2010年7月16日金曜日

連載コラム148 from 台湾

6月末、アメリカで11人のロシア人が拘束された。
アメリカに合法に在住していたこの11人は、
スパイの容疑で拘束されたのだという。

うち1人がアメリカで人気のSSN、Facebookに
魅惑的な写真を掲載していたことから
たちまち話題に。

アンナ・チャップマンというこの女性は絶世の美女、
というわけではないが、すらっとした身体で
セックスアピールはビンビン。

本物の女スパイ、ここにあり!という雰囲気で
世界中のメディアがこの話題に飛びついたのだった。

映画のような裏取引
大きな話題を振りまいたロシア人スパイたち。
裁判でどのような発言をするのか、
そのような姿で出廷するのか、
注目が集まっていた。

しかし、米司法省は8日、欧米のスパイとしてロシアで
服役していたアメリカ人4人と交換することで
米ロ両国政府が合意したと発表。

スパイたちは裁判所からミニバンに乗せられ
空港へ直行。
スタンドバイしていた飛行機に乗りこみ
ウィーンの空港に飛んだ。

ウィーン空港には、ロシアの飛行機も来て、
双方が拘束したスパイを交換。

それ以上もそれ以下の情報も
伝えられることがなく、事件は幕を閉じた。

うじゃうじゃいるスパイ
今回拘束されたのが発表されたのは
ロシアのスパイであったが、
敵が多いアメリカで活動しているのは
何もロシアのスパイだけではない。

ロシアよりも中東やタリバンのスパイの方が
アメリカは脅威だと思っているだろうし、
その数も想像を超えるほど多いだろう。

水面下で拘束されている量も多いだろう。

FBIやCIAなどエリート軍団が国のために
汗水たらして働いているアメリカ。

しかし、そんなアメリカであっても911の情報を
事前に入手しておきながら
防ぐことができなかったのである。

今、アメリカでどれほど派手なスパイ活動が
行われているのかどうか、
考えただけで恐ろしい。

隙だらけの日本
スケールが大きいアメリカやソ連ならば
スパイも現実的に感じられるだろうが
わが国日本にスパイはいるだろうか。

アメリカの属国のような国であるし、
盗まれるものなど何もないのだから
スパイなどいないだろうと思われる方が多いと思うが
日本にはスパイがうじゃうじゃ居るといわれている。

日本やはりオイシイ国なのである。
政治スパイはもちろん、産業スパイだって
うじゃうじゃ居るのである。

今後、中国のように外国人への観光ビザ条件が
緩和されれば、小細工しなくても観光ビザを取得し
堂々とスパイ活動ができるようになるだろう。

隙だらけの日本の今後が、本当に心配である。



▼写真は、情緒溢れる台湾の一般的な出店市場の様子です。
















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

2010年7月15日木曜日

連載コラム266from北海道●空気人形

是枝裕和監督の作品は、なぜにこうにも切ないのだろう。
カンヌ国際映画際で、主演の柳楽優弥が最優秀男優賞を受賞した
「誰も知らない」も、あまりにも衝撃的な作品だったが、普通の人
が見落としがちな、だけどそこに存在する命は、いまを生き抜くこ
とに懸命な姿をさらけ出した、そんな映画だった。
ショッキングな映画だったが、この社会の片隅で、決してないとは
言い切れない姿だ。
むしろ、確信をもって、あると言い切ったほうが、正解なのだろう。
映画は夢を紡ぎ、大衆にとっての娯楽といいたいところだが、是枝
監督の作品の場合、全く違うのだと思う。
物事を見る目線が、人とは違う。

