2010年2月15日月曜日

連載コラム150 from 東京

朝青龍が引退して、うちの母親もさびしがってるんじゃないかな。ああいうとっぽいやんちゃな感じのがいいみたい。水野とか、貴闘力とか・・そのわりに、野茂も好きだったりして、よくわかんないね。


まあ、貴乃花とかも、内輪もめが、人間にとって一番きついことだからね。だから、会社などでは、既製から出ようとするには、やめる覚悟をしなきゃならない。大企業でも、仕事しないでいいといわれて隔離部屋に入れられたりすることがあるらしいけど、仕事しないで楽どころか、並みの神経じゃ耐えられない。

でも、貴乃花っていうのは、そういうものに耐えられそうというか、相当な精神力を持ってる感じがするね。

普通は、妥協していって染めれたり、鈍くなったり、逆に、意固地になってひねくれたりするけど。逆境になればなるほど、自分の我が削れていって自分ができていくというかな・・桑田が「自分をもっと深く掘れ」をプレゼントされたけど、そういうのが趣味なような人じゃないと改革ってできないんだろうね。

ジメジメした組織の内紛やってるような場合じゃないんじゃないかな。部外者の意見にすぎず、端でいうのは簡単なことだけど。

稲盛さんも、そういう反逆児的な人というか、人がやらない、できないといったことをやるんだと。西郷が好きみたいですね。

西郷も、なにもいらないというようなバカじゃないと天下国家の改革はできないというけど、あれも守りたい、これも守りたいとかあると、なんでそこまでしてってなるし、どうしても流れちゃうからね。

国会もヤジがとびかって、品がないとか、いろいろな意見もある。必ず賛成反対意見があるわけだから。亀井氏は、ヤジも本気でやることが大事だといってたね。

野球も、球場でみるとヤジがすごいからね。何年か前、上原にサインもらおうと思って、二軍の球場に行ったときに、たまたま試合やってて、バックネット裏で見てたけど、いきなり野口がストレートのファボール出して、近くのサングラスのおじいさんが、すごいヤジ飛ばしてた。

あの時は、上原にサインもらう目的で行って、サイン色紙まで買って、警備員に上原が、室内にいるかどうか聴いたら、いるっていうんで、いろんなこと聴いた。いつもサインしてくれるのかとか、どっから出てくるんだとか、どんな車でくるのかとか・・サインしてくれるときと、そうでないときがあるといってた。

あの球場行くのは、初めてだった。さびしい丘みたいなところを歩いていくんだけど、ひとりで歩いていて、「俺、いい年してなにやってるんだろうって」(笑)

ヤジも本気でやればというのも面白いね。要するに、政治家が、普段、ヤジ飛ばしあいながら、実際にやってる仕事が、芸術的だったら素敵ですね。

ヤジが伝統というか、当たり前の空間と、そうでない空間があるわけでしょ。

品があるないも、世界によって変わってくるわけでね。朝青龍だって、プロレスとか格闘技の世界に行けば、うるさいこといわれないかもしれない。まあ、本当にシロウトを殴ったのかどうかまでは知らないけどね。いくらなんでも、ああいう腕っ節の人間がシロウトを殴ったら笑い事じゃすまなくなる。ムツゴロウさんだったか、熊が親しみをもって人間にじゃれてきても骨折するといってたね。力道山も、プロレスに転向して、やっぱり酒で身の破滅を招いたようだけどね。

「奇麗事はもういいや」というヤジがある。愛とか正義しか言わないのは、だれでも出来るよ。だけど、愛にも、いろんなものがあるわけでね。それを提示するのが作家の役目でもある。そういうものが意識できてる人と、出来てない人がいて、意識できてない人は、無意識にいろんなことやってしまうこともあると思うね。必ずしも、悪いことばかりじゃないだろうけど。

奇麗事でもセンスのいいものは、自分を見つめていないと、なかなか出てこない。行動とかも、また別だけどね。ただ、生粋の宗教というのは、みな内面世界を重視してるんでね。そのための行動なんでね。

経済の曲線とかを見せて、菅さんがわからないといって、アザ笑ってたけど、逆に、ああいうものが、どれだけ経済を変えられるのかと思うね。

トルストイも、自分が皇帝だったら、本人も説明できないような意味不明なことをいう知識人は、むちうち100回の刑に処すという法律を公布すると。

そういう恵まれた生活でも、病気したり、家族を亡くしたりして、自殺したくなるというのは、よくあるだろうけど、トルストイの場合は、周りから羨ましがられるような生活自体が、地獄というか、イヤだったんだね。

それで、なんでも、かんでも、貧しい人に物やら土地やらをやってしまうから、奥さんとケンカが耐えない。夫婦喧嘩でも、芸術家のケンカというのは違う(笑)

「復活」にしても、ある原始キリスト系の教徒たちが迫害されていて、彼らをカナダに逃がすための印税を得る目的で書いたらしいんだね。彼自身は、その教団には属してないけど。やはり原始キリスト系の教徒たちに感ずるものがあったのかもしれない。

だから、愛とかいってないで、世の中を変える具体策を言えなんてヤジってたけど、簡単なことで、こういうトルストイみたいなのが、2割でも出てくれば、変わる(笑)1割でも出てきたら、違ってくるだろうね。そういう影響が、次から次へと伝染していくというのかな。

クリシュナムルティも、金持ちとか、中産階級から変わらなければ、明らかに変わらないといってるけど、貧乏人は、生活の糧を稼ぐことで手一杯なわけだから、余計なことを考えられないんだね。

