2010年8月15日日曜日

連載コラム150 from 台湾

幼い我が子を虐待するニュースが
連日のように報じられている日本。

子供を叩く親は昔の日本にも多く居た。
生徒にビンタする教師も存在した。
しかし、それは「しつけ」であり「教育」であり
「更生」「愛情」がこもっていた。

しかしニュースで報じられる虐待ニュースは
「しつけ」という域を超えており
明らかに親のうさばらし、という印象を受ける。

社会に対する世間に対する苛立ちを
家庭内で一番弱者である子供たちが
ターゲットにされ受けているのである。

精神的に大人になりきれない
感情がコントロールできない
こらえ性がない大人が子供を産んだ結果だと
これまでは見られてきた。

しかし先月末に大阪西区のマンションで
1歳と3歳のきょうだい2人が遺体で発見された
事件は、日本だけでなくここ台湾でも
ニュースとして報じられた。

育児放棄は最悪のケース
子供へ体罰を加える虐待は比較的発見しやすい。

子供の身体に出来たアザや怪我のあとを、
幼稚園/保育園の先生、学校の先生、医師などが
見て「おかしい」と思えるからである。

実際に彼らの通報により子供が保護されることも
多いという。

しかし今回の大阪の事件は幼児虐待の中でも
最も酷いとされるニグレクト、育児放棄であった。

育児放棄をする親の心理は、ズバリ
「子供なんて居なかったこと思う」ことだという。

最初は多少の罪悪感があるのだろうが
慣れてくると「偽りの状況」を本当だと思い込み
よって、周囲も気が付かないことが多いという。

今回もマンションの住民は泣き声を聞いていたが
通報を受けてきた相談センターの職員は
「応答がなかったので室内に入れなかった」と
コメント。

プライバシーに煩い現代の日本にとって
「親が乳幼児の面倒をみなくなったら、
なすすべがない」のである。

育児放棄された子供
人間は犬猫と違い未熟な状態で生まれるため
母親や養育者から四六時中面倒を見てもらわなければ
生きていけない。

排泄一つとっても、きちんと拭いてないと
皮膚が薄い赤ん坊はすぐに赤くかぶれ膿んでしまう。

言葉を話して意思の疎通を図れるようになること、
トイレできちんと排泄し、きちんと拭けるよういなること、
歯を磨き、顔を洗い、手を洗い、うがいをし、
身体を清潔にする大切さを知り自ら進んでお風呂に
入れるようになること、
スプーンやフォーク、お箸を使って食事をとる事。

これは乳飲み子であることからの積み重ねにより
子供の身に付くことである。

子供は手をかけなくてもあっという間に大きくなるといが
養育者の絶え間ない手間がかかっているのである。

育児放棄された子供は精神的に重い障害を受けると
すでに分かっているが、
それも助かってこそのこと。

日本では育児放棄された子供は生きるチャンスは
ないのである。

誰もが生きるチャンスを持つ日本に
付け焼刃である子供手当てをバラまくより
もっと子供たちにとって、何が大切なのか行政は考える
べきである。

大阪の事件の母親は殺人罪に問われることになたそうだが
我が子を虐待した親は極刑を受けるべきである。

そして子供たちをもっと救えるよう警察を連携して
少しでも疑いのあるケースには踏み込んでいくべきである。

日本人ならば、誰もが生きるチャンスを持つ日本に、
チャンスをくれる国を誇りに思う日本にならなければ
日本に対する愛国心など皆無な子供たちに育つだろう。

海外に住む外国人の子供に子供手当てを20億も払うくらいなら
日本に充実した保護施設を建設するべきなのである。

今度もこの手の事件は出てくるだろう。
将来の日本を背負う子供たちを救えるかどうか、
もう一刻の猶予もない。

▼写真は、台湾のディズニーランドと称される六福村でのパクリっぽいショーの様子です













コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

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