映画「空気人形」は、主演のベ・ドゥナが本当に美しい。
人形のように、彼女が美しいゆえに、あまりにも切ない映画だ。
この作品は、大人向けのファンタジー映画である。
しかし、ファンタジーでありながら、非常に辛口だ。
空気人形、のぞみ役のベ・ドゥナを取り巻く人々の姿は、今を生き
る私達と重なっていく。
そして、空気人形でありながら、心を持ってしまったのぞみも、そ
の生涯は切ない。
見るもの触れるもの存在する全てに、初めの頃は、たくさんの不思
議を感じながらも、のぞみは成長していく。
心を持ったがゆえに、人間と同じように、喜びや優しさ、誰かを愛
しく思う心を感じてしまうのだ。
「私は、うそをつきました。心を持ったので、うそをつきました」
のぞみの心の声に、どきりとさせられる。
きっとこのセリフは、私達みんなに当てはまる言葉だ。
のぞみを空気人形として作り出した制作者役のオダギリジョーが、
「どうして、自分は心を持ってしまったのか」と、のぞみに聞かれ
るシーンがある。
「それは、僕にも解らない。人間をつくった神さまだって、人間が
心を持つとは思っていなかったかもしれない」それと同じことと、
のぞみに答えるのだ。
制作者役のオダギリジョーのこの言葉は、胸に突き刺さる。
私達人間とは、本当はそんな存在なのだろうかと。
心を持つから人間が切ないのか、人間が切ないのは、心を持ってし
まったからなのか。
そんな人間のありかたを、神さまがのぞんだかどうかまで解らない
なんて、切なくなる。
制作者オダギリジョーが話したことは、まるで風の言葉ようだ。
ゆるやかな気流に乗って、優しく語りかける。
だけど観客を、私達を、原点にまでそっと押し戻す。
そして、そうかもしれないと思わせてしまうのだ。
それでも、のぞみは、うまれてきて良かったと制作者に言うのだ。
自分をうんでくれてありがとうと。
私達人間も、きっと同じこと。
人との出会い、触れるもの見るものに、そして愛に、切ない気持ち
になるけれど、それでも、どんな人でも、生まれてきて良かった。
切なくても、やっぱり生まれてきて良かったのだ。
是枝監督が映画を介して、そっと私達に投げかけている言葉は、と
ても切ないけれど、心に染みてくる。

最近の映画作品の傾向に、疑問を投げかける声もある。
ドキュメンタリーは映画ではないと、正面からばっさり切り捨てる
人もいるが、私はこれも時代の流れなのではないかと思う。
むしろ、そのような作品が生まれて当然だし、あるべき姿なのだろ
うと感じる。
是枝監督のこれまでの作品「誰も知らない」も「歩いても 歩いて
も」も、ドキュメンタリータッチのような作品である。
これまで輩出されてきた記憶に残る日本映画路線とは、全く違うものだ。
派手さを一切切り落とした、むしろ非常に地味な作品だ。
だけど、私達の社会の片隅で、それはきっと存在するだろうと思え
る姿だ。
そういうことを、否応なしに想像させられる。
まるで、道端の片隅で、アスファルトの小さな裂け目から、必死に
芽を出し、咲いているぺんぺん草や、タンポポのようにも思えてくる。
本来なら、映画の題材としても地味すぎてあつかわれないような存
在である。
でも、是枝監督の作品は、そんな彼らにスポットをあて、静かに寄
り添っているかのようだ。
だから、たまらなくなるほど悲しくて、切なくなるのだろう。
派手さはない。
だけれども、映画を通して、静かに、問いかけられているような気
がする。
そして、その問いかけも、映画を通して私達に投げかけるだけで、
裁いたり、結論を出したりはしない。
それは、映画や小説のあるべき姿なのかもしれない。
決して裁かず、社会を切り取り、提示するだけ。
だからこそ、一度見ただけで、忘れられないほど、切なさがあふれ
てくるのだ。
是枝監督の映画に、これからも期待したい。
時間に追われ、前しか向かずに生きている私達に、監督の優しい目
線で、ふと立ち止まらせてほしい。
優しく肩をたたかれ、足下に咲く名もなき花にも気づけるような、
空や雲、まわりの景色を見渡せるような、そんな是枝監督の作品
に、また出会えたらと思う。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年7月1日木曜日

連載コラム159 from 東京

サッカーがデンマークに勝ったけど、やっぱりプロは、格好いいと思うね。実際、多摩川グランドなんかで、プロのユニフォームと似たようなユニフォームを着た人たちが、野球をやってて、遠くから見ても、プロじゃないってわかるからね。その人たちは、ただ、集まって
体操とかをやってるというだけなんだけど、なんか違うんだね。頭がでかかったり、足が短かったりして、遠くから見てもわかる。

あの日は、目を赤くしながら出社した人も多かったろうけど、結膜炎には、CRAVITがいい・・

オランダと日本が戦った試合は見たけど、あまり実力の差を感じないというか、あれも、たまたま負けちゃったというような試合だったね。まあ、シロウトなりに思うのは、差があるとすれば、攻めというか、シュート力の違いなんだろうね。

やっぱり、プロだから、野球でいうど真ん中にくれば、ホームランを打つけど、世界でフォワードのすごいといわれる選手は、ホームランを打てるゾーンが広いというか、動いてる球をマジシャンのように操るというのかな。松坂のスライダーでも、ホームランを打てるような選手がいるんだろうね。その違いが、さんまと江頭くらい大きいくはないんだろうけど、まあ、どちらもまじめな話ができないという点では、同類とも言える(笑)