ほんとは、行動でなくて意識が変わるだけでも違うはずでね。ほんとうに、そういうものが、そんなにすごいのかとか、必要なのかとか、意識が変わるだけで。まあ、金を得るために必要かどうかということばかりになってるけど、もっと全体的にみてどうなのかと。

やっぱり、自民も焦りが見えるというか、ヤジで引きずり落とそうという気負いが見えすぎてる感じがするね。これはいけるっていう政策を出さずに・・若い人は、面白いけど。

僕が、小説家に向いてるんじゃないかと思う人もいるかもしれない。もしかしたら、村田さんあたり、応募してこいくらいに思ってるかもしれない。妄想かもしれないけど。そうなら、お気持ちは、ありがたいことですね。ただ、僕の小説を偏差値であらわせば、人間の内面世界のことに関しては、70以上いってるのかもしれない。でも、構成とか、風景描写や人間の外観の描写になると30くらいになっちゃう(笑)

僕の小説は、野球でいえば、江川さんが直球だけ投げてるみたいなもんだと思うね。そういうものが茶川賞なんか取れると思えない。少なくとも、前例はない。

うんざりしてる人もいるだろうけど、安倍に続けていいか聞いたら、ハイっていったんで続ける。まあ、ほんとは聴いてないけど、たとえ、安倍が首を横に振っても、カーブ投げれない(笑)

オリンピックも、高木さんとか、中学生ですごいのが出てきたみたいだな。愛子さんも、若い頃、かわいかったというか・・当時は、ITの若旦那たちが、みんなしてスポンサーになりたがって大変だったろう(笑)

企業家も、昔と、ずいぶん趣味が変わってきたんだろうね。ホラエモンなんかも、ちょっとおちゃめぽいというか。頭もいいし、ある種の技術力、仕事力はズバ抜けてるんだろうけど、なんか骨が一本抜けてる感じがするんだよな。僕と同じで・・

僕はある種の観察眼だけは、秀でてるかもしれないけどね。それもある種のものだけで、服のセンスは全然、ないからね。

山田洋次監督の映画で、鶴米が吉永小百合姉さんのダメな弟を演じてるようだけど、正に、ああいう存在だと思うよ。僕は。だから、本当は救いの手を差し伸べてくれる人がでてこなきゃいけない(笑)あの弟は、ダメ人間で、お姉さんの結婚式で、テーブルひっくり返して破門になったわけだろう。トルストイも、教会を破門になってるけどね。

僕も、妹の結婚式当日は、髭そるときに、アゴのところ切っちゃたりして、血が止まんなくなっちゃってね。電車の中でずっとティッシュでアゴを押さえてた。まあ、式が始まる頃には、かさぶたになってたけど、まったく、鶴米に似てると思うよ。

ただ、鶴米というか、あの弟は、バカでも憎めないというかな。ドストエフスキーの白痴に通じるんだろうけど、美しいという感じはするね。

ああいうのは、家族や当事者同士間はいやでも、端から見てると可愛げがある。だから、映画をみて、美しくて泣けるというのかな。

ただ、現実は、僕みたいなバカが大勢いるわけ。ダメ人間で、可愛げもなく、むかつくというようなのが。それでも、監督の言うように、どこか断ち切れない絆というのがあって、そういう中で人間が成長していくというのも、あるんだろうけど。

つきあいやすい人ばかりと接してると、人間は成長しない。そういう小説は、漱石なんかが書いてますね。ただ、こういう映画を見てる側は、あまり面白くないかもしれない。やっぱり、コテコテのリアリズム映画というのは、なかなか受けない。アバターみたいに、ムチャクチャヒットする映画と極端だね。

ファンタジーとか、3Dとか現実を忘れさせてくれる映画が受ける。とうぜん、映画だからできる面白いことだけどね。ギリアムもそうなのかな?

日本でも、リアリズム映画って減ってるでしょ。僕が若い頃より、尚、減ってるようだね。映画を売る側も三大映画祭で大賞なんかを取る映画は、ろくなもんじゃないってイメージがあるんじゃないかな。

ハリウッド映画でも、正義がきっちり勝つようなのが受けるだろう。子どもの頃も、粗いけど、正義とか、善悪とか、そういう感覚はあるわけ。あるいは、暴走族にしても、更生して急に、いい人間になっちゃったりするようなのが受ける。だけど、更生しないような人も、現実には多いんでね。更生しないでズルズルいっちゃうようなのは、あんまり見たがらない。

山田洋次監督なら、どう描くんだろうね(笑)冗談抜きに監督の作品は、どれも心があるというか、監督自身が透明になってないと、出来ないんだろうね。

まあ、浅田まおうなんかは、あの細い足で、従来のスケーターのイメージも変えたというか。高橋も、怪我から立ち直った。ミキティなんかも、やってくれそうだし、葛西は、PHPが合言葉かな。


コラムニスト●
…………………………………………………………………
森田益郎

連載コラム138 from 台湾

先月、警視庁が「2009年度自殺者数」を発表。
その数、なんと3万2753人で、
前年より504人増加していた。

また、12年連続して年間3万人を超えたと報告され、
このうち2万3406人が男性、女性は1万にも
満たないとされている。

事故に見せかけた自殺などもあるだろうから
実際の数は、4万に近いのではないかと
恐ろしい想像をしてしまう。

日本では、1日に約100人が自ら命を絶つ。
毎日、100人が死に追い込められていく。

平和大国だとされる日本だが、
まるで戦場のようである。

原因は果たして不況だけか
警視庁は月別の自殺者数も発表しており、
それによると1月から8月まで前年を上回るペースで
増加。年度末とその直後である3月から5月までは
毎月3千人が自殺したという。

