びかけに、私は踊るような気持ちで部室の門を叩
いたが、それに続く仲間はけっきょくのところひとりとして現れ
ず、私自身は大いに部の先輩たちから可愛がられたけれど、先輩達
が卒業してしまえば、自然と廃部の道をたどるしかない弱体演劇部
だった。
その部に、私の入部と時を同じくして、新しい顧問の先生がやってきた。
教師に成り立ての若いその先生は、学園ドラマに登場する熱血教師
そのもの。
新劇を心から愛し、札幌を拠点とする劇団「極」のファンであり、
馴染みの仲だった。
私は、顧問の先生の影響をぞんぶんに受けた。
私の高校時代は、濃厚な演劇活動が全てだ。
月刊「新劇」を、学生の微々たる小遣いもおしまずに買い込んで、
それを読むことで、観たくても観られない芝居への思いまで満たそ
うとした。
雑誌に掲載される舞台のモノクロ写真は、つかこうへい事務所の公
演ものが多い。
「熱海殺人事件」に、「寝盗られ宗介」。
その次に多かったのは、やっぱり唐十郎ひきいる黒テントだっただ
ろうか。
私は、つかさんの本が好きだった。
つかさんの戯曲に小説に、エッセイまで、むさぼるように読んだ。
あの頃の私は、倉本聰の戯曲はまだ読んでいない。
映画「蒲田行進曲」だけに留まらず、テレビドラマ化した「青春か
けおち編」や「つか版忠臣蔵」を、お茶の間のテレビの前でうやう
やしく正座をして、崇めるような気持ちで見ていたからだ。
つかさんは、私にとって青春そのもの。
私は、今でもそう思っている。
映画「蒲田行進曲」がヒットし、つかさんもこの本で直木賞を受賞
された。
主役、準主役として起用された風間杜夫と平田満は、映画がヒット
したことで、人生が一変した。
役者として引っ張りだことなり、よくテレビにも顔を出すようになった。
劇団・つかこうへい事務所が解散したのは、それから間もなくのこ
とである。
劇団として、これ以上ないほどに注目され、脂がのりきった時期の
解散だった。
私は、劇団の解散にショックを覚えたが、後にして思うと、これも
つかさん流のステップだったのだろう。
劇団としては、申し分なく極めた。
そして、この先に続こうとする道は、それぞれの別れ道。
だから、達観したあの劇団は、解散したのかもしれない。
映画「蒲田行進曲」がヒットした当時から、銀ちゃん役で主役だっ
た風間杜夫は、くさい芝居がうまかった。
たぶん、あの当時は、役者として平田満のほうが、上質で目をひく
存在であり、演技ひとつをとっても、憂いを含んでいたようにも感
じるが、しかし、今ではこの二人の役者を並べて、うまさの度合い
を比較することもおこがましいほど、どちらも優れた役者になって
しまった。
けれども、もともと質の違うこの二人を天秤に掛けてお茶の間から
観察していたわけだから、それも愚かなことである。
脇役に照らされて光る主役肌の役者と、主役をひきたてることが天
才的に上手い役者なんて、間違っても比べてはいけないはずなの
に、つかさんは、あっという間に二人の才能を見いだし、開花させ
たのだから、凄いことなのだ。
つかさんのエッセイは、いま読み返しても、うなずけることが満載だ。
在日だったというけれど、つかさんほど日本人らしい日本人はいな
いのではないかと、私は思ってしまう。
私ができるつかさんへの追悼は、つかさんの本をまんべんなく読み
返すこと。
天才・つかこうへい殿が、この日本に残した素晴らしき芸術に、敬
礼を贈ります。

コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年9月1日水曜日

連載コラム151 from 台湾

連日報道されている「所在不明の高齢者」ニュース。

事の始まりは7月。
東京都足立区で生存すれば111歳になる男性が
自宅で白骨遺体として見つかり、
実は何十年も前に死んでいたことが発覚した事件。

家族は年金目当てに男性の死を隠していた疑いが
生じ、他にも所在不明の高齢者がいないか
調査したところ、ボロボロ出てきたのである。

高齢者が家族と住んでおらず
誰もどこに居るのか分からないケースが続出。
役所のいい加減さをむき出しにしたようなニュースが
連日続いている。

問題すり替え
今回の「所在不明の高齢者」ニュース。

足立区の場合は男性が家族が住む自宅で亡くなり
長期に渡り放置されていたという特殊なケースであるが、
ほとんどが家族と離れて高齢者が一人暮らしをしている、
そのため所在が分からなくなったというケースである。

このためメディアは「今の日本は家族の絆が弱い」
「もっとお年寄りを大事にすべき」と報道。

ワイドショーのコメンテイターは
「昔の家長制度を復活させるべき」
「何世代に渡り暮らすべき」
と声たからかに意見し、同居を勧めだした。

しかし問題はそこではない。

何度も言うが、足立区のケースは同居していたわけだし、
所在が分からないケースは、死んでいるが年金目当てに
家族がだまっている。
生死が分からないわけでなく、分かっていながらお金目当てに
知らぬ存ぜぬを突き通しているのである。

110歳以上の高齢者の子供といえば80~90代。
役所や警察も強く詰問できないのであろう。

嫌な風潮
問題を摩り替えたメディアは
孤独死を引き合いに出し、特殊掃除人の特集まで出し、
お年寄りや高齢者独身者の不安を煽る。

その結果、まともの生活してる者へ皺寄せがくる。

良好な関係を築き上げているのなら、
遠距離に住んでいても週に最低1度は電話連絡するものだ。
それすらないのは関係が良好でない、
お互いに問題があるのだろう。

それなのにメディアに煽られ同居を迫られるケールが
最近増えているという。

高齢独身者も兄弟だけでなく甥や姪を当てにし始める、
そんな嫌な風潮が強まっているそうだ。

もともとお金があれば、手厚く面倒見てくれる施設に入れ、
不安などない。
親子関係が良好ならば孤独死の心配などまずない。

そもそも家族が機能していないから、今回のような問題が
生じるのである。

厳しい処罰を
アメリカによって無くされた家長制度を復活させろという声が
メディアで大きくなってきているが
今回問題を起こした家族たちは、家長制度を知っている
世代である。

足立区の件は年金詐取容疑で立件されるそうだが
厳しい処罰を下して欲しい。
もちろん手を抜きまくっている役所も責任を取るべきである。

そしてメディアには事実と本当の問題点を
きちんとピックアップして報道して欲しい。

もう二度とこのような事件が起こらないためにも。


▼写真は、映画「海角七号」の舞台になった台湾南部の美しい海辺です。














コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム269 from北海道●アウトレイジ

北野武監督15作目の『アウトレイジ』は、タイトルそのまんまの
通り、極悪非道なバイオレンス映画だ。
登場人物は、みんなヤクザ。
いや、ひとりだけ刑事がいるけれど、この人も極悪で非道な人間である。
ヤクザ社会の抗争劇『アウトレイジ』は、暴力のバリエーションを
追求した、痛さと笑いが同化した映画でもある。
目を覆いたくなるほど、むずがゆくなるほど、痛さが伝わってくる
かと思ったら、次のシーンで、お腹がよじれるほど笑いがとまらない。
これほど、痛快で、発散できてしまう映画に、見事としかいいよう
がない。
まったく、この監督の頭の中は、どうなっているのだろう。
ビートたけしと芸術家・北野武の間を自由自在に行き来し、彼が提
供してくれるあらゆる物は、面白くて、魅力的で、多様性に満ちて
いて、限りなくどこまでも可能性を感じてしまうし、たくさんを考
えさせられる。
それでいて、世の中をどこかシビアに、容赦なく冷淡に見つめてい
る、そんな目線をも感じる。
私は、巨匠・北野武さんのことを、愛敬をこめてタケちゃんと呼ん
でいる。
そして、タケちゃんが提供してくれる映画も、お笑いも、テレビ番
組も、エッセイや短編も、とにかく大ファンだ。
ビートたけしと北野武が混在する「たけし」という人は、その全て
が作品で、エンターテイメントなのだろう。

今年、5月17日に、『アウトレイジ』は、第63回カン
ヌ国際映画際コンペティション部門で上映された。
その評価は賛否両論とのことだが、反響は大きく、今年のカンヌの
一番の話題作だった。
北野作品のカンヌ国際映画祭は、『菊次郎の夏』以来。
11年ぶりである。
そして、1989年の初監督作品『その男、凶暴につき』や、
『BROTHER』『座頭市』から数えると、バイオレンス映画は、
まさに7年ぶりのこと。
今回も、さまざまな実験的な要素を含んだこれまでの北野作品か
ら、原点に立ち戻った暴力映画を想像していたが、過去の暴力映画
とはまったくの別ものである。
北野映画の進化を見せつけられた気がした。
映画『アウトレイジ』は、完全無欠の娯楽作である。
しかし、究極の暴力や残酷と背中合わせに、笑いが散りばめられてる。
この笑いは計算だろうか?
監督はインタビューで、こんなことを語っている。
『暴力とお笑いというのはかなり近いものがあって、立場の違いだ
けだから、フェイントを使ってどうするのかとか、それで笑うか笑
わないか。殺し方のシーンをうまく描けるかどうかは、うまく笑わ
せられるどうかに似ている』と。
この映画の登場人物は、みんな悪いやつらばかり。
身勝手で、自分の保身しか考えず、人の顔色をうかがい、その時々
で話をコロコロと変える姿に、思わず呆れてしまう。
しかし、こんな人達を、私たちは確かに何処かで目にしていないだ
ろうか?
手頃なところでは、近頃の政界。
互いに腹の探り合いをしながら、イス取りゲームさながらの争い
は、もうそっくり。
思わず、失笑したり、冷笑してしまう。
笑う自分をサディスティックに感じるのも、この作品の意とすると
ころなのかどうかは解らないが、非常に発散させられる。
政治に対する不満や不服、もやもやした気持ちを、この映画は、見
事に吹き飛ばしてくれるからだ。
『今回は、もう完全に男の、しかもバカな男たちの話で、「ヤクザ
は義理だ、人情だ」と建前を言っていたけど、結局、誰もそんなこ
とを思っていなかった、という男の世界の話』と、監督は言っている。
自分は、この中の誰に近い? なんて観点で見るのもいいし、北野
ファンに限らず、あらゆる人々、特に男性陣、特に政治家の方々に
は、この映画、観た方がいいなんて、お節介な気持ちにもなる。

人間の中に潜む暴力は、中途半端な形の提示より、徹底した物の方
こそ、恐さや痛さがリアルに伝わってくる。
ここまでやると、人は死んでしまうとか、その限度やこわさ、痛さ
をあらためて再確認し、知る意味でも、感情や想像力が欠乏気味の
今の時代には、『アウトレイジ』は、時代にあった映画ともいえよう。
サクッと殺すゲーム感覚の娯楽もいいけれど、今の日本人は、こん
なリアルな痛い映画をみんなが観たほういいと思う。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年8月15日日曜日