そういうのは、僕は、アマチュアだからわかる。気を使っていう必要がないからね。プロは、わかんないと思うよ。江本が、二流だったからといって、解説もつまらないかどうかは、わからないのと同じでね。野村さんも、あのオーラのある男が、ほしいとか思ったらしいね。また国民新党からでるっていうのも、面白いね。あの人も、変わった人が、好きだから・・

中畑さんも、監督はもうあきらめたのかな・・こういうのも、運というか、なにが幸運だか、不運だか、わかんないね。監督になれたら、政治家への誘いもなかったわけだから。

清原も、オリックスあたりねらってたろうけど、岡田監督が予想外で面食らってるというか、あとは、東武、巨人となると、やっぱり、東武かな(笑)まあ、桑田と清原の監督対決なんて見たい人も、けっこういるだろうね。菊池も、めっきり、噂を聞かなくなったけど・・。

そういう意味では、選手時代に、あちこちトレード出されるのも、悪くないようですね。いろんなチームで監督できる可能性が、それだけ広がるわけだから。岡田監督も、阪神やめて、すぐオリックスに復活した。

サッカーの守備とかは、やっぱり、細かいものを要求されるというか、アマチュア解説者からみて日本人に向いてる感じがするね。守備は、世界でも随一なんじゃないか?くわしいことは、わかんないけど。ちっこい久保田利伸みたいな選手が、大型の選手に、こばんざめみたいにからみついて、かわいかったね。

キーパーの川島さんも、アジアのキーパーが世界に通用することを見せたいとかいってた。カメルーンとか、守備は荒いというか、ああいうのをみても、なかざわなんかも、いいと思うね。

そういうのでは、やっぱり、野球もサッカーも似てるね。キューバと日本がやったときみたいな違いを感じたね。カメルーンみたいなのは、調子に乗らせたら、手がつけらんないのかもしれないけどね。ただ、野球はホームラン一本も打たなくても勝てるけど、サッカーは、相手よりホームラン打たないことには、どうしようもないからね。

オシムも、脳梗塞で倒れたとは思えないね。あの復活ぶりには、驚いたね。頭脳の明晰ぶりも、健在だし。だけど、こういうきわどい試合ばかりやられると、また危ないんじゃないか(笑)そういう意味でサッカーは、野球みたいに大勝とか、安心できる状況がないねえ。

岡田監督も、これを最後に農業へなんて、裏のコメントがちらちらでてたけど、勝てば官軍というか、顔色がぜんぜん、変わっちゃうもんな。

ラモスは、キリス○の役ができるんじゃないか・・。

サッカーは、格闘技的なところも少なくないというか、野人的というか、けんかみたいにして、相手を押さえ込んで顔がくしゃくしゃになったりしてる。

ちょっと審判がよそ見してる間に、どっかで相手の顔をわしずかみにしたり、髪の毛引っ張ったりしても、わかんないからね。あの広いグランドで、あちこち見てるのも大変だね。相撲でも髪の毛引っ張ったら反則だからね。まわしが落ちて、股間が見えても、負けらしい。

そういう意味で、サッカーの審判ほど、大変なスポーツはあるのかな・・広いグランドを一緒に動き回るわけだし。

股間をまちがって、けってしまうという話は聞かないけど、わざとじゃなくても、ありそうだけどね。チンカップとかつけてんのかな。世界のトッププレイヤーに蹴り上げられたら、つぶれちゃうと思うね。キック力は、格闘家と比べて、どうなんだろう。

イエローカードとか出されるみたいだけど、あれをみて判断する審判も大変というか、実際、テレビでみててすら、手でなんかやってるとか、わざと足を引っ掛けてるようにみえたり、判断つかない。川島だって、なんでもない球を後逸したように見えるけど、あの球のスピードは、相当なもんだね。

まあ、相撲も、いろいろ膿がでてきたというか、やっぱり伝統というか、ずっと、これまで表に出なかったのが不思議だけど、隠してたわけじゃないだろうけどね。まあ、ボクシングとか、ああいうのも暴力団とのつながりがどうとか、噂だけは昔からあった。それが、ここへきて、いろいろ、噴出してきたんだな。

悪から学ぶ人間学というかな。そういうのもあると思うけどね。野村さんも、日本の野球の方が、アメリカよりも、人間学で優れてるといってるけど、やっぱり、いろいろ経験しないと、映画見てもわかんない。

