2010年3月15日月曜日

連載コラム258 from 北海道●今、イラクは

2003年に始まったイラク戦争から今日で7年という月日が過ぎ
た。
この度の国民議会選挙の投票結果も、この段階ではまだ開票は続い
ているが、イスラム教シーア派のマリキ首相率いる会派「法治国家
連合」の幹部は、座獲得を見越して他の会派との連立協議を始めた
と報道されている。
今回の選挙でも、度々投票所を狙った自爆テロが多く続き、自らの
一票を投じるがために足を運ぶ人々は、命がけの選挙を強いられた
ことだったろう。

世の中は、今度こそイラクが混乱を脱して、民意の力で新しい国家
を築くことを願ってやまない。
長きに及び、未だに自爆テロ行為が沈静化しないイラクで迎えたこ
の度の選挙も、日本からも選挙監視団が派遣され、イラクの厳しい
治安状況下、一部を除いては、大きな混乱もなく実施されたと、我
が国の外務省のホームページでもコメントしているが、同メッセー
ジの冒頭に、イラクにおいて同国の民主化プロセスに意義を有する
国会選挙と書かれてあったことが、少々気になった。
民主化と今の段階で判断するのは、あまりにも短絡的過ぎるように
思ったからだ。
イラクの総選挙は、近代的な制度を借りて部族や宗派の力を示すた
めのものだったのだから、個人が自分の好きな候補者に自由な一票
を投じたわけではないと、作家の曽野綾子さんが「貧困の窮地」と
いうレポート・エッセイ集でも述べている。
決められた候補者の名前を書けと命じる組織と、それを忠実に守る
人達がいる社会は、日本でも珍しくない行為だが、日本では組織に
縛られた有権者の中にも密かに党派を越え、自らの意志で一票を投
じたとしても、それが外部に知られることはないし、そのことで社
会から制裁を受けることもない。
けれども、アラブ社会では、そのような自由な選挙は、体制として
今はあり得ないようになっているのだそうだ。
前イラク大統領サダム・フセインの処刑も、アメリカを後ろ楯とし
ている現政権下で行われた行為であり、そのことでは、それまで以
上に、深い問題と危機を残した。
部族的宗派的対立が以前より激しくなり、その結果、武力抗争やテ
ロが、更に多くの人命まで失わせている。
曽野綾子さんの本のこの章に、尤も興味深いことが書かれてあった。
それは、アラブ人が、基本的にアメリカ人が嫌いだということ。
クルド人は、サダム・フセインを嫌っていたが、それ以上にサダム
より更にアメリカは嫌いだとハッキリと言ったという。
アラブ人にとって、アメリカは関係のない人なのだ。
彼らの生活や信条、正義感、道徳、全てにおいて同じような感じを
抱いておらず、しかも関わるはずのない人だからである。
イラク問題に関して、ブッシュの最大の誤算は、その点なのだろう。

今日のイラクにおいては、あの戦争であまりにも数が多い奇形児た
ちが次々と生まれている。
アメリカやイギリスが兵器として使用した劣化ウラン弾の後遺症で
ある。
その映像の惨さに、全く言葉がでないほど。
辛く、悲しい映像だった。

イラク戦争がいったい何だったのか、いま改めて考えてみても、全
てのことに明確な回答は出てこないだろう。
あの時、アメリカは9・11の怒りと恐怖の中にいた。
どうあっても、テロと戦い、敵を指し示す行為が必要だった。
その行為に、日本も荷担したのだ。
世界も、テロ撲滅を掲げて、イラクに兵を送った。
多くの犠牲者をうんだイラク戦争は、イラクの民間人が巻き込まれ
ただけに留まらず、戦争に狩り出された兵士達も、PDSDという重
い代償まで抱えている。
イラクでは今、これ以上奇形児たちを増やさないために、女性達に
子供を産まないように呼びかけが続いている。

戦争という行為に、いつの時代も正義はない。
そして戦争は、尤も弱くて小さな命に、過酷な犠牲を強いる。
劣化ウラン弾の後遺症で生まれてきた幼気な命に、戦争の愚かさを
刻むべきなのだ。
彼らの命から、私達は学ぶべきなのだと思う。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

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