2010年6月15日火曜日

連載コラム158 from 東京

どうも、休んだほうがいいようなムードになってるようですね(笑)こっちも、嫌がらせをしようとか、意地になってでも書いてやろうとかいう気持ちはない。

ある政党のお二方のうちのひとりの政治的なセンスに関しては、僕はわからないけど、僕は政治オンチだから。

ただ、窮地においつめられてから、裏からもれ伝わってくる感覚が、勝手に自分と似てたというか、バイオリズム的な落ち方も似てたような感じで、妙に親近感がわいてしまった(笑)

だから、その人がたたかれてるのをみて、なんか自分がたたかれてる気になってしまったというか。影武者の仲代さんみたいに、感情移入しちゃって。それで、二人が最後に握手してるのをみて、なんだかジーンときてしまった。大沢さんも、公の場であんな顔するんだと思って・・

あの方も、たしかにあの人が組織の先頭に立って君臨してると怖いというか、そういうのもわかるけど、かといって、いなくなったら、一気にうすいアメリカンコーヒーになっちゃうようで、なんだかさびしい気もする。外側でみてるから、気安くいえることだけど。

まあ、客観的に見て、大沢さんも、やりにくそうにしてるというか(笑)僕は正直、大沢さんのファンまではいかないけど、好きだからね。ラブではないけど、かもしだす雰囲気がいいというか・・まあ、むこうはいやがってるだろう。仮に、いやがられるだけでも、意識してもらえてるということだから・・

綾さんと、いい関係のようだし・・・

知ってるだろうけど、これやめるのはかまわないと、ずっと思ってたわけ。2、3年くらい、だらだら書いてたというか・・。ただ、書くこと自体、どんどん抵抗なくなって、すらすら書けるようになったのも事実。だから、二週間に一度、特別な飯を食うみたいに、すっぽりこの奇妙なポジションにおさまって書いてきたというか・・

15年位前に、ネットで表現できるようになる前は、本を出版社から出したりするしか、頭の中を表現して、ある程度の人数の人たちに知ってもらう手段がなかった。

それが、幸か不幸か、ネットというものができてくれて、そういうことが可能になってしまった。表現したくなった時期と同じころにネットが生まれた。

言葉で、言ってるだけじゃしょうがないという人も、いるだろうけど、僕は、いまでも言葉で、ある程度、偏見をこわしたり、人の意識を変えることもできると信じてる。司馬さんや小島直樹さんの本なんかを読んで、昔の人が、どういう動機で新聞社を立ち上げたとかをみて、世界を変えるジャーナリスト精神というようなものがあるんだなと。読みながら、なにかゾクゾクしたというか、これだ、これって思ったね。感情的な悪口とは違う批判精神というものに、ぐらぐらきたというか。

あるいは、コリンウィルソンが、500年前に印刷機ができてから活字文化の歴史が、人間の意識にどういう影響を与えてきたか教えてくれた。そういう目でみると、ネットができた現代も、まだまだ面白いことが、できそうな気もする。

ただ、こういう形で書き始めてから、しばらくたって、そういう目的意識も、まどろっこしいと思い始めたというか。ほんと、江川昭子さんじゃないけど、なりゆきまかせというかな・・。

これまでの体験や見聞、読んだ本、瞑想というようなものが、いいように溶け合って、こういうものを吐き出させるようになったというか。僕は、こういう類のアウトサイダーカイコで、こういう糸をはくのが自然なんだって思うようになった。アウトサイダーという言葉自体、死後になりつつあるけど。

FM聞いてたら、ブックディレクターのどなたかが、バスケットで、軸足の本に関しては動かさないで、もう一方の足は、回転しながら動いていろいろやってるといってたけど、僕も、そういう感じで、軸足が固まったのは大きいと、僕は思ってる。これやりはじめた当初は、ほかのことに精力をついやしながら、これを書き続ける自信がなかったけど、いまでは、仮に、ろくに本も読まずに片手間にやっても、ぶれない糸を吐き出せるようになったというか。

だから、別に、こういう糸を吐く機会が、そのあたりで人と話してるときでもかまわないし、場所や機会は関係ないというか、実際、そのへんで話してるのと同じような軽い感覚で書いてきた。

