2011年2月1日火曜日

連載コラム279 from北海道●アキバのホコ天

1月23日、2年7ヶ月ぶりに、東京・秋葉原の歩行者天国が再開
され、10万人もの人々が訪れたという。
この歩行者天国のようすと再開までの記録を追ったテレビ番組・
NHKの「クローズアップ現代」を見た。

加藤智大被告が起こした無差別殺傷事件は、あまりにも衝撃的な事
件で、2年7ヶ月が経った今でも、しっかりと記憶に残る事件だ。
なぜ、あのような大量殺戮に及んだのか、裁判の記事を読んでも、
被告の真意をいまだ理解することは出来ない。
私のような事件に関わりのない者でも、そんな感情を抱くのだか
ら、被害者や、ご遺族の方々なら、被告に対して、もっと複雑で残
酷な感情まで覚えるはずである。

だけれども、秋葉原が、このままあの事件の後遺症を抱えたままで
いいのかと言われれば、それは別なのではないかと思った。
常に柔軟に進化し続けてきた秋葉原という街は、本当に特別な場所
で、その特異な伸びやかさから、世界中から観光客を呼び寄せている。
奇抜な電気店が四方八方に建ち並ぶ中、IT企業のオフィスも
多く、それとは別に一歩足を踏み入れると、独特のスタイルを売り
にしているオタク系や、コスプレ店も多い。
街を闊歩する人々も、普通の人に交じりながら、当たり前に自由に
コスプレしていたり、子供文化を堂々と街の看板に掲げているの
は、秋葉原くらいなものだ。
なんとも自由で、マンガチックであるのに、一本裏通りに入ると、
昭和の匂いが漂う古い店舗も軒を連ね、新しさと古さが膝をつき合
わせて同居しているような楽しさがある。
店の呼び込みやコスプレガールのビラ配り。
そして、路上でのさまざまなパフォーマンスは、秋葉原ならでは
だったのだ。
だが、再開した歩行者天国では、厳重な警官の警備に、ものものし
いようすばかり。
路上での一切のビラ配りやパフォーマンス禁止のおふれに、ただた
だ車道を練り歩く無数の人々ばかりだ。
歩行者天国の再開に、地元住民まで参加したパトロールは100名
以上というが、地元住民のパトロールより、この歩行者天国に狩り
出された警官たちの取り締まりは過剰だった。
きっと、安全に再開することに、過敏になりすぎたのだろう。
だが、こんな歩行者天国なら、再開の意味などないのではないだろうか?
立ち止まっただけで、叱咤されている人々に、いぜんのような楽し
い歩行者天国のようすはまるでなかったからだ。

きっと秋葉原の場合、まだまだ時間が必要なのだろう。
安全策が不要とはいわない。
だが、過剰な策など無用に感じてしまう。
あんな形で、禁止ばかり掲げる歩行者天国など、本末転倒ではない
だろうか?
なんのための歩行者天国なのか、そのことを今一度考えるべきなの
ではないかと感じたからだ。
秋葉原でおこった無差別殺傷事件を忘れる必要などない。
あの事件の悲しみは、秋葉原を訪れる人々の心に、今までもこれか
らもずっと刻まれるべきなのだから。
それでも、秋葉原は秋葉原本来の姿を取り戻すべきである。
自由で伸びやかな、そんな姿があの街に戻ってくることを願います。



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

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