一昨年の、いわゆるリーマンショック直後にも
一月で3千人自殺しているという背景から、

「不況と自殺は比例する」

と言われるようになっている。

しかし、果たして不況だけが原因なのだろうか。

事業が上手く行かなくなる、借金が重なる、
リストラされる。
そんな不況は過去にもあった。

「生きていればなんとかなる」と歯を食いしばり
頑張るという人は今や少数派であり、
大抵の人は自殺を選んでしまう。
そういうことなのだろうか。

増加する精神疾患者
厚生省が昨年夏に発表した内容によると、
「仕事のストレスが原因で精神疾患となった」と、
2008年に労災認定を申請した人は927人だったそう。

うち269人が認められたという。

「鬱」「アダルト・チルドレン」「統合失調症」など、
精神疾病に対する差別は年々減ってきているが、
労災が申請できる、企業の中においては
まだまだタブー視されている。

セクハラだのモラハラだのニュースになるが、
特に大企業とされる会社の人間関係や仕来りなどは
何一つ変わってないのが現状なのである。

それでも「仕事のストレスで鬱になった」などと申請
するということは、職を失う覚悟でか、
すでに失業した人なのだろう。

実際に「鬱」の人であっても、精神科に行かぬ人は多い。

風邪をひいても、体調が悪くても、仕事を最優先させ
病院に行かぬのが日本人である。

隠れ鬱の人は山ほどいる。

しかも、鬱は「誰の目からも」鬱だと分かる、
最も状態が悪い時は自殺はしない。
自殺願望はあるのだが、それずら行動に移せぬほど
気力がないからである。

鬱になりかけた時、治りかけの時が一番危ないのだ。

もともと「鬱」を発症していた人が、新聞で「不景気」だと
あおられ、メディアでもリストラだとあおられ、
悲観し「思わず」命を絶ってしまうケースも
とても多いのではないだろうか。

自殺は精神病と大きく関係
多くの人々が精神病を発症している現代の日本。

遺伝性も精神病疾病もあるのも事実だが、
国民の心を病ませてしまう、
日本はそんな恐ろしい国になってしまったのかもしれない。

そして、病んだ心を治してくれるシステムや
救いの手が差し伸べられないのも事実。

一般社会人は「大丈夫、大丈夫」と仕事を守り、
一方で、公務員は「鬱」だと嘘をつき有給扱いにしてもらう。

この国は、最も正しく生きている人に対して、
むごい仕返ししかしない、酷い国なのである。

自分の将来に、日本での未来に悲観し、
自らの命を絶って行く。

彼らの気持ちが私にはよく分かる。



写真は台北市の公園で咲いていた桜。
日を追うごとに気温が上がっている台北ではもう桜が咲き乱れています。


コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム256 from 北海道●砂川政教分離訴訟に思うこと

1月20日、北海道砂川市の市有地を神社の敷地として無償使用さ
せた行為を
「憲法の政教分離原則に反する」とした最高裁の判決が下された。

まず、この出来事を同日夕方、テレビで目にした時、私は酷く困惑
したものだ。
神社が建つ敷地について、今更ながら争っている事実にも違和感を
感じたし、
どうしてこのようなことになったのか、翌日の朝刊を読んでも理解
に苦しんだ。
ただ、無性に腹が立ったものだ。
砂川は私の生まれ育った故郷でもある。
だから、非常に個人的な感情で憤ったのも事実だ。

これは、人口20000人を下回ってしまった小さな自治体の話である。
されどこの判決は、今後どのように全国に飛び火するのか、考えただけ
でも不快感が拭えない。
北海道では江戸時代以前からある神社のほか、明治維新後に建立さ
れた神社、
屯田兵や開拓民たちの心の安らぎとして、また炭坑などの鎮守とし
て建てられた
神社が数多く点在する。
中には、ダム建設や、炭坑の閉山、人口減による移転や消滅した神
社もあるが、
それでも道内の神社は、その昔の開拓民たちの苦労や歴史を感じさ
せてくれる
存在でもある。
たとえ氏子がいなくなっても、鳥居と祠だけが存在し、田畑や山に
囲まれ、
忘れ去られた土地にぽつんとあっても、また回りが住宅に囲まれようが、
長年その土地を静かに見守り続けてきた神社の存在は、歴史の証人
でもあるし、
それだけでも意味のある歴史的遺産なのだ。

砂川市の空知太神社に関する訴訟は、平成16年から始まっているが、
空知太神社の始まりは明治25年に遡り、開拓民が祠を建てている。
祭神はアマテラスオオミカミである。
明治30年に入り、北海道庁から土地を借りて神社を建立し、昭和
3年に空知太小学校
増設のために、ある住民が自分の土地を神社に提供している。
その後、昭和28年に土地を提供した人物が、神社つきの土地を砂
川市に寄付。
昭和45年に、同土地内に住民の集会所が隣接され、その後鳥居が
新設され、
昭和61年と平成6年には会館が建て直された。
神社の敷地内に、神社と会館が設けられていたことは事実だが、最
初この建物は
別々に存在していた。
それが、ある時から屋根を一つにして建物を区分し、会館と神社を
使い分けるように
なったのも事実である。
だが、これには、豪雪地ならでは事情がある。
狭い敷地に二つの建物が隣接するだけで、屋根から落下した雪が建
物の間に堪り、
外壁を腐らせることもあるからだ。
今シーズンでは珍しく全国的に雪に悩まされているが、昔は砂川の
積雪量も凄かった。
一晩で降り積もった雪に玄関が頭まで閉ざされ、穴を掘って家から
脱出しなければ、
学校へも行けないことも少なくなかったからだ。
日に何度も雪掻きを手伝い、屋根から落雪した雪をそのまま放置し
ておけば、雪の重みで
窓ガラスが割れてしまう恐れもあるため、私の家でも家族総出で雪
掻きを行ったものだった。
だから、会館が設けられた神社の敷地内で、一つ屋根の建物を区分
して使い分けたのも、
住民達の知恵である。

