2012年3月16日金曜日

連載コラム188 from 台湾

東日本大震災から1年が経った。
しかし復興の道のりはまだまだ遠く
課題は山積みになっているようである。

短期間でここまで戻ったことに驚いたり
高く評価する海外メディアも少なくないが、
目に見えにくい人々の暮らしや心のケアが
まだまだなっていないように見受けられからだ。

その原因はやはり政府の力不足だろう。
そして利権に絡む復興ビジネスの勧め方。

日本に在住してる友人や親族の話を聞いてみると
なんともやるせない気持ちになってしまう。

普通には戻っていない
被災した親族の話によると
ガレキが集められている場所以外は
何となくすっきり見えるが、
町の活気はまだまだ戻っていないという。

なぎ倒された墓場などもそのままであるケースが多い。
みな生きることに必死で、優先順位がはっきりとしている。

仕事を失った、仕事をやる気が失せたという人も多い。
PTSDのカウンセリング治療をという声もあるが、
日本人の中には「話すことでストレスが増す」という人が
少なくない。
「話すことで故人を忘れそうだから、今のままでよい」という
人もいる。

東北の田舎の人であればそれはなおさらであり、
カウンセリング自体に抵抗感を感じる人もいるだろう。

まだまだ普通ではない。
まだ1年。1年がせまるにつれ津波や故人の夢をみるように
なった、生きていることにさらなる罪悪感を感じるように
なったという被災者も多いのである。

仮設住宅生活の辛さ
先日、仮設住宅に住んでいる被災者たちが
お風呂の追いたき機能が欲しいといったり、
不便な場所に住んでいることへの不満や
義援金でパチンコに通っていることなどが伝えられた。

これだけ聞くと「なんてワガママなんだ」と思うだろう。
海外では日本の仮設住宅はとても豪華で
日本人は恵まれていると伝えられているのに。

しかし、東北の寒さは刺すように厳しくとても辛いもの。
お風呂も40度を越える高温で入れてもすぐに冷めてしまう。

東北の人たちは田舎ということもあり持ち家率が高く
自分の家を愛している人たちが多かった。
そんな人たちに狭い仮設住宅に暮らせというのは
ちょっときついのかもしれない。

被災者も我慢しなければと思っているのだが、
今は無き家の住宅ローンや、仕事への不安、
将来への不安を考えるとやりきれなくなるのだろう。

パチンコへ通ってしまうことは褒められたことではないが
パチンコを容認している日本なのだから仕方ない。

我々が思っている以上に被災者は辛い思いをしているのである。

原発への不安
先日、日本の新聞で岩手、宮城、福島、千葉に住む子供21人の
尿を調べたという「福島老朽原発を考える会」という市民大体の
最新調査結果が発表された。

それによると、21人中、13人から微量の放射性セシウムを検出。
しかし、前回の調査に比べ5分の1~2程度に減ったという。
同会は「汚染の心配が少ない食材を選んだからだろう」としている。

前回、実際に我が子から放射性物質が出たため、この子たちの親は
必死になって食生活を改善したのだろう。
しかし、「風評被害になるから」と食生活をあえて変えない親は
たくさんいる。
ということは内部被爆している子供たちが日本には大勢いること
になるのだ。

尿となって排出されるといっても、排出されるまでに腎臓だけでなく
ほかの臓器も通る。影響ゼロのわけはない。

日本の政府は被災者が何を一番求めているのか見極め、
内部被爆の実態を研究し、正しい情報を流すべきである。
世界中から集まった義援金を無駄にせず、活用してもらいたいものだ。

















写真は、宜蘭の温泉町、礁渓です。ネギの産地として知られており、道端でおばさんたちが売っています。




コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム188 from 台湾

東日本大震災から1年が経った。
しかし復興の道のりはまだまだ遠く
課題は山積みになっているようである。

短期間でここまで戻ったことに驚いたり
高く評価する海外メディアも少なくないが、
目に見えにくい人々の暮らしや心のケアが
まだまだなっていないように見受けられからだ。