連載コラム150 from 台湾

幼い我が子を虐待するニュースが
連日のように報じられている日本。

子供を叩く親は昔の日本にも多く居た。
生徒にビンタする教師も存在した。
しかし、それは「しつけ」であり「教育」であり
「更生」「愛情」がこもっていた。

しかしニュースで報じられる虐待ニュースは
「しつけ」という域を超えており
明らかに親のうさばらし、という印象を受ける。

社会に対する世間に対する苛立ちを
家庭内で一番弱者である子供たちが
ターゲットにされ受けているのである。

精神的に大人になりきれない
感情がコントロールできない
こらえ性がない大人が子供を産んだ結果だと
これまでは見られてきた。

しかし先月末に大阪西区のマンションで
1歳と3歳のきょうだい2人が遺体で発見された
事件は、日本だけでなくここ台湾でも
ニュースとして報じられた。

育児放棄は最悪のケース
子供へ体罰を加える虐待は比較的発見しやすい。

子供の身体に出来たアザや怪我のあとを、
幼稚園/保育園の先生、学校の先生、医師などが
見て「おかしい」と思えるからである。

実際に彼らの通報により子供が保護されることも
多いという。

しかし今回の大阪の事件は幼児虐待の中でも
最も酷いとされるニグレクト、育児放棄であった。

育児放棄をする親の心理は、ズバリ
「子供なんて居なかったこと思う」ことだという。

最初は多少の罪悪感があるのだろうが
慣れてくると「偽りの状況」を本当だと思い込み
よって、周囲も気が付かないことが多いという。

今回もマンションの住民は泣き声を聞いていたが
通報を受けてきた相談センターの職員は
「応答がなかったので室内に入れなかった」と
コメント。

プライバシーに煩い現代の日本にとって
「親が乳幼児の面倒をみなくなったら、
なすすべがない」のである。

育児放棄された子供
人間は犬猫と違い未熟な状態で生まれるため
母親や養育者から四六時中面倒を見てもらわなければ
生きていけない。

排泄一つとっても、きちんと拭いてないと
皮膚が薄い赤ん坊はすぐに赤くかぶれ膿んでしまう。

言葉を話して意思の疎通を図れるようになること、
トイレできちんと排泄し、きちんと拭けるよういなること、
歯を磨き、顔を洗い、手を洗い、うがいをし、
身体を清潔にする大切さを知り自ら進んでお風呂に
入れるようになること、
スプーンやフォーク、お箸を使って食事をとる事。

これは乳飲み子であることからの積み重ねにより
子供の身に付くことである。

子供は手をかけなくてもあっという間に大きくなるといが
養育者の絶え間ない手間がかかっているのである。

育児放棄された子供は精神的に重い障害を受けると
すでに分かっているが、
それも助かってこそのこと。

日本では育児放棄された子供は生きるチャンスは
ないのである。

誰もが生きるチャンスを持つ日本に
付け焼刃である子供手当てをバラまくより
もっと子供たちにとって、何が大切なのか行政は考える
べきである。

大阪の事件の母親は殺人罪に問われることになたそうだが
我が子を虐待した親は極刑を受けるべきである。

そして子供たちをもっと救えるよう警察を連携して
少しでも疑いのあるケースには踏み込んでいくべきである。

日本人ならば、誰もが生きるチャンスを持つ日本に、
チャンスをくれる国を誇りに思う日本にならなければ
日本に対する愛国心など皆無な子供たちに育つだろう。

海外に住む外国人の子供に子供手当てを20億も払うくらいなら
日本に充実した保護施設を建設するべきなのである。

今度もこの手の事件は出てくるだろう。
将来の日本を背負う子供たちを救えるかどうか、
もう一刻の猶予もない。

▼写真は、台湾のディズニーランドと称される六福村でのパクリっぽいショーの様子です













コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム268 from北海道●無駄が豊かさを取り戻す

日本の社会が、透明性やクリーンさをもとめられるようになり、政
治の世界も、その流れに連動して、国民生活の平等性や無駄への排
除が当たり前に掲げられるようになった。
子供の少子化問題や、高齢化社会への対応、地方の困窮や希望を持
てなくなった時代への突入を、どう打開していくか、これといった
明確な答えはいまだ見つかっていない。
希望を持てない社会の根源は、どこにあるのか。
お金や仕事、家族の崩壊、コミニュティの崩壊、あらゆる不安材料
をたぐり寄せても、そこに明確な回答は出てこないし、世の中の暗
いニュースに、蝕まれる社会ばかりを想像してしまう。

国に、政治に、私たちは何かを期待しすぎるのか。
そんなことはないと、言いたいところだが、内心では、そうかもし
れないなんて思う。
一年前の政権交代から、国民の意識は明らかに変わった。
政治に過剰な期待を当たり前に持った。
口だけ政策は、いまや隠しきれないほど、国民を落胆させている。
気持ちの落胆は、いっそうやりきれなさや、悲壮感を生み出してい
るようだ。

安全で、安定した暮らしや全てが保証された生活など、理想郷に過
ぎない。
それを望み、希望を抱いて求めていくべきだと思うが、国にそこを
求めるのは、何かが違うのだろう。
確かに、日本社会は、富と繁栄を手にした時から病みはじめた。
何かを確実に見失い、迷走を続けている。
満たされないのは、心が不満足になったから。
贅沢をしても、おいしい物を食べても、日本人は与えられることに
なれてしまった。
用意周到な生活の中で、新たな何かを得ることは難しい。
頑張らなくても、何でも手に入ることは、人間の中身を育てないからだ。
整って安定した暮らしは、本当は誰もが求めるところなのに、ここ
が人間の難しさなのだろう。

私は、無駄であることが無駄とは思わない人間だ。
世の中も、個々の人生も、無駄がおおいに必要と感じる人間である。
無駄を排除した生き方など、なんの魅力も感じないし、そこから得
る人生は、きっとつまらない。
用意周到な生活より、無駄を愛しく思うのは、そこにわくわく感が
あるからだろう。
それは、どんなことより代え難く思える。
無駄を望み、無駄なことについやせる人生は、なんて贅沢なのか。
それは、日本の国で生きられるからこそという思いにも繋がる。
私は、そのことが、本当に有り難い気持ちだ。
日本の国は、世界と比べても、驚くほど発展を遂げた。
私たちはそのことをおおいに誇りに思うべきだし、自信を持つべきだ。
無駄な人生を味わえない人たちは、世界にごまんといる。
無駄から得られる幸福感を知らぬまま、国の途上で生きる人々は本
当に多い。
でも、彼らには彼らの夢がある。
希望がある。
だからこそ、私たち日本人も、この国に、悲観してばかりいられない。
安全策ばかりに心を奪われないで、次なるステージで、心に幸福感
を育てるべきと思う。
心の充実や幸福は、無駄なことから生まれやすい。
この国が、元気な社会を取り戻す切り札は、きっとそんなところに
埋まっているのではないだろうか。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年8月1日日曜日

連載コラム149 from 台湾

海外に住んでいると現地の人たちが持つ
「日本」そして「日本人」に対する印象を
聞かされることがよくある。

得にアジアやサブコンチネンタルや中東の人々は
びっくりするほど日本の知識を持っており
憧れの気持ちを抱いている人も少なくない。

アジア一親日であるといわれる台湾も
日本関連のニュースは日本寄りに報じることが
多い。

しかしそんな台湾メディアもどう報じてよいのか
明らかに戸惑うニュースが飛び込んできた。

7月20日に日本政府が、
1987年の大韓航空機爆破事件の実行犯、
金賢姫元北朝鮮工作員/死刑囚を来日させた、
そのニュースである。

元死刑囚という人間
20日未明に厳戒態勢の中入国した金賢姫
元北朝鮮工作員。

韓国からは日本政府が手配したチャーター機で
入国するという何から何まで至れりつくせり。

本来ならば日本の偽造パスポートを所持し
日本人になりすましテロの実行犯を日本人だと
見せかけようとした人物なので、
日本国内に一歩足を踏み入れた時点で
逮捕されなければならないはず。

爆弾を飛行機に仕掛けるという任務を遂行した後、
自殺を図ろうとするものの死に切れず
身柄を韓国国家安全企画部に引き渡され
訊問を受けたときもほとんど日本語で通したほど
だったのだ。

もし事件が日本人だと断定されてしまったのなら
日本が受けるダメージは計り知れなかったのである。

そんな人物を「例外」として入国許可することは
決して許されることではないと報じる海外メディアも
あったほどなのだ。

拉致被害者家族も日本政府に心を拉致されている
何千万円も1億円もとも言われる費用をかけ
金賢姫元北朝鮮工作員を来日させた日本政府。

しかし拉致被害者家族は新しい情報を得ることは
出来なかったという。

家族らは「励まされた」「会えてよかった」と繰り返したが
本音ではないだろう。

韓国に行き面会したという意見も多かったのに
わざわざ日本に呼び寄せ、会見を開かせて政府に感謝させ
これは現政権の一大パフォーマンス意外の何ものでもない。

これまでの体験から、家族らは「感謝した」と言わなければ、
政府が今後動いてくれなくなる可能性もあると感じている。

その点では家族らも日本政府に心を拉致されているのだ。

支持率に踊らされ、その場限りの人気取りしかなしない
そんな日本政府を海外メディアは冷ややかな目で見ている。

不可解な国日本
よく日本人は「不可解だ」と言われる。
「イエス」と言っても「ノー」という意味であったり
「ノー」であっても「イエス」という意味であったり。

筆者個人が一番言われることは
「何で日本人は政府に対して怒らない」
ということ。

長年に渡り、必死になって納めた税金を無駄遣いされ
今になって年金が破綻したといい、
子供手当ては全日本人には渡らず、
日本に来たこともない外国籍児童に支払われる。

今回の金賢姫元北朝鮮工作員来日も税金が使われたのだ。
政府に舐められまくりの日本人。そろそろ怒りをあらわにしても
良いのではないだろうか。

▼写真は、梅雨空に広がる台北101です。


















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム267 from北海道●渡辺淳一さん

渡辺淳一さんの講演に行きました。
我が町の地元新聞社主催による講演会です。
会場は、この町の三つ星ホテル(と勝手に私は思っているけれど)
の、大広間で、チケットは、五百円なり。
たったワンコインで、文壇の大御所である渡辺淳一さんのお話が聞
けるのだから、このチャンスを逃す手はないと、私はそんな気持ち
でした。
実は、渡辺淳一さんの小説は、原作そのものより、映画やドラマの
ほうがなじみ深い。
小説は、ご本人が若かりし頃に書かれた作品しかよんでおらず、近
年ベストセラーになった『鈍感力』も、私はいまだ読んでいないけ
れど、テレビや、新聞などのエッセイから感じる人柄は、とても好
印象です。
なんと言っても、あの笑顔はやっぱり素敵なのだ。

会場に入ると、もう入場者はびっしり、満員御礼、大盛況です。
一番後ろの列に、空いている席をなんとか見つけて座ったものの、
よくよく周りを見渡せば、どこもかしこもご年配者ばかり。
なぜに若い層がいないのか・・・、この予想外の情況に、とたんに
へこみました。
私の左となりは、高級クラブのママさんふう。
年のころは、60前後というところか。
ゴージャスな巻き毛の長い茶髪に、入念にほどこされた化粧、くる
んとした長いまつ毛がエクステっぽく、洋服もお持ちになっている
バッグも素晴らしいのですが、細くてヒールの高いパンプスが、印
象的な女性でした。
一応、ていちょうにお断りして、おとなりの席を拝借させてもらっ
たけれど、私が腰を落ち着けたとたん、なにやら、こちらをマジマ
ジと観察してくる。
弱るなぁと思ったが、私の顔によっぽど何かがついていたのか、そ
れとも知り合いの方と間違っているのか、でなければ、もともと無
遠慮でそういう人なのか、いずれにしても、私は少々たじたじでした。
苦笑いしか出てこない。
で、右となりはというと、これまたお年は、左に同じく、女性二人
組の方たち。
しかも、私のすぐとなりの女性さまは、それほど渡辺淳一が好きで
もないのか、どうも友人のつき合いで来られた雰囲気なのです。
講演が始まる前から、足をせわしなく動かし、首をぐるぐると回
し、体も準備運動のようにせわしなくひねって動かして、その度に
私にぶつかってくる。
ちょっと・・と言いたいところだけど、このおばちゃん見た目から
して態度が妙にケンカごしなんですね。
自分から人にぶつかっておいて、非常に強きなのです。
こういう席に座ってしまったのも、こちらに運がないだけで、目的
はあくまでも渡辺淳一さんのお話を聞くことなのだから、まあいい
やと、そんな気持ちでした。