同市の富平神社に関する訴訟は、同原告が同じく平成16年に訴え
を起こしているが、
最高裁が原告の訴えを退け、その後再度上告し、判決で合憲している。

つい先日、この原告を招いた集会に私も参加した。
主催は、思想と信教の自由を守る市民会議となっており、参加団体
は、北教組支部、
高教組支部、高専教職員組合、平和委員会、平和・民主・革新の日
本をめざす会となっていた。
会場は、狭い会議室に80人ばかりが参加し、開会挨拶から始ま
り、講師に招かれた
原告の加藤正勝氏と谷内榮氏が、長々と演説をした。
加藤氏は、この度の裁判の流れを参加者に配ったパンフレットに基
づき、ほぼ読み上げる
形で解説していたが、谷内氏の話は自分の少年時代に経験した軍国
主義の体験を熱弁した。
戦前から続いた国家神道の中で育成されて来た谷内氏は、敗戦と同
時に心が打ち砕かれ、
その強烈な体験によって、敗戦の翌年にキリスト教に入信したという。
そして、軍国少年時代の体験と敗戦によって全てが一遍した経験か
ら、自分は将来
必ずや先生になるのだと決意したのだそうだ。
砂川市の隣町にある奈井江町で育った谷内氏は、自分の町が北海道
で一番戦中の学校
教育が厳しかった町だと言い切った。
朝礼の過酷さやビンタの数、訓練の練習模様、それらの体験は80
歳になった今も、
強烈な記憶として心に留まっているように思えた。
ただ、その体験ゆえに、神道への尋常ではない恨みを感じたのも事実だ。
神社の鳥居を見る度に、怒りを滲ませ、きっといつかそこら中の神
社を撤去させてやろうと
思ったのだという。
明治天皇の恨み節から始まり、古事記や日本書紀の神話についても
難癖をつけている。
石原都知事や森元総理の悪態に至るまで、全くもって話せばきりがない。

原告の講演を聴いて私なりに思ったことは、これはとても私的な訴
訟だということだ。
彼らは、憲法20条と89条に違反する行為だと市を相手取って訴
えたが、実際は
心からそのことに拘ってはいない。
この訴えを起こすために、憲法を適用し、利用したに過ぎないからだ。
神社を撤去できる方法を長年探っていたのだろう。
長い恨みによる起こした訴訟である。
それは神道にお灸を据えるというようなかわいい物ではない。
私は、日本キリスト教会なる団体を知らない。
ネットで調べてもその実態は、把握出来ないことばかりだ。
ただ漠然と解ることは、新興宗教団体なのだろうということである。
プロテスタント系の福音教会でも、もっと柔軟であると思えるからだ。
付け加えれば、カトリック教会に関しては、日本の神社も仏閣も国
の文化、習慣と
みなし、これもバチカンが推進している。
靖国神社についても、戦中に戦いに呑み込まれていった多くの兵士
達の魂の
待合所として、靖国が存在することもはっきりと認めている。
だから、カトリックは一神教でもないし、カトリックを信仰していても、
初詣に神社に行こうが、お寺にお参りしようが、文化として認めて
いるのだ。
原告側の二人を招いた主催者は北海道教職員組合ほかの団体である。
北教組と日教組がどの程度違うものなのか、私には組合事情まで解
らないが、
彼らが神道を毛嫌いしているのは確かだろう。
そう考えてしまうと、日本相撲協会で新しく理事に任命された貴乃
花親方が
言っていた学校に土俵を作り、日本の力士育成の場を確率していく案も、
危ういように思った。
国技でもあり、神事と言い切る相撲の土俵を、神道を嫌う教育者達
の現場で
確率するなんて話は夢の夢だからだ。
そして、今の政府の基盤でもある民主党も日教組をバックアップす
る政党でも
ある。

日本は、今も昔もあいまいな文化とともに暮らしてきた。
それは、日本人にとって心地よいことで、神道はその象徴でもある。
戦中の学童体験の恨みを今も持っていることは悲しいことだ。
だけれども、あなた達よりもっと苦しくて辛い体験をした人々は
ごまんといるのだ。
沖縄の人々や、原爆を投下された広島や長崎や、大空襲にあった人々、
南方の戦いに繰り出させてそこで無様な死を遂げた兵士たち。
私がフィリピンで出会った戦争体験をした老人は、米兵と日本軍の
戦いに自分達が巻き込まれて多くの命を失ったのに、世界大戦だった
のだから仕方がない、私は誰も恨んでいないと言っていた。
キリスト教の名を名乗って正義を掲げ、神道や天皇退治など、
お門違いも甚だしい行為である。
天皇も神道も、あの時代、戦争に利用されたとどうして考えられな
いのか。
養老孟司さんも、以前講演の中でおっしゃっていた。
昭和天皇が、もし虫や植物、自然に全く興味がなかったら、
きっと頭がおかしくなっていただろうと。
養老さんは、きっとそれほどの重圧を陛下が抱えていたと言ったのだ。
戦争の記憶は、誰もが悲しいに決まっている。
だが、その体験を間違った方法で活かしてほしくはない。