その原因はやはり政府の力不足だろう。
そして利権に絡む復興ビジネスの勧め方。

日本に在住してる友人や親族の話を聞いてみると
なんともやるせない気持ちになってしまう。

普通には戻っていない
被災した親族の話によると
ガレキが集められている場所以外は
何となくすっきり見えるが、
町の活気はまだまだ戻っていないという。

なぎ倒された墓場などもそのままであるケースが多い。
みな生きることに必死で、優先順位がはっきりとしている。

仕事を失った、仕事をやる気が失せたという人も多い。
PTSDのカウンセリング治療をという声もあるが、
日本人の中には「話すことでストレスが増す」という人が
少なくない。
「話すことで故人を忘れそうだから、今のままでよい」という
人もいる。

東北の田舎の人であればそれはなおさらであり、
カウンセリング自体に抵抗感を感じる人もいるだろう。

まだまだ普通ではない。
まだ1年。1年がせまるにつれ津波や故人の夢をみるように
なった、生きていることにさらなる罪悪感を感じるように
なったという被災者も多いのである。

仮設住宅生活の辛さ
先日、仮設住宅に住んでいる被災者たちが
お風呂の追いたき機能が欲しいといったり、
不便な場所に住んでいることへの不満や
義援金でパチンコに通っていることなどが伝えられた。

これだけ聞くと「なんてワガママなんだ」と思うだろう。
海外では日本の仮設住宅はとても豪華で
日本人は恵まれていると伝えられているのに。

しかし、東北の寒さは刺すように厳しくとても辛いもの。
お風呂も40度を越える高温で入れてもすぐに冷めてしまう。

東北の人たちは田舎ということもあり持ち家率が高く
自分の家を愛している人たちが多かった。
そんな人たちに狭い仮設住宅に暮らせというのは
ちょっときついのかもしれない。

被災者も我慢しなければと思っているのだが、
今は無き家の住宅ローンや、仕事への不安、
将来への不安を考えるとやりきれなくなるのだろう。

パチンコへ通ってしまうことは褒められたことではないが
パチンコを容認している日本なのだから仕方ない。

我々が思っている以上に被災者は辛い思いをしているのである。

原発への不安
先日、日本の新聞で岩手、宮城、福島、千葉に住む子供21人の
尿を調べたという「福島老朽原発を考える会」という市民大体の
最新調査結果が発表された。

それによると、21人中、13人から微量の放射性セシウムを検出。
しかし、前回の調査に比べ5分の1~2程度に減ったという。
同会は「汚染の心配が少ない食材を選んだからだろう」としている。

前回、実際に我が子から放射性物質が出たため、この子たちの親は
必死になって食生活を改善したのだろう。
しかし、「風評被害になるから」と食生活をあえて変えない親は
たくさんいる。
ということは内部被爆している子供たちが日本には大勢いること
になるのだ。

尿となって排出されるといっても、排出されるまでに腎臓だけでなく
ほかの臓器も通る。影響ゼロのわけはない。

日本の政府は被災者が何を一番求めているのか見極め、
内部被爆の実態を研究し、正しい情報を流すべきである。
世界中から集まった義援金を無駄にせず、活用してもらいたいものだ。

















写真は、宜蘭の温泉町、礁渓です。ネギの産地として知られており、道端でおばさんたちが売っています。




コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム306 from 北海道●原発を考える

東北の震災、福島第一原発の事故から一年が経過し、日本でも国外
でも、反原発運動が高まっている。
3月11日には、さまざまなところで反原発の集会やデモが行われた。
現在日本にある54基の原発中、実際に稼働しているのは、新潟県
にある東京電力柏崎刈羽原発6号機と北海道にある北海道電力泊3
号機の2基だが、この2基も4月下旬には定期点検に入るため、4
月末に、国内にある全ての原発が停止し、そのことでは政府も経産
省も、なんとかこの事態を食い止めようと、原発の再稼働にあくせ
く動いている。
原発は、必要か否か。
もちろん原発こそ不要。
そう言い切ってしまいたいが、国内におかれる事情を思うと、そう
簡単には答えられる話ではない。
原発を抱える自治体の中には、自分たちの産業はこれしかない、原
発を今やめれば、住民はたちまち生活ができない、そんな声だって
あるからだ。
福島第2原発を抱える福島県楢葉町の町長が、東電に再開を申請し
たという話がある。
同じ福島県ですら、そうなのだ。
反原発派からしてみれば、こんな話は到底理解できないだろう。
だが、過疎化の一途を辿るしかなかった町が、原発を誘致し、原発
による雇用や安定に浸かってきたことを一方的に非難することなど
出来やしない。
なぜならその昔、日本には、そういう貧しい過疎地域が本当に多
かったからだ。
生活は困窮し、貧しさに絶えきれず、土地を離れていく人々だっていた。
そんな町が生き残るためには、新しい産業をうみだすしかない。
日本の国策として、急激にひろがった原子力発電所には、そうした
事情が含まれている。
金を積まれ、箱ものを作り、原発を誘致したことで、そこから抜け
られずに思考停止におちいり、町の殆どが原発マネーでズブズブの
関係だったとしても、この人々にはそれしか生きる手だてがなかった。
そして、あの時代、原発は世界の、いや日本の明るい未来を照らし
てくれた希望のような存在だったのだろう。
だから、原発事故が起きても、簡単には原発を捨てられない自治体
がある。
彼らにとっては、死活問題。
原発に代わる産業もないのに、原発をやめれば、生きていけないからだ。

