2009年10月1日木曜日

連載コラム247 from 北海道●北陸の旅・11

金沢城公園、兼六園と駆け足で回った割には、時間も相当費やし、長屋武家
屋敷跡を見終わった頃は、すっかり日も陰っていた。
まだ見たりない気持ちの私は、心残りがあるものの再び東茶屋街へと戻る。
茶屋街を最初に散策するはずが、山へと歩いてしまったから、すっかり
後回しにしていたのだ。
東茶屋街で再びバスを降り、早足で歩き出した。
通りがやけに静かだ。
店がそこもかしこも閉まっているように思うのは、気のせいなんかではない。
この辺りでは、店を閉めるのも早いらしい。
漸く見つけた土産物屋に駆け込むように入った。
何か欲しい、買っておきたいと、棚に並べられた品に目を走らせた。
瀬戸物の珈琲カップのセットとマグカップに目が止まる。
紫陽花の花模様が素敵だった。
マグカップは、なんだろう、一輪花がいっぱいに描かれているけれど、
何となく元気が出る色彩で、形も斬新だった。
どちらか欲しいなぁという気分。
どっちを買おうと、悩みひたすら思案する。
この土産屋も、当然閉店間際だった。
そこへ、血相を変えて飛び込んできた私が、ひたすら棚の商品を見回し、
カップを手に取り、裏を返したり、真剣に選ぶ姿は、ちょっと自分で
想像しただけでも、余裕のなさが丸出しだ。
買わなければならないオーラを出しまくっていたから、店の人はこんな私に
苦笑してしまったかもしれない。
「それね、値引きしてあげるよ」
怖い顔で思い悩む私に、店のご主人が声を掛けてきた。
他に女性の店員が一人。
雇われているのか、それともご夫婦なのか、兎に角小さな店で仲睦まじく
働いておりました。
きっと私なんてほっといても何か買う客だったと思います。
でも、店のご主人は、顔を綻ばせて「値引きしてあげるよ」と言ってくれた。
「ひとつ、1800円だけど、ふたつで3000円にするよ」と。
買うなら、ふたつ欲しいもの。
金沢の記念に、是非欲しいのです。
きっと、心の中を見透かされたのかもしれない。
なのに、安くしてあげるだなんて、なんて優しいのでしょうか。
珠峰九谷と底に印されたカップをふたつ手に取る。
「これ、ください。これ、買います」と、笑顔でご主人にカップを渡した。
たわいのない会話をしながら、お代を払い、急に思い出したように
切り出した私は、「そう言えば、この辺りでどこかお勧めのお食事出来る
店ってありますか?」と、尋ねた。
昼食を抜いて散々歩き回ったので、もうすっかり腹ぺこなのだ。
なんでもいいから、何処かで食べなければならないのです。
なにせ、本日お世話になる民宿では、朝食は付いているんだけど、夕飯はナシ。
当然です、この辺りは素泊まりが普通なのです。
「なあに? ひとりなの?」と不思議そうに私を見るご主人。
「はい、ひとりです」と私。
「洋食でいいのかい?」
「ええ、洋食でいいです。高くない気さくな店がいいんですけど」と
即答したけれど、この時も、私は十分せっぱ詰まった顔だったに違いない。
「それならすぐそこに来来軒っていう店があって、そこは僕たちもよく
食べに行くんだけどね、カレーなら1000円だし、安いよ。後はねぇ、
表通りに出たらビストロって洋食屋があるんだけど・・」
ジャズが掛かっていてちょっと雰囲気がある店だとご主人が説明する傍らで、
女性の店員が僅かに渋い顔をつくり、「でもあそこは、ちょっと・・」と
何か言いたげだった。
1000円のカレーライスが食べられる来来軒は、この店のすぐ先に
あるのだという。
そこでいいではないか、カレーライスで十分です。
カレーを頂きましょう、決定です!
包装して貰った品を受け取り、私はお礼も早々に店を出て来来軒へと歩き出す。
すぐに見つかる。
