2011年11月15日火曜日

連載コラム180 from 台湾

日本の生活保護受給者が過去最多を更新する
205万人超えとなった。

ちなみに過去最多は戦後の混乱が続いていた
昭和26年の204万人。

この昭和26年をピークに経済成長とともに減少し
平成7年には88万人代にまで減った。

しかし平成20年のリーマン・ショックの影響で
職を失った人が急増し生活保護受給者も激増。

311の影響で、今年7月には205万人を超え
過去最多を記録してしまったのだ。

生活保護とは
厚生労働省によると、生活保護制度とは、
「生活を困窮する者に対して、その困窮の程度に応じ
必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活
を保障するとともに、自立を助長すること」
を目的にしている制度とのこと。

福祉事務所や町役場で手続きができるもので、
持ち家や車、貯金などの資産が全くないことが
証明されると最短で2週間以内に受給開始されるという。

金額は自治体により異なる。生活するのに必要なお金が
都会と田舎では異なるからである。

例えば子供2人抱えた母子家庭の場合、
東京などでは約19万、地方では約16万がスタンダードな
額だとされている。

ちなみに、支払いは
食費、光熱費、衣服など日常生活に必要な「生活扶助」、
家賃「住宅扶助」、義務教育を受けるために必要な学用品
「教育扶助」、医療サービス「医療扶助」、介護サービス
「介護扶助」、出産費用「出産扶助」、仕事に就くために
必要な技能修得費用「生業扶助」、冠婚葬祭「葬祭扶助」
の項目の中から必要に応じて支払われることになっている。

生活保護は国民の税金
生活保護のお金はいうまでもなく国民の税金から出ている。
現政府が消費税を増やす方針を打ち出し
非難の声があがっているが、無駄使いをしている政府、
自治体はもちろんのこと、生活保護が財政を圧迫している
ことは明らかである。

働けない者が国の保護を受けるのは、仕方のないこと。
医療費や介護費まで国が肩代わりしてくれるのは
素晴らしいシステムだと思う。

今は元気に日々を暮らし、仕事をし、真面目に税金を
おさめている自分も、いつ病や事故に倒れるか分からない。
住む家まで追われてしまったとき、セイフティーネットが
あるということには安心するし、税金を払う意味があると感じる。

しかし、それを悪用している人が最近急増しているように
思えてならない。

あぶく銭に怖さ
職がない、とよく耳にするが、そんなことはない。
場所や条件を選ばなければ、あるのである。
経験不問や学歴不問の仕事も山ほどある。

死に物狂いで自力で生活しようと思えば
出来る人は、今、生活保護を受給している人の中に
いるはずである。

最近、若者・中年層の受給者が増えているというが
彼らの中で身体的に問題のない人の多くが
やれば何とかなるのではないかと思えてならないのだ。

近年、日本では「うつ」などの精神病疾患に対する
理解度が高まり、暖かい目で見られるようになった。

一昔は「うつ」だと告白すれば気味悪がられ、下手すると
リストラされたものだが、今は暖かく接してもらい
職場もストレスのない部署にまわしてくれたり、休職
してもよし、という風潮になってきた。

確かに「うつ」は辛いものである。苦しく、死にたいと思い、
動けなくなり、廃人のようになってしまう。

しかし、腫瘍があるわけでも血が出るわけでもないため、
「うつ」だとウソをつくことも出来るのだ。

「うつ」だから仕事ができない。そうウソをつき生活保護を
受け取っている確信犯も少なくないだろう。

もっと厳しく 
生活保護でパチンコに行く人はとても多いと聞く。
パチンコも依存症というものがあるのは理解できる。
しかし、人の血税で働かずパチンコに行くとは
いかがなものか。