メディアは何故この判決に疑問を持たないのか。
原告側と同じ思いなのか、諦めているのか、全く見えてこない。
想像してください。
もし、日本の同じような状況にさらされている神社が、全て撤去される
ようなことになったらと、考えてください。
神道は宗教ではなく、この国の文化と象徴、遺産です。
最高裁の判決は、これ以上の混乱を避けて現実的な手段で解決した
としているが、
神社の撤去を避けて、ほかの手段の解決策とは土地の買い取りしか
あるまい。
それは誰が出すのか。
氏子か、氏子がいなければ、住民たちか。
買い取りなど、簡単にはいくまい。
そうなれば、原告側が望んでいた通り、神社の鳥居も祠も撤去され
るのだ。
新聞記事によると、原告側は今回と同じようなケースで公有地上の
宗教施設は、
全国で二千ヵ所以上あると主張したという。
その宗教施設とは、神社なのだろう。
国の遺産を守れない法律など無意味である。
ならば、今後これ以上このような問題を広げないためにも、法律を
改正するべきである。
原告側は、神道を呪術的と言い切った。
こういう訴訟の裏にある真実の狙いを明確に見破って、裁判所も判
決を下してほしい限りである。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年2月2日火曜日

連載コラム149 from 東京

小林さんが亡くなって、例の事件はなんだったのかと未だにわからないね。江川さんが、どうしても巨人に入りたいというんで、ドラフトに参加しないで、巨人もドラフトをボイコットしたりして出席しなかった。それで、阪神が江川を引いたんだけど、空くじみたいなもんで、巨人の小林とトレードならいいという変な話になった。

それでへんな入り方をして、江川が投げる日は、巨人のバッターも打たないというイメージがあったね。しばらくは・・

なんでもない外野フライに打ちとっても、柴田が落としてエラーで足を引っ張ったりしてた。柴田は目をこすったりして、必死にわざと落としたんじゃないってことをアピールしてたけな。

小林は、奥さんも男らしさに負けましたなんていってたね。勝谷さんも、思い入れのある選手だったと。江川と初対決したときは、挑発するように左のバッターボックスに立ったりして。うちの父親が、「ああいうことしちゃいかんな」と言ってたのを思い出したよ。

江川さんはあまり思い出したくないのかもね。正直、これもなに書いていいかわからなくなってきたからね。アノ人も読んでるかも、この人も読んでるかも、と考えると、どうしようもなくなってくるね。

大学生連中も、僕を呼べば監督より面白い話をしてあげるのに・・「アノ、その、ああ、うう」とかって額に汗しながら(笑)さんまが喜んでくれたら、一石二鳥だな。

○○が出ることで、何千という仕事がなくなる可能性がある。僕が○○かどうか知らないけど。悪魔の化身かしれないし、わからないよ。ほんとのところ自分でも・・

これは二軍向けといったら怒られるけど、スター向けというか、どうしたっていえないような本音もあるわけでね。せいぜい、本音の2,3割くらいしか言えないよ。

お笑いの人も、キリンとか、家帰れば、みのがどうとか、志村がどうとか、裏の顔というか、愚痴というか、笑いにもならないような本音を言ってるんだろうね。ミキティも、庄治からそんな話ばかり聞かされてるんじゃない?

本音の殿堂という番組があるけど、見たことはない。テレビ欄に、浅香が「あたし浮気したいの」なんて書いてあったときも見なかったね。年取ったというか・・

それは冗談だけど、早見優なんか、昔のアイドルの頃よりいい感じ・・

まあ、紳屋が、挨拶しに来なかった若手を脅したらしいけど、僕も、そういうところあるかもな(笑)あれは僕への見せしめだったのかなんて勘ぐったりするね。東京43には悪いことした。

もちろん、僕だって知り合いと面と向かえば、たいてい挨拶するけど、気づかずに挨拶しないで文句言われたこともあるね。帰ってから、電話かかってきて得意先に呼び出されたり・・

とびうおが、若手にいちいち挨拶なんてされたら面倒くさいから来るなといってたけど、それに近い感覚もあるね。

うちの家族同士だって、あらためて挨拶とかしたことないんじゃないかな。だから、そんななっちゃったんだといわれたら、それまでだけど。

まあ、あくまで一挨拶観と思って欲しいけど、あまり親しくないもの同士が会ったときほど挨拶を大事にしたほうがいいのかもな。親しき中にも礼儀ありだっけ?

朝紫龍も、年上に「よお、昇平」なんていってた。

また、イチローが若手に挨拶に行くというのも若手からすれば感動するだろうし。

鍵山社長が、むこうから僕に挨拶に来たのにも驚いたけどね。当時は、僕がこんなの書くとは知らなかったろうし、将来のためという打算は微塵もなかったと思うよ。稲盛さんにしてもビデオを送ってくれたり・・ゼロから大企業を立ち上げた苦労人ほど、格付けを超越してるというか、実は打算が少ないのかもな。

昔、ガソリンスタンドで10人くらい店員が並んでて、車で入ると、一斉に膝のあたりまで頭を下げて迎えてくれるようなのがあって、そういう目にあうと二度と入る気なくす(笑)シャイっていうのもあるんだろう。