ただ、実際は、そのあたりで精神世界的な会話をしたとしても、かえってそういう世界の方がマニアックな枝わかれが細かくて、ずれがあったり、そういう類の話をする人は、冗談がいえなかったり、逆に、冗談ばっかりの世界では、まじめな話ができなかったりというように、ここで書くのが一番、自然だなとも思い始めた。もっとも、完全にいいたいことをいったというわけではないけど。

こういう風に、自然に近い本音は、出版社から本を出すということでは、なかなか、かなわないだろうし、そういう意味で、ネットというのは、お金うんぬんを考えなければ、いい大人の遊びのツールになるんじゃないかな。翻訳までやってくれるわけだから、考えたら、すごいツールだと思う。

それも、こういう方々が読んでるかもなという意識があったから、抑制がきいてよかったのかなとも思う。いい練習させていただいたというか。なんのための練習だという人もいるだろうけど。こんなこというから、ひんしゅく買うんだろうね(笑)わるふざけに、つきあってくれた方には、お礼をいいたい。

僕の頭の中に入ってる方々が、実際に読んでるかどうかはともかくとして、読んでるかも・・という意識のこびりつきが、過激さを抑えてくれたというか。これでも、過激と思う人もいるだろうけど、ああいう人たちもよんでるのかな、っていう意識がなかったら、もっと、おどろおどろしいものになってたと思う。

はじめは、そういうのがうれしい反面、逆にわずらわしく思えたり、重さみたいなのもあったけど、どんどん、いい意識におさまってきたというか、だから、ご迷惑をかけた面もあるかもしれないけど、自己満足だけでなく、けっこう楽しんでいただけたと信じてる。

まあ、いまでも市井の人とか、藍ちゃんみたいに面白がって読んでくれてる人もいるだろうけど、大沢さんが好きだから・・。

うんざりしてまでして読まなきゃならないようなものにしてしまったのも、結果として、まずかったけど(笑)

世界で有名になりたいとか、有名監督、作家になりたいとかいう意識は、一切ない。弱虫とか、やる気ないとか、怒られるかもしれないけど、こればかりはどうしようもない。大体、世界でも負けるに決まってる。そもそも勝ち負けの問題じゃないと思うけど、勝手にムードをつくられただけという。

ただ、僕は、人間の心理とか、人生とか、活字の魔法とか、そういうことに興味があるというだけで・・いまでは、そういうものも、そんなにこだわらなくなったけど。地味なポジションで、なにか活字を書いて、それなりに食えればいいなとは思いましたけどね。平凡な生活から幸せを得たいという思いが強い・・

あとは、組織にしばられてという言い方は、つたないけど、もう少し、稼ぐために費やす時間を減らして、ある人は、家族とすごす時間を延ばしたり、ある人は、趣味や、本来やりたいことに使うとか、そういうことができる社会にならないかとは、思いましたけどね。

松下幸之助さんが、週休二日制というものを編み出したらしいけど、週休三日とかいう会社が出てきてもいいんじゃないかとか・・その分、仕事を分け合うというか。そうしないと、いすが少なくなったところで、働く目的がわからなくなってきてるというかな。あるいは、週休五日にしても、毎日10時間、12時間働かないと怠け者の烙印を押されるような社会が、いいものなのかとか・・

もちろん、人それぞれ、いろいろ目標があっていいと思うけど、もっと価値観がいろいろあっていいというか。趣味を仕事にできればいいけど、そういうことができない人もいるわけだから・・

あとは、霊性とか、宗教の解釈とか、そっちの方面について、僕なりに思うことをほとんど書けなかった。また、いろいろな現象を非科学的な怪奇現象と、とらえることにも興味があって、それなりに学んで、いろいろ観察しながら思うこともあった。

負間がいうのも変だけど、勝間さんみたいな考え方の人がいても、当然いいと思う。でも、みんなが勝間さんみたいな考え方になったら、それはおかしいし、そうなるはずはない。それと同じで、僕は、こういう糸をはくカイコだったというだけで、こういう考え方、生き方を、全員にやってくださいなどというつもりは、毛頭ないし、そうなるはずもない。あまり、こういう感覚の人間が増えすぎるのも、どうかと思う。

