2011年7月16日土曜日

連載コラム172 from 台湾

日本のマスコミは今、信用できない。
以前から、このコラムでも繰り返し発言してきたが、
権力の前には何もすることができず、言いなりになるだけ。

3日に、松本前復興相が宮城県庁を訪れ、
村井知事と対談している最中に
知事に対して「「お客さんが来るときは自分が入ってから呼べ」
と上から発言したことに対して、
「今の最後の言葉はオフレコです。
いいですか、みなさん。いいですか? 
はい。書いたら、もうその社は終わりだから」。
と言い放ったときも、そうだ。

結局、この松本前復興相の態度の悪さ屈辱的な言葉を
報じたのは地元のマスコミだけであった。

他のマスコミは「オフレコという言葉は冗談だと思ったし」と
地元マスコミが大げさだと主張したというが、
そんなことは問題ではない。

この発言がどうして出たのかが問題なのだ。

報道はコントロール可能
東日本大震災後の日本を見ていると、
マスコミがいかにコントロールされているのかが
良く分かる。

放射能に関して、悪い情報が発表された直後には
大したことない、そんな酷い状況にはならないと報じる。

チェルノブイリほど酷い状態に、なることはない、
そもそもチェルノブイリとは違う型の原子炉だと言いながら、
福島第一原子力発電所はチェルノブイリ超えの最悪な状態に。

メルトダウンどころか、メルトスルーという状態なのに
今度は、チェルノブイリも、本当は悪い状態じゃない、
住んでいる人もいる、と伝える。

放射能被災地の農作物から放射能物質が検出されれば、
風評被害は可哀想と、逆に食べろとあおぐ。
意図的に市場に流出させても「気の毒だし」と
同情的な報道をする。

今回、松本前復興相の件で、被災者が激怒していることが
明るみになると、
いや、酷い被災者もいる、モンスター被災者がいる、
と情報を思いっきり操作するのだ。

政治家が、自分の暴言を、オフレコだ、
書いたらその社は終わりだと、言い放つほど
調子に乗ってしまうのもよくわかる。

日本では報道はコントロールできるのだから。

やめない首相、次から次へと判明する悪
やればやるほど、ボロが出てきて
空回りし続けている菅首相。

自身の政治資金管理団体が、
日本人拉致容疑者の長男が所属する政治団体に
なんと6250万円の政治献金をしていることが、
明らかになったときも、
「適正な献金」だと主張しただけだった。

