2010年6月15日火曜日

連載コラム264 from 北海道●この国のペットブームに思うこと

つい二ヶ月ほど前、動物火葬場に犬が捨てられる出来事が起きた。
犬はどこかで飼われていたらしく、こともあろうに火葬場の焼却炉
の中に捨てられていた。
これは、我が自治体の話だが、こういう話には私でなくとも嫌な気
持ちにさせられるものだ。
市の環境衛生部の職員が、犬の第一発見者だった。
二匹の白い犬は、保護された後も酷く怯えていたという。
焼却炉の中に生きた犬を捨ててしまう飼い主とは、いったいどんな
人なのか?
このニュースはいち早く地元新聞で報道されたことによって、犬を
引き取りたい人がすぐに現れた。
焼却炉に捨てられた犬たちから、真っ先に思い浮かべてしまうの
は、埼玉県のペット葬儀業者が飼い主から預かったペットの死体を
火葬せずに山林に不法投棄していた事件である。
世の中のブームに、ペット葬儀なるものが現れても不思議ではない
が、日本ではこの手の社会的ルールがまだ整っていない。
付け加えれば、ペットを持つ飼い主に対しても同じこと。
自由にペットを持つ、そのこと事態決して悪いことではないが、動
物の命も流行の如く軽く扱う風潮に、私は憤りを感じてしまう。
それは、この国が先進国である恥ずかしさもあるからだ。
ペットを簡単に購入して、簡単に捨てる。
そこからは、命をいたわる心とか、愛情なんて感じられない。
捨てられたペットたちは、各自治体の保健所で殺処分させられる。
その数の多さに、数字で表すだけでもおぞましい限りだ。

そのこととは対象的に、デパートのペットショップでは、いつも人
で溢れている。
家族連れにカップル。
訪れた人々はみな、小さなボックスに入れられた可愛らしい子犬や
子猫たちに目を輝かせている。
値段はどれも高級だ。
なんとか血統証付きで、ウン万円からウン十万円が相場らしい。
高級な値段の犬猫たちが、商品として人々に飼われることを懸念す
るわけではなく、一方では捨てられた犬猫の殺処分を繰り返しなが
ら、ペットショップでは当たり前のように売買されていることに、
この社会の歪みを感じてしまうのだろう。

殺処分を免れた犬猫たちは、個人やどこかのNPO法人が引き取
り、保護を受けて生きながらえる物もいるが、でもそれは、全体の
数から言えばほんの一握りに過ぎない。
そして、これらの人々に紛れて、一部の心ない人達が、里親の会か
らもらい受けた犬猫を放置し、餓死、または餓死寸前までさせる出
来事は未だに耐えない。

ドイツでは、動物の殺処分はない。
ドイツの繁殖家は、法律によって規制されているからだ。
そして、そのことだけではなく、家庭動物行政のあり方やペット
税、動物愛護団体の活動から見ても、ドイツから学ぶべきことは多い。

数日前、道端で犬を散歩させていたおばさんと遭遇した。
おばさんは、年の頃は80歳くらい。
歩行に少々難があり、手押し車を押しながら、犬のリードを引いていた。
以前も何度かこのおばさんが犬を散歩させているところを見かけた
ものの、話すのは初めてのこと。
おばさんが連れていたのは、まだ5歳ぐらいの若い犬である。
見た目にも雑種と解るが、おばさんが散歩に四苦八苦するほど元気
のいい犬だった。
その犬は、保健所からもらい受けたのだいう。
タロウと名付けて、息子と二人暮しのおばさんの家にその犬は貰わ
れてきた。
もちろん足の悪いおばさんが犬の散歩をしているのだから、見た目
にも大変なのは伝わってくる。
でも、犬はとても幸せそうだった。
介助犬ではないから、しつけもなっていないのだが、おばさんと立
ち話をしていた僅かの間に、お隣に住む散歩から帰ってきたご夫婦
や下校途中の学生たちに、犬は声を掛けられ、頭を撫でられ、その
光景は微笑ましかった。

本当なら、法で規制をしなくても個人のモラルに委ねられればと思う。
だが、今の日本ではそうしなければ、どうにもならないところまで
来てしまっているのだろう。
法で、ルールを示さなければ、飼い主もブリーダーもペットショッ
プも、また関連業者も、少しも改善できないところまで来てしまっ
ているのだ。
悲しいことだが、それが今の日本の現状だ。
人の命と同じように、動物の命についても考え、大切に思う。
そんな心を養える日本になってほしいと思うのだが・・。

コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

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