それと、いろいろな現象を、勝間さんが、ほんとうに引き起こしてるのか、客観的に見てみたいというのもあるね(笑)むしろ、そっちのほうに、関心がある。そんなことはないと思いますけどね・・。

というわけで、次回、もう一回だけ書いて、休みますよ。次回はそのほうがキリがいいということだけで、おまけにすぎないけど。

ただ、このまま、ずっとなにも書かないということは、どう考えてもありえない。申し訳ないけど。いい機会だから、自分で、しばらく、なにも書かないとどうなるか、自分を見たいというのもあるね。

外の様子をうかがいながら、あわせて内面の感覚や、サインで決めるけど。ほんと、いい加減だからねえ。黒田さんも、また書きたくなったら、戻ってきていいと言ってくださるし。ただ、少なくとも、二、三ヶ月は休みたい。菅垣さんの足も、引っ張りたくないしね。

もしかして、内容やペンネームは、変わるかもしれないけど。数十人、数百人規模の超マニアックな世界で書いてるほうがいいかもしれないし。ほんとに、心の底から僕の絹糸になじんでくれて、一緒に精神的、文化的に、向上していけるようなものをとも考えてる。その場合、もちろん、有名人の固有名詞は、一切使わず、あたかも、自分が語ったように見せかけながら書きますよ。これは、もちろん、冗談だけど(笑)

本田君も、がんばれ!


コラムニスト●
…………………………………………………………………
森田益郎

連載コラム146 from 台湾

6月2日。

これ以上、自民党には任せておけない、
民主党が、私が日本を変えると胸を張っていた
鳩山首相が辞任することを表明した。

日本を大きく変えると様々なマニフェストを掲げ
鳩山政権が発足したのは昨年9月のこと。

政権が民主党に交代しても
やはり長続きはしなかったのである。

国民のせいなのか
鳩山首相は、辞任表明会見の場で
辞任を決意した点を2つ挙げた。

米軍普天間飛行場移設問題と
「政治とカネ」の問題である。

得に米軍普天間飛行場移設問題に関しては
自分としては最大限頑張ったのに
理解が得られなかったことを強調。

まるで国民が長い目で物事を見られないと、
非難するような印象も受けるほどだった。

確かに日本国民の忍耐力は年々弱くなっている。
しかし、それはこれまで政治家たちに裏切られ
腹黒いことばかりされてきたからである。

必要ない地方空港、高速、モニュメント。
私たちにそんな不必要なものに税金を使われて
「足りない」「まだ足りない」と言われ続けて
いたのである。

埃の出ない政治家はいない
選挙のときだけ国民に対して必死にペコペコして
当選したら利権を乱用しやりたい放題。

そんなことを黙認してきたためか
「政治家=汚いもの」
という図式が日本でも出来上がってしまった。

もはや埃の出ない政治家など一人もいないのである。

この点ばかりを叩き続けていったら
どの政党も長続きしないだろう。

大事なのは今後のことである。
政治家の利権を最小限に抑え、
税金の無駄遣いを一切止めさせ、
甘い汁を吸い続けてきた公務員の給料や特権を減らす。

その代わり過去は振り向かないという気持ちを
政治家も国民も持たないと
前には進めないだろう。

短命政権が続きすぎて国際的信用度が下がりっぱなし
今回、鳩山政権が幕を閉じ、
菅政権にバトンタッチしたわけだが、
CNNもBBCも台湾のニュース番組も
それほど大々的に伝えたわけではなかった。

もちろん主要ニュース項目の中に入っているのだが、
特集が組まれるわけでもなく、
鳩山政権が何をやってきたのか評価するわけでもなく。

辞任した理由でもある米軍普天間飛行場移設問題と
母親からの「お小遣い」の話ばかり引き合いに
していたような報道であった。

そして、日本の政権がいかに長続きしないかを
街頭インタビューを交えて紹介。

日本人に希望はない、日は沈んでいくのである、
とまで伝えた局もあったのである。

どの国の政治化も人間である。
国際会議で何度も顔を合わせ
食事会などを通してお互いを理解しあい
信頼を深めるものなのである。

それには最低でも数年はかかる。
1年経たずに首相が変わりまくる日本は
信頼を得にくくなり
国際的に重要なことを決めるとき
仲間はずれにされてしまうのである。

政治家も国民も大変だと思うが
日本のためにも今度の政権には最低でも2年は
頑張ってもらいたい。


▼写真は、雰囲気のある台湾の図書館です。













コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム264 from 北海道●この国のペットブームに思うこと