段階を踏めば、誰にも献金できるのか。
一国の首相が、敵国のテロリストの息子に献金だなんて
これはアメリカがだまっていないのではないか。

次から次へとボロがでてくる菅首相。
でも、マスコミはこのことを積極的には報じない。

耐えるのが得意な日本人
原発事故で電力が少々減ることになり、
日本の企業は積極的に節電対策に取り組んでいる。

マスコミが連日のように節電を呼びかけるので
多くの人が「節電しなければ」「耐えなければ」という気持ちになり
熱中症で亡くなる人まで出たと報じられている。

文句も言わずに、マスコミの伝えることをうのみにし、
足並み並べようと必死な日本人。

こういう国民性なのだと、海外では気の毒に見られている。
耐えるだけ耐え、文句も言わない。
そんな国民は本当に意味でも自由を知らず気の毒だというのだ。

日本人が真の意味で自由を手に入れる日は、
一体、来るのだろうか・・・・

▼写真は、台北市を一望できる樹林区の山頂からの景色です。



















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム290 from北海道●この国はどこへゆくのか

この国は、どこへ行こうとしているのか。
東日本の大震災から、4ヶ月という月日が経った。
いまだ、被災地の復興は進んでおらず、多くの潮に浸かったがれき
がそのままの姿で積み上げられている。
避難所での暮らしは、今や暑さとの闘いだ。
女川、石巻では、腐敗した水産物が強烈な異臭を放っている。
ウジがわき、ハエの量は、よもや尋常ではない。
腐った魚を総出で処理していた作業にあたっていた方が、あまりの
悪臭に倒れた話もある。
報道から伝わる被災地の映像からは、その強烈な臭いまでは伝わり
にくい。
復興がままならないまま、そこに留まり、じっと堪え忍んでいる
人々を思うと、本当にたまらない気持ちだ。
震災後、かろうじて助かった命も、ここにきて、亡くなってしまう
人があまりに多い。
その中には、将来を悲観して、自ら命を絶ってしまう、そんな人も
少なくはないのだ。
ようやく動き出した国会や、政府の動きをみていても、どうしても
希望を見いだせない。
ただただ荒波のように怒りが押し寄せてくるばかりだ。
私は、管直人という政治家が、昨年の総裁選で勝利した時から、良
い印象は抱いていない。
小沢派の樽床氏との一騎打ちで、総理大臣の座についた管さんの喜
びようは子供のようだった。
それほどまでに、総理大臣になりかった、その心情がよく伝わって
くる印象深い場面だった。
仕事に野心を抱くことは、決して悪いことではない。
だから、そのことだけをとらえて、指摘など出来ない。
けれども、総理になってからの仕事ぶりは、目を疑うものが多い。
初心表明の演説で掲げた突然の消費税アップや尖閣問題の処理や
APECでのようす。
菅さんの言動に不安が拭えないままこの国は歩み続けて、大きな震
災に見舞われた。
人間の能力は、それぞれに違うものだ。
だから、この国のトップとして、精一杯がんばってくれさえすればいい。
その思いが総理として心にありさえすれば、私たち国民には必ず伝
わるからだ。
そうすれば、私たちはきっと救われる。
小さな希望も見いだせる。
途方もない震災を抱えていても、総理の覚悟と誠意だけで、私たち
はきっと頑張れる。
しかし、今ではその願いすらも遠い。
私には、管さんの言葉がのみこめない。
国会での答弁は、もっと理解できない。
腹に一物を抱える答弁ばかりで、何を言いたいのかも何を話してい
るのかも掴みにくいからだ。
総理延命のために、知恵だけは働かせる菅さんである。
そのためには、閣内の大臣だって後ろから斬りつける。
市民運動家から政治家としてのし上がってきた菅さんは、たった一
人で今の地位を築いたのだろう。
だから、誰も信用していない。
誰も信じない人なのだ。
政治は、総理であっても、ひとりの力だけで成せるものではない。
特に日本の政界の内情は複雑だ。
癒着や利権や派閥が複雑に絡み合う中で、官僚たちのやる気をうま
く引き出していかなくてはいけない。
手腕が問われる大変な役所である。
だからこそ、この場におよんで震災を人質に取るなど、政治家とし
てあるまじき行為である。
いまや世論は、反原発に傾いているけれど、自然再生エネルギー法
案を通すことより、まずこの国のトップとしてやらなければならな
いことがあるはずだ。
被災地では苦しい夏を迎えている。
配られるはずの義援金も滞っている。
復興もままならない。
手を差し延べる民間企業やボランティアの映像ばかりが伝わるたび
に、国はなにをしているのかと怒りが込み上げる。
ただただ延命したいだけの総理に、この国は翻弄されている。
菅さん、あなたは自分の罪の重さを理解しているのでしょうか?
総理のイスはそのままに、直ぐさま更迭したい。
私は、そんな思いです。




コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年7月1日金曜日

連載コラム171 from 台湾

緊張が続いている福島第一原子力発電所。

日本のメディアは控えめに報道するだけだが、
今も、連日のようにとんでもない事実が、
明かされている。

6月末には3号機のプール水がアルカリ性になり
ラックの腐食が進みだし、最悪の場合は再臨界する
と報じられた。

1号機もアルカリで、2号機は水がほとんどないそうだ。

ゾッとするような重大なニュースをシレっと報道する、
日本のメディアの酷さ、
そして日本人の無関心さに驚きが隠せない。

事実を分かりやすく
今、日本のメディアは福島の原発事故に関して
難しい言葉を使った、分かりにくい報道しかしない。

東日本大地震発生直後に「ありえない」と言いながらも
起こった最悪な事態も、2ヶ月後にやっと明かし、
「最悪だったけど、今は大丈夫」と伝える。

今は大丈夫というが、日本の各地が汚染されている。
わざわざ上げた基準を上回る汚染ぶりなのだ。

一方で、風評被害がどれほど罪なことなのか
メディアは強く、大々的に報じる。

まるで原発周辺地区産のものを購入しなければ
人間失格の罪人のように。

それなのに、基準値を上回る農作物が出回ったりする。

メディアは事実を分かりやすく伝えるのが
役割なのではないのか。

権力に左右されないメディアは日本にはいないのだろうか。

バッシング
インターネットが普及している日本では
さまざまなフォーラムがネット上にあり、
今回の放射能に関する意見も活発に交換されている。

主婦が多く集まる某フォーラムで、
先日、こんなやり取りを見つけた。

放射能が怖い、子供を守るために海外移住も考えている
という書き込みをした主婦に対するバッシングだ。

「神経質しすぎるお母さんで、お子さんが可哀想」
「私は福島に住んでいるが、何か問題でもあるのか」
「身内がガンで放射能治療を受けたことがある。
放射能は身体に悪いだけじゃない」
「ガンなんて確率の問題。なるときにはなる」

このような書き込みがズラッと並んでいた。

バッシングを受けた主婦は
「実は子供をガンで一人亡くしている。
闘病は本当に凄まじいものだった。
残っている子には、二度とそんな思いをさせたくない」
「だから、ガンの確立を少しでも上げさせたくないのだ」
と付け加えていた。

この主婦が、なんでここまでバッシングされるのか。

何でも同じようにしなければならない、
運命共同体意識の高い日本人の体質の恐ろしさを見たようで
鳥肌がたってしまった。

事実は報道よりも何倍も悪い
6月27日。
福島県が全県民二百万人に実施する健康管理調査が
スタートした。

低線量被ばくが人体に与える影響に関しては、
医学的に十分解明されていないため、それを調べるのである。

今、メディアや政府が言っているように、問題ないかもしれない。
しかし、今までメディアや政府が言ってきたように、
実際は想定外な酷い影響を受けているのかもしれない。

