2010年4月15日木曜日

連載コラム260 from 北海道●私が思う子育て論

私には、甥や姪が7人いる。
どの子も元気で、屈託がなく、明るくのびのびと育ってくれている
が、時には何かに悩み、屈折し、意地を張り、ケンカをして、成長
している。
そのパワーに、私達大人はへとへとになることもあるが、それでも
時には、びっくりするような言動に驚いたり、考えさせられたり、
子供から気づきを与えられることは多い。
子供は大人の期待を裏切るものだし、言うことを聞かないのが、あ
る種商売みたいなものだ。
それは、赤ん坊の頃からそうなのだろう。
私の甥や姪達が、親や周りの大人達から沢山の愛情を受けて育って
いることに、私は幸せな気持ちだ。
二人の子を持つ我が弟も、子供が癇癪を起こしても慌てず、辛抱強
く接している態度には、えらいなと感心してしまう。

子育てこそ、放任ぐらいが丁度いい。
本当は心配したり、ハラハラしても、大人があまり干渉しない方が
いいこともある。
子供にも、子供だけの世界があり、それがあるからこそ心も育つの
だろう。
「子供は闇で育つもの」と言ったのは、作家の山田太一さんだけれ
ど、この意見には誠に同感だ。
子供がしたことを、実は知っていても知らないふりをすることも必
要で、全てを干渉し、子供同士のケンカに大人がしゃしゃりでて、
なんでも白日の下にさらすことは、決して良いことではない。
そうは言っても、今の世の中、子を持つ親達はあまりにも不安や心
配がありすぎて、そんなふうにはいかないことも現実なのだと思う。
社会で起きる様々な事件や事故に対してもそうだし、学校生活にも
ある種不安を抱える親達は多い。
いじめや自殺、学級崩壊の情報に、親達は敏感だ。
ごく一部の教師の社会的事件にも目を剥き、黙ってはいられない。
何かそのことに、私自身は息苦しさを感じてしまう。
もちろんいじめで子供が自殺するなんてあってはならないことだけ
ど、いじめはどの時代にもつきものだし、いじめがない方が勿論い
いに決まっているが、大人の社会にもそれが見られるように、子供
達にもまたあるのだと思う。
いじめをする子供もいれば、いじめられる子供もいて、そのことが
自分の周りで起こっていても、恐い気持ちからどうすることも出来
ずに、見てみないふりをしてしまう子供達もいることは、普通なの
だと思う。
そして、そういう人間関係から傷つき揉まれて、子供達は何かを学
んでいくのだろう。

私が幼稚園に通っていた頃に、手が付けられない暴力小僧がいた。
これをいじめと限定づけるには少し乱暴すぎるが、とにかく自分の
子分を従え、周りの子供達に徹底的に意地悪をする男の子がいた。
幼稚園には子ども達の背丈ほどの大きな積み木が沢山あり、活発な
子供は、みんなその積み木で遊びたがったが、その暴力小僧がいつ
も積み木を独占しているので遊ぶことは出来ない。
勝手に使えば、すぐに殴る蹴る暴言を吐くで、相手を威嚇した。
その子供は、小学でも中学でも酷く問題児だった。
中学の頃、学年が崩壊するような事件の中心人物でもあり、先生達
はほとほとその子に手を焼き、職員会議で、少年院に送るような話
まで出た。
けれども、そのようなことにならなかったのは、当時その子のクラ
スを受け持つ副担任が、真っ向から反対したからでもある。
後にその子は、立派な大人になった。
幸せな家庭も築き、今では二次の父親でもある。
愛情深い、思いやりのある人間に成長した。
その人情味に、何かこちらはじーんとさせられ、素敵な人間になっ
たものだと、私は思ったものだ。
でも、子供の頃から変わっていないのは、自分の気持ちに正直なところ。
そのため、嫌悪するようなことが、もし目の前で起きたなら、当然
黙ってはいられない。
だから、若い頃には酒場で殴り合うようなこともあった。
酔いにまかせて、嫌がる女性に猥褻な行為を働くそんな他人を路地
へ連れ出し、こてんぱんに殴ることもあったけど、ちょっと間違え
れば、危険きわまりないわけで、後で聞かされたこちらがヒヤリと
してしまう。
でも何処か清々しさがあった。
彼には、彼の道理があるらしい。
これだけは、人としてどうしても譲れない道理があるのだと思う。
今にして思えば、成長期の過程で、彼は幼少期から既に自分のエネ
ルギーの遣り場に困っていたのだろう。
そういう葛藤や苛立ちを、いつもコントロール出来ずに、彼自身も
また苦しんでいたのかもしれない。
自分に悩み、もがき苦しんだだけ、彼は味のある人間に成長した。
人生を教訓にして、家庭では子供達のために敬語を使う話を聞いた
時、なんともおかしさが込み上げたが、私はとても嬉しかった。
そんな彼を、私は友達のひとりとして自慢に思う。
彼の人生にいろいろあったことが、豊かさを育み、成長をさせたの
だと思うが、そこには、確かに見守り、信じる大人達の存在があった。
心から向き合い、寛大な心を持った大人達がいてくれたことで、今
の彼があるのだと思う。

