2012年3月16日金曜日

連載コラム306 from 北海道●原発を考える

東北の震災、福島第一原発の事故から一年が経過し、日本でも国外
でも、反原発運動が高まっている。
3月11日には、さまざまなところで反原発の集会やデモが行われた。
現在日本にある54基の原発中、実際に稼働しているのは、新潟県
にある東京電力柏崎刈羽原発6号機と北海道にある北海道電力泊3
号機の2基だが、この2基も4月下旬には定期点検に入るため、4
月末に、国内にある全ての原発が停止し、そのことでは政府も経産
省も、なんとかこの事態を食い止めようと、原発の再稼働にあくせ
く動いている。
原発は、必要か否か。
もちろん原発こそ不要。
そう言い切ってしまいたいが、国内におかれる事情を思うと、そう
簡単には答えられる話ではない。
原発を抱える自治体の中には、自分たちの産業はこれしかない、原
発を今やめれば、住民はたちまち生活ができない、そんな声だって
あるからだ。
福島第2原発を抱える福島県楢葉町の町長が、東電に再開を申請し
たという話がある。
同じ福島県ですら、そうなのだ。
反原発派からしてみれば、こんな話は到底理解できないだろう。
だが、過疎化の一途を辿るしかなかった町が、原発を誘致し、原発
による雇用や安定に浸かってきたことを一方的に非難することなど
出来やしない。
なぜならその昔、日本には、そういう貧しい過疎地域が本当に多
かったからだ。
生活は困窮し、貧しさに絶えきれず、土地を離れていく人々だっていた。
そんな町が生き残るためには、新しい産業をうみだすしかない。
日本の国策として、急激にひろがった原子力発電所には、そうした
事情が含まれている。
金を積まれ、箱ものを作り、原発を誘致したことで、そこから抜け
られずに思考停止におちいり、町の殆どが原発マネーでズブズブの
関係だったとしても、この人々にはそれしか生きる手だてがなかった。
そして、あの時代、原発は世界の、いや日本の明るい未来を照らし
てくれた希望のような存在だったのだろう。
だから、原発事故が起きても、簡単には原発を捨てられない自治体
がある。
彼らにとっては、死活問題。
原発に代わる産業もないのに、原発をやめれば、生きていけないからだ。

福島の被災された人々はどうだろう。
母親と子どもは、とにかく原発からなるたけ遠い、なるたけ離れた
土地で今を過ごし、父親はというと、家族のために一人単身赴任
し、福島に残って原発で働いている、そういう家族が実際には多い
と聞く。
それぞれに、生活があるのだ。
原発に、放射能汚染に翻弄されながらも、今はそれしか生活の目処
が立てられない。
それが、現状である。

東京都が打ち出した天然ガスの発電所の発案はともかく、原発の代
替えに自然エネルギーを推進する動きもあるが、どんな代替えのエ
ネルギーであろうと、障害になるのが、まず送電の問題である。
企業が持つ電力発電所や、町を挙げての風力発電所でつくられた電
力が、今もなお、うまく買い取りされずにいるのは、電力に見合う
送電線がないからで、地域独占している日本の電力会社が発送電の
権利をも握っているからなのだ。
北海道には、9年前から幌延町に風力発電所がある。
町も資本金の半分を出資し、町営ではないけれど、幌延風力発電所
株式会社が運営しているが、送電許可が出たにもかかわず、風力発
電で作られた電気は、いま現在も思うように買い取りされておら
ず、電気は垂れ流し状態である。
福島の原発事故後に、電力供給で浮上した西日本と東日本の送電配
電電圧の問題も、未だ解決していない。
政府は、東電を国営にしようとしているらしいが、賠償金はどのみ
ち政府が肩代わりするしかないのだ。
だから、東電の株の心配よりも、事故の収束、廃炉へのプロジェク
ト企業の立ち上げと賠償問題に力を注いでほしい。
そして、一日もはやく発送電の分離や、電圧の問題にも着手してほ
しいです。

原発が果たして、低コストかどうかについては、福島第一原発のよ
うに、事故が起きることを考えればと、決して安いとは言えない。
実際、事故が起きなくても、発電所の建設から原発ゴミの廃棄、日
本では、廃棄はしていない再利用だと言われるかもしれないが、い
ずれにしても、そのコストは、石油の非ではないような想像まで働く。
要するに、原発は高くつくのだ。
それでも、核とは、人類にとって、麻薬のような存在なのだろう。
決して手放したくはない、手放せない、そんな存在なのだと思う。
原爆、核実験、原発としての平和利用と、これまでの歴史を振り
返っても、被ばくや、スリーマイル事故、チェルノブイリ事故など
がおきて、放射能に土地が汚染され、甲状腺癌や奇形問題が多発し
ても、一向に核を葬ろうとはしてこなかった。
コストが安いだの、石油に変わるエネルギーだのと言って、反対運
動がそのつど起こっても、いつも封じ込めてきた。

日本は、果たして変われるのだろうか?
福島の事故を教訓に、本当に変われるのだろうか?
日本が原発をやめたとしても、全ての原発を廃炉にするには、膨大
な年月が掛かる。
プラス、原発に依存してきた自治体には、原発に代わる産業が必要
不可欠である。
エネルギーと経済成長は常に等しい関係だ。
復興にも、低迷している日本全体にも金は必要。
節電して、無駄に電力を使うことをやめて、慎ましさを目指すのが
美徳のように言われているが、本当に日本人は、今さらそんなふう
に生きられるのだろうか?
原発はいらない。
だが、これは、少し先の話ではないのか?
原発の恐ろしいコストを考えると全く腹立たしい話だが、これに依
存している自治体が変わるためには、時間がもう少し必要である。
日本には、54基も原発があるのだ。
原発を全部停止しようと、日本が電力不足におちいるなんて思えな
いが、そんな心配より、私には原発を抱えてきた自治体の方が気掛
かりだ。
私は、彼らに死ねなんて言えない。
反原発だから、あんた達も我慢しろなんて、とても言えない。
原発事故が起きれば、被害が大きいこともよくよく解っているつも
りである。
福島の事故を、私だって心底恐ろしいと感じているし、汚染被害の
拡大には本当に困惑している。
それでも、理想を言えば、世界も日本も緩やかな形で核を廃絶でき
ればと思ってしまうのです。



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

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