つい二ヶ月ほど前、動物火葬場に犬が捨てられる出来事が起きた。
犬はどこかで飼われていたらしく、こともあろうに火葬場の焼却炉
の中に捨てられていた。
これは、我が自治体の話だが、こういう話には私でなくとも嫌な気
持ちにさせられるものだ。
市の環境衛生部の職員が、犬の第一発見者だった。
二匹の白い犬は、保護された後も酷く怯えていたという。
焼却炉の中に生きた犬を捨ててしまう飼い主とは、いったいどんな
人なのか?
このニュースはいち早く地元新聞で報道されたことによって、犬を
引き取りたい人がすぐに現れた。
焼却炉に捨てられた犬たちから、真っ先に思い浮かべてしまうの
は、埼玉県のペット葬儀業者が飼い主から預かったペットの死体を
火葬せずに山林に不法投棄していた事件である。
世の中のブームに、ペット葬儀なるものが現れても不思議ではない
が、日本ではこの手の社会的ルールがまだ整っていない。
付け加えれば、ペットを持つ飼い主に対しても同じこと。
自由にペットを持つ、そのこと事態決して悪いことではないが、動
物の命も流行の如く軽く扱う風潮に、私は憤りを感じてしまう。
それは、この国が先進国である恥ずかしさもあるからだ。
ペットを簡単に購入して、簡単に捨てる。
そこからは、命をいたわる心とか、愛情なんて感じられない。
捨てられたペットたちは、各自治体の保健所で殺処分させられる。
その数の多さに、数字で表すだけでもおぞましい限りだ。

そのこととは対象的に、デパートのペットショップでは、いつも人
で溢れている。
家族連れにカップル。
訪れた人々はみな、小さなボックスに入れられた可愛らしい子犬や
子猫たちに目を輝かせている。
値段はどれも高級だ。
なんとか血統証付きで、ウン万円からウン十万円が相場らしい。
高級な値段の犬猫たちが、商品として人々に飼われることを懸念す
るわけではなく、一方では捨てられた犬猫の殺処分を繰り返しなが
ら、ペットショップでは当たり前のように売買されていることに、
この社会の歪みを感じてしまうのだろう。

殺処分を免れた犬猫たちは、個人やどこかのNPO法人が引き取
り、保護を受けて生きながらえる物もいるが、でもそれは、全体の
数から言えばほんの一握りに過ぎない。
そして、これらの人々に紛れて、一部の心ない人達が、里親の会か
らもらい受けた犬猫を放置し、餓死、または餓死寸前までさせる出
来事は未だに耐えない。

ドイツでは、動物の殺処分はない。
ドイツの繁殖家は、法律によって規制されているからだ。
そして、そのことだけではなく、家庭動物行政のあり方やペット
税、動物愛護団体の活動から見ても、ドイツから学ぶべきことは多い。

数日前、道端で犬を散歩させていたおばさんと遭遇した。
おばさんは、年の頃は80歳くらい。
歩行に少々難があり、手押し車を押しながら、犬のリードを引いていた。
以前も何度かこのおばさんが犬を散歩させているところを見かけた
ものの、話すのは初めてのこと。
おばさんが連れていたのは、まだ5歳ぐらいの若い犬である。
見た目にも雑種と解るが、おばさんが散歩に四苦八苦するほど元気
のいい犬だった。
その犬は、保健所からもらい受けたのだいう。
タロウと名付けて、息子と二人暮しのおばさんの家にその犬は貰わ
れてきた。
もちろん足の悪いおばさんが犬の散歩をしているのだから、見た目
にも大変なのは伝わってくる。
でも、犬はとても幸せそうだった。
介助犬ではないから、しつけもなっていないのだが、おばさんと立
ち話をしていた僅かの間に、お隣に住む散歩から帰ってきたご夫婦
や下校途中の学生たちに、犬は声を掛けられ、頭を撫でられ、その
光景は微笑ましかった。