ただ、聖書にも出てくるけど、そういうものをあまり喜ぶようになっても、まずいようなんだな。楽しい、嬉しいという感覚でも、あまりこういう喜びを体になじませちゃいけないというものもある。もっとも、あの世がなければ、どんなものでもOK。

たけしも、廊下で長さんとすれ違って、ろくに目も見ず、「適当にやってます」って頭かいてすばやく去っていった。長さんは、彼らしいとほほえましく称えてるけど、そういうのがわからない人は、失礼と思うかもしれないね。

昔の高円寺の定食屋みたいに、おばちゃんが客にろくに気を使わずにテレビ見てたりしてるなんていうのも、僕はいい。

前に書いたと思うけど、大村益次郎なども、「お寒うございます」なんて挨拶されると、冬は寒いに決まっとるなんて、つっけんどんに返したらしい。

そのエピソードを松下幸之助が読んだみたいで、こういうのは、おかしいといってるね(笑)商人がこんな態度に出たら、大変なことになる。確かに、そう挨拶されたら、素直に「寒いですね」と挨拶返せばいいと思うけどな。そうしないと相手も不快になるだろう。だけど、気分的には大村の気持ちも、わかるわけ。

花王の丸田さんだって若い頃は、ろくに挨拶もしないで、目つきが悪いと苛められた。それでうさ晴らしに一人でクラシックコンサートばかりいって、魂が熱くなるのを感じ、また仕事をする気になったらしいけど。いまどき憂さ晴らしに一人でクラシックコンサートに行く若者などいないだろう。丸田さんが社長になったときは、社員同士ろくに挨拶もしない社風ができあがったみたいね。

小沢征爾さん、指揮者やってるけど、演奏してる人って、ほとんど指揮者みてないと古館さんも指摘してた。

でも、ああやって顔がくしゃくしゃになったり、体をよじらせたりするような動きが出てこないとダメなんじゃないかな。

高橋信次が「小沢にはワーグナーがついてる」って。

クラシックが体に浸透してくるような体質作りというのかな。クラシックの性質って、そういうものだと思うよ。犬も、オルゴールの音を聴いて、くんくん泣き出したりするけどね。

僕は、実際にクラシック音楽を自らすすんで聞きにいったことはないけど、クラシック聞いて顔がくしゃくしゃくしゃってなってくる感覚は、ちょっとわかるわけ。こんなクラシック観は、専門家に怒られるだろうけど。上品な世界を下品にする天才だから(笑)

松井も、クラシック聞くらしいけど、なにが好きかと問われて曲名を答えられなかった。それでいいと思うね。顔がくしゃくしゃになりさえすれば。

小沢さんみるたびに、酒屋のオヤジを思い出す。その酒屋の子と幼馴染で、その子の家に遊びに行くと、昼間から酔が切れて苛立ってる小沢のオヤジが、「子供は外で遊べ!」なんて息子に蹴りを入れてきた。幼馴染が大きくなるにつれ、逆に暴力振るわれてたな。もう、亡くなったけど。

顔が似てても、性格が違うということもあるということがいいたかったわけ(笑)

僕らのちょっと前から、若い人は、ノリのいい曲で高揚するというか、元気が出てくる。ディスコで踊ったり・・そういう人は、なんでクラシックなんかで元気になるんだってわからないだろうし、すましてるというか、クラシック趣味なんて聞くだけで「この野郎」なんて思う人もいるかもしれない。

それでいいと思うね。トルストイも言ってるけど、高尚なクラシックだって浸りすぎたら麻薬みたいなものなわけ。

どうしても、そっち行きたがるな。この野郎なんて、自分の頭を、がつんとやってる。これくらいのパフォーマンスで許してくれるかねえ。

こう見えて、セリーヌディオンには、うるさいから。LOVE DOSNT ASK WHYなんていう誰も知らないだろう曲が好きだったね。これは○○さんのテーマ曲だなんて溝○と話してたな(笑)詩はわかんないけど、メロディーが悲しい雄たけびを上げてるような。○○は、パワーもあって明るく振舞ってるんだけど、どこか悲しみがつきまとうというか。

昔、ある男と話したときは、ほんと何も隠さず、こういうこといっちゃいけないとか一切ない会話で隠しごとなく話したことがあったけどな。

それでも段々、会話がかみ合わなくなっていくというか、シモネタひとつとっても、こっちは罠の話の方が面白くなってくる。だけど向こうは罠など絶対ないと取り合わない。

「じゃあ、アンタが接触した車が、たまたまヤクザだったのはなんだ?」なんていって、「そんなの偶然だ」って言うわけ。まあ、読者も何をいってるのかわからないと思うけど(笑)奴がヤクザみたいな奴の車と接触して金を巻き上げられる数日前に、ちょっと悪いことしてたわけ。

そのうち、「そんなくだらないこと言いに、いちいち電話してくんな!」なんて切れたりして、疎遠になっちゃったけどな。わけわかんないだろうけど。

なんでこんなことやってるのか、意味わかんない?バカだと、森永次郎さんあたり思ってるんだろう?