さて、渡辺淳一さんの講演内容はというと、序盤は、いまの日本が
いくら不景気といっても、世界とくらべてごらん、こんな恵まれた
国はないんだよと言った話で始まり、ほとんどの皆さんは、飲み水
といえば、ペットボトルで売っている水を買って飲んでいるけれ
ど、水道の蛇口をひねれば、清潔な水がちゃんと出てきて、それな
のに、水を買って飲んでいる人達が多い国なんて、日本くらいなも
のだ。水道の水を飲みなさい!甘えるんじゃない!(あれ? そこ
まで言わなかったかな?)まぁ、とにかく、現代の日本人の甘えた
精神を一括するようなお話でした。
そこから、話は徐々にとんで、この度の講演テーマである『男と女
の幸せ上手』について、渡辺さんは話されたのですが、ようは、女
は生命力があり、柔軟性があり、年を取っても幸せ上手だと言って
おられた。
その点、男は、まったく話にならない。頭が固く、定年が過ぎてか
らも、会社で偉ぶっていた習慣がとれず、妻を誉めることひとつし
ない。いや、しないではなく、出来ないのですね。そういうこと
に、日本の男性は慣れていないから、どうにも言葉に出しづらい。
「ありがとう」ひとつ言えないのは、悪いことです。もっと、妻に
は低姿勢で、大事にして、老後は男の方が妻に養ってもらっている
のだから、いばってばかりいると嫌われるだけで、悲しい老後を迎
えるだけです。例え、心がなくても、気持ちがなくても、嘘つきで
も、妻を誉めてみる。出来ない人は、まず「ありがとう」と言って
みる。いいですね? 解りましたか? なんて話をしていました。
講演のテーマにそった、かみくだいた内容ではあるものの、老後を
いかに幸せに過ごすか、なんて内容なので、これはあきらかにご年
配者向けの講演です。
そこに、のこのこと乗り込んだのは私なわけで、講演をされた渡辺
さんが悪いわけじゃない。
しかし、でも・・と、まだ自分の老後が先にある私は、ちょっと複
雑な心境でした。
もっと、渡辺流の男と女のエピソードとか、おもしろい話が聞ける
と思い込んでいたから、面食らったというか、撃沈されたのです。
でも、考えようによっては、渡辺さんも会場に集まった皆さまと同
じく、すでにそのようなことを十分に意識する年齢でもあるし、こ
れも仕方がないのかなと思いました。
方々、各地の老人ホームをたくさん視察されたことも、渡辺さんは
話しておられたのですが、大概わきあいあいと楽しそうにしている
のは、女性陣で、おしゃべりに余念がないし、ホームでの生活もそ
れなりに謳歌しようとしているけれど、男の方はといえば、出され
た食事も、ただもくもくと食べるだけ。あれでは死にますねと、
バッサリ切り捨てていた。だいたい、老人ホームに男が足りなさす
ぎる。女性が四人に男が一人の割合。これでは、どうしたって、男
の奪い合いになるでしょう? 男が必要なんです。いるんです、男
が。だから、死んでる場合ではないのだと、そんな話もしていたり。
ヒートアップして、毒を吐きまくる渡辺さんに、講演会場は爆笑の
うずでした。
私の両側ふたりのご婦人たちも、体をゆすって、もう私にぶつかり
まくって、激しくゲラ笑いしちょる。
とっても楽しそうで、大変よろしいのですが、ふと見遣ると男性客
のようすが、どうもおかしい。おかしいというか、ちっとも笑って
いないわけで、よくよく観察すると、顔がマジで怒っている。
それが、あっちもこっちもなので、それに気づいてしまった私は、
どうにも男性たちが気になって、落ちつかなくて、とてもじゃない
けど、女同士、肩を組んで笑いあう気分にはなれませんでした。
それでも、私のおとなりのご婦人たちは、ヒーヒー声を出して笑
い、それでいて、私のこともうかがいながら、目で合図を送ってく
る。ほらほら、こんなにおかしーんだから、無理しないで、笑いな
さいよって、ゲラゲラ笑いながら、私に破顔してるのです。
女性ファンが圧倒的に多い渡辺さんは、やはり女性の身方なんですね。
私なんぞは、ダンディな渡辺さんが、講演の途中から、どうにも綾
小路きみまろに、感じてしまいました。
しかも、きみまろさんより、毒が強すぎて、恐いなぁ、勇気ある
なぁ、なんて、しょうもないことで、感心してばかり。
ちなみに、講演の途中で、退席された方もいらしたが、いずれも男
性の方。
私も普段から毒舌なので、人のことなどいえはしないが、でも、渡
辺淳一さんは、すごいです。
すごいし、歯に衣着せぬ話っぷりは、やっぱり清々しい。
話す言葉に真意があり、ユーモアのセンスは抜群かも。
物書きは、こうなのですね。
後から思えば、少し愉快な気持ちでした。

渡辺淳一さんの最新刊、『幸せ上手』は、講談社から絶賛発売中です。
皆さま、是非に。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年7月16日金曜日

連載コラム148 from 台湾

6月末、アメリカで11人のロシア人が拘束された。
アメリカに合法に在住していたこの11人は、
スパイの容疑で拘束されたのだという。

うち1人がアメリカで人気のSSN、Facebookに
魅惑的な写真を掲載していたことから
たちまち話題に。

アンナ・チャップマンというこの女性は絶世の美女、
というわけではないが、すらっとした身体で
セックスアピールはビンビン。

本物の女スパイ、ここにあり!という雰囲気で
世界中のメディアがこの話題に飛びついたのだった。

映画のような裏取引
大きな話題を振りまいたロシア人スパイたち。
裁判でどのような発言をするのか、
そのような姿で出廷するのか、
注目が集まっていた。

しかし、米司法省は8日、欧米のスパイとしてロシアで
服役していたアメリカ人4人と交換することで
米ロ両国政府が合意したと発表。

スパイたちは裁判所からミニバンに乗せられ
空港へ直行。
スタンドバイしていた飛行機に乗りこみ
ウィーンの空港に飛んだ。

ウィーン空港には、ロシアの飛行機も来て、
双方が拘束したスパイを交換。

それ以上もそれ以下の情報も
伝えられることがなく、事件は幕を閉じた。

うじゃうじゃいるスパイ
今回拘束されたのが発表されたのは
ロシアのスパイであったが、
敵が多いアメリカで活動しているのは
何もロシアのスパイだけではない。

ロシアよりも中東やタリバンのスパイの方が
アメリカは脅威だと思っているだろうし、
その数も想像を超えるほど多いだろう。

水面下で拘束されている量も多いだろう。

FBIやCIAなどエリート軍団が国のために
汗水たらして働いているアメリカ。

しかし、そんなアメリカであっても911の情報を
事前に入手しておきながら
防ぐことができなかったのである。

今、アメリカでどれほど派手なスパイ活動が
行われているのかどうか、
考えただけで恐ろしい。

隙だらけの日本
スケールが大きいアメリカやソ連ならば
スパイも現実的に感じられるだろうが
わが国日本にスパイはいるだろうか。

アメリカの属国のような国であるし、
盗まれるものなど何もないのだから
スパイなどいないだろうと思われる方が多いと思うが
日本にはスパイがうじゃうじゃ居るといわれている。

日本やはりオイシイ国なのである。
政治スパイはもちろん、産業スパイだって
うじゃうじゃ居るのである。

今後、中国のように外国人への観光ビザ条件が
緩和されれば、小細工しなくても観光ビザを取得し
堂々とスパイ活動ができるようになるだろう。

隙だらけの日本の今後が、本当に心配である。



▼写真は、情緒溢れる台湾の一般的な出店市場の様子です。
















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

2010年7月15日木曜日

連載コラム266from北海道●空気人形

是枝裕和監督の作品は、なぜにこうにも切ないのだろう。
カンヌ国際映画際で、主演の柳楽優弥が最優秀男優賞を受賞した
「誰も知らない」も、あまりにも衝撃的な作品だったが、普通の人
が見落としがちな、だけどそこに存在する命は、いまを生き抜くこ
とに懸命な姿をさらけ出した、そんな映画だった。
ショッキングな映画だったが、この社会の片隅で、決してないとは
言い切れない姿だ。
むしろ、確信をもって、あると言い切ったほうが、正解なのだろう。
映画は夢を紡ぎ、大衆にとっての娯楽といいたいところだが、是枝
監督の作品の場合、全く違うのだと思う。
物事を見る目線が、人とは違う。

映画「空気人形」は、主演のベ・ドゥナが本当に美しい。
人形のように、彼女が美しいゆえに、あまりにも切ない映画だ。
この作品は、大人向けのファンタジー映画である。
しかし、ファンタジーでありながら、非常に辛口だ。
空気人形、のぞみ役のベ・ドゥナを取り巻く人々の姿は、今を生き
る私達と重なっていく。
そして、空気人形でありながら、心を持ってしまったのぞみも、そ
の生涯は切ない。
見るもの触れるもの存在する全てに、初めの頃は、たくさんの不思
議を感じながらも、のぞみは成長していく。
心を持ったがゆえに、人間と同じように、喜びや優しさ、誰かを愛
しく思う心を感じてしまうのだ。
「私は、うそをつきました。心を持ったので、うそをつきました」
のぞみの心の声に、どきりとさせられる。
きっとこのセリフは、私達みんなに当てはまる言葉だ。
のぞみを空気人形として作り出した制作者役のオダギリジョーが、
「どうして、自分は心を持ってしまったのか」と、のぞみに聞かれ
るシーンがある。
「それは、僕にも解らない。人間をつくった神さまだって、人間が
心を持つとは思っていなかったかもしれない」それと同じことと、
のぞみに答えるのだ。
制作者役のオダギリジョーのこの言葉は、胸に突き刺さる。
私達人間とは、本当はそんな存在なのだろうかと。
心を持つから人間が切ないのか、人間が切ないのは、心を持ってし
まったからなのか。
そんな人間のありかたを、神さまがのぞんだかどうかまで解らない
なんて、切なくなる。
制作者オダギリジョーが話したことは、まるで風の言葉ようだ。
ゆるやかな気流に乗って、優しく語りかける。
だけど観客を、私達を、原点にまでそっと押し戻す。
そして、そうかもしれないと思わせてしまうのだ。
それでも、のぞみは、うまれてきて良かったと制作者に言うのだ。
自分をうんでくれてありがとうと。
私達人間も、きっと同じこと。
人との出会い、触れるもの見るものに、そして愛に、切ない気持ち
になるけれど、それでも、どんな人でも、生まれてきて良かった。
切なくても、やっぱり生まれてきて良かったのだ。
是枝監督が映画を介して、そっと私達に投げかけている言葉は、と
ても切ないけれど、心に染みてくる。

最近の映画作品の傾向に、疑問を投げかける声もある。
ドキュメンタリーは映画ではないと、正面からばっさり切り捨てる
人もいるが、私はこれも時代の流れなのではないかと思う。
むしろ、そのような作品が生まれて当然だし、あるべき姿なのだろ
うと感じる。
是枝監督のこれまでの作品「誰も知らない」も「歩いても 歩いて
も」も、ドキュメンタリータッチのような作品である。
これまで輩出されてきた記憶に残る日本映画路線とは、全く違うものだ。
派手さを一切切り落とした、むしろ非常に地味な作品だ。
だけど、私達の社会の片隅で、それはきっと存在するだろうと思え
る姿だ。
そういうことを、否応なしに想像させられる。
まるで、道端の片隅で、アスファルトの小さな裂け目から、必死に
芽を出し、咲いているぺんぺん草や、タンポポのようにも思えてくる。
本来なら、映画の題材としても地味すぎてあつかわれないような存
在である。
でも、是枝監督の作品は、そんな彼らにスポットをあて、静かに寄
り添っているかのようだ。
だから、たまらなくなるほど悲しくて、切なくなるのだろう。
派手さはない。
だけれども、映画を通して、静かに、問いかけられているような気
がする。
そして、その問いかけも、映画を通して私達に投げかけるだけで、
裁いたり、結論を出したりはしない。
それは、映画や小説のあるべき姿なのかもしれない。
決して裁かず、社会を切り取り、提示するだけ。
だからこそ、一度見ただけで、忘れられないほど、切なさがあふれ
てくるのだ。
是枝監督の映画に、これからも期待したい。
時間に追われ、前しか向かずに生きている私達に、監督の優しい目
線で、ふと立ち止まらせてほしい。
優しく肩をたたかれ、足下に咲く名もなき花にも気づけるような、
空や雲、まわりの景色を見渡せるような、そんな是枝監督の作品
に、また出会えたらと思う。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年7月1日木曜日