これまでの流れを見て、
事実は報道よりも何倍も悪いと、日本国民は思うべきである。

海外は冷めた目で、そう見ている。
福島どころか、関東、日本全国で作られた食べ物は
誰も手を出さないではない。

目に見える健康被害が出たときは手遅れなのだ。
日本人が目覚めてくれるのを、祈らずにいられない。


▼写真は、幻想的な台北陽明山の山道です。




















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム289 from北海道●奇跡

是枝裕和監督の映画『奇跡』は、子ども達が主役の映画である。
2004年の映画『誰も知らない』では、親に置き去りにされた子
ども達が、団地の一室で生き抜く姿をとらえた衝撃的な社会派ド
キュメンタリーでもあったが、映画『奇跡』は、同じように子ども
達に視点をおきながら、とても温かい映画だ。
離婚した両親が、それぞれに子どもを引き取り、離ればなれに暮ら
す兄弟がいる、そんな設定で、この物語ははじまるのだが、なかな
か環境になじめない小学六年生の兄と、前向きに順応していく小学
四年生の弟が、とても対照的で、笑ってしまうのに、心がチクリと
痛むのだ。
ある日、兄の航一は、噂を耳にする。
九州新幹線の一番列車がすれ違う瞬間を目撃すれば、奇跡がおきて
願いが叶うと。

映画『奇跡』を通して、自分の心が子ども時代に還っていくようだった。
あの頃の私は、いったい何を信じて生きていたのだろうか。
今よりずっと純粋な目で、物事を見つめ生きていたことは間違いない。
不安なことより、楽しいことや幸せを感じることが多かったように思う。
大人になってしまうと、心はそれだけ鎧をまとってしまう。
けっして無防備ではいられなくなる。
そのことが悲しいというより、映画を通して懐かしさに出会ったよ
うな気持ちにさせられた。

是枝監督の映画の凄いところは、けっして甘口のハッピーエンドで
終わらないところだ。
この時代に生きる家族のあり方は、非情にリアルで、リアルであり
ながら、子ども達が奇跡を叶えたいと信じ、がむしゃらに突き進む
ところに、ほんのりとファンタジーが隠れている。
そして、映画の中で、奇跡は子ども達の願望とは違うところで、出
会いを運び、温かさを秘めた形で現れる。

人は、どんなことを奇跡と感じるのだろう。
いま、生きていることそのものが奇跡だとしたら、もっと優しい視
点で、人生も見つめられるかもしれないと、そんなふうに思った。

この映画は、意外にも企画ものだったという。
3月に全線開業した九州新幹線を軸に映画をつくる、そんな企画に
是枝監督が抜擢された。
企画当初、監督の頭の中に浮かんだのは、『スタンド・バイ・
ミー』のような子ども達が線路の上を歩いているイメージだったら
しく、鹿児島に住んでいる男の子と、博多に住んでいる女の子が、
九州に初めて走る新幹線を見に行って出会うというストーリー。そ
の後、福岡~鹿児島間の新幹線の線路は高架線が多く、遠くや高い
ところから眺めない限り目線に入らない場所が多かったことと、子
役のオーディションで選ばれた兄弟の主役たちに出会ったことで、
更に脚本を書き直したという話だ。
主役の兄弟は、お笑いコンビ『まえだまえだ』の二人である。
この二人が、抜群に素晴らしい。
兄と弟のそれぞれの友だち役の子役たちも、一人ひとり味があっ
て、実に自然体。
それもそのはず。
監督は、子ども達には台本を渡さず、そのつど監督が口だてで子供
らに言うだけ。
撮影のイメージを伝えて、子ども達にはそれぞれ自然体で演技して
もらう仕組みなのだ。
こういうところが、まさに是枝監督のドキュメンタリーらしさかも
しれない。
映画『奇跡』では、大人達は脇役に徹している。
離婚した両親の父と母、祖父母、祖父の親友や学校の先生、また友
だちの母親などが、そのつど登場してくるが、いずれの大人達も過
剰に子ども達を干渉せず、温かく見守る姿が印象的だ。
それに、この脇役の大人達が、こぞって豪華キャストなのも見物である。

鹿児島名物かるかんが、この映画では楽しく美味しく活きていて、
祖父と兄の航一の会話や、兄弟の会話から、思わず失笑してしまう。
かるかんの味を「ぼんやり」から「ほんのり」に変わっていったよ
うに、ひとりの少年の心の成長を描いた、あったかくて、少しだけ
切ない映画だった。

作品の中で引用されている谷川俊太郎の詩「生きる」は、ひょっと
するとこの映画のタイトル『奇跡』の謎かけなのだろうか?

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

全編九州ロケで撮った映画に散りばめられた景色も見所である。
桜島に、新幹線に、街並みに、そして暮れなずむ夕日にも、監督の
優しい目線を感じてしまう。
是枝監督の映画は、やっぱりいい!
映画『奇跡』は、ほんのりと温かさと懐かしさを心に運んでくれる
映画です。




コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住