しかし、ようすがどうもおかしい。
店の電気が消えていて、暗いのだ。
入口のドアに、『月曜日・定休日』と書かれた札がぶら下がっている。
なんで? と愕然とする。
これってないよなぁと項垂れる。
こっちは、腹ぺこなんだけど・・と私はトボトボと歩き出した。
茶屋街の入口、車道で隔てられた通りまで出ると、橋の向こうにちらほらと
灯りを灯した店が川沿いに並んでいた。
のれんを下げて、どこか気品が漂う店たちに、誘われるように歩き出す。
店の前まで来て、中をちょっとだけ覗いた。
どうにも、高級な雰囲気だ。
何件か覗いて回るうちに、どれもが割烹料理の店だと気付いた。
お品書きの看板に、6000円、8000円と書かれてある。
一人で割烹料理はないでしょ、と苦笑。
酒も飲めないんだからと、尻込みした。
日も暮れた空は微かに西の空を染め上げ、川沿いに立ち並ぶ料理屋が
店先の照明に灯りを灯し、のれんが風に揺れていた。
美しい。
だから、少しだけ川沿いを往復し、橋の欄干にもたれて眺めた。
それから、土産屋で聞いたビストロを探した。
外観が煉瓦で趣きのある店・ビストロは、車道に面したところに建つ
ちょっと大きめな店である。
重厚なドアを押し開けると、ジャズが響いていた。
客はいない。
天井が高く、きっと以前は何かの建物として使われていた物を、そのまま
レストランにしてしまったような感じだ。
奥にカウンター席があり、窓や壁側には、ソファとテーブル席が設けられてい
る。
若い女性のウェイトレスがやってきて、席を案内してくれた。
着物を制服代わりにしているようなんだけど、ちょっと洋風にアレンジして
着崩しており、外国人が見よう見まねで纏った感じである。
でも、かわいい感じの女性だ。
手渡されたメニューを見ると、想像したより高かった。
どれも洋食で美味しそうなんだけど、少しばかり高いのです。
それで、比較的その中ではランクの低そうなパスタを選びました。
なんとか蟹のスープパスタっていうヤツに、珈琲を頼んだ。
「食後にデザートはいかがですか?」と言われ、「それじゃあ」とデザートを選
ぶ。
腹がへりすぎて思考がすっかり乏しい私は、勧められるままでした。
ジャズの音色が心地よい。
ひとりで貸し切りなのも、また心地よい。
散々歩き回ったし、ソファに座り込んだ途端、疲れが噴きだしのでしょう。
ぼーとしてました。
やがて、地元の常連らしい男客がひとりいらして、カウンター席で飲んでまし
た。
男客、中年ふう。
と、いう私もひとのことなど言えませんが。
蟹のスープパスタは、驚くほど美味で、蟹の出しが良く出ていて、
こんなパスタは食べたことがないと本気で感動した。
きっと、お腹がへっていたことも美味しく感じた理由のひとつなのだと思うが、
普段それほど好んで食べない蟹をこの時は珍しく選び、そして目が丸くなる
ほど驚いたのだ。
小さなワタリガニのような蟹がパスタに絡み、スープに浸されている。
蟹って美味しいんだと、今更のように心の中で称賛した。
ところで、私が何故蟹をあまり好まないのかというと、面倒くさいからだ。
蟹が料理に出て来ただけで、みんなもくもくと蟹と格闘するし、
蟹の殻剥きが好きではないからである。
美味しいとは思う、それは当然なのだと思う。
だけど、例えば職場とか何かの宴会で料理に蟹が並んだだけで、私はちょっと
敬遠しがちだ。
蟹をもくもくと食べる人たちに挟まれても、涼しい顔で煮魚なんぞを食べちゃう
わけです。
それをいい振りコキなのだと、夫にはなじられる。
「あんたは、ブルジョアなのね」ともっと何か言いたげだ。
「あれ、どうしたの? 蟹きらいなの?」と私の皿を覗いて不思議がる上司に、
蟹を剥くのが苦手なのだと打ち明けたばっかりに、上司に蟹を剥かせ、
