2010年2月15日月曜日

連載コラム256 from 北海道●砂川政教分離訴訟に思うこと

1月20日、北海道砂川市の市有地を神社の敷地として無償使用さ
せた行為を
「憲法の政教分離原則に反する」とした最高裁の判決が下された。

まず、この出来事を同日夕方、テレビで目にした時、私は酷く困惑
したものだ。
神社が建つ敷地について、今更ながら争っている事実にも違和感を
感じたし、
どうしてこのようなことになったのか、翌日の朝刊を読んでも理解
に苦しんだ。
ただ、無性に腹が立ったものだ。
砂川は私の生まれ育った故郷でもある。
だから、非常に個人的な感情で憤ったのも事実だ。

これは、人口20000人を下回ってしまった小さな自治体の話である。
されどこの判決は、今後どのように全国に飛び火するのか、考えただけ
でも不快感が拭えない。
北海道では江戸時代以前からある神社のほか、明治維新後に建立さ
れた神社、
屯田兵や開拓民たちの心の安らぎとして、また炭坑などの鎮守とし
て建てられた
神社が数多く点在する。
中には、ダム建設や、炭坑の閉山、人口減による移転や消滅した神
社もあるが、
それでも道内の神社は、その昔の開拓民たちの苦労や歴史を感じさ
せてくれる
存在でもある。
たとえ氏子がいなくなっても、鳥居と祠だけが存在し、田畑や山に
囲まれ、
忘れ去られた土地にぽつんとあっても、また回りが住宅に囲まれようが、
長年その土地を静かに見守り続けてきた神社の存在は、歴史の証人
でもあるし、
それだけでも意味のある歴史的遺産なのだ。

砂川市の空知太神社に関する訴訟は、平成16年から始まっているが、
空知太神社の始まりは明治25年に遡り、開拓民が祠を建てている。
祭神はアマテラスオオミカミである。
明治30年に入り、北海道庁から土地を借りて神社を建立し、昭和
3年に空知太小学校
増設のために、ある住民が自分の土地を神社に提供している。
その後、昭和28年に土地を提供した人物が、神社つきの土地を砂
川市に寄付。
昭和45年に、同土地内に住民の集会所が隣接され、その後鳥居が
新設され、
昭和61年と平成6年には会館が建て直された。
神社の敷地内に、神社と会館が設けられていたことは事実だが、最
初この建物は
別々に存在していた。
それが、ある時から屋根を一つにして建物を区分し、会館と神社を
使い分けるように
なったのも事実である。
だが、これには、豪雪地ならでは事情がある。
狭い敷地に二つの建物が隣接するだけで、屋根から落下した雪が建
物の間に堪り、
外壁を腐らせることもあるからだ。
今シーズンでは珍しく全国的に雪に悩まされているが、昔は砂川の
積雪量も凄かった。
一晩で降り積もった雪に玄関が頭まで閉ざされ、穴を掘って家から
脱出しなければ、
学校へも行けないことも少なくなかったからだ。
日に何度も雪掻きを手伝い、屋根から落雪した雪をそのまま放置し
ておけば、雪の重みで
窓ガラスが割れてしまう恐れもあるため、私の家でも家族総出で雪
掻きを行ったものだった。
だから、会館が設けられた神社の敷地内で、一つ屋根の建物を区分
して使い分けたのも、
住民達の知恵である。

同市の富平神社に関する訴訟は、同原告が同じく平成16年に訴え
を起こしているが、
最高裁が原告の訴えを退け、その後再度上告し、判決で合憲している。

つい先日、この原告を招いた集会に私も参加した。
主催は、思想と信教の自由を守る市民会議となっており、参加団体
は、北教組支部、
高教組支部、高専教職員組合、平和委員会、平和・民主・革新の日
本をめざす会となっていた。
会場は、狭い会議室に80人ばかりが参加し、開会挨拶から始ま
り、講師に招かれた
原告の加藤正勝氏と谷内榮氏が、長々と演説をした。
加藤氏は、この度の裁判の流れを参加者に配ったパンフレットに基
づき、ほぼ読み上げる
形で解説していたが、谷内氏の話は自分の少年時代に経験した軍国
主義の体験を熱弁した。
戦前から続いた国家神道の中で育成されて来た谷内氏は、敗戦と同
時に心が打ち砕かれ、
その強烈な体験によって、敗戦の翌年にキリスト教に入信したという。
そして、軍国少年時代の体験と敗戦によって全てが一遍した経験か
ら、自分は将来
必ずや先生になるのだと決意したのだそうだ。
砂川市の隣町にある奈井江町で育った谷内氏は、自分の町が北海道
で一番戦中の学校
教育が厳しかった町だと言い切った。
朝礼の過酷さやビンタの数、訓練の練習模様、それらの体験は80
歳になった今も、
強烈な記憶として心に留まっているように思えた。
ただ、その体験ゆえに、神道への尋常ではない恨みを感じたのも事実だ。
神社の鳥居を見る度に、怒りを滲ませ、きっといつかそこら中の神
社を撤去させてやろうと
思ったのだという。
明治天皇の恨み節から始まり、古事記や日本書紀の神話についても
難癖をつけている。
石原都知事や森元総理の悪態に至るまで、全くもって話せばきりがない。