連載コラム159 from 東京

サッカーがデンマークに勝ったけど、やっぱりプロは、格好いいと思うね。実際、多摩川グランドなんかで、プロのユニフォームと似たようなユニフォームを着た人たちが、野球をやってて、遠くから見ても、プロじゃないってわかるからね。その人たちは、ただ、集まって
体操とかをやってるというだけなんだけど、なんか違うんだね。頭がでかかったり、足が短かったりして、遠くから見てもわかる。

あの日は、目を赤くしながら出社した人も多かったろうけど、結膜炎には、CRAVITがいい・・

オランダと日本が戦った試合は見たけど、あまり実力の差を感じないというか、あれも、たまたま負けちゃったというような試合だったね。まあ、シロウトなりに思うのは、差があるとすれば、攻めというか、シュート力の違いなんだろうね。

やっぱり、プロだから、野球でいうど真ん中にくれば、ホームランを打つけど、世界でフォワードのすごいといわれる選手は、ホームランを打てるゾーンが広いというか、動いてる球をマジシャンのように操るというのかな。松坂のスライダーでも、ホームランを打てるような選手がいるんだろうね。その違いが、さんまと江頭くらい大きいくはないんだろうけど、まあ、どちらもまじめな話ができないという点では、同類とも言える(笑)

そういうのは、僕は、アマチュアだからわかる。気を使っていう必要がないからね。プロは、わかんないと思うよ。江本が、二流だったからといって、解説もつまらないかどうかは、わからないのと同じでね。野村さんも、あのオーラのある男が、ほしいとか思ったらしいね。また国民新党からでるっていうのも、面白いね。あの人も、変わった人が、好きだから・・

中畑さんも、監督はもうあきらめたのかな・・こういうのも、運というか、なにが幸運だか、不運だか、わかんないね。監督になれたら、政治家への誘いもなかったわけだから。

清原も、オリックスあたりねらってたろうけど、岡田監督が予想外で面食らってるというか、あとは、東武、巨人となると、やっぱり、東武かな(笑)まあ、桑田と清原の監督対決なんて見たい人も、けっこういるだろうね。菊池も、めっきり、噂を聞かなくなったけど・・。

そういう意味では、選手時代に、あちこちトレード出されるのも、悪くないようですね。いろんなチームで監督できる可能性が、それだけ広がるわけだから。岡田監督も、阪神やめて、すぐオリックスに復活した。

サッカーの守備とかは、やっぱり、細かいものを要求されるというか、アマチュア解説者からみて日本人に向いてる感じがするね。守備は、世界でも随一なんじゃないか?くわしいことは、わかんないけど。ちっこい久保田利伸みたいな選手が、大型の選手に、こばんざめみたいにからみついて、かわいかったね。

キーパーの川島さんも、アジアのキーパーが世界に通用することを見せたいとかいってた。カメルーンとか、守備は荒いというか、ああいうのをみても、なかざわなんかも、いいと思うね。

そういうのでは、やっぱり、野球もサッカーも似てるね。キューバと日本がやったときみたいな違いを感じたね。カメルーンみたいなのは、調子に乗らせたら、手がつけらんないのかもしれないけどね。ただ、野球はホームラン一本も打たなくても勝てるけど、サッカーは、相手よりホームラン打たないことには、どうしようもないからね。

オシムも、脳梗塞で倒れたとは思えないね。あの復活ぶりには、驚いたね。頭脳の明晰ぶりも、健在だし。だけど、こういうきわどい試合ばかりやられると、また危ないんじゃないか(笑)そういう意味でサッカーは、野球みたいに大勝とか、安心できる状況がないねえ。

岡田監督も、これを最後に農業へなんて、裏のコメントがちらちらでてたけど、勝てば官軍というか、顔色がぜんぜん、変わっちゃうもんな。

ラモスは、キリス○の役ができるんじゃないか・・。

サッカーは、格闘技的なところも少なくないというか、野人的というか、けんかみたいにして、相手を押さえ込んで顔がくしゃくしゃになったりしてる。

ちょっと審判がよそ見してる間に、どっかで相手の顔をわしずかみにしたり、髪の毛引っ張ったりしても、わかんないからね。あの広いグランドで、あちこち見てるのも大変だね。相撲でも髪の毛引っ張ったら反則だからね。まわしが落ちて、股間が見えても、負けらしい。

そういう意味で、サッカーの審判ほど、大変なスポーツはあるのかな・・広いグランドを一緒に動き回るわけだし。

股間をまちがって、けってしまうという話は聞かないけど、わざとじゃなくても、ありそうだけどね。チンカップとかつけてんのかな。世界のトッププレイヤーに蹴り上げられたら、つぶれちゃうと思うね。キック力は、格闘家と比べて、どうなんだろう。

イエローカードとか出されるみたいだけど、あれをみて判断する審判も大変というか、実際、テレビでみててすら、手でなんかやってるとか、わざと足を引っ掛けてるようにみえたり、判断つかない。川島だって、なんでもない球を後逸したように見えるけど、あの球のスピードは、相当なもんだね。

まあ、相撲も、いろいろ膿がでてきたというか、やっぱり伝統というか、ずっと、これまで表に出なかったのが不思議だけど、隠してたわけじゃないだろうけどね。まあ、ボクシングとか、ああいうのも暴力団とのつながりがどうとか、噂だけは昔からあった。それが、ここへきて、いろいろ、噴出してきたんだな。

悪から学ぶ人間学というかな。そういうのもあると思うけどね。野村さんも、日本の野球の方が、アメリカよりも、人間学で優れてるといってるけど、やっぱり、いろいろ経験しないと、映画見てもわかんない。

アメリカ映画とか、けっこう、学ばせてもらったね。ああ、いまの自分の状況は、あの映画のあの状況なのかなとかって、そのつど、教えてもらったというか(笑)

おいおい、○の人生こんなのかよとか、いじわるなラストだなあ、なんて思ったら、15年前の映画だったり(笑)

しゃるういだんすなんか、よかったけどね。画面に終始ただよってるにおいが・・周防監督も、仕事しなくなっちゃった(笑)二度以上見る映画って、そんなにないけど、あれは見ましたね。タクシードライバーとか、ニューシネマパラとか、トレーニングデイとか、ゴッドファーザーとか・・意外と黒澤映画は、二回見ないですね。

大栗さんにも、男性的な映画、男だからわかる映画、作ってほしいですね・・

たとえば、日本で現実にあったけど、前に、おまわりさんが、少年か、青年か忘れたけど、荒くバイクをのりまわしてる若者に注意した。それで、若者が、あとで、銃で脅されたとかいって問題になったんだけど、そのおまわりさんは、町でも人気者だったらしくて、あの刑事がそんなことするはずないとか、許してあげてという声がひっきりなしにあった。

あの真相はわからないけど、そういう類の機微も、デニーロのでてた映画で描かれてた。消防員か誰かが、悪さをした男を木に紐でくくりつけておいたんだけど、それをあとで、悪党がマスコミにいって、悪者扱いされる。

暴力というか、程度の問題と思うけど。やっぱり、なにもかも同じ「暴力イコール悪」とかでひとくくりにしてしまうと、なにかの感覚が抜け落ちてくるような気が僕はするけどね。そういうのがあるから、わかりあえるものがあるというか。

尾崎行雄という政治家が、イギリスに留学してて、川遊びにでかけて、おとなしそうな老いた船頭の船に乗ろうとしたら、横から若い船頭が、横取りしようとして、尾崎の手をつかんだらしい。それで、老船頭が卑怯者とかいって、若者も頭にきて、けんかがはじまったらしいんだけど、老船頭が勝ったらしい。

それで、若い男の血だらけの顔を洗ってやってから、「卑怯者の最後はあんなものですわ」といって、なにごともなかったように尾崎を乗せて景色を説明しだした。それで、これこそ、ジェントルマンだと尾崎は思ったらしい。

出張バイトで出会った男が、映画館で男に股間をさわられた話を思い出した。その男が、股間を触った男をひっぱって、映画館のおばちゃんに、相談したら、「今日は、わたしの顔にめんじて許してやっておくんなさい」なんていったらしいんだが、直感で、作ってると思った。

まあ、ワールドカップで盛り上がってるところで、通りすがりの人間が、ごたごたいうのもなんでしょう(笑)



コラムニスト●
…………………………………………………………………
森田益郎

連載コラム147 from 台湾

日本を代表する企業が、
「最低2ヶ国語を話し、なおかつ専門知識を持つ」
ことを採用条件にあげているという。

国内だけでなく海外に進出している企業は
即戦力を期待し、上の条件をあげているのだという。

その結果日本人ではなく外国人を採用するケースが
増加。

日本人の就職難に拍車をかけている。

舞台はアジアへ
今、話題になっている進んで外国人を採用している
企業は楽天、ローソン、ユニクロ。

全てアジアに進出し、それなりの知名度・業績を
あげている企業である。

日本国内ではこれ以上伸びないという危機感から
彼らがアジアに進出したのは大成功であったといえよう。

反日が多いとされているアジアの地区でも
日本のものはまだまだもてはやされるため、
楽天、ローソン、ユニクロは大ヒット。

ローソンは日本のクオリティーの高いスイーツや
地元にはないドリンク類などを販売。
コンビニの中でも「比較的おしゃれ」な立ち居地にあり
人気を集めている。

ユニクロは香港オープニング時には長蛇の列ができ
大評判となった。

楽天も日本のものが安く買えると評判。
日本のシステムそのものも持て果たされている。

格差はますます拡大
「最低2ヶ国語を話し、なおかつ専門知識を持つ」
ことを条件にしている企業は、何も大企業だけでない。

中小企業などでも一番に欲しい人材は
ずばり、即戦力となる人間だろう。

仕事で使えるレベルの2ヶ国語を習得するには、
やはりそれなりの教育を受けてないと難しい。

ネイティブ・レベルとなると、高額な学費を支払い
インタースクールなどに通った者でないと無理だろう。

もしくは海外留学を経験したもの、そして帰国子女。

スタート地点の差は、最期まで縮むことはないと
宣言されているようなものではないだろうか。

もちろん努力次第で何ヶ国語も話せるようになり
高学歴を身につけられる人間もいるだろうが、
家庭が貧しく、今すぐ働き手が必要、高卒で働いて、
という家もまだまだ多いが現状なのである。

