2010年8月15日日曜日

連載コラム268 from北海道●無駄が豊かさを取り戻す

日本の社会が、透明性やクリーンさをもとめられるようになり、政
治の世界も、その流れに連動して、国民生活の平等性や無駄への排
除が当たり前に掲げられるようになった。
子供の少子化問題や、高齢化社会への対応、地方の困窮や希望を持
てなくなった時代への突入を、どう打開していくか、これといった
明確な答えはいまだ見つかっていない。
希望を持てない社会の根源は、どこにあるのか。
お金や仕事、家族の崩壊、コミニュティの崩壊、あらゆる不安材料
をたぐり寄せても、そこに明確な回答は出てこないし、世の中の暗
いニュースに、蝕まれる社会ばかりを想像してしまう。

国に、政治に、私たちは何かを期待しすぎるのか。
そんなことはないと、言いたいところだが、内心では、そうかもし
れないなんて思う。
一年前の政権交代から、国民の意識は明らかに変わった。
政治に過剰な期待を当たり前に持った。
口だけ政策は、いまや隠しきれないほど、国民を落胆させている。
気持ちの落胆は、いっそうやりきれなさや、悲壮感を生み出してい
るようだ。

安全で、安定した暮らしや全てが保証された生活など、理想郷に過
ぎない。
それを望み、希望を抱いて求めていくべきだと思うが、国にそこを
求めるのは、何かが違うのだろう。
確かに、日本社会は、富と繁栄を手にした時から病みはじめた。
何かを確実に見失い、迷走を続けている。
満たされないのは、心が不満足になったから。
贅沢をしても、おいしい物を食べても、日本人は与えられることに
なれてしまった。
用意周到な生活の中で、新たな何かを得ることは難しい。
頑張らなくても、何でも手に入ることは、人間の中身を育てないからだ。
整って安定した暮らしは、本当は誰もが求めるところなのに、ここ
が人間の難しさなのだろう。

私は、無駄であることが無駄とは思わない人間だ。
世の中も、個々の人生も、無駄がおおいに必要と感じる人間である。
無駄を排除した生き方など、なんの魅力も感じないし、そこから得
る人生は、きっとつまらない。
用意周到な生活より、無駄を愛しく思うのは、そこにわくわく感が
あるからだろう。
それは、どんなことより代え難く思える。
無駄を望み、無駄なことについやせる人生は、なんて贅沢なのか。
それは、日本の国で生きられるからこそという思いにも繋がる。
私は、そのことが、本当に有り難い気持ちだ。
日本の国は、世界と比べても、驚くほど発展を遂げた。
私たちはそのことをおおいに誇りに思うべきだし、自信を持つべきだ。
無駄な人生を味わえない人たちは、世界にごまんといる。
無駄から得られる幸福感を知らぬまま、国の途上で生きる人々は本
当に多い。
でも、彼らには彼らの夢がある。
希望がある。
だからこそ、私たち日本人も、この国に、悲観してばかりいられない。
安全策ばかりに心を奪われないで、次なるステージで、心に幸福感
を育てるべきと思う。
心の充実や幸福は、無駄なことから生まれやすい。
この国が、元気な社会を取り戻す切り札は、きっとそんなところに
埋まっているのではないだろうか。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

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