アメリカ映画とか、けっこう、学ばせてもらったね。ああ、いまの自分の状況は、あの映画のあの状況なのかなとかって、そのつど、教えてもらったというか(笑)

おいおい、○の人生こんなのかよとか、いじわるなラストだなあ、なんて思ったら、15年前の映画だったり(笑)

しゃるういだんすなんか、よかったけどね。画面に終始ただよってるにおいが・・周防監督も、仕事しなくなっちゃった(笑)二度以上見る映画って、そんなにないけど、あれは見ましたね。タクシードライバーとか、ニューシネマパラとか、トレーニングデイとか、ゴッドファーザーとか・・意外と黒澤映画は、二回見ないですね。

大栗さんにも、男性的な映画、男だからわかる映画、作ってほしいですね・・

たとえば、日本で現実にあったけど、前に、おまわりさんが、少年か、青年か忘れたけど、荒くバイクをのりまわしてる若者に注意した。それで、若者が、あとで、銃で脅されたとかいって問題になったんだけど、そのおまわりさんは、町でも人気者だったらしくて、あの刑事がそんなことするはずないとか、許してあげてという声がひっきりなしにあった。

あの真相はわからないけど、そういう類の機微も、デニーロのでてた映画で描かれてた。消防員か誰かが、悪さをした男を木に紐でくくりつけておいたんだけど、それをあとで、悪党がマスコミにいって、悪者扱いされる。

暴力というか、程度の問題と思うけど。やっぱり、なにもかも同じ「暴力イコール悪」とかでひとくくりにしてしまうと、なにかの感覚が抜け落ちてくるような気が僕はするけどね。そういうのがあるから、わかりあえるものがあるというか。

尾崎行雄という政治家が、イギリスに留学してて、川遊びにでかけて、おとなしそうな老いた船頭の船に乗ろうとしたら、横から若い船頭が、横取りしようとして、尾崎の手をつかんだらしい。それで、老船頭が卑怯者とかいって、若者も頭にきて、けんかがはじまったらしいんだけど、老船頭が勝ったらしい。

それで、若い男の血だらけの顔を洗ってやってから、「卑怯者の最後はあんなものですわ」といって、なにごともなかったように尾崎を乗せて景色を説明しだした。それで、これこそ、ジェントルマンだと尾崎は思ったらしい。

出張バイトで出会った男が、映画館で男に股間をさわられた話を思い出した。その男が、股間を触った男をひっぱって、映画館のおばちゃんに、相談したら、「今日は、わたしの顔にめんじて許してやっておくんなさい」なんていったらしいんだが、直感で、作ってると思った。

まあ、ワールドカップで盛り上がってるところで、通りすがりの人間が、ごたごたいうのもなんでしょう(笑)



コラムニスト●
…………………………………………………………………
森田益郎

連載コラム147 from 台湾

日本を代表する企業が、
「最低2ヶ国語を話し、なおかつ専門知識を持つ」
ことを採用条件にあげているという。

国内だけでなく海外に進出している企業は
即戦力を期待し、上の条件をあげているのだという。

その結果日本人ではなく外国人を採用するケースが
増加。

日本人の就職難に拍車をかけている。

舞台はアジアへ
今、話題になっている進んで外国人を採用している
企業は楽天、ローソン、ユニクロ。

全てアジアに進出し、それなりの知名度・業績を
あげている企業である。

日本国内ではこれ以上伸びないという危機感から
彼らがアジアに進出したのは大成功であったといえよう。

反日が多いとされているアジアの地区でも
日本のものはまだまだもてはやされるため、
楽天、ローソン、ユニクロは大ヒット。

ローソンは日本のクオリティーの高いスイーツや
地元にはないドリンク類などを販売。
コンビニの中でも「比較的おしゃれ」な立ち居地にあり
人気を集めている。

ユニクロは香港オープニング時には長蛇の列ができ
大評判となった。

楽天も日本のものが安く買えると評判。
日本のシステムそのものも持て果たされている。

格差はますます拡大
「最低2ヶ国語を話し、なおかつ専門知識を持つ」
ことを条件にしている企業は、何も大企業だけでない。

中小企業などでも一番に欲しい人材は
ずばり、即戦力となる人間だろう。

仕事で使えるレベルの2ヶ国語を習得するには、
やはりそれなりの教育を受けてないと難しい。

ネイティブ・レベルとなると、高額な学費を支払い
インタースクールなどに通った者でないと無理だろう。

もしくは海外留学を経験したもの、そして帰国子女。

スタート地点の差は、最期まで縮むことはないと
宣言されているようなものではないだろうか。

もちろん努力次第で何ヶ国語も話せるようになり
高学歴を身につけられる人間もいるだろうが、
家庭が貧しく、今すぐ働き手が必要、高卒で働いて、
という家もまだまだ多いが現状なのである。