本当なら、法で規制をしなくても個人のモラルに委ねられればと思う。
だが、今の日本ではそうしなければ、どうにもならないところまで
来てしまっているのだろう。
法で、ルールを示さなければ、飼い主もブリーダーもペットショッ
プも、また関連業者も、少しも改善できないところまで来てしまっ
ているのだ。
悲しいことだが、それが今の日本の現状だ。
人の命と同じように、動物の命についても考え、大切に思う。
そんな心を養える日本になってほしいと思うのだが・・。

コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年6月1日火曜日

連載コラム157 from 東京

どこでなにをしゃべっても、ツイッターという感じの人がいるね。ツイッターやネット使う必要ないというか、天から監視されてるというか、まるで執行猶予判決を天の裁判官から受けて、地球に野放しにされながら観察処分を受けてるという。

報道の番組でもやってた。ああいう保護監察官は、ボランティアらしいけど、立派な女性がいるもんですね。ああいうのは、私心があると、だめだろうし、あんまりきれいな人とかでも、別の意味で駄目なんだろうね。人選が難しいというか・・

自由に生きようと思い、自由に近づいたと思ってたら、どんどん自由でなくなっていくという(笑)まあ、三十代になってから、しょせん、操り人形だって気づいたけどね。

結局、人間は、自由にしゃべれないようにできてるということなのかな・・当然、時と場合によって、人によって、話を変えたりする傾向は誰でもあると思うけど、あるところで話してた冗談を違うところで話されたら、状況によって、こうなるのかって思うね。ものすごく小さいと思ってたことが、大きくとらえられたり・・

いろいろな世界の本音とか、見てきたけど、本音にも、いろんな世界がある。下品な本音、上品な本音・・本音の伝道という番組もあったけど、やっぱり、人によって面白いと思う本音も違うだろうし、自分をだめにする本音とか、魂にはたらきかける本音とか、いろいろあると思うね。愚痴と本音との違いなんていうのも、哲学者は考えてみてもいいかもね。

本音というのは、話してないと自分でもわからなくなってくる面もあるね。自分の腹の中がわからなくなるというか。そうなると、記憶違いも多くなってくるだろうし。だから、たった一人でも、自分を完璧に隠さずにすむ本音を話せる人がいれば、○○されないというか・・まあ、○○という言葉は悪いけどね。そういうなにからなにまであう人って、意外と少ないんじゃないかな。

たとえば、アイドルとか、女優とかテレビでみて、あの子いいねとかって、こちらがわの世界では気軽に話したりするでしょう。そういうのが伝わり方によっては、まずくなるというのがわかってきたというか。実際、いいね、いいねって間抜けな顔でいってるときは、本音なわけでね。鼻くそほじって間抜けな顔でいってるときは、大体、本音と思っていい。

だけど、ツイッターで書いたことが本人に伝わることもまれだろうけど、ツイッターつかわないつぶやきが、むこうの世界の人に伝わるなんてことはありえないんでね(笑)そういうものまでが伝わるとなると、考えないといけないですね。気にしすぎかもれないけど、気軽にいったことが、心をもてあそぶとか、そういう領域に入ってしまうこともあるのかな・・

普通は、結果とかなにも考えないでいってるわけだから。広○がいいとか、菅○がいいとか、黒○さんもいいなとかいっても、相手にしてくれっこないからこそ、いいっていうのもあるんでね。ネットで、そういう類のことつぶやいてるのは、5万といるわけでしょう。僕だって、冷静にみれば、ちょっと高尚なオタっキーってだけでね。

まあ、飲み屋なんかで、そういう類の話をしてて、たまたま、本人が入ってきて、話しを聞いてしまったというような感じになるのかな。そういうのは聞きたい人もいるだろうし、聞きたくない人もいるだろうね。

スマップとかは、そういえば、あのうた、あのひとがあの場所でカラオケでうたってたな・・とか、そういう感覚がいいというかな・・。そういう利用の仕方が好きというか(笑)

こういうへんな現象の数々を見て、僕のいってきたことを信じなかった方々も、ちょっとは信じる気になったんじゃないかな(笑)隣のいすに愛読本を出してる出版社で働いてた人が偶然座ってたとか・・まあ、覚えてないだろうけど。