公民宿舎を作る金があるのなら、生活保護者のための宿舎
をつくり、そこに住まわせるべきである。
そして、お金ではなく全て現物支給すべきである。

生活保護はなくしてはならない制度だと思うが、
もっと厳しくしていかないと、真面目に税金を払っている人間が
本当に報われない。

正直者がバカを見るということは、もう止めて欲しい。


▼写真は、台北にある関渡自然公園です。台湾固有の野鳥や渡り鳥がウォッチングできることで知られおり、水牛が泳ぐ姿も見られます。
















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム298from北海道●TPP

とりあえずAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が閉幕したが、TPP
については、日本でも参加か否か、意見が二分し、未だよく解らな
い部分もある。
国力のため、経済成長のためと、世界に乗り遅れてはならない言い
分も解らなくはないが、アメリカ主導のシステムに乗っかること
で、日本はメリットよりデメリットを抱えてしまうことの方が実は
多いのではなかろうかと懸念はやっぱりぬぐえない。
輸出産業や株式市場には、参加がプラスであっても、食の安全面か
ら考えれば、どうにも危うさが隠せないし、何より不安に思うの
は、日本の医療制度の崩壊だろう。
日本では、国民皆保険が存在するため、すべての国民が等しく公的
保険による医療を受けることができるが、これは日本独自のシステ
ムであるから、この市場を開放してしまうと、海外の営利目的の企
業型医療機関が日本にも参入してくる。
自由化の危ういところは、そうした参入によって、今までごく当た
り前に、誰もが平等に医療を受けられていたことが、平等ではなく
なり、お金のある人しか治療を受けられず、医療格差を招いてしま
うことだ。
そもそも、TPPはなんのためのTPPかと単純に考えて
も、経済的に低迷しているアメリカが自国の商品を(雇用も含め
て)積極的に外の国に売りだし、買ってもらうがための画策ではな
いのか。
画策なんて言ってしまうと、いかにも意味深だが、ならば、日本も
アメリカの戦略に乗っかり、日本の産業も世界に進出して、攻めの
姿勢でといっても、日本の医療が積極的に海外の現場に打って出る
など、どうにも想像しにくい話である。
これまでも、自由化によって、日本のさくらんぼ農家が競争にさら
され、結果的にはプラスに転じた話を国会やメディアを通して、な
んども耳にしてきたが、日本の第一次産業が、すべて佐藤錦をブラ
ンド化させたさくらんぼ農家に当てはまるわけではないように思う
し、非常に不安に思うのは、日本のこれまでの高い規制が守られな
くなってしまうことにあるだろう。
遺伝子組み換え食品や輸入牛肉の規制緩和だけを上げても、この自
由化が現実となれば、私たち消費者の食の安全は個々にゆだねられ
ることになってしまうし、トータル的に外食産業などは、どう考え
たって、今より更に安値で出回る輸入品に傾いていくのは目に見え
る話なのだ。

加速するグローバルの波を押しとどめられず、日本もいつかはこの
波に巻き込まていくのだとしても、ただ押し流されるだけではな
く、日本にはもう少し時間が必要だ。
ホノルルでのAPEC(アジア太平洋経済協力会議)では、日本
が、TPP交渉参加に向けて、関係国と協議に入ることを表明し
た野田首相だったが、懸念材料を多く抱える日本にとっては、手の
内をみせず、あいまいな表現で濁してくれたことを私はそれなりに
評価したい。
TPP首脳会議に日本が出席できなかったことを悲観するメディアの声
もあるけれど、それはそれでアメリカ側の計算なのだろうと思うからだ。
野田首相には、帰国後もすぐにも国会が待ち受けている。
まずは今後の動向を見守りたい。



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2011年11月1日火曜日

連載コラム179 from 台湾

10月25日、
マレーシアで日本人女性が死刑判決を受けた。

女性は2009年10月、アラブ首長国連邦のドバイから
マレーシアのクアラルンプールに入国。
その際、空港で覚せい剤を隠し持っていたとして
逮捕、拘束され、裁判が行われていた。