福島の被災された人々はどうだろう。
母親と子どもは、とにかく原発からなるたけ遠い、なるたけ離れた
土地で今を過ごし、父親はというと、家族のために一人単身赴任
し、福島に残って原発で働いている、そういう家族が実際には多い
と聞く。
それぞれに、生活があるのだ。
原発に、放射能汚染に翻弄されながらも、今はそれしか生活の目処
が立てられない。
それが、現状である。

東京都が打ち出した天然ガスの発電所の発案はともかく、原発の代
替えに自然エネルギーを推進する動きもあるが、どんな代替えのエ
ネルギーであろうと、障害になるのが、まず送電の問題である。
企業が持つ電力発電所や、町を挙げての風力発電所でつくられた電
力が、今もなお、うまく買い取りされずにいるのは、電力に見合う
送電線がないからで、地域独占している日本の電力会社が発送電の
権利をも握っているからなのだ。
北海道には、9年前から幌延町に風力発電所がある。
町も資本金の半分を出資し、町営ではないけれど、幌延風力発電所
株式会社が運営しているが、送電許可が出たにもかかわず、風力発
電で作られた電気は、いま現在も思うように買い取りされておら
ず、電気は垂れ流し状態である。
福島の原発事故後に、電力供給で浮上した西日本と東日本の送電配
電電圧の問題も、未だ解決していない。
政府は、東電を国営にしようとしているらしいが、賠償金はどのみ
ち政府が肩代わりするしかないのだ。
だから、東電の株の心配よりも、事故の収束、廃炉へのプロジェク
ト企業の立ち上げと賠償問題に力を注いでほしい。
そして、一日もはやく発送電の分離や、電圧の問題にも着手してほ
しいです。

原発が果たして、低コストかどうかについては、福島第一原発のよ
うに、事故が起きることを考えればと、決して安いとは言えない。
実際、事故が起きなくても、発電所の建設から原発ゴミの廃棄、日
本では、廃棄はしていない再利用だと言われるかもしれないが、い
ずれにしても、そのコストは、石油の非ではないような想像まで働く。
要するに、原発は高くつくのだ。
それでも、核とは、人類にとって、麻薬のような存在なのだろう。
決して手放したくはない、手放せない、そんな存在なのだと思う。
原爆、核実験、原発としての平和利用と、これまでの歴史を振り
返っても、被ばくや、スリーマイル事故、チェルノブイリ事故など
がおきて、放射能に土地が汚染され、甲状腺癌や奇形問題が多発し
ても、一向に核を葬ろうとはしてこなかった。
コストが安いだの、石油に変わるエネルギーだのと言って、反対運
動がそのつど起こっても、いつも封じ込めてきた。

日本は、果たして変われるのだろうか?
福島の事故を教訓に、本当に変われるのだろうか?
日本が原発をやめたとしても、全ての原発を廃炉にするには、膨大
な年月が掛かる。
プラス、原発に依存してきた自治体には、原発に代わる産業が必要
不可欠である。
エネルギーと経済成長は常に等しい関係だ。
復興にも、低迷している日本全体にも金は必要。
節電して、無駄に電力を使うことをやめて、慎ましさを目指すのが
美徳のように言われているが、本当に日本人は、今さらそんなふう
に生きられるのだろうか?
原発はいらない。
だが、これは、少し先の話ではないのか?
原発の恐ろしいコストを考えると全く腹立たしい話だが、これに依
存している自治体が変わるためには、時間がもう少し必要である。
日本には、54基も原発があるのだ。
原発を全部停止しようと、日本が電力不足におちいるなんて思えな
いが、そんな心配より、私には原発を抱えてきた自治体の方が気掛
かりだ。
私は、彼らに死ねなんて言えない。
反原発だから、あんた達も我慢しろなんて、とても言えない。
原発事故が起きれば、被害が大きいこともよくよく解っているつも
りである。
福島の事故を、私だって心底恐ろしいと感じているし、汚染被害の
拡大には本当に困惑している。
それでも、理想を言えば、世界も日本も緩やかな形で核を廃絶でき
ればと思ってしまうのです。