サッカーも、ワールドカップになるとさすがに、見たくなるね。サッカーファンでなくとも・・川口さんも、やせたんですかね??開催地が南アフリカというのも、興味を注がれるというか。野人向けなんじゃないかな。サッカーに岡野さんと思うけど、野人といわれる人がいました。カズさんがでれば、僕の頭の中の妄想ドラマとしても最高だったけどね。まあ、生いきなくらいのガッツある若者と、労とれが、うまく溶け合えばいいのかな、なんて思ったりするね。

一種類のスポーツにあれだけ、いろんな国が参加して、盛り上がるものもないだろうからね。これまでの歴史をみると、南米のチームが強いのかな??イギリス、フランスとかヨーロッパの強豪にしても、南米の選手がいたりとか・・くわしくは知らないけど。やっぱり、雪国とかは、そんなに強くないのかな。雪のグランドで練習したら、足腰が鍛え上げられて、強くなりそうとか、ろくにサッカーやったことない人間は簡単に思っちゃうけどね。やったことない人間は、なんでも強気に言えちゃんだな。

吉幾三さんも、雪国なんて売れないって、金昌男さんじゃなくて千昌男さんに言われたらしいですね。

メジャーも南米の選手が増えてきて、勢力図も変わったようですね。高校野球でも、僕が若いころは、雪国は練習できないとかで、甲子園で優勝できなかったですけどね。野球の球は、雪の上じゃどうしようもないからね。最近は、北海道のチームが優勝したり、室内の練習場なんかのせいなのかな。

ロッキー4だったか、ロシア最強のボクサーとロッキーが戦うんだけど、ロシアのボクサーは、科学的なトレーニングで、最強になって、ロッキーは、原始的な練習にこだわって、そのボクサーに勝つんだな。当時も、アメリカの方が科学に進んでたと思うけど、そういう原始的なものへの憧れというか、そういうものが格好いいという感覚もアメリカにあるんだろうね。

星野さんも、昔の練習を馬鹿にしちゃいかんといってたけどね。

ボクシングでも、メキシコの選手が強いのは、高地で練習するからって聞いたことがある。迷信かもしれないけど。高地だと息切れしやすいから、スタミナがつくって。

トルストイがいってるけど、童話などに、文学の進化の余地があるという。あの人は、難しいことを、いかに間単にいうかにこだわってたみたいですね。大人も読める童話というのかな。そういう意味での童話の位置づけというのは大きいといってた。寸分形式で、短く大事なことを伝えるというか。

実際、トルストイの童話というのは、いろいろ人生教訓が入ってるし、僕などは、面白いと思うけど、いまの時代には合わないかもしれない。宗教臭が強いからね。懸賞とか出したりしたけど、そう甘くないと思ってるしね。ただ、まわりがおおげさに騒ぎすぎてるような気がしますね(笑)ただ、えらそうに聞こえるかもしれないけど、僕にしか書けないようなものもあるんじゃないかって、思ったりもした。技術的なことはわからないけど。ただ、時代に合わないだろうなとも思ったし。

まんが日本昔話とか、世界昔話とか、テレビでやってたけど、子供のころ、おもしろがって見てましたね。ああいうものに、意外と教訓とか知恵が入ってるようですね。

ドストエフスキーも、トルストイも、○○が入ってるというかな。平和すぎる人生には、ああいう作品のねばっこさはうんざりさせられるようなものがある。だけど、そういうものの方が、リアリズムのようにも思えるというか、単に目をそむけてるだけのような気がする。○○と○○だけというのは、片手落ちというのかな。誰だって、○○なんて見たくないですけどね。ロシアというのは、○○を凝視するような思想家が、ぼつぼつ出ますね。やっぱり寒さというか、厳しい環境にも原因があるのかな。

宮崎県も大変な状況というか、当事者じゃなきゃわからないような、部外者が軽々しく取り上げられないものがありますね。

ロシアのグルジェフの子供の頃も、おとうさんが牧場をやってて、家畜が伝染病にやられて、全滅にあったらしい。ナスレッデンという宗教家で、笑い話をたくさんつくった人がいて、その人の話をつねにおとうさんから聞かされていて、一家くじけずにすすんでいったという逸話がありますね。


