2010年9月15日水曜日

連載コラム270 from北海道●人生は流れる雲のごとく

文藝春秋の九月号に、故つかこうへい氏を偲んで、俳優の風間杜夫
さんが、追悼文を載せていた。
つかさんは、7月10日に入院先の病院で亡くなった。
享年62歳、病名は肺ガンだった。
今年1月に、ガンを患っていることを公表した記事を目にしてか
ら、気掛かりではあったものの、まさかこんなに早くに逝かれると
は、露ほどにも思わず、私はショックをおこした。
涙が止まらず、悔しさでいっぱいになった。
風間杜夫さんの追悼文には、つかさんとのおもしろくも楽しい思い
出がつづられている。
風間杜夫と平田満は、劇団・つかこうへい事務所の看板役者だった。
当時の私は、北海道の片田舎で、高校の演劇部に手を染めていた。
部員に同期の学生はひとりもおらず、2コ上の先輩のみである。
新入部員獲得の呼びかけに、私は踊るような気持ちで部室の門を叩
いたが、それに続く仲間はけっきょくのところひとりとして現れ
ず、私自身は大いに部の先輩たちから可愛がられたけれど、先輩達
が卒業してしまえば、自然と廃部の道をたどるしかない弱体演劇部
だった。
その部に、私の入部と時を同じくして、新しい顧問の先生がやってきた。
教師に成り立ての若いその先生は、学園ドラマに登場する熱血教師
そのもの。
新劇を心から愛し、札幌を拠点とする劇団「極」のファンであり、
馴染みの仲だった。
私は、顧問の先生の影響をぞんぶんに受けた。
私の高校時代は、濃厚な演劇活動が全てだ。
月刊「新劇」を、学生の微々たる小遣いもおしまずに買い込んで、
それを読むことで、観たくても観られない芝居への思いまで満たそ
うとした。
雑誌に掲載される舞台のモノクロ写真は、つかこうへい事務所の公
演ものが多い。
「熱海殺人事件」に、「寝盗られ宗介」。
その次に多かったのは、やっぱり唐十郎ひきいる黒テントだっただ
ろうか。
私は、つかさんの本が好きだった。
つかさんの戯曲に小説に、エッセイまで、むさぼるように読んだ。
あの頃の私は、倉本聰の戯曲はまだ読んでいない。
映画「蒲田行進曲」だけに留まらず、テレビドラマ化した「青春か
けおち編」や「つか版忠臣蔵」を、お茶の間のテレビの前でうやう
やしく正座をして、崇めるような気持ちで見ていたからだ。
つかさんは、私にとって青春そのもの。
私は、今でもそう思っている。
映画「蒲田行進曲」がヒットし、つかさんもこの本で直木賞を受賞
された。
主役、準主役として起用された風間杜夫と平田満は、映画がヒット
したことで、人生が一変した。
役者として引っ張りだことなり、よくテレビにも顔を出すようになった。
劇団・つかこうへい事務所が解散したのは、それから間もなくのこ
とである。
劇団として、これ以上ないほどに注目され、脂がのりきった時期の
解散だった。
私は、劇団の解散にショックを覚えたが、後にして思うと、これも
つかさん流のステップだったのだろう。
劇団としては、申し分なく極めた。
そして、この先に続こうとする道は、それぞれの別れ道。
だから、達観したあの劇団は、解散したのかもしれない。
映画「蒲田行進曲」がヒットした当時から、銀ちゃん役で主役だっ
た風間杜夫は、くさい芝居がうまかった。
たぶん、あの当時は、役者として平田満のほうが、上質で目をひく
存在であり、演技ひとつをとっても、憂いを含んでいたようにも感
じるが、しかし、今ではこの二人の役者を並べて、うまさの度合い
を比較することもおこがましいほど、どちらも優れた役者になって
しまった。
けれども、もともと質の違うこの二人を天秤に掛けてお茶の間から
観察していたわけだから、それも愚かなことである。
脇役に照らされて光る主役肌の役者と、主役をひきたてることが天
才的に上手い役者なんて、間違っても比べてはいけないはずなの
に、つかさんは、あっという間に二人の才能を見いだし、開花させ
たのだから、凄いことなのだ。
つかさんのエッセイは、いま読み返しても、うなずけることが満載だ。
在日だったというけれど、つかさんほど日本人らしい日本人はいな
いのではないかと、私は思ってしまう。
私ができるつかさんへの追悼は、つかさんの本をまんべんなく読み
返すこと。
天才・つかこうへい殿が、この日本に残した素晴らしき芸術に、敬
礼を贈ります。

コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

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