バイリンガル信仰の盲点
日本はネイティブ並みの外国語を話すバイリンガルを
信仰するような傾向にある。

話している中身よりも発音がよいことを評価されたり、
発音に自信がないと発言できなくなったり。

楽天では社内で英語を共通語としているらしいが
これは危険な盲点であるといえよう。

本当に能力のある人間の意見が出てこれない可能性を
生んでいるからである。

確かに英語や外国語が出来るにこしたことはない。
しかし、それだけに囚われていると危険である。

外国人留学生が日本企業に就職することも
日本の発展には必要であることは確かだが、
このままでは多くの日本人にチャンスが与えられなくなる。

日本の迷走に拍車がかかっていると
思わずにいられない。



▼写真は、連日夕方になると大雨に見舞われる台北市内の様子です。















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム265from北海道●江原啓之さん

私が江原啓之さん知ったのは、佐藤愛子さんの「私の遺言」という
本がきっかけです。
この本は「新潮45」に2001年3月から2002年6月まで連
載された作品を、のちに単行本化したものですが、確か私の場合、
本が発売されて直ぐの時期に取り寄せで購入しました。
「私の遺言」は、その前に長編小説として刊行された「血脈」の続
編でもあり別冊だと私は勝手に思っています。
「血脈」を読まれた方ならおわかりだと思いますが、この本はまれ
にみる上等な小説です。
「血脈」が菊池寛賞を受賞されたことも、本当に喜ばしい限りでし
たが、私自身の個人的な観点から述べると、この「血脈」より優れ
た小説を私は知りません。
佐藤愛子さんが、10年という月日をこの小説に費やし、心血を注
いだ、血と汗の結晶なだけに、その迫力と感動は凄まじいものがあ
るからです。
私は、佐藤愛子さんの兄にあたる故サトウハチローさんが大好きでした。
彼がこの世の遺産として残した詩や歌は、とても琴線に触れてくる
ものがあるし、私の場合、子供の頃に、たまたま父からサトウハチ
ローの詩集を貰ったため、よくその詩集を読んでいたこともあり、
そういうことも含めて、私にとっての佐藤家の人々はとても親しみ
が湧く存在なのです。
言うなれば、映画「男はつらいよ」の寅さん一家、そんな感じなの
ですが、ただのいちファン、いち読者である私がぬけぬけと言って
いるわけですから、佐藤愛子さんが知ったら酷く憤慨してしまうか
もしれません。
佐藤愛子さんの「血脈」を読んだ時に、その素晴らしい情景描写か
ら、作品の全てが上等な映画を見ているかのようでした。
さて、佐藤愛子さんいう方は、元来心霊現象なんて全く信じない人
でもありました。
ですが、「私の遺言」では、その考えが180度逆転しているのです。
北海道の浦河町の山の上に別荘を建ててから、立て続けに心霊現象
に見舞われ、そこで、ある方を通じて、江原啓之さんと美輪明宏さ
んを紹介して貰うことになり、この時は、まだ江原さんと美輪さん
はお互い面識すらなかったので、佐藤愛子さんを通して、お二人は
親しくなったのだと思います。
ご本人達もメディアを通じて何度かそのことに触れています。
佐藤愛子さんの「私の遺言」が刊行された時に、民放の深夜の時間
帯に(北海道はそうでしたが)「えぐら開運堂」なる番組が放送さ
れていました。
これについては、本と番組、どちらが先か解りませんが、まだ江原
さんもテレビに登場したばかりで、しかも深夜わくの時間帯でも
あったし、江原さんとネプチューンの名倉潤さんと局アナの女性と
3人が番組を進行し、ゲストは、毎回一般人という設定だったわけです。
悩みを番組で打ち明けて、江原さんに霊視して貰うというスタイル
でした。
私の場合、佐藤愛子さんの「私の遺言」を読んでいたこともあり、
江原さんについても、抵抗なくすんなりと受け入れることが出来ま
したが、私の友人は酷く疑わしい番組だと避難していたのを覚えて
います。
実際、あの番組だけでは、江原さんが本物かどうかまで視聴者には
伝わりにくいものがありました。
あまり興味のない人にとっては、細木数子氏と江原さんは同系と
思ってしまうし、じっさい書店などで、この方たちの本が並んでい
るのを見掛けても、占い扱いで、コンビかセットのような陳列です。
それでも、私が知る限りでは、江原啓之さんという人は本物です。
それは、テレビ番組「オーラの泉」でも、たびたび証明されていた
ように、そういう力が江原さんにはあるのだと思います。
江原さんの著書を読んでも、そのことは実感できますし、江原さん
の公演に行けば、尚そのことを実感できます。
江原さんの生歌に、自分の意志と無関係に涙が止まらなかったり、
公演を聴いた後も、これ以上ないほど元気になってしまったことに
は、いま思い出しても不思議な体験でした。
今では、すっかり有名人になってしまいましたが、昔は江原さんの
サポーターズクラブに入会していれば、公演チケットの購入もそれ
なりに簡単で、公演時には必ず江原さんを囲んで簡単なオフ会まで
あったので、
少し家庭的なあったかい雰囲気だったことを覚えています。
オフ会は、それぞれの自己紹介に続き、江原さんとの握手や個人こ
じんの撮影会は、僅かな会話を交わす時間まであって、ほのぼのし
ていたからです。
江原さんのここ最近の著書は私が読んでいないのでここでは紹介で
きませんが、私のオススメ本は、「人はなぜ生まれ いかに生きる
か」と「苦難の乗り越え方」です。
どちらも、とても良い本です。
心に迷いや、苦しみを抱えている時に、ぜひ手に取って欲しい、そ
んな本です。
この本から学ぶことはいろいろですが、やはり読むだけでなく個々
の実践が大切なのだと思います。
江原さんのファンとして、サポーターとしてずっと応援していく人
たちも多いと思いますが、私個人はいまはこちらも退会しています。
その理由は学びも卒業が必要と感じたからです。
人生は、結局のところ、自分で決めて選択していくしかありません。
江原さんがいくら本物でも、ずっとそこに留まり、しがみついては
いけないと思うのです。
テレビ番組「オーラの泉」が終了してから、あまりメディアでは見
掛けなくなったものの、開運スポット、パワーフード紹介番組ばか
りに登場している江原さんをたまに見掛けると、私は少し複雑な気
持ちです。
ネットでも中傷が公開されているように、江原さんについては賛否
両論ですが、霊感商法の根源などという意見に関しても、非常に理
解に苦しみます。
洗脳や霊感商法とは明らかに違うものだし、彼の公演や著書、個人
を通して、正確に検証してほしいものです。
それでなくともスピリチュアルカウンセラーという職業は、私が想
像する以上に難しくて困難きわまりない仕事だと思うのです。
たくさんの人達にすがられて、それでいて、気をつけていないと世
の中に足下をすくわれやすく、本人の知らないところでも名前を勝
手に利用されたりするのだから、まったく大変です。
人間はずるい生き物です。
江原さんの公演会場でも、今にもすがりついて離さないような人を
見掛けました。
それはとても悲しいことのように私は感じます。
どんなことでもそうですが、けっきょく自分の人生は自分で決めて
いくしかないのだと意識改革が出来れば、見方も考え方も変わって
いくと思うのですが、でも、世の中には自分で選ぶことも、決断す
ることも出来ない人たちが沢山いるのではないでしょうか?
それでも、たまにテレビに登場する江原さんは、とても愛敬があり
元気いっぱいです。
パワースポット巡りは、ちょっと・・という気持ちでも、私は元気
な江原さんに嬉しい気持ちになります。
実際、パワースポットに関しても、番組上視聴率を稼がなければな
らないのだとしたら、それもまた致し方ないことなのかもしれません。
それでも、御利益とかスポットばかりにすがりたがる風調は、大事
なことを確実に見逃しているように感じてしまいます。
伝統や遺産、文化や自然を重んじる心は大切でも、御利益や願掛け
ばかりに忙しいのはやはりよくありません。
ましてや、パワースポットなる場所に連日長蛇の列をつくって並ん
でいる姿も、非常にまずいことではないでしょうか?
パワーは、自身の努力と経験でつくられていくものです。
一瞬にして、与えてもらうものではないのです。
だから、日々を大切にして人生を積み重ねていくしか方法はないの
でしょう。
なにか心に迷いや苦しみを抱えている方は、江原さんの本をぜひ手
にとって頂けたらと思います。

コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年6月15日火曜日

連載コラム158 from 東京

どうも、休んだほうがいいようなムードになってるようですね(笑)こっちも、嫌がらせをしようとか、意地になってでも書いてやろうとかいう気持ちはない。

ある政党のお二方のうちのひとりの政治的なセンスに関しては、僕はわからないけど、僕は政治オンチだから。

ただ、窮地においつめられてから、裏からもれ伝わってくる感覚が、勝手に自分と似てたというか、バイオリズム的な落ち方も似てたような感じで、妙に親近感がわいてしまった(笑)

だから、その人がたたかれてるのをみて、なんか自分がたたかれてる気になってしまったというか。影武者の仲代さんみたいに、感情移入しちゃって。それで、二人が最後に握手してるのをみて、なんだかジーンときてしまった。大沢さんも、公の場であんな顔するんだと思って・・

あの方も、たしかにあの人が組織の先頭に立って君臨してると怖いというか、そういうのもわかるけど、かといって、いなくなったら、一気にうすいアメリカンコーヒーになっちゃうようで、なんだかさびしい気もする。外側でみてるから、気安くいえることだけど。

まあ、客観的に見て、大沢さんも、やりにくそうにしてるというか(笑)僕は正直、大沢さんのファンまではいかないけど、好きだからね。ラブではないけど、かもしだす雰囲気がいいというか・・まあ、むこうはいやがってるだろう。仮に、いやがられるだけでも、意識してもらえてるということだから・・

綾さんと、いい関係のようだし・・・

知ってるだろうけど、これやめるのはかまわないと、ずっと思ってたわけ。2、3年くらい、だらだら書いてたというか・・。ただ、書くこと自体、どんどん抵抗なくなって、すらすら書けるようになったのも事実。だから、二週間に一度、特別な飯を食うみたいに、すっぽりこの奇妙なポジションにおさまって書いてきたというか・・

15年位前に、ネットで表現できるようになる前は、本を出版社から出したりするしか、頭の中を表現して、ある程度の人数の人たちに知ってもらう手段がなかった。

それが、幸か不幸か、ネットというものができてくれて、そういうことが可能になってしまった。表現したくなった時期と同じころにネットが生まれた。

言葉で、言ってるだけじゃしょうがないという人も、いるだろうけど、僕は、いまでも言葉で、ある程度、偏見をこわしたり、人の意識を変えることもできると信じてる。司馬さんや小島直樹さんの本なんかを読んで、昔の人が、どういう動機で新聞社を立ち上げたとかをみて、世界を変えるジャーナリスト精神というようなものがあるんだなと。読みながら、なにかゾクゾクしたというか、これだ、これって思ったね。感情的な悪口とは違う批判精神というものに、ぐらぐらきたというか。

あるいは、コリンウィルソンが、500年前に印刷機ができてから活字文化の歴史が、人間の意識にどういう影響を与えてきたか教えてくれた。そういう目でみると、ネットができた現代も、まだまだ面白いことが、できそうな気もする。

ただ、こういう形で書き始めてから、しばらくたって、そういう目的意識も、まどろっこしいと思い始めたというか。ほんと、江川昭子さんじゃないけど、なりゆきまかせというかな・・。

これまでの体験や見聞、読んだ本、瞑想というようなものが、いいように溶け合って、こういうものを吐き出させるようになったというか。僕は、こういう類のアウトサイダーカイコで、こういう糸をはくのが自然なんだって思うようになった。アウトサイダーという言葉自体、死後になりつつあるけど。

FM聞いてたら、ブックディレクターのどなたかが、バスケットで、軸足の本に関しては動かさないで、もう一方の足は、回転しながら動いていろいろやってるといってたけど、僕も、そういう感じで、軸足が固まったのは大きいと、僕は思ってる。これやりはじめた当初は、ほかのことに精力をついやしながら、これを書き続ける自信がなかったけど、いまでは、仮に、ろくに本も読まずに片手間にやっても、ぶれない糸を吐き出せるようになったというか。

だから、別に、こういう糸を吐く機会が、そのあたりで人と話してるときでもかまわないし、場所や機会は関係ないというか、実際、そのへんで話してるのと同じような軽い感覚で書いてきた。

ただ、実際は、そのあたりで精神世界的な会話をしたとしても、かえってそういう世界の方がマニアックな枝わかれが細かくて、ずれがあったり、そういう類の話をする人は、冗談がいえなかったり、逆に、冗談ばっかりの世界では、まじめな話ができなかったりというように、ここで書くのが一番、自然だなとも思い始めた。もっとも、完全にいいたいことをいったというわけではないけど。

こういう風に、自然に近い本音は、出版社から本を出すということでは、なかなか、かなわないだろうし、そういう意味で、ネットというのは、お金うんぬんを考えなければ、いい大人の遊びのツールになるんじゃないかな。翻訳までやってくれるわけだから、考えたら、すごいツールだと思う。

それも、こういう方々が読んでるかもなという意識があったから、抑制がきいてよかったのかなとも思う。いい練習させていただいたというか。なんのための練習だという人もいるだろうけど。こんなこというから、ひんしゅく買うんだろうね(笑)わるふざけに、つきあってくれた方には、お礼をいいたい。