コラムニスト●
…………………………………………………………………
森田益郎

連載コラム145 from 台湾

日本人の非婚率が進んでいる。

1980年生まれの生涯未婚率は23%になると
予測され、
現在20代男性の3人に1人は生涯結婚しない
とまで言われている。

男性だけでなく女性の非婚率も高く
男女共に異性に対して興味を無くしつつ
あるようだ。

自分のために金を使う
独身男女の数が増えている30代、40代。

結婚していれば稼いだ金は家族のために使ったり
貯金したりするだろうが、
結婚する気などサラサラない独身中年男女は
自分たちのために金を使う。

男ならば趣味のゲームや写真、ハイテク機器を、
子供の頃に欲しかった玩具などを大人買い。

女も趣味だけでなく自分磨きと称して
化粧品やエステ、スクールにファッションなど。
誰のためでもなく自分のために金を使う。

子供もいないため、残すお金もいらない。
いざとなれば生活保護でも受ければいい、とまで
考えているのだろう。

独身だと時間がにぶる
30歳を過ぎると1年過ぎるのが早いため
自分が年をとっていくという感覚が鈍る。

環境は20代と変わらないため、いつまでも
20代のままで生活してしまうのである。

しかし、30代後半にもなってくると
20代のままの生活は周りから見て
痛いやつだと思われるようになってくる。

一人暮らしだと誰も何も言わないため
自分が老化していく感覚がゼロなのだろう。

妙な路線に進む日本人女性
その昔、30過ぎてたら女性は「おばさん」と呼ばれ
ファッションなどあまり関係ないのでは、
と思われてきた。

しいて言えば中年太りを隠すファッションが
うけるくらいであろうか。

しかし、独身女性はまだまだ女を捨てない。
環境は、20代と何も変わらないため、
そのまんま、ファッションも変わらず。
20代のものを着続けるのである。

しかし年は確実に取り、老化は進む。

女性の老化は30代でドンドン進むもので、
欧米の女性たちは年相応のファッションを
楽しむようになる。

しかし、日本人女性たちは20代同様の色使いで、
可愛らしいファッションを着たりする。

肉がたるみつつある、血管も浮いてきた脚を出し、
顔のくすみが目だつ白のトップも平気で着用。

海外で日本人中年女性の見分けがつくといわれるのは
年不相応なファッションや化粧からなのである。

必ずガタがくる
アラサー、アラフォーが元気な時代!と言われ、
今の30、40代と、昔の30、40代は違うとされるが、
40代後半になり50代に進むと身体にガタがくる。

その時、それまでどう生きてきたのか、
人生計画を立ててきたのかが
問われるのではないだろうか。

今はインターネットが普及しているため
ネット慣れしている30、40代の男女が、
一人きりで年をとっていったとしても、
さして孤独感を感じないだろう。

携帯電話も普及しているので、万が一のときは
ボタン一つで救急車も呼べる。

しかし、やはり死を具体的に考える年になると
独り身というのは不安でたまらなくなるだろう。

全ての結婚がよいわけではない。離婚だって多い。
でも自分だけでなく、家族のこと、社会のこと、
日本という国のことを考え、子孫を残すということを
もっと真剣に考えた方がよいのではないだろうか。

誰にも迷惑かけてないとが言うが、
生きている以上、生きていた以上、
誰かの手を煩うのは確かなのだから。

▼写真は、台北・陽明山の温泉元です。













コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム263 from 北海道●普天間問題と鳩山政権

沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で、名護市辺野古への移設を明
記した政府の閣議に署名を拒んだ福島大臣が罷免された。
連立与党として走り出した当初から、このような問題はいつかは起
こると懸念していたが、やはり起こるべくして起こってしまったようだ。
社民・福島さんの取った行動は、当然の主張であり、そこにブレはない。
社民の精神に忠実に行動しただけのこと。
だから、署名をしなかったことで、社民は党としての対面を保ち、
夏の参議院選でも思わぬ結果をもたらすかもしれない。