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2012年3月1日木曜日

連載コラム305 from 北海道●日本のうつの治療に、未来はあるのか

NHKで放送された「ここまで来た!うつ病治療」という番組が反響を
よび、すでにアンコール放送もされた。
内容は、これまでのうつの治療に、脳科学の研究が進み、診断や治
療に、劇的な変化が起こり始めているというものだ。
心の病とされてきたうつ病に、化学のメスが入り、違う視点から、
治療を試みる研究は、精神疾患を抱える患者に、どれほどの希望を
あたえることだろう。
この番組では、アメリカの最前線の治療に焦点をあてていたが、日
本でも、臨床実験が行われている話にまで踏み込み、実に画期的で
希望を感じる内容だった。
日本では、うつ病を抱え、勇気をふりしぼって精神科の門をたたい
ても、実際に行われる治療は、問診と投薬の治療だけである。
それも、必ずや完治してくれればよいが、実際には、病気も行きつ
戻りつするばかりで、職場への復帰がかなわなかったり、復帰して
も、以前のようには働けなかったりするケースが後をたたない。
それでも、私個人は、日本の精神科も、昔に比べると遙かに素晴ら
しくなったと思うが、日本の医療現場に、この画期的な治療が導入
されるのは、まだ先のこと。
早くても、2、3年は掛かるとのことであった。

某全国紙の新聞に、香山リカさんという精神科のお医者さんがコラ
ムを連載している。
コラムのタイトルは、香山リカの「ココロの万華鏡」。
毎回、心温まる素敵な内容が多い。
香山リカさんといえば、それなりに執筆されていたり、講演やテレ
ビ出演も多いので、有名な方である。
若くて、美人で、素敵なお医者さん。
私同様に、そんな印象を持つ方々も多いのではないだろうか?
その香山さんが、先日のコラムで、うつ病の最前線の治療に苦言を
示していた。
香山さんがいうには、最近、自分の診察室に訪れる患者から、
「もっと、進んだ治療はないのか」とか「病院をかえたいので紹介
してほしい」と云われ、自分の腕が落ちたのかと思ったが、うつ治
療の最前線の放送があったことを知ったという。
確かに、日々現場で、患者と向き合う医者の立場からすれば、こん
な話は寝耳に水である。
戸惑いがあって当然だし、内心、腹の立つ話なのかもしれない。
しかし、うつを抱える患者に、「あせらないで、ゆっくり治療しま
しょうね」と云われても、患者は、それを素直にのみ込めるだろうか?
うつを抱える患者にとって、医者とは、たった一つの希望のテツの
ようなもの。
ある日突然やってきたどん底から、自分を救い出してくれる、そん
な存在なのだ。
だから、医者があたえてくれるものならば、どんなことだって頑張る。
頑張ってはダメよ、と云われも、ひたすら真面目に、治りたい一心
で患者は頑張ってしまうのだ。
そんな患者の葛藤を、医者の皆さんは、本当に理解しているのだろうか?
この病気には、時間が必要という、これまでの見解も解らなくはない。
だが、人生は有限である。
うつ病を抱える患者が、はやく治りたいと思うのは、ごく当たり前
だし、私には、なにか、そこに、病気を抱える患者さんと医者との
間に、分かち合えない溝があるように感じてならない。
香山さんはコラムで、「どんなに脳科学が進歩しても、うつ病には
やはり心の病という側面がある」と、のべていた。
そして、このコラムは、「15分で診断、30分で治療だけでは、
いつか必ず問題が出てくると思う。
急がばまわれということわざを思い出してみてはいかがか。」と結
ばれていた。

なぜ、なのだろう?
なぜ、香山さんは、こんなことをいうのだろうか?