僕の頭の中に入ってる方々が、実際に読んでるかどうかはともかくとして、読んでるかも・・という意識のこびりつきが、過激さを抑えてくれたというか。これでも、過激と思う人もいるだろうけど、ああいう人たちもよんでるのかな、っていう意識がなかったら、もっと、おどろおどろしいものになってたと思う。

はじめは、そういうのがうれしい反面、逆にわずらわしく思えたり、重さみたいなのもあったけど、どんどん、いい意識におさまってきたというか、だから、ご迷惑をかけた面もあるかもしれないけど、自己満足だけでなく、けっこう楽しんでいただけたと信じてる。

まあ、いまでも市井の人とか、藍ちゃんみたいに面白がって読んでくれてる人もいるだろうけど、大沢さんが好きだから・・。

うんざりしてまでして読まなきゃならないようなものにしてしまったのも、結果として、まずかったけど(笑)

世界で有名になりたいとか、有名監督、作家になりたいとかいう意識は、一切ない。弱虫とか、やる気ないとか、怒られるかもしれないけど、こればかりはどうしようもない。大体、世界でも負けるに決まってる。そもそも勝ち負けの問題じゃないと思うけど、勝手にムードをつくられただけという。

ただ、僕は、人間の心理とか、人生とか、活字の魔法とか、そういうことに興味があるというだけで・・いまでは、そういうものも、そんなにこだわらなくなったけど。地味なポジションで、なにか活字を書いて、それなりに食えればいいなとは思いましたけどね。平凡な生活から幸せを得たいという思いが強い・・

あとは、組織にしばられてという言い方は、つたないけど、もう少し、稼ぐために費やす時間を減らして、ある人は、家族とすごす時間を延ばしたり、ある人は、趣味や、本来やりたいことに使うとか、そういうことができる社会にならないかとは、思いましたけどね。

松下幸之助さんが、週休二日制というものを編み出したらしいけど、週休三日とかいう会社が出てきてもいいんじゃないかとか・・その分、仕事を分け合うというか。そうしないと、いすが少なくなったところで、働く目的がわからなくなってきてるというかな。あるいは、週休五日にしても、毎日10時間、12時間働かないと怠け者の烙印を押されるような社会が、いいものなのかとか・・

もちろん、人それぞれ、いろいろ目標があっていいと思うけど、もっと価値観がいろいろあっていいというか。趣味を仕事にできればいいけど、そういうことができない人もいるわけだから・・

あとは、霊性とか、宗教の解釈とか、そっちの方面について、僕なりに思うことをほとんど書けなかった。また、いろいろな現象を非科学的な怪奇現象と、とらえることにも興味があって、それなりに学んで、いろいろ観察しながら思うこともあった。

負間がいうのも変だけど、勝間さんみたいな考え方の人がいても、当然いいと思う。でも、みんなが勝間さんみたいな考え方になったら、それはおかしいし、そうなるはずはない。それと同じで、僕は、こういう糸をはくカイコだったというだけで、こういう考え方、生き方を、全員にやってくださいなどというつもりは、毛頭ないし、そうなるはずもない。あまり、こういう感覚の人間が増えすぎるのも、どうかと思う。

それと、いろいろな現象を、勝間さんが、ほんとうに引き起こしてるのか、客観的に見てみたいというのもあるね(笑)むしろ、そっちのほうに、関心がある。そんなことはないと思いますけどね・・。

というわけで、次回、もう一回だけ書いて、休みますよ。次回はそのほうがキリがいいということだけで、おまけにすぎないけど。

ただ、このまま、ずっとなにも書かないということは、どう考えてもありえない。申し訳ないけど。いい機会だから、自分で、しばらく、なにも書かないとどうなるか、自分を見たいというのもあるね。

外の様子をうかがいながら、あわせて内面の感覚や、サインで決めるけど。ほんと、いい加減だからねえ。黒田さんも、また書きたくなったら、戻ってきていいと言ってくださるし。ただ、少なくとも、二、三ヶ月は休みたい。菅垣さんの足も、引っ張りたくないしね。

もしかして、内容やペンネームは、変わるかもしれないけど。数十人、数百人規模の超マニアックな世界で書いてるほうがいいかもしれないし。ほんとに、心の底から僕の絹糸になじんでくれて、一緒に精神的、文化的に、向上していけるようなものをとも考えてる。その場合、もちろん、有名人の固有名詞は、一切使わず、あたかも、自分が語ったように見せかけながら書きますよ。これは、もちろん、冗談だけど(笑)

本田君も、がんばれ!


コラムニスト●
…………………………………………………………………
森田益郎

連載コラム146 from 台湾

6月2日。

これ以上、自民党には任せておけない、
民主党が、私が日本を変えると胸を張っていた
鳩山首相が辞任することを表明した。

日本を大きく変えると様々なマニフェストを掲げ
鳩山政権が発足したのは昨年9月のこと。

政権が民主党に交代しても
やはり長続きはしなかったのである。

国民のせいなのか
鳩山首相は、辞任表明会見の場で
辞任を決意した点を2つ挙げた。

米軍普天間飛行場移設問題と
「政治とカネ」の問題である。

得に米軍普天間飛行場移設問題に関しては
自分としては最大限頑張ったのに
理解が得られなかったことを強調。

まるで国民が長い目で物事を見られないと、
非難するような印象も受けるほどだった。

確かに日本国民の忍耐力は年々弱くなっている。
しかし、それはこれまで政治家たちに裏切られ
腹黒いことばかりされてきたからである。

必要ない地方空港、高速、モニュメント。
私たちにそんな不必要なものに税金を使われて
「足りない」「まだ足りない」と言われ続けて
いたのである。

埃の出ない政治家はいない
選挙のときだけ国民に対して必死にペコペコして
当選したら利権を乱用しやりたい放題。

そんなことを黙認してきたためか
「政治家=汚いもの」
という図式が日本でも出来上がってしまった。

もはや埃の出ない政治家など一人もいないのである。

この点ばかりを叩き続けていったら
どの政党も長続きしないだろう。

大事なのは今後のことである。
政治家の利権を最小限に抑え、
税金の無駄遣いを一切止めさせ、
甘い汁を吸い続けてきた公務員の給料や特権を減らす。

その代わり過去は振り向かないという気持ちを
政治家も国民も持たないと
前には進めないだろう。

短命政権が続きすぎて国際的信用度が下がりっぱなし
今回、鳩山政権が幕を閉じ、
菅政権にバトンタッチしたわけだが、
CNNもBBCも台湾のニュース番組も
それほど大々的に伝えたわけではなかった。

もちろん主要ニュース項目の中に入っているのだが、
特集が組まれるわけでもなく、
鳩山政権が何をやってきたのか評価するわけでもなく。

辞任した理由でもある米軍普天間飛行場移設問題と
母親からの「お小遣い」の話ばかり引き合いに
していたような報道であった。

そして、日本の政権がいかに長続きしないかを
街頭インタビューを交えて紹介。

日本人に希望はない、日は沈んでいくのである、
とまで伝えた局もあったのである。

どの国の政治化も人間である。
国際会議で何度も顔を合わせ
食事会などを通してお互いを理解しあい
信頼を深めるものなのである。

それには最低でも数年はかかる。
1年経たずに首相が変わりまくる日本は
信頼を得にくくなり
国際的に重要なことを決めるとき
仲間はずれにされてしまうのである。

政治家も国民も大変だと思うが
日本のためにも今度の政権には最低でも2年は
頑張ってもらいたい。


▼写真は、雰囲気のある台湾の図書館です。













コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム264 from 北海道●この国のペットブームに思うこと

つい二ヶ月ほど前、動物火葬場に犬が捨てられる出来事が起きた。
犬はどこかで飼われていたらしく、こともあろうに火葬場の焼却炉
の中に捨てられていた。
これは、我が自治体の話だが、こういう話には私でなくとも嫌な気
持ちにさせられるものだ。
市の環境衛生部の職員が、犬の第一発見者だった。
二匹の白い犬は、保護された後も酷く怯えていたという。
焼却炉の中に生きた犬を捨ててしまう飼い主とは、いったいどんな
人なのか?
このニュースはいち早く地元新聞で報道されたことによって、犬を
引き取りたい人がすぐに現れた。
焼却炉に捨てられた犬たちから、真っ先に思い浮かべてしまうの
は、埼玉県のペット葬儀業者が飼い主から預かったペットの死体を
火葬せずに山林に不法投棄していた事件である。
世の中のブームに、ペット葬儀なるものが現れても不思議ではない
が、日本ではこの手の社会的ルールがまだ整っていない。
付け加えれば、ペットを持つ飼い主に対しても同じこと。
自由にペットを持つ、そのこと事態決して悪いことではないが、動
物の命も流行の如く軽く扱う風潮に、私は憤りを感じてしまう。
それは、この国が先進国である恥ずかしさもあるからだ。
ペットを簡単に購入して、簡単に捨てる。
そこからは、命をいたわる心とか、愛情なんて感じられない。
捨てられたペットたちは、各自治体の保健所で殺処分させられる。
その数の多さに、数字で表すだけでもおぞましい限りだ。

そのこととは対象的に、デパートのペットショップでは、いつも人
で溢れている。
家族連れにカップル。
訪れた人々はみな、小さなボックスに入れられた可愛らしい子犬や
子猫たちに目を輝かせている。
値段はどれも高級だ。
なんとか血統証付きで、ウン万円からウン十万円が相場らしい。
高級な値段の犬猫たちが、商品として人々に飼われることを懸念す
るわけではなく、一方では捨てられた犬猫の殺処分を繰り返しなが
ら、ペットショップでは当たり前のように売買されていることに、
この社会の歪みを感じてしまうのだろう。

殺処分を免れた犬猫たちは、個人やどこかのNPO法人が引き取
り、保護を受けて生きながらえる物もいるが、でもそれは、全体の
数から言えばほんの一握りに過ぎない。
そして、これらの人々に紛れて、一部の心ない人達が、里親の会か
らもらい受けた犬猫を放置し、餓死、または餓死寸前までさせる出
来事は未だに耐えない。

ドイツでは、動物の殺処分はない。
ドイツの繁殖家は、法律によって規制されているからだ。
そして、そのことだけではなく、家庭動物行政のあり方やペット
税、動物愛護団体の活動から見ても、ドイツから学ぶべきことは多い。

数日前、道端で犬を散歩させていたおばさんと遭遇した。
おばさんは、年の頃は80歳くらい。
歩行に少々難があり、手押し車を押しながら、犬のリードを引いていた。
以前も何度かこのおばさんが犬を散歩させているところを見かけた
ものの、話すのは初めてのこと。
おばさんが連れていたのは、まだ5歳ぐらいの若い犬である。
見た目にも雑種と解るが、おばさんが散歩に四苦八苦するほど元気
のいい犬だった。
その犬は、保健所からもらい受けたのだいう。
タロウと名付けて、息子と二人暮しのおばさんの家にその犬は貰わ
れてきた。
もちろん足の悪いおばさんが犬の散歩をしているのだから、見た目
にも大変なのは伝わってくる。
でも、犬はとても幸せそうだった。
介助犬ではないから、しつけもなっていないのだが、おばさんと立
ち話をしていた僅かの間に、お隣に住む散歩から帰ってきたご夫婦
や下校途中の学生たちに、犬は声を掛けられ、頭を撫でられ、その
光景は微笑ましかった。

本当なら、法で規制をしなくても個人のモラルに委ねられればと思う。
だが、今の日本ではそうしなければ、どうにもならないところまで
来てしまっているのだろう。
法で、ルールを示さなければ、飼い主もブリーダーもペットショッ
プも、また関連業者も、少しも改善できないところまで来てしまっ
ているのだ。
悲しいことだが、それが今の日本の現状だ。
人の命と同じように、動物の命についても考え、大切に思う。
そんな心を養える日本になってほしいと思うのだが・・。

コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年6月1日火曜日

連載コラム157 from 東京

どこでなにをしゃべっても、ツイッターという感じの人がいるね。ツイッターやネット使う必要ないというか、天から監視されてるというか、まるで執行猶予判決を天の裁判官から受けて、地球に野放しにされながら観察処分を受けてるという。