バイリンガル信仰の盲点
日本はネイティブ並みの外国語を話すバイリンガルを
信仰するような傾向にある。

話している中身よりも発音がよいことを評価されたり、
発音に自信がないと発言できなくなったり。

楽天では社内で英語を共通語としているらしいが
これは危険な盲点であるといえよう。

本当に能力のある人間の意見が出てこれない可能性を
生んでいるからである。

確かに英語や外国語が出来るにこしたことはない。
しかし、それだけに囚われていると危険である。

外国人留学生が日本企業に就職することも
日本の発展には必要であることは確かだが、
このままでは多くの日本人にチャンスが与えられなくなる。

日本の迷走に拍車がかかっていると
思わずにいられない。



▼写真は、連日夕方になると大雨に見舞われる台北市内の様子です。















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム265from北海道●江原啓之さん

私が江原啓之さん知ったのは、佐藤愛子さんの「私の遺言」という
本がきっかけです。
この本は「新潮45」に2001年3月から2002年6月まで連
載された作品を、のちに単行本化したものですが、確か私の場合、
本が発売されて直ぐの時期に取り寄せで購入しました。
「私の遺言」は、その前に長編小説として刊行された「血脈」の続
編でもあり別冊だと私は勝手に思っています。
「血脈」を読まれた方ならおわかりだと思いますが、この本はまれ
にみる上等な小説です。
「血脈」が菊池寛賞を受賞されたことも、本当に喜ばしい限りでし
たが、私自身の個人的な観点から述べると、この「血脈」より優れ
た小説を私は知りません。
佐藤愛子さんが、10年という月日をこの小説に費やし、心血を注
いだ、血と汗の結晶なだけに、その迫力と感動は凄まじいものがあ
るからです。
私は、佐藤愛子さんの兄にあたる故サトウハチローさんが大好きでした。
彼がこの世の遺産として残した詩や歌は、とても琴線に触れてくる
ものがあるし、私の場合、子供の頃に、たまたま父からサトウハチ
ローの詩集を貰ったため、よくその詩集を読んでいたこともあり、
そういうことも含めて、私にとっての佐藤家の人々はとても親しみ
が湧く存在なのです。
言うなれば、映画「男はつらいよ」の寅さん一家、そんな感じなの
ですが、ただのいちファン、いち読者である私がぬけぬけと言って
いるわけですから、佐藤愛子さんが知ったら酷く憤慨してしまうか
もしれません。
佐藤愛子さんの「血脈」を読んだ時に、その素晴らしい情景描写か
ら、作品の全てが上等な映画を見ているかのようでした。
さて、佐藤愛子さんいう方は、元来心霊現象なんて全く信じない人
でもありました。
ですが、「私の遺言」では、その考えが180度逆転しているのです。
北海道の浦河町の山の上に別荘を建ててから、立て続けに心霊現象
に見舞われ、そこで、ある方を通じて、江原啓之さんと美輪明宏さ
んを紹介して貰うことになり、この時は、まだ江原さんと美輪さん
はお互い面識すらなかったので、佐藤愛子さんを通して、お二人は
親しくなったのだと思います。
ご本人達もメディアを通じて何度かそのことに触れています。
佐藤愛子さんの「私の遺言」が刊行された時に、民放の深夜の時間
帯に(北海道はそうでしたが)「えぐら開運堂」なる番組が放送さ
れていました。
これについては、本と番組、どちらが先か解りませんが、まだ江原
さんもテレビに登場したばかりで、しかも深夜わくの時間帯でも
あったし、江原さんとネプチューンの名倉潤さんと局アナの女性と
3人が番組を進行し、ゲストは、毎回一般人という設定だったわけです。
悩みを番組で打ち明けて、江原さんに霊視して貰うというスタイル
でした。
私の場合、佐藤愛子さんの「私の遺言」を読んでいたこともあり、
江原さんについても、抵抗なくすんなりと受け入れることが出来ま
したが、私の友人は酷く疑わしい番組だと避難していたのを覚えて
います。
実際、あの番組だけでは、江原さんが本物かどうかまで視聴者には
伝わりにくいものがありました。
あまり興味のない人にとっては、細木数子氏と江原さんは同系と
思ってしまうし、じっさい書店などで、この方たちの本が並んでい
るのを見掛けても、占い扱いで、コンビかセットのような陳列です。