うつ病には、心の病の側面がある?
だったら、脳の病気の側面だってあるのではないのか?
病を抱える患者が思うことは、ひとつだ。
どんな治療だっていい、自分はとにかく治りたい、それだけである。
だとしたら、精神科と脳外科の医者や研究者たちが、共に手を取り
合い、疾患を抱える患者の治療にもっと効果的な治療に積極的に取
り組む、これこそが患者が一番に望むことではないのだろうか?
私には、脳科学の最新治療に、疑問をぶつける香山さんの言葉が理
解できないし、香山さんの発言が、日本の精神科のお医者さんのご
く常識的な見解というならば、それこそ問題に感じてならない。
医者たちのプライドや利権が、日本の医療現場の進歩をはばみ、そ
のしわ寄せが、患者にまわってくるならば、ここも既得権益にぶら
さがりたがる日本の古臭い縦割り行政と同じと感じてしまうからだ。

大切なことは、いかに病気を治すか、それにつきるのではないのだ
ろうか?
日本には、うつ病を抱える人々が10万人もいる。
そのことを、日本の医療現場は、もっと深刻にとらえるべきなのだ
と思う。



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

連載コラム187 from 台湾

先日、日本のニュースサイトで
「妻は産後、夫に対する愛情が激減する」
と報じられた。

これはベネッセ次世代育成研究所が調査したもの。
妊娠中の伴侶への愛情は夫婦ともに74%だが、
出産して1年後には妻は46%、夫は64%に下がる
のだという。

専門家は、夫が産後、予想外に家事や育児を
手伝ってくれないことに失望しているからだと
指摘している。

これを外国人の友人に伝えたところ、
「日本は女性にとって本当に結婚・子育て
しづらい国なんだね」と言われてしまった。

なぜ夫が手伝わないか
確かに日本で家事や育児を手伝う男性は
少ないように感じられる。

イクメンという言葉も生まれているが、
そんな言葉が生まれ、ちやほやされるというのは、
その手の男性がまだまだ少ないからである。

たまに「うちの夫はよくやる」という人の話を聞くと、
「オムツをかえてくれた」「ミルクをあげてくれた」
「遊び相手をしてくれた」「お風呂にいれてくれる」
というたぐいのもの。

自分の血をひく子供なのだから、
この程度はして当然ではないかと思えるような
ことばかりである。

仕事をしているから仕方ない、とも言われるが、
女性が仕事をしている兼業家庭でも
びっくりするほど男性は手伝わない。

子供が急病になる休むのは妻ばかり。

それもそのはず、日本の社会が、
妻は家事・子育てをやるものだ
と決め付けているからである。

妻はどうすればよいのだろうか
「結婚しても出産しても働きやすい社会に」
「子育てサポートを万端にして、
何人産んでも働ける社会に」

そんな社会を国は目指しているという。

しかし、現実は
「結婚したら肩たたきにあう」
「育児休暇は物凄く取りにくい」
「子供が生まれ保育園に預けられても
風邪とかで早退するので、針のむしろ」
「子育てサポートはいざというときに使えない」
「都会では保育園はいっぱいで入れられない」
である。

男女平等でと国はいうが、全然平等ではない。

何とか頑張り歯をくいしばり働いたとしても
夫が家事・育児を手伝ってくれなければ、
いつかダウンしてしまう。

どうにもまわらず、仕事を辞めれば
「オレが養ってやってる」と言われ、ますます
家事・育児など手伝ってくれなくなる。

妻はどこまでいっても家政婦扱いなのである。

もっと現実的に
冒頭で紹介したアンケート結果を見ると、
結局日本は、このまま夫が強く、妻は弱いという
立場のままなのだろうなと感じる。

これはこれで仕方ないと思う。そういう国は日本
だけというわけではなく、発展途上国にも多い。

ならば、これを踏まえた上で、女性が精神的に
楽になるにはどうしたらよいのか、
共働きしやすくなるのはどうしたらよいのか、
国が考えるべきではないだろうか。

子育てだけでなく介護も任されてんてこ舞いの妻。
そんな思いをするのなら結婚したくない、
娘は結婚させたくない、そんな人が今後、日本では
増え続けるだろうと思えてならない。
















写真は、台北松山空港から見える台北101です。


コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