報道の番組でもやってた。ああいう保護監察官は、ボランティアらしいけど、立派な女性がいるもんですね。ああいうのは、私心があると、だめだろうし、あんまりきれいな人とかでも、別の意味で駄目なんだろうね。人選が難しいというか・・

自由に生きようと思い、自由に近づいたと思ってたら、どんどん自由でなくなっていくという(笑)まあ、三十代になってから、しょせん、操り人形だって気づいたけどね。

結局、人間は、自由にしゃべれないようにできてるということなのかな・・当然、時と場合によって、人によって、話を変えたりする傾向は誰でもあると思うけど、あるところで話してた冗談を違うところで話されたら、状況によって、こうなるのかって思うね。ものすごく小さいと思ってたことが、大きくとらえられたり・・

いろいろな世界の本音とか、見てきたけど、本音にも、いろんな世界がある。下品な本音、上品な本音・・本音の伝道という番組もあったけど、やっぱり、人によって面白いと思う本音も違うだろうし、自分をだめにする本音とか、魂にはたらきかける本音とか、いろいろあると思うね。愚痴と本音との違いなんていうのも、哲学者は考えてみてもいいかもね。

本音というのは、話してないと自分でもわからなくなってくる面もあるね。自分の腹の中がわからなくなるというか。そうなると、記憶違いも多くなってくるだろうし。だから、たった一人でも、自分を完璧に隠さずにすむ本音を話せる人がいれば、○○されないというか・・まあ、○○という言葉は悪いけどね。そういうなにからなにまであう人って、意外と少ないんじゃないかな。

たとえば、アイドルとか、女優とかテレビでみて、あの子いいねとかって、こちらがわの世界では気軽に話したりするでしょう。そういうのが伝わり方によっては、まずくなるというのがわかってきたというか。実際、いいね、いいねって間抜けな顔でいってるときは、本音なわけでね。鼻くそほじって間抜けな顔でいってるときは、大体、本音と思っていい。

だけど、ツイッターで書いたことが本人に伝わることもまれだろうけど、ツイッターつかわないつぶやきが、むこうの世界の人に伝わるなんてことはありえないんでね(笑)そういうものまでが伝わるとなると、考えないといけないですね。気にしすぎかもれないけど、気軽にいったことが、心をもてあそぶとか、そういう領域に入ってしまうこともあるのかな・・

普通は、結果とかなにも考えないでいってるわけだから。広○がいいとか、菅○がいいとか、黒○さんもいいなとかいっても、相手にしてくれっこないからこそ、いいっていうのもあるんでね。ネットで、そういう類のことつぶやいてるのは、5万といるわけでしょう。僕だって、冷静にみれば、ちょっと高尚なオタっキーってだけでね。

まあ、飲み屋なんかで、そういう類の話をしてて、たまたま、本人が入ってきて、話しを聞いてしまったというような感じになるのかな。そういうのは聞きたい人もいるだろうし、聞きたくない人もいるだろうね。

スマップとかは、そういえば、あのうた、あのひとがあの場所でカラオケでうたってたな・・とか、そういう感覚がいいというかな・・。そういう利用の仕方が好きというか(笑)

こういうへんな現象の数々を見て、僕のいってきたことを信じなかった方々も、ちょっとは信じる気になったんじゃないかな(笑)隣のいすに愛読本を出してる出版社で働いてた人が偶然座ってたとか・・まあ、覚えてないだろうけど。

サッカーも、ワールドカップになるとさすがに、見たくなるね。サッカーファンでなくとも・・川口さんも、やせたんですかね??開催地が南アフリカというのも、興味を注がれるというか。野人向けなんじゃないかな。サッカーに岡野さんと思うけど、野人といわれる人がいました。カズさんがでれば、僕の頭の中の妄想ドラマとしても最高だったけどね。まあ、生いきなくらいのガッツある若者と、労とれが、うまく溶け合えばいいのかな、なんて思ったりするね。

一種類のスポーツにあれだけ、いろんな国が参加して、盛り上がるものもないだろうからね。これまでの歴史をみると、南米のチームが強いのかな??イギリス、フランスとかヨーロッパの強豪にしても、南米の選手がいたりとか・・くわしくは知らないけど。やっぱり、雪国とかは、そんなに強くないのかな。雪のグランドで練習したら、足腰が鍛え上げられて、強くなりそうとか、ろくにサッカーやったことない人間は簡単に思っちゃうけどね。やったことない人間は、なんでも強気に言えちゃんだな。

吉幾三さんも、雪国なんて売れないって、金昌男さんじゃなくて千昌男さんに言われたらしいですね。

メジャーも南米の選手が増えてきて、勢力図も変わったようですね。高校野球でも、僕が若いころは、雪国は練習できないとかで、甲子園で優勝できなかったですけどね。野球の球は、雪の上じゃどうしようもないからね。最近は、北海道のチームが優勝したり、室内の練習場なんかのせいなのかな。

ロッキー4だったか、ロシア最強のボクサーとロッキーが戦うんだけど、ロシアのボクサーは、科学的なトレーニングで、最強になって、ロッキーは、原始的な練習にこだわって、そのボクサーに勝つんだな。当時も、アメリカの方が科学に進んでたと思うけど、そういう原始的なものへの憧れというか、そういうものが格好いいという感覚もアメリカにあるんだろうね。

星野さんも、昔の練習を馬鹿にしちゃいかんといってたけどね。

ボクシングでも、メキシコの選手が強いのは、高地で練習するからって聞いたことがある。迷信かもしれないけど。高地だと息切れしやすいから、スタミナがつくって。

トルストイがいってるけど、童話などに、文学の進化の余地があるという。あの人は、難しいことを、いかに間単にいうかにこだわってたみたいですね。大人も読める童話というのかな。そういう意味での童話の位置づけというのは大きいといってた。寸分形式で、短く大事なことを伝えるというか。

実際、トルストイの童話というのは、いろいろ人生教訓が入ってるし、僕などは、面白いと思うけど、いまの時代には合わないかもしれない。宗教臭が強いからね。懸賞とか出したりしたけど、そう甘くないと思ってるしね。ただ、まわりがおおげさに騒ぎすぎてるような気がしますね(笑)ただ、えらそうに聞こえるかもしれないけど、僕にしか書けないようなものもあるんじゃないかって、思ったりもした。技術的なことはわからないけど。ただ、時代に合わないだろうなとも思ったし。

まんが日本昔話とか、世界昔話とか、テレビでやってたけど、子供のころ、おもしろがって見てましたね。ああいうものに、意外と教訓とか知恵が入ってるようですね。

ドストエフスキーも、トルストイも、○○が入ってるというかな。平和すぎる人生には、ああいう作品のねばっこさはうんざりさせられるようなものがある。だけど、そういうものの方が、リアリズムのようにも思えるというか、単に目をそむけてるだけのような気がする。○○と○○だけというのは、片手落ちというのかな。誰だって、○○なんて見たくないですけどね。ロシアというのは、○○を凝視するような思想家が、ぼつぼつ出ますね。やっぱり寒さというか、厳しい環境にも原因があるのかな。

宮崎県も大変な状況というか、当事者じゃなきゃわからないような、部外者が軽々しく取り上げられないものがありますね。

ロシアのグルジェフの子供の頃も、おとうさんが牧場をやってて、家畜が伝染病にやられて、全滅にあったらしい。ナスレッデンという宗教家で、笑い話をたくさんつくった人がいて、その人の話をつねにおとうさんから聞かされていて、一家くじけずにすすんでいったという逸話がありますね。


コラムニスト●
…………………………………………………………………
森田益郎

連載コラム145 from 台湾

日本人の非婚率が進んでいる。

1980年生まれの生涯未婚率は23%になると
予測され、
現在20代男性の3人に1人は生涯結婚しない
とまで言われている。

男性だけでなく女性の非婚率も高く
男女共に異性に対して興味を無くしつつ
あるようだ。

自分のために金を使う
独身男女の数が増えている30代、40代。

結婚していれば稼いだ金は家族のために使ったり
貯金したりするだろうが、
結婚する気などサラサラない独身中年男女は
自分たちのために金を使う。

男ならば趣味のゲームや写真、ハイテク機器を、
子供の頃に欲しかった玩具などを大人買い。

女も趣味だけでなく自分磨きと称して
化粧品やエステ、スクールにファッションなど。
誰のためでもなく自分のために金を使う。

子供もいないため、残すお金もいらない。
いざとなれば生活保護でも受ければいい、とまで
考えているのだろう。

独身だと時間がにぶる
30歳を過ぎると1年過ぎるのが早いため
自分が年をとっていくという感覚が鈍る。

環境は20代と変わらないため、いつまでも
20代のままで生活してしまうのである。

しかし、30代後半にもなってくると
20代のままの生活は周りから見て
痛いやつだと思われるようになってくる。

一人暮らしだと誰も何も言わないため
自分が老化していく感覚がゼロなのだろう。

妙な路線に進む日本人女性
その昔、30過ぎてたら女性は「おばさん」と呼ばれ
ファッションなどあまり関係ないのでは、
と思われてきた。

しいて言えば中年太りを隠すファッションが
うけるくらいであろうか。

しかし、独身女性はまだまだ女を捨てない。
環境は、20代と何も変わらないため、
そのまんま、ファッションも変わらず。
20代のものを着続けるのである。

しかし年は確実に取り、老化は進む。

女性の老化は30代でドンドン進むもので、
欧米の女性たちは年相応のファッションを
楽しむようになる。

しかし、日本人女性たちは20代同様の色使いで、
可愛らしいファッションを着たりする。

肉がたるみつつある、血管も浮いてきた脚を出し、
顔のくすみが目だつ白のトップも平気で着用。

海外で日本人中年女性の見分けがつくといわれるのは
年不相応なファッションや化粧からなのである。

必ずガタがくる
アラサー、アラフォーが元気な時代!と言われ、
今の30、40代と、昔の30、40代は違うとされるが、
40代後半になり50代に進むと身体にガタがくる。

その時、それまでどう生きてきたのか、
人生計画を立ててきたのかが
問われるのではないだろうか。

今はインターネットが普及しているため
ネット慣れしている30、40代の男女が、
一人きりで年をとっていったとしても、
さして孤独感を感じないだろう。

携帯電話も普及しているので、万が一のときは
ボタン一つで救急車も呼べる。

しかし、やはり死を具体的に考える年になると
独り身というのは不安でたまらなくなるだろう。

全ての結婚がよいわけではない。離婚だって多い。
でも自分だけでなく、家族のこと、社会のこと、
日本という国のことを考え、子孫を残すということを
もっと真剣に考えた方がよいのではないだろうか。

誰にも迷惑かけてないとが言うが、
生きている以上、生きていた以上、
誰かの手を煩うのは確かなのだから。

▼写真は、台北・陽明山の温泉元です。













コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム263 from 北海道●普天間問題と鳩山政権

沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で、名護市辺野古への移設を明
記した政府の閣議に署名を拒んだ福島大臣が罷免された。
連立与党として走り出した当初から、このような問題はいつかは起
こると懸念していたが、やはり起こるべくして起こってしまったようだ。
社民・福島さんの取った行動は、当然の主張であり、そこにブレはない。
社民の精神に忠実に行動しただけのこと。
だから、署名をしなかったことで、社民は党としての対面を保ち、
夏の参議院選でも思わぬ結果をもたらすかもしれない。

それにしても、この場に及んで辺野古への移設など、まったくこの
政権はどうなっているのだろう。
散々迷走して、こともあろうにもとのもくあみに戻ってしまうのだから。
沖縄県民は、これ以上ないほどに怒り心頭している。
あれほどの迷走も茶番劇かと思われても仕方がないし、それよりも
リーダーとしての根本的な資質を疑わざるおえない。
鳩山さん個人を知る人たちからは、良い人、優しい人と評価する声
をよく聞かれるが、そもそも良い人と、リーダーとしての才覚は別もの。
窮状を訴える人にも、膝を突き合わせて丁寧に話を聞き、共感でき
る優しさはあっても、ビジョンを貫く強い意志はない。
孤立や孤独に耐えうる精神もない。
そして、非常にやっかいなのは、これほどの混乱を招きながら、こ
の人自身に悪意が感じられないことだ。
子どもならまだしも、こういう立場の人間が悪意のない悪意をまき
散らすほど、腹立たしいことはない。