それにしても、この場に及んで辺野古への移設など、まったくこの
政権はどうなっているのだろう。
散々迷走して、こともあろうにもとのもくあみに戻ってしまうのだから。
沖縄県民は、これ以上ないほどに怒り心頭している。
あれほどの迷走も茶番劇かと思われても仕方がないし、それよりも
リーダーとしての根本的な資質を疑わざるおえない。
鳩山さん個人を知る人たちからは、良い人、優しい人と評価する声
をよく聞かれるが、そもそも良い人と、リーダーとしての才覚は別もの。
窮状を訴える人にも、膝を突き合わせて丁寧に話を聞き、共感でき
る優しさはあっても、ビジョンを貫く強い意志はない。
孤立や孤独に耐えうる精神もない。
そして、非常にやっかいなのは、これほどの混乱を招きながら、こ
の人自身に悪意が感じられないことだ。
子どもならまだしも、こういう立場の人間が悪意のない悪意をまき
散らすほど、腹立たしいことはない。

長年、野党時代から鳩山さんは沖縄問題に非常に関心が高かった言
われているが、それならばあれほどの宣言をしておきながら、なぜ
辺野古への移設を決定するのか。
辺野古と閣議で決定しても、地元での反対がある限り現実味のない
話だと踏まえて決めたことならば、これも茶番である。
そういう詐欺的行為を、外交での駆け引きと思いこんでいるなら
ば、これは日本にとって非常に危うい状況だし、そういう計算もな
く流されるまま辺野古への決定に及んでしまったのであれば、これ
も問題だ。

いまの政府を見ていても、それぞれがそれぞれの主観で動いてる。
それを鳩山さん自身、咎めることもない。
努力を評価する姿勢はあっても、みんなの意見をくまなく聞けば、
必ずや正しい道が開けると信じているのだろうか。

民主党でも、沖縄問題は賛否両論。
にも関わらず、鳩山さんと真っ向から意見が違う人たちが政府の大
臣に組み込まれてる。
違う人たちとも友愛の精神で語らえば、分かち合えると信じる鳩山
さんらしい選択かもしれないが、そもそも沖縄問題を私的な公約
だったと言ってしまう人を総理にさせた政党の責任は重い。
自民党時代にも、あれこれ思うことはあっても、ここまでではな
かったし、この思いは失望なんかとっくに通り越している。

そもそも、辺野古ではいけない理由はなんなのか。
米軍海兵隊を沖縄に駐留させなければならない抑止力とはなにか。
北や中国、隣国やテロの脅威から国を守るために、沖縄米軍基地は
必要というが、本当にそうなのだろうか?
この場に及んで開かれた全国知事会でも、訓練の受け入れの協力を
仰いだ鳩山さんに、大阪府橋本知事を覗いて、誰もが厳しい発言だった。
当然の結果である。
こんな時期になって知事会もないものだ。
本当にこの問題に関して、真剣に取り組む姿勢があったならば、
もっと早い時期から話し合いを開くべきだし、国益を考えているな
らば、実現不可能な決定など決めるべきではない。
北海道の高橋知事も非協力姿勢だったが、私は北海道に来てもらっ
ても構わないと思う。
それで、沖縄の負担が少しでも減らせるならば、この問題は安易に
撥ねつけるだけでなく、どの自治体も真剣に考えるべきだ。
訓練を受け入れることで、抱える負担はあるが、そんなことより、
もし北海道や他の自治体がこのことを受け入れても、アメリカは
きっと首を立てに振らないだろう。
それは、日本各地にあった基地が沖縄に集中していった理由とも同
じこと。
日本の平和のため、アジアの治安のためと明言するアメリカに日本
政府に、沖縄は多大なる犠牲を強いられてきた。
だが、沖縄でなければならない本当の理由が、アメリカ側にあった
としたら、私たちは今もって日米安保条約を見直さなければならない。

沖縄に駐留する海兵隊のフィリピンでの合同訓練を取材したテレビ
を見た。
米軍海兵隊の内部にまで踏み込んだ解りやすい取材であったもの
の、今ひとつ疑問が拭えない。
アジアの治安のために日夜訓練を続ける米軍海兵隊であるが、本当
ところ日本の抑止力にはなっているのだろうか。
抑止力になっているならば、竹島領土の問題は起きなかったのでは
なかろうか。
中国の東シナ海ガス田問題も起きなかったはずである。

夏の参議院選挙では、このこともよくよく捉えて私たちは投票すべきだ。
国民のための政治などと掲げている今の政府に、物を申すべきである。


コラムニスト●プロフィール
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赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住