それでも、私が知る限りでは、江原啓之さんという人は本物です。
それは、テレビ番組「オーラの泉」でも、たびたび証明されていた
ように、そういう力が江原さんにはあるのだと思います。
江原さんの著書を読んでも、そのことは実感できますし、江原さん
の公演に行けば、尚そのことを実感できます。
江原さんの生歌に、自分の意志と無関係に涙が止まらなかったり、
公演を聴いた後も、これ以上ないほど元気になってしまったことに
は、いま思い出しても不思議な体験でした。
今では、すっかり有名人になってしまいましたが、昔は江原さんの
サポーターズクラブに入会していれば、公演チケットの購入もそれ
なりに簡単で、公演時には必ず江原さんを囲んで簡単なオフ会まで
あったので、
少し家庭的なあったかい雰囲気だったことを覚えています。
オフ会は、それぞれの自己紹介に続き、江原さんとの握手や個人こ
じんの撮影会は、僅かな会話を交わす時間まであって、ほのぼのし
ていたからです。
江原さんのここ最近の著書は私が読んでいないのでここでは紹介で
きませんが、私のオススメ本は、「人はなぜ生まれ いかに生きる
か」と「苦難の乗り越え方」です。
どちらも、とても良い本です。
心に迷いや、苦しみを抱えている時に、ぜひ手に取って欲しい、そ
んな本です。
この本から学ぶことはいろいろですが、やはり読むだけでなく個々
の実践が大切なのだと思います。
江原さんのファンとして、サポーターとしてずっと応援していく人
たちも多いと思いますが、私個人はいまはこちらも退会しています。
その理由は学びも卒業が必要と感じたからです。
人生は、結局のところ、自分で決めて選択していくしかありません。
江原さんがいくら本物でも、ずっとそこに留まり、しがみついては
いけないと思うのです。
テレビ番組「オーラの泉」が終了してから、あまりメディアでは見
掛けなくなったものの、開運スポット、パワーフード紹介番組ばか
りに登場している江原さんをたまに見掛けると、私は少し複雑な気
持ちです。
ネットでも中傷が公開されているように、江原さんについては賛否
両論ですが、霊感商法の根源などという意見に関しても、非常に理
解に苦しみます。
洗脳や霊感商法とは明らかに違うものだし、彼の公演や著書、個人
を通して、正確に検証してほしいものです。
それでなくともスピリチュアルカウンセラーという職業は、私が想
像する以上に難しくて困難きわまりない仕事だと思うのです。
たくさんの人達にすがられて、それでいて、気をつけていないと世
の中に足下をすくわれやすく、本人の知らないところでも名前を勝
手に利用されたりするのだから、まったく大変です。
人間はずるい生き物です。
江原さんの公演会場でも、今にもすがりついて離さないような人を
見掛けました。
それはとても悲しいことのように私は感じます。
どんなことでもそうですが、けっきょく自分の人生は自分で決めて
いくしかないのだと意識改革が出来れば、見方も考え方も変わって
いくと思うのですが、でも、世の中には自分で選ぶことも、決断す
ることも出来ない人たちが沢山いるのではないでしょうか?
それでも、たまにテレビに登場する江原さんは、とても愛敬があり
元気いっぱいです。
パワースポット巡りは、ちょっと・・という気持ちでも、私は元気
な江原さんに嬉しい気持ちになります。
実際、パワースポットに関しても、番組上視聴率を稼がなければな
らないのだとしたら、それもまた致し方ないことなのかもしれません。
それでも、御利益とかスポットばかりにすがりたがる風調は、大事
なことを確実に見逃しているように感じてしまいます。
伝統や遺産、文化や自然を重んじる心は大切でも、御利益や願掛け
ばかりに忙しいのはやはりよくありません。
ましてや、パワースポットなる場所に連日長蛇の列をつくって並ん
でいる姿も、非常にまずいことではないでしょうか?
パワーは、自身の努力と経験でつくられていくものです。
一瞬にして、与えてもらうものではないのです。
だから、日々を大切にして人生を積み重ねていくしか方法はないの
でしょう。
なにか心に迷いや苦しみを抱えている方は、江原さんの本をぜひ手
にとって頂けたらと思います。

コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住