だけど、僕からすれば、これ書いてるほうが、世間話してるより楽なわけ(笑)ほんとなら、こういう世間話ができればいいんだけど。

欲をいえば、カンヌとかの作品のメッセージの類とか、それ以上のものをかなりの割で話していたいというか。こうなると傲慢にみえて嫌われるんだけど、あと戻りできないんだね。

書き続けることで、数十人にでも影響を与えられたらベストだけど、最悪自分だけでも変わろうじゃないかと(笑)

小栗さんは、荻原が買ってた。若い頃の自分を思い出すって・・

貴乃花も、50歳くらいになるといいんだろうね。ああいうタイプっていまどき珍しいな。求道的というか。ほんとは、こんなところで軽々しくいうのは、どうかと思うけど。

菊いけも、人間性がいいというか、雄星という名前もいいね。芝草宇宙には負けるけど。まあ、大久保が小久保に負けるのが、プロの世界だから・・

「つぐない」の女の子も、大きくなったね。速いというか・・ばいやぎら君は、太ったかな。

千原兄も、素質がある。

桜井は、度胸がいい。

僕など、あけっぴろげというか、二年前の下半身の露出写真がでたっていいと思ってるんでね。

まあ、そんなのないけど・・

おいなりさん、とっちゃったから・・  

嘘だけど・・

中野アナも嘘ついたとかで虐げられてるんだろ?

それだったら、みんなうそつきじゃないの?結婚式では、一生同じ人を愛し続けると誓ってるじゃない。ああいうのを大々的に放映するテレビは、なんなのかと思うね。キリストは、誓いを立てるなっていってるけどね(笑)

梨花さんも、目がとろけそうだった。

山田洋次監督も、世の中どっかおかしい。疑ってかかることが大事だといってたね。ああいうことをいう人少なくなったでしょ?監督は、ちょっとしか言わない。ああいう類のことを機関銃トークみたいに言う人がいたけどね。社会学者とか・・

人間不信になれという意味じゃないんだな。ただ、人間は野蛮でもあるんだな。そのままでは・・

鍵山社長も、「ああ、あの人、変わったね、っていわれるようにならなきゃいけない。私みたいに、あの人変わってるね、と言われるようじゃおしまい」などとジョークを放つ。

中田宏さんも、若い頃から、詩人を囲むジイサン、バアサンの集まりに顔を出したりして、変わってるねえ(笑)


コラムニスト●
…………………………………………………………………
森田益郎

連載コラム137 from 台湾

日本に近く、旅行先としても人気が高い
台湾。

台湾のガイド本は数多く発行されており
中にはクーポン券付きのガイドブックもある。

名店はどこのガイド本でも紹介されているものだが
台湾名物であるマンゴーをふんだんに使った
マンゴーかき氷で有名な「冰館」という店が
台北市内の永康街にある。

永康街は小龍包で有名なディン・ダイ・フォン本店
など台湾ならではの味を振る舞う食堂が多く
食の街として現地人からも愛されている。

「冰館」にはガイド本のクーポン兼を持ち訪れる
日本人観光客も多く、
台北観光に欠かせないデザ-ト専門店となっていた。

名店「まさか」の夜逃げ騒動
冬はマンゴーがとれないため、
看板デザートである「マンゴーかき氷」は出されないが
甘いイチゴをふんだんに使った「イチゴかき氷」があり
店は連日お客で賑わっていた。

その「冰館」が先日の1月15日、突然閉店。

正確にいうと閉店ではなく、
一夜にして店の機材がごっそり運び出されるという
夜逃げであった。

オーナーは誰とも連絡がとれない状態なのだが、
借金があるわけでもなく、逆に大もうけしていた「冰館」。

誰も何が起こったのかわからず
地元のニュース番組でも大々的に報道されていた。

その後、誰も知らなかった事実がポロポロと吹き出し
台湾中を驚かせることになったのだ。

誰も知らなかったオーナ夫婦の離婚
「冰館」は、夫婦が経営する店である。

店といっても、アイススタンドのような小さいもので
店員がひしめき合っているような状態であるが、
効率がよく、売り上げをグングン伸ばしていった。

実は、そのオーナー夫婦。
3年ほど前に離婚していたそうなのだ。

しかし、仕事も前と変わらず続け、
それだけでなく一緒に住み続けていたため
夫婦関係は破綻したものの、一見して何も変わらない
生活を送っているように見えたのだ。

夫婦には子供がいたので、
子供のためにこのようなスタイルをとったのだろう。

日本人からすると理解しにくい状況であるが、
台湾では一族が同居したり、同じビル内に住むことは
珍しいことではないため、
離婚した夫婦がしならく同居し続けるのは
珍しくないということが背景にはあるのだ。