原告の講演を聴いて私なりに思ったことは、これはとても私的な訴
訟だということだ。
彼らは、憲法20条と89条に違反する行為だと市を相手取って訴
えたが、実際は
心からそのことに拘ってはいない。
この訴えを起こすために、憲法を適用し、利用したに過ぎないからだ。
神社を撤去できる方法を長年探っていたのだろう。
長い恨みによる起こした訴訟である。
それは神道にお灸を据えるというようなかわいい物ではない。
私は、日本キリスト教会なる団体を知らない。
ネットで調べてもその実態は、把握出来ないことばかりだ。
ただ漠然と解ることは、新興宗教団体なのだろうということである。
プロテスタント系の福音教会でも、もっと柔軟であると思えるからだ。
付け加えれば、カトリック教会に関しては、日本の神社も仏閣も国
の文化、習慣と
みなし、これもバチカンが推進している。
靖国神社についても、戦中に戦いに呑み込まれていった多くの兵士
達の魂の
待合所として、靖国が存在することもはっきりと認めている。
だから、カトリックは一神教でもないし、カトリックを信仰していても、
初詣に神社に行こうが、お寺にお参りしようが、文化として認めて
いるのだ。
原告側の二人を招いた主催者は北海道教職員組合ほかの団体である。
北教組と日教組がどの程度違うものなのか、私には組合事情まで解
らないが、
彼らが神道を毛嫌いしているのは確かだろう。
そう考えてしまうと、日本相撲協会で新しく理事に任命された貴乃
花親方が
言っていた学校に土俵を作り、日本の力士育成の場を確率していく案も、
危ういように思った。
国技でもあり、神事と言い切る相撲の土俵を、神道を嫌う教育者達
の現場で
確率するなんて話は夢の夢だからだ。
そして、今の政府の基盤でもある民主党も日教組をバックアップす
る政党でも
ある。

日本は、今も昔もあいまいな文化とともに暮らしてきた。
それは、日本人にとって心地よいことで、神道はその象徴でもある。
戦中の学童体験の恨みを今も持っていることは悲しいことだ。
だけれども、あなた達よりもっと苦しくて辛い体験をした人々は
ごまんといるのだ。
沖縄の人々や、原爆を投下された広島や長崎や、大空襲にあった人々、
南方の戦いに繰り出させてそこで無様な死を遂げた兵士たち。
私がフィリピンで出会った戦争体験をした老人は、米兵と日本軍の
戦いに自分達が巻き込まれて多くの命を失ったのに、世界大戦だった
のだから仕方がない、私は誰も恨んでいないと言っていた。
キリスト教の名を名乗って正義を掲げ、神道や天皇退治など、
お門違いも甚だしい行為である。
天皇も神道も、あの時代、戦争に利用されたとどうして考えられな
いのか。
養老孟司さんも、以前講演の中でおっしゃっていた。
昭和天皇が、もし虫や植物、自然に全く興味がなかったら、
きっと頭がおかしくなっていただろうと。
養老さんは、きっとそれほどの重圧を陛下が抱えていたと言ったのだ。
戦争の記憶は、誰もが悲しいに決まっている。
だが、その体験を間違った方法で活かしてほしくはない。

メディアは何故この判決に疑問を持たないのか。
原告側と同じ思いなのか、諦めているのか、全く見えてこない。
想像してください。
もし、日本の同じような状況にさらされている神社が、全て撤去される
ようなことになったらと、考えてください。
神道は宗教ではなく、この国の文化と象徴、遺産です。
最高裁の判決は、これ以上の混乱を避けて現実的な手段で解決した
としているが、
神社の撤去を避けて、ほかの手段の解決策とは土地の買い取りしか
あるまい。
それは誰が出すのか。
氏子か、氏子がいなければ、住民たちか。
買い取りなど、簡単にはいくまい。
そうなれば、原告側が望んでいた通り、神社の鳥居も祠も撤去され
るのだ。
新聞記事によると、原告側は今回と同じようなケースで公有地上の
宗教施設は、
全国で二千ヵ所以上あると主張したという。
その宗教施設とは、神社なのだろう。
国の遺産を守れない法律など無意味である。
ならば、今後これ以上このような問題を広げないためにも、法律を
改正するべきである。
原告側は、神道を呪術的と言い切った。
こういう訴訟の裏にある真実の狙いを明確に見破って、裁判所も判
決を下してほしい限りである。


コラムニスト●プロフィール
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赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

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