2011年1月16日日曜日

連載コラム278 from北海道●善意のひろがり

アニメ「タイガーマスク」の主人公・伊達直人の名前で、子供たち
にランドセルを贈る行為が全国に広がっている。
これを、メディアは、「タイガーマスク運動」と銘々づけている
が、堂々と本名をあかして、積極的にボランティアや寄付をするこ
とには、ためらうけれど、匿名なら自分にも出来る、そんな送り主
の心情が、うかがい知れるようだ。
たぶん、日本人には、こんな行為を、どこか粋と感じる気質がある
のだろう。
本名を名乗り、堂々と寄付をすることには、気恥ずかしさを覚える
けれども、匿名なら恥ずかしさもない。

今は、どこもかしこも閉塞感が漂う時代でもある。
街を歩いていても、電車に乗っても、人とのコミュニケーションに
は、まず携帯ありき。
行きたい所も、知りたい情報も、ツイッターをさくさく活用するこ
とで、なんの不自由も感じない時代である。
目の前にひろがる景色や、自身の直感より、ネットを経由する情報
の方が、使い勝手が良く、便利でこの上ないと信じられているが、
実のところ、こういう現象の増殖に、どこかやりきれなさを感じて
いる人々がいることも、また事実だろう。
伊達直人と名乗った送り主は、団塊の世代が多いと言われている。
疲弊したこの世の中に、自分も一石投じたい。
明るい話題を提供できたらと、そこまで考えたかどうかまでは解ら
ないが、現にこの話題で、私たち国民まで優しい気持ちになった。
きっかけは、なんだっていいのだ。
このブームは、メディアが注目している間だけと懸念する声も耳に
するけれど、自らこの運動に賛同し、腰を上げ、
関わった人達の心には、すでに思いやりが芽生えている。
他人や、見ず知らずの子供を気遣う優しさが、育っているのではな
いだろうか。
人は、自分への投資だけでは、けっして心が満たされない。
人と関わり、人のために何かをすることで、満たされることもある。
例えそれが、ボランティアや寄付という形でなくとも、ごく身近な
日常にも、本当はたくさん存在している。

某全国紙の読者からの投書欄に、他人に干渉しない日本人に驚いた
という文が掲載されていた。
この投書は、東京在住のとある中国人留学生が書いたものだが、彼
は、ある時、電車の中で、眠り込んでいる一人の男子学生の鞄が床
に落ちて、中身がバラバラになったのを目撃したのだそうだ。
その時、電車に乗り合わせていた人々は、誰一人、その学生に干渉
せず、拾ってあげることもせず、本当に驚いたらしいのだが、この
中国人留学生の投書文の終わりは、次のような文で結ばれていた。
「やっぱり日本人は自分以外の人のことは気にしない、他人には干
渉したがらないのかと思ってしまう。人間は一人では生きられな
い。そんな私たちだから、時々は自分と全く関係のない人を助けた
り、助けてもらったりするのもいいのではないかと思った」
私でなくとも、この文章に、悲しい気持ちを抱いた人がいたのでは
ないだろうか?
「やっぱり、日本人は・・」このくだりからは、中国人留学生の残
念な気持ちが、率直に表れているからだ。
実は、この話には、まだ続きがある。
この留学生の投書を読んだ神奈川県在住の主婦が、読者欄に投書し
たのだ。
彼女は、留学生の投書を読んで、恥ずかしくなったと、率直に述べ
ている。
「自分がよく利用する電車では、誰かが何かを落とせば「落ちまし
たよ」と教えたり、拾ってあげたりするのを、普通に見かける。彼
が目にしたのは、たまたまかもしれないが、それにしても、ひどす
ぎる」と綴っていたこの読者は、留学生の「人間は一人では生きら
れない・・」の言葉をかみしめていると結んでいた。

私もこの主婦と同じ感情を抱いた。
けれども、私の周囲を見回しても、そんな寒々しい行為とかけ離れ
た人々が、まだまだ多い。
私は元来、普段からそそっかしい方なのだが、愕然とする失態をや
らかした時に、見ず知らずの他人に助けられることが多い。
今でも忘れもしないが、スーパーのATMで現金10万円を下ろ
した時に、なにをどうしたらそうなるのか、私は、下ろした現金
を、持参した使い走りの封筒に入れたまま、ATMに忘れてきた。
その後、呑気にこの店で買い物をし、下ろしたはずの現金がないこ
とに気づいたのは、自宅に帰ってからのこと。
もう血の気がひけた状態で、店の事務所に慌てて電話を掛けたのだ
が、私の現金が落とし物として届いた話を聞かされ、近くの交番に
持って行ったと店側は説明した。
落とし物を受け取るのだから、交番では当然一筆書かさせたのだ
が、見ず知らずの人の優しさに、胸がいっぱいになったのも事実だった。
ATMで、私のお金入りの封筒を最初に見つけてくれた人も、スーパー
のお店の人も、交番のお巡りさんも、なにか、親切が当たり前のよ
うに、伝わってきたからだ。
お金を拾って下さった方には、当然謝礼をお渡ししたけれど、とて
も恐縮されたものだった。
現金騒動でなくとも、そそっかしい私は、どうにも他人に助けられ
ることが多い。
当たり前のように、手を差しのばしくださり、笑顔で立ち去ってゆ
く人達にだ。
そして、そんな人達のさりげない優しさに、私はいつも教えられる。
今度は、私が優しさを返す番だと。

善意や優しさの気配りは、けっして遠いことではない。
閉塞感を覚えるなら、まず自分が変わればいいだけのことなのだ。
そうすることで、きっと人生は、もっと優しいものになるような気
がします。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

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