外に発散できる子供もいれば、そうは出来ない子供もいる。
私が幼稚園に通う頃にも、既にそういう子供もいたくらいだから、
これについては生まれ持った特徴なのだろう。
男の子より女の子の方が、実は陰湿だ。
表面的に繕うことも、既に幼稚園児の頃から持ち合わせている。
何だかの事情で、周りの子供達より不利な子を自分の側に座らせ、
さも面倒を見てあげているのだと、先生にアピールする子供もいた。
その子供に対して、先生がどう感じていたかまでは知らない。
だが、周りの子供達は、きっと気づいていたのではないだろうか。
幼いながらも私は、そのやり方を嫌悪し、意識的にその子に予防線
を張った。
その女の子とは、中学で一緒だったが、そういう性格は昔のままだった。
教師には、良い子である自分をアピールしたがり、常に自分の取り
巻きを作りたがったが、彼女と交流を持つ友達は、使える人かどう
かが基準であったから、もしかすると本当の友情には恵まれなかっ
たのかもしれない。
たかだか中学生だが、女は恐いものだと私は彼女を通して知った。
表面的には繕っていても、邪魔な人間に対しては驚くほど巧妙な手
段でやりこめようとしたことに、正直、背筋が寒くなったことも
あったからだ。
それでもその時の私は、泣き寝入りもせず、彼女に媚びることもし
なかった。
もしまた何かされても、勇気を持って闘う意志も必要と知ったのは
あの時が最初である。

集団で過ごすとは、大変な労力だ。
みんなそれぞれに違うのだから、いいことばかりではない。
子供だって嫉妬はするし、妬むこともある。
かわいいことばかりではない。
でも私達人間は、そういう生きものなのだと思ってしまえば、気持
ちだって楽になる。
私達は、子供でも大人でも、様々な付き合いから沢山を学び、譲り
合う心も、協調する精神も、自分を抑えることも、また立ち向かう
ことも、学んでいくのだろう。
人生は常に学びの場なのだ。
それは、生まれた時から死ぬまでずっとついて回る。
逃げることは出来ない。
山に籠もって人との付き合いを排除して暮らすわけには行かないの
だから、そういう非現実的な選択は出来ない。
どんなに人間関係を避けた生活をしようとしても、アパートを借り
れば、家主や周りとも接触があるだろうし、買い物一つだって、電
車やバスで移動するにしたって、やっぱり小さな関わりがあるものだ。
現実の生活では人との関わりを避けて、都合のいいところだけネッ
トでチョイスするなんて、一生そんな風には生きられない。
嫌なこと、嫌いなこと、面倒なことは、常に人生に用意されている。
私達は、そこから学び、成長するように、人生の仕組みとはそう
なっているのだと思う。

ある中学教師から、こんな言葉を聞いた。
「悪いのは親達なんです。親達がどうしょうもないから、子供達は
荒れてしまう。だけどね、そういうダメな親を持っても、子供達は
必死に生きている。多少の悪さや非行があっても、自分達だけのコ
ミュニティを作り、生き抜くことに懸命なんですよね」
この教師は、途ある中学校の生徒指導部の先生だ。
子供達の夜の徘徊や非行、万引き防止のため、私の住む地区をよく
巡回している。
それでも、この地区にあるコンビニは、子供達におおようなのだと
言った。
多少の万引きがあっても、それを警察に通報することはなく、その
ことで学校側が店に頭を下げに行っても、こういうことはある程度
仕方のないことだからと、寛大でいてくれるから教師としても頭が
下がる思いなのだと言っていた。
大目に見てやることを、知っているのだろう。
この教師も、またコンビニの店主も、ちゃんとそのことを知ってい
るのだ。

今の世の中、人の失敗や間違いにはとても厳しい風潮がある。
これほどの情報化社会だから、マスコミの影響も少なからずあるの
だろう。
だけど、人間なんて失敗や間違いから学んでいくものだし、子供の
成長に失敗や間違いがないなんてありえないのに、どうして大人達
はそれを先読みして、安全策ばかりにうるさいのだろうか。
学校になんでもかんでも注文をつける親達の存在に、子供達はうん
ざりしたり、恥ずかしさを感じたりすることはないのだろうか。
息苦しさを感じてはいないのだろうか。
今の大人達は、健全な理想ばかりを子供に押しつけたがる。
何かある度に責任を取れと、傲慢だ。
いじめはない方がいいに決まっているけれど、子ども達の社会で、
学校で、自分達親が目を光らせれば、いじめはなくなるなんて本当
に親たちは信じているのだろうか。
子供の姿は、時代の鏡でもある。
巧妙で陰湿ないじめは、今の世相を反映しているけれど、それで
も、そんな世の中でも、きっと子供達は、柔軟に順応して生きてく
れるのではないだろうか。
私達大人は、それを見守り、信じてやる目線も必要。
大概のことには大目に見てやれる大人の存在こそが、子供の心に豊
かさを育むのだと思う。


コラムニスト●プロフィール
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赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

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