女性は「知人から持って行ってと頼まれた、
スーツケースだった。中身は知らなかった」と主張。

しかし、法律通り「死刑」判決が出たのである。

女性は、判決を不服とし控訴する方針だというが
死刑を覆すことは難しいと見られている。

麻薬持込は重罪
日本に麻薬を持ち込もうとした場合、
間違っても死刑にはならない。

もちろん逮捕はされるが、綺麗な拘置所や刑務所で
三度の食が出るなど人間らしい扱いを受ける。

しかし、アジア諸国は違う。
前出のように、マレーシアだけでなく、中国、台湾、
シンガポール、タイに韓国も、
麻薬の持ち込みをすると、基本的に死刑になる。

ごく微量の場合、死刑は免れこともあるが、
無期懲役、終身刑になる場合も多い。

その場合、日本人のスタンダートからすると
信じられないような悪環境の中、人間以下の扱いを
受けながら刑に服すことになる。

アジアの中で、日本という国ほど麻薬からみの犯罪に
対してゆるい国はないのだ。

なぜ死刑なのか
では、なぜアジア諸国では麻薬絡みの犯罪を
死刑という最も厳しい処分にするのだろうか。

それは、ヨーロッパの植民地となっていた時代に
国民が麻薬で支配されていたからだと言われている。

アヘンなど麻薬中毒にさせられることによって、
思考回路はまともでなくなり、抵抗する力もなくなる。
理想的にコントロールできたため、使用されてきたのだ。

アジア諸国にとっては辛く苦い経験となっており、
祖国を守れなくなるほど力がなくなる麻薬は、
憎き敵だとみなしたのである。

また、麻薬が町に蔓延ると犯罪率も高まり
マフィアなどの争いのもととなる。

麻薬とは、それほど恐ろしいものなのだ。
だから、彼らは死刑反対団体に批難されながらも
スパスパと死刑判決を下し、執行してきたのである。

知らないでは済まされない
今回、死刑判決を受けた女性は、37歳の元看護師。
覚せい剤はスーツケースの中に入っており、
なんと3.5キロという重さであった。

3.5キロというと、生まれたての赤ん坊よりも
少し重いくらい。かなりの量である。

女性は「知人から持って行ってとたのまれた。
中身は知らなかった」という主張を
逮捕直後からずっと行っている。

しかし、ドバイとマレーシアを短期間に何往復も
しているという事実があり、
密輸人ということで間違いと判断されたのだ。

ハンドバッグの中など手荷物の中に、
「知らないうちに入れられていた!」というのならば
まだ同情の余地があるが、
知人から頼まれたというのは、やはり疑わしいだろう。

家族であれど頼まれたものの中身がなにかチェックする。

そんなことは、大昔から言われていることであり、
頻繁に国をまたいで移動する人ならば常識である。

女性は海外旅行歴が多く、ドバイとマレーシアに限っては
何往復もしてきたのだ。

「知らなかった」で済まないことは、彼女が一番知っている
はずなのである。

日本でも極刑を
日本でも近年麻薬絡みの犯罪が増え続けている。

密輸しようとして逮捕された犯罪者のニュースも
よく流れているが、
恐らく、その何倍もの量がスキャンされずに
密輸されているのだろう。

麻薬は一度手を染めるとなかなか抜け出せない
恐ろしいものである。

日本でも麻薬絡みの犯罪は死刑を含む
極刑にすべきである。


▼写真は、台湾の最南端、墾丁にある国立海洋生物博物館です。






















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住 from 台湾

連載コラム297 from北海道●一枚のハガキ

監督・脚本・原作などで、これまで250本以上の映画を世に送り
出してきた新藤兼人監督の作品は、海外からも高い評価を受けている。
今年4月には、ニューヨークで新藤監督の回顧展が開催され、俳優
のベニチオ・デル・トロさんが、ディレクターをされて、彼のセレ
クションで「原爆の子」を含む10本の映画と「一枚のハガキ」の
先行プレミア上映がされた。
監督は今年で99歳になられた。
じつは正直なところ、私はそれほど多く監督の作品を観てはいない。
私が観たのは「竹山ひとり旅」や「どぶ」、「鬼婆」や「母」「藪
の中の黒猫」、そして「原爆の子」のみである。
どれも古い作品なのだが、新藤監督の映画を初めて観た時、ひどく
驚いた。
低予算の白黒映画でありながら、驚くほど上質な映画なのだ。
ストーリーに無駄がなく、ストレートでありながら、映画の一コマ
一コマまで見入ってしまう面白さがあり、特に乙羽信子が主演、出
演している作品は、本当に素晴らしい。
監督と、あうんの呼吸で作り上げた作品だということが、実に伝
わってきた。