同僚たちには、白い目で見られても、私はやっぱり人前で蟹を食べることを
恥じていた。
なんか、野蛮な感じがするんですね。
それを、人前でさらしたくはない、それだけなのですが・・・。
それにしても、美味しい物を食べた後って、幸せです。
お腹も心も満たさせて、幸せこの上ない気分。
その気持ちのまんま、民宿へと向かいました。
宿に戻ったのが遅かったので、民宿の女将さんには、「まあ、ずいぶんと
ゆっくりとされていたんですね」と驚いていたけれど、それでも充実した観光で
した。
満足した気分です。
宛がわれた部屋は、二階の小部屋で、床の間も入れて四畳半ほどのつくり。
宿泊客がそれなりにいるのか、私の隣部屋にも先客がいました。
壁板が薄いのか、室内の音が響きやすく、だから物音を立てることも、テレビを
付けることも憚られた。
窓を開けると、ベランダがあって物干し竿が掛かっていて、洗濯物が僅かに
干されている。
それにしても、なんという静けさだろう。
古い家々が密集した地帯に、みんなひっそりと暮らしている。
網戸から覗く家の中でも、テレビの音も人の話し声も聞こえてこない。
誰もが気遣いながら、何かを守って暮らしていた。
民宿で銭湯の券を貰った私は、借りた洗面器を抱えて、渡された地図と格闘して
茶屋街を歩く。
そして、またしても迷う。
地図の示す場所へ行き着かない。
それでも、夜の茶屋街で、何とか人を見つけ、目的の銭湯を訪ね、
辿り着けた私は、借りて来た猫のように大人しく湯船に浸かっていた。
銭湯の利用客は圧倒的にお年寄りが多いここでは、誰もが普段着の顔で、
見知らぬ人が交じっても、別段気に掛ける様子もない。
それが、この辺りの作法とでもいわんばかりだ。
茶屋街の民宿に泊まり、ここの銭湯を使わせて貰う私は、この街の作法や
生活、いろんな物をちょっとだけ参加させて貰ったように感じた。
客扱いしない。
有りの儘の茶屋街をまるごと滞在した客にも、感じて貰う。
それが金沢のおもてなしで、それこそが茶屋街のおもてなしなのだろう。
風呂にゆっくりと浸かり、番台のお婆さんにお礼とおやすみを言って、
夜風に当たりながら、私は川岸へと向かった。
なだらかな土手に腰を下ろし、川のせせらぎに耳を傾ける。
川向こうののれんを下げた料理屋から背広を着た客が出てきて、その後から
着物姿の女将らしき女性が丁寧に頭を下げて客を見送っていた。
静けさの中では、時間までもがゆったりと流れ、それは私の住む町からは
想像もつかない景色だ。
古風な暮らしに焦がれ、そこに浸りたい一方で、きっとそれが自分には
とても不向きなことも自覚させられてしまう。
みんなが共同で守り生きる暮らし方は、少しだけ窮屈でのびのび出来ない
不便さがあるからだ。
それに反れることなど、認められない厳しさも感じていた。

それでも、私はまたここに来るだろう。
また、城下町を歩き、この茶屋街を訪れると思う。
着の身着のままで、現代の暮らしにどっぷりな自分を戒め、古風な清さに
浸るために、また来るのだろうと思った。

短い北陸の旅は、終わった。
あれだけ晴天に恵まれていたのに、北海道に帰る日は、朝からどしゃぶりであ
る。
やっぱり旅はいいものです。
そしてひとり旅も、いいものなのですね。
                         <完>

コラムニスト●プロフィール
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赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

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