2012年5月1日火曜日

連載コラム191


近年、日本で急増している孤独死。

メディアは連日のように日本各地で
一人きりで亡くなった人たちを報道。

核家族化が進み、子供が親を助けなくなったこと、
ご近所とのつながりが薄くなったこと、
社会全体が冷たくなったことを嘆く。
そんな風潮になってきた。

孤独死とは、そんなに悪いことなのだろうか。
孤独死とは望まれていないものなのだろうか。

家族の言い分
老人が一人きりで亡くなると、
子供はどうしていたのか、兄弟はどうしていたのかと
メディアは騒ぎ立てがちだ。

しかし、その老人は若いころ、とんでもない人で
周囲の人は苦労させられ、疎遠になっていったのかも
しれない。

夫として妻として、母として父として、酷い人間であり、
周りの人たちは、連絡してきてほしくないという気持ちを
持っていたのかもしれない。

私の周りにも、成人してから親と絶縁し、
病気になっても、年をとっても、絶対に面倒をみないと
宣言している友人がいる。

彼女は自分の親は毒のような親であったと言っており
人生をめちゃくちゃにされたと恨んでいるのだ。

親を嫌うあまり日本を離れ海外に住んでいる彼女は、
もう二度と親に会うことはないと断言している。

このように、孤独死を招くような生き方をしている
人間もいるのである。

個人の言い分
自ら孤独死を選ぶ生き方をしている人もいる。
誰にも縛られず、結婚もせず、一人気ままに生きる。

元気なときに、やりたいことをたくさんやるため
得に貯金もせず、年金も払わず。

老人ホームにも入らず、その日、何とか暮らせればよい。
そんな老後を望んでいる人もいるのだ。

それでも老いたり、病気で体が思うように動かなくなると
死に恐怖感を抱くようになるかもしれない。
一人で死ぬということを後悔するかもしれない。

しかし、それも仕方のないこと。

40歳を過ぎても結婚願望がわかず、
ずっと一人暮らしをしている友人は、
「孤独死という言葉に違和感を感じる」と言っている。

彼女は猫を飼っているのだが、決して孤独でないというのだ。

色々な生き方があるのに、孤独死はかわいそうと
ひとくくりにされるのは嫌だと彼女は言う。

彼女のような人たちは、今の日本の得に若い世代には
多いように思えてならない。

孤独死は本当にかわいそうなのか
外国人の友人に、日本で孤独死という言葉が
まるで流行のように使われていること、
そして、この上ないマイナス・イメージとして使われていることを
話してみた。

欧州出身の友人は、この事について
「尊厳死に近いものなのでは」とコメント。

「家族がいると、自分の意識がもうろうとしていると
延命治療をされてしまいがち。

でも、孤独死なら、自分の死と向き合う時間も多いだろうし
自分の選んだ死を迎えることができるのでは」

というのである。

家族というしがらみがない人たちは
死に対しても、自然に受け入れることができ、
安らかにあの世に逝くことができるというのだ。

確かに、一理あり、である。

当然のように延命治療が行われ、管まみれになり
痛みと戦いながら病院のベッドで息絶えるより、
自然に死を迎える孤独死の方が、
本当は、幸せなのかもしれない。













写真は、台湾市の山でよく見かける台湾の野鳥です。


コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾 from 台湾

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