長年、野党時代から鳩山さんは沖縄問題に非常に関心が高かった言
われているが、それならばあれほどの宣言をしておきながら、なぜ
辺野古への移設を決定するのか。
辺野古と閣議で決定しても、地元での反対がある限り現実味のない
話だと踏まえて決めたことならば、これも茶番である。
そういう詐欺的行為を、外交での駆け引きと思いこんでいるなら
ば、これは日本にとって非常に危うい状況だし、そういう計算もな
く流されるまま辺野古への決定に及んでしまったのであれば、これ
も問題だ。

いまの政府を見ていても、それぞれがそれぞれの主観で動いてる。
それを鳩山さん自身、咎めることもない。
努力を評価する姿勢はあっても、みんなの意見をくまなく聞けば、
必ずや正しい道が開けると信じているのだろうか。

民主党でも、沖縄問題は賛否両論。
にも関わらず、鳩山さんと真っ向から意見が違う人たちが政府の大
臣に組み込まれてる。
違う人たちとも友愛の精神で語らえば、分かち合えると信じる鳩山
さんらしい選択かもしれないが、そもそも沖縄問題を私的な公約
だったと言ってしまう人を総理にさせた政党の責任は重い。
自民党時代にも、あれこれ思うことはあっても、ここまでではな
かったし、この思いは失望なんかとっくに通り越している。

そもそも、辺野古ではいけない理由はなんなのか。
米軍海兵隊を沖縄に駐留させなければならない抑止力とはなにか。
北や中国、隣国やテロの脅威から国を守るために、沖縄米軍基地は
必要というが、本当にそうなのだろうか?
この場に及んで開かれた全国知事会でも、訓練の受け入れの協力を
仰いだ鳩山さんに、大阪府橋本知事を覗いて、誰もが厳しい発言だった。
当然の結果である。
こんな時期になって知事会もないものだ。
本当にこの問題に関して、真剣に取り組む姿勢があったならば、
もっと早い時期から話し合いを開くべきだし、国益を考えているな
らば、実現不可能な決定など決めるべきではない。
北海道の高橋知事も非協力姿勢だったが、私は北海道に来てもらっ
ても構わないと思う。
それで、沖縄の負担が少しでも減らせるならば、この問題は安易に
撥ねつけるだけでなく、どの自治体も真剣に考えるべきだ。
訓練を受け入れることで、抱える負担はあるが、そんなことより、
もし北海道や他の自治体がこのことを受け入れても、アメリカは
きっと首を立てに振らないだろう。
それは、日本各地にあった基地が沖縄に集中していった理由とも同
じこと。
日本の平和のため、アジアの治安のためと明言するアメリカに日本
政府に、沖縄は多大なる犠牲を強いられてきた。
だが、沖縄でなければならない本当の理由が、アメリカ側にあった
としたら、私たちは今もって日米安保条約を見直さなければならない。

沖縄に駐留する海兵隊のフィリピンでの合同訓練を取材したテレビ
を見た。
米軍海兵隊の内部にまで踏み込んだ解りやすい取材であったもの
の、今ひとつ疑問が拭えない。
アジアの治安のために日夜訓練を続ける米軍海兵隊であるが、本当
ところ日本の抑止力にはなっているのだろうか。
抑止力になっているならば、竹島領土の問題は起きなかったのでは
なかろうか。
中国の東シナ海ガス田問題も起きなかったはずである。

夏の参議院選挙では、このこともよくよく捉えて私たちは投票すべきだ。
国民のための政治などと掲げている今の政府に、物を申すべきである。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年5月23日日曜日

連載コラム156 from 東京

長谷川穂積の試合も、はじめてみたら、負けちゃったな。こういうパターンも多いというか、半分くらいだね。

見たといっても、二試合あるから、長谷川が後だろうと思って、八時すぎにテレビつけた。まだはじまんないのかとか思って、ほかのチャンネルちらちらみたりして、まだかまだかと思ってたら、もう終ってて、あれと思ったら、録画でやりはじめて、それを見たわけだけど。

さすがに、スピードも速いし、朦朧としながらも倒れないのも、さすがだったね。

好青年というか、日本のボクサーでは珍しいんじゃないかな。内藤は、田舎での朴訥な感じだけど。また、こんな言い方すると怒られるだろうけど・・ 長谷川は、輪島さんとか、渡嘉敷さんあたりとは、違う感じがするね(笑)ボクシングを引退しても、体育の先生とか教育者的なものも担えそうというか・・あくまで、感じだけどね・・みなさんも、見た目と、中身は違うって、講釈たれるのが好きらしいから。

竹原さんなんかは、俺が俺がっていう気持ちが、かなり強そうですね。

日本のボクサーというかスポーツ選手にも、アリみたいなのが出てくると、面白いけどね。スポーツの枠を越えて弁も立つという。本業の実力も保ちつつ、講釈も垂れるというのは、相当なことだろうね。王さんなんかは、若い頃から一見識持ってて読売の社員に訓示をたれてたらしいけど。

日本のボクサーって、ちょっといかれてるというかな。ほんとにそうなのか、そういうイメージをつくられてきたのか、知らないけど。ちょっと、この人を見習えとは言いにくいようなものがあるんじゃないかな。イメージ的に・・

たこさんとか、ガッツさんとか、スポーツ選手で引退してから、笑われるコメディアンになれるのは、ボクサーくらいなんじゃないの。笑わせるんじゃなくて・・まあ、笑われるのも、難しいけどね。

野球選手でも、パンチとか、内藤とか、広瀬とか、選手時代に面白くても、やっぱり駄目だもんな。加藤博一ですら。新庄も、アデランスのコマーシャルくらいでしか見かけないし。

バトミントンの陣内さんなんかは、テレビの前でよく笑顔がつくれるというか、テレビ慣れしてるというか、キャスターやっても、すごいですね。それでいて、昔、強盗が家にはいってきて、おっぱらったりしたんじゃなかったかな。

赤絵アナも、○時代のニュースくればよかったんだよな。渡○アナに怒られるだろうけど。まあ、好みではないけど、それなりの美貌もあるし、しっかりした感じがしますね。まあ、本当の中身までは知らないけどね。

小宮さんも、突っ込めなかったとかいってたけど、田原総一さんの後はきついというか、あの人の後釜になれるような人って、ちょっといないんじゃないかな・・へんにつっこんでも、逆に、つっこまれて恥かいても、笑いでごまかすわけにはいかないしね・・。

古断ちさんなんか、久米色を一掃して自分の色で染め直してすごいけど、どっかで久米宏さんのニュースも、見たいという気にさせられますね。あの人の色も独特というか、消しても消しても色が浮き上がってきてしまうようなところがある。

知的でシャープなんだけど、へんに明るいというか、いいかげんそうに見えて、職人的で細かいこだわりを持ってるというか。番組の音楽も、何回も変ってたし・・また、つぶしの久米に戻っちゃった??というか、やっぱり、久米さんは、硬派なものに光を射すのがお似合いなんだろうね。ニュースステーションのあとは、燃え尽きて、やる気なかったとまではいわないけど・・

MATUIは、すごいことを平然とやるというか、一試合12アンダーって、野球にたとえれば、ピッチャーが完全試合やって、自分でホームラン打って、1対0で勝つみたいな感じじゃないか。くらいのもんじゃないかね。

それも、18歳のガキなんていうと怒られるだろうけど、まあ、こういうのが当たり前になってきちゃうと、ほかのゴルファーはきついだろうね。30歳くらいで、じじい扱いされたり・・丸山なんか、まだ生きてたの?なんて子供からいわれたり(笑)

きよしさんも、たまに家で寝てると、自分の子供が友達つれてきて、「ほら、たけしが寝てる」なんて珍しがってたらしい。

楠田さんは、バス停で立ってたら、後ろで、男か女かって賭けてるひそひそ話が聞こえてきて、いたたまれなくなって、その場を去ったらしい。

亮くんも、イチローなんかよりも、孤高な人生が待ってるというか・・ちょっと、人生の想像がつかないというのかね。やっぱり、ジャンボ軍団に入った方がいいかもな(笑)丸山なんかは、出ちゃったのかな。

まあ、これも、好き勝手に書いてるだけなわけでね。勝間さんがしゃべってるほどの価値はないんでね。いわれなくても、わかってるだろうけど。時間が来ると、ついつい書いてしまうというのかな。条件反射に近くなってるな。

ダイヤモンドユカイさんも、いつもこのインターバルで、飯島直子がどうたらとか出てくるけどね。そんなに、知らない人ですね。

勝間さんも、対談で「駄目だこりゃ」とか面と向かっていったらしいけど、ああいういきのいい熟女に、そういうこといわれたら本望じゃないか。なんで謝るのかなって思うね。

またこんなこというと、人格が疑われちゃうねえ・・。もう、とっくに疑われてるよ、なんて倉持にいわれたことを思い出した。20年位前の古い話が、急に頭に、ぽんぽん浮かんできたりして、どういう頭なんだろうね。

比企理恵も、みかけなくなったと思ったら、そういう事情があったわけですね。昔、若い連中と飲みにいって、一人の女の子が比企理恵に似てて、「似てるね」っていったら、誰も比企理恵知らなくて、隣の男に「なんで、ここにいるんだよ」なんて嘆かれたこともあったな。

長所をみろというが、課長が、そのでかい頭に脳みそいっぱいつまってんだろうねえ、なんて感心したようにいってくれたこともあったな。そういわれても、ぜんぜんうれしくなかったけど・・

こういう個人的な話は、つまんないと思いますよ。まあ、場当たりというか、自己満足だけでもないと信じたいけどね。書くそのときによって、気分が違うことは確か。正直、書く気するときもあるし、しないときもあるけど、書き出すと、なにか出てくるというかな。

いいたいことはあるんだけどね。偶然なんだか、まったく関係ない本3冊に3回、いっちゃいけないっていう同じフレーズが出てて、これはサインだと思ってね。ほめたくても、ほめられないこともある。

ブラウン監督も、「偏屈ばばあ」なんていったのをテレビに隠し撮りされてたらしいけど、やっぱり、ああいう立場の人は、大変だろうね。

石場さんも、大臣になったら、急にいわなくなったねえ、なんて田原さんに言われてたけどね。

昔、アパートの傍で猫がおしっこしてくさいって、父親に話したら、塀に電気が通る仕掛けをつくってやろうかって、いわれ、「大家のじいさんが、間違ってさわって、死んじゃったら、まずいから、いいや」なんて笑ってたけど、そういうジョーダンすら言えないんだろうね。

○○さんも、いうこときかないと、○○○かなとか、つぶやいてたらしいけどね。

これまで、われながらそんなにブレてはいないと思うけどね。若でも、貴でも、どっちでもいいというか。まあ、二人とも、好青年なんだろうけどね。なにかの因果で、いろいろ摩擦がでてくるというか。

職場では、いやな人でも、旅行なんか行くと、急にいい人間になっちゃう人とかもいたしね。

やっぱり、若貴は、おとうさんが立派な人だったから、いろいろ比較できるんだろうし、そういう目でいまのいろんな現象をみちゃうんだろうね。あまり比較に執着するのも、まずいだろうけど。やっぱり、なんかおかしいとか、自然に、そういう目でみたりできることもあると思うよ。

司馬さんも、いってるけど、相撲界には、昔の軍隊的なものが残ってるというか、実際に確認したわけじゃないけど、なんとなくわかりますね。

ウッズだったか覚えてないけど、まったく関係ないところで、違う映像持ってきて出してくるとか、その意味がわかった(笑)司馬さんも、マスコミで取り上げてる一部の映像だけみても、事実じゃないとかいってたけどね。


コラムニスト●
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森田益郎