しかし、そこに大きな問題が
突然勃発してしまったのだ。

再婚で夜逃げ
その事件とはずばり男性の再婚。
離婚しているので再婚自体は何らもんだいはない。

しかし、再婚してまで元妻と同居することは
さすがの男性も考えておらず、
再婚相手と新生活を始めることになった。

しかし、元妻との間にもうけた子供へ養育費は
当然支払い続けなければならない。

元妻と離婚時に取り決めた契約では
再婚時は養育費として一括で3500万元
支払うことになってたそうで、

日本円にして約1億にのぼるこの養育費の支払いを
したくない、
そのため夜逃げをしたというのだ。

店の機材を持ち出したのは
恐らく遠くの別の場所で店をだし
新生活をスタートさせようと思っているからだろう。

何とも台湾らしい事件
養育金を支払いたくないために
夜逃げするとは何とも身勝手な男である。

台湾でもそんな意見が多いのは確かだが、
同情する声も出ており
夜逃げも仕方ないのではという見方まである。

経営不振でも資金繰りに困ったわけでもなく
お金があるから夜逃げするというのは
まさしく台湾らしい珍事件である。

子供が一番の被害者であるが
果たして日本人の間でも人気の「冰館」が
今後はどうなるのか、台湾中が見守っている。















写真は地元台湾人が多く訪れる台北市関渡のお寺です。
旧正月が近いこともあり、連日多くの人々でごった返しています。


コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム255 from 北海道●沖縄 普天間移設問題

米軍普天間飛行場の移設受け入れの是非を巡って、
沖縄県・名護市長選は新人で反対派の稲嶺進氏が
現職の市長を破っての初当選をした。

第二次世界大戦で、日本で唯一地上戦を展開した沖縄は、
終戦後も米軍が占拠し、27年後の72年にようやく
復帰している。

沖縄での地上戦は、惨たらしい有り様だった。
沖縄諸島に上陸した米軍と日本軍の戦いに民間人も巻き
込まれ、大量自決など、その数は公式に発表されている
ものより、ずっと多いとも伝わる。
米軍に捕まり、辱めを受ける恐怖から、親や兄弟を虐殺
してしまった人々は、いまもその十字架を背負い続けて
生きているし、日本に復帰した今でも、基地や飛行する
軍用機に恐怖や不安を掻き立てられての生活は、どれほ
どのものか想像するだけで心が重くなる。

日米安保条約に基づき、武器を放棄した日本がアメリカ
に守られ、軍への基地提供やその他諸々も、政府が率先
して行ってきたことは、沖縄県民以外の日本人にとって
は、ある意味で安心と安全が保証され、心地よい選択だ
ったと思うが、その間、沖縄では、基地が方々に拡大し、
フェンスが張り巡らされ、低空飛行の軍用機の墜落や、
日常的に悩まされる騒音公害、そして米兵による少女暴
行事件など、基地の存在によって、暮らしが脅かされる
不安といつも闘ってきた。

とはいっても、悪い側面ばかりではない。
沖縄南国特有の風土に基地があることで、ハイカラな音
楽やダンスが若者にも浸透し、今活躍している沖縄育ち
のミュージシャンや芸能人には、独特の深い感性を持つ
存在感溢れる人材も輩出されているからだ。

だとしても、沖縄への負担はそろそろ軽減するべきだろう。
名護市長選の裏話として、今回に限らず米軍飛行場への
反対と容認がこれまででもずっと長い間家族間でも繰り
広げられ、その是非を巡って、家族が断絶するケースは
珍しくなかったという。
建設が容認されれば、政府から多額の保証金が落ち、
そして建設を通して仕事も入るが、実際はその仕事も
一時的で、多額の保証金も平等に分配されることはない。
町の過疎化は進み、寂れた商店やシャッター通りが、
名護市でも軒並み目立つ有り様である。

飛行場が建設されれば、普天間の海への汚染も当然懸念
されるが、まぬがれない海の環境破壊を考えても、
飛行場は作られるべきではないのだ。

鳩山さんが、選挙で普天間問題にNOを提言してから、
ずっと考えていたことがある。
私はそれまで、憲法9条の保存に賛成だった。
平和をこの国から押し広げる意味でも、この憲法はどう
あっても守るべきだと思っていたからだ。
けれども、沖縄問題と絡めてこの9条について考えると、
些か疑問も生じてくる。
米軍基地のフェンスでどこもかしこも張り巡らされた
沖縄にとっては、自分たちの島は今も続く占領下であり、
9条の存在こそが、沖縄ばかりに負担を強いていると
感じてはいないだろうか?
そして今回、普天間に飛行場を移設しないと決めた名護
市民に、沖縄県民に、希望を持たせた政府の責任は重い。
普天間に飛行場が建設できない場合、現実的に考えて、
それは沖縄のどの場所でも無理である。
普天間から沖合に建設する案も俄に浮上しているが、
そんな行為が実現するならば、公約などないに等しい。
大阪府の橋本知事が、関西空港を普天間の代替えにとい
う案を提議した時は、その心意気だけで凄いと思ったが、
それも実際問題、国境沿いに展開しなれば意味がないと
いうことで、関空の代替え案も消えているのだろう。
でも、沖縄以外、関空以外で、米軍の基地や飛行場を
喜んで受け入れる地域など、日本のどの場所を探したっ
て見つからないはずだ。
グアム移設の問題だって、浮上しただけで、やっぱり
現実的にはありえない話である。
こうなれば、益々米軍の存在は今もって日本に必要なの
かと、頭をもたげたくなる。
沖縄県民は、米兵が駐留しているだけで、自分たちの
暮らしが脅かされる心配はあっても、基地に守られて
いる自覚などない。
それならば、いっその事、安保条約も憲法9条も見直し、
米軍には全て日本から撤退して頂いて、それに変わるもの
として、自衛隊を強化し、自ら自国を守る術をつくり出す
べきである。
自衛隊が軍隊に変わろうとも、戦争の苦しみを知っている
我々は、きっと国際貢献も良い形で、軍が使われていくはずだ。
苦い記憶が、抑止力となるはずなのだから。

参議院予算委員会が開かれる国会で、鳩山さんは、普天間
移設問題で、今更「ゼロベースで」などとお茶を濁すような
発言をした。
政府や民主党内で、意見が割れようとも、今の政権は、
沖縄のことを真っ先にマニフェストに掲げていたはずである。
沖縄県民の痛みを知っていたからこそ、そのことを公約に
掲げたのだろうし、彼らに夢と希望を与え、政権を握って
から、出来ませんでしたではすまない話だ。

民主党が、この先果たせなかった公約があったとしても、
この沖縄問題に関しては、別である。
沖縄問題とは、そういう緩い話ではないからだ。
そのことを、今の政府にも、鳩山首相にも解って欲しい。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住