映画界の巨匠、新藤兼人監督の作品『一枚のハガキ』には、監督の
心の叫びが詰まっている。
99歳の監督が、自らの終焉を感じ、これまで胸の奥底に封印して
きたことを言っておきたい、でなければ自分は死ねない、と監督の
そんな思いが、ひしひしと伝わってくる映画だ。
戦争はすべてを奪い、人生を狂わせる。
この作品は、監督自身が32歳の時に、招集され経験した戦争の実
体験を軸につくられた映画である。
上官がクジで決めた戦地から生きて戻ってきた仲間の兵士は、10
0人のうちたった6人のみで、監督はその中のひとりだった。
終戦をむかえ、社会復帰し、映画界の仕事に戻った監督は、自らの
幸運を素直に喜びながらも、その一方で葛藤を抱えたという。
なぜ、自分は生きているのか?
自分は、いったい何者なのだ、と。
太平洋戦争が激化していた1944年の3月に、監督は二度目の召
集令状を受けた。
32歳の時である。
一度目は、自身が20歳の時で、その時は徴兵検査に合格したもの
の、戦争には行かずにすんだ。
そして、二度目の招集で、監督は、広島の呉海兵団に、帝国海軍二
等水兵として入隊。
任務は、寄宿舎の掃除である。
その寄宿舎とは、やがて特攻隊となる予科練生のための宿舎だった。
場所は、奈良県の天理教本部とのこと。
ノミやホコリだらけの宿舎を仲間の100人と一ヶ月間掃除をした。
掃除が終わって、今度は100人の中から60人がフィリピンのマ
ニラへ陸戦隊となって行かされることになった。
その60人は、上官が引いたクジで選ばれた人達だ。
選ばれた60人は輸送船に乗り、マニラに着く前にアメリカの潜水
艦にやられ、みな還らぬ人となる。
そして、残りの40人のうち、30人がまたしても選ばれ、日本の
潜水艦に乗り込んだが、彼らも全員亡くなった。
新藤監督ら10人は、それから宝塚に派遣されたが、宝塚歌劇団の
劇場や学校を予科練生の宿舎とするため、また掃除をした。
その掃除がすんで、今度は10人の中から4人が選ばれ、日本近海
を防衛する、海防艦に乗せられたが、海防艦といっても名ばかりで
民間から徴収した漁船にすぎない。
それで、選ばれた4人も、命を落としてしまった。
クジで命の行く末を決められ、戦争に駆り出されても、戦うどころ
か、彼らはみな海のもずくとなって消えてしまい、監督は、最後ま
でクジで選ばれることなく、残りの6人の中のひとりだったが、戦
争が終わって、社会に戻ってからも、死んだ仲間のことが頭から消
えることはなかったらしい。
自分の運は、94人が代わりに死んでくれたから手にできた運にす
ぎない。
だからこそ、94人の犠牲の上に立って生きているということが、
肩に重くのしかかり、犠牲となった94人の魂を背負いながら、今
日まで生きてきたのだと。

新藤兼人監督の戦争体験記は、今回の映画のパンフレットのインタ
ビュー記事として掲載されていたものだが、私はこのパンフレット
を読んで、すぐに漫画家の水木しげるさんの戦争体験を思い出して
しまった。
水木しげるさんも、自身の戦争体験を漫画に描いている。
実写版にもなった。
南方ラバウル、ニューギニアへ配属され、仲間が次々に死にゆく
中、水木さんだけはあのジャングルで片腕を落としながらも、奇跡
的に生還した。
だからこそ、水木さんもまた、仲間の魂を背負いながら、生きてき
た人なのだろう。

戦争を経験した者だからこそ、語る権利がある。
映画のタイトルにもなった『一枚のハガキ』は、新藤兼人監督が、
じっさい仲間のひとりから見せられたハガキが、映画の中でもその
ままの姿で使われている。
激戦地の模様をひとつもからめず、クジで運命を決められ、生き
残った人間もまた人生を狂わされ、それでも、生きぬこうとする人
間の強さが映画から伝わってくる。
その強さが、映画を見終わった後で、心地よい後味の良さに変わっ
てくれるのだ。
この映画は、けっして暗い作品ではない。
戦争の理不尽さを訴えながらも、ユーモアをおりまぜて、時には笑
い飛ばすように、それでも生きぬこうする人間の強さを映画で訴え
ている。
主演は豊川悦司、相手役は大竹しのぶである。
脇役も安定感のある役者たちが満載だ。

この場では、映画の内容はあえて語らないでおこう。
ひとりでも多くの方が、『一枚のハガキ』を観てくださるように願
いを込めて、あえてそうします。
オススメです。



コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住