2010年11月15日月曜日

連載コラム156 from 台湾

こちらでも度々取り上げさせて頂いている
尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐる問題。

衝突のようすは一部始終が海上保安官により
撮影されており、前原大臣も最初のうちは
「このビデオがあるから」
と切り札のように扱っていた。

しかし中国で日本人がスパイ容疑で逮捕されると
日本は大慌てで漁船の船長を釈放。
船長は英雄として中国で崇められるようになった。

スムーズに事を運べない傾向にある現内閣だが
船長釈放直後からなぜか頑なに
「衝突のビデオは公開しない」と発表。

あまりにも中国一番、中国最終戦主義に
日本国民の怒りのボルテージは上がる一方だ。

外交下手すぎる現内閣
なぜビデオを公開しないのか?
恐らく日本は中国に気を使い「配慮していますよ」と
恩を売りたかったのだろう。

しかし、それを「ありがとうございます」と感謝する
そんなお人好しは中国人にはない。
よいカードが出されれば、それを取って利用する方が
賢いからだ。

中国メディアは、
「ビデオを公開しないのは、もともと日本がでっち上げたから」
と言うようになった。
学生らによるデモもヒートアップする一方。
でも批難の声が中国政府にも向けられ始めると
急にデモがコントロールするようになり、この上なく滑稽な展開に。
何もかもが政府によって操られているさまがよく分かる。

遠慮、遠慮の外交
ほかの海外メディアも「ビデオに何が映っているのか」と
興味津々な状態であり、政府もこれはやばいと思ったのか、
編集したものを限られた人にだけ見せる、と、
これまた理解に苦しむことを言い出し、上映会を開いた。

編集するということは、都合の悪いことを隠すことではないか。
台湾のメディアは「また中国に遠慮しているのでしょう。
遠慮なんて言葉は通用しないのに」と呆れた風に報じていた。

これで満足だろう、とでも言いたげな現内閣は、
これで全てを終わらせるつもりだったようだ。

しかし、それで終わるほど日本人は腐っていなかった。

ビデオ流出は政府の責任
11月4日の動画投稿サイトYouTubeに
尖閣諸島沖の中国漁船衝突なる動画が掲載された。

動画は翌朝には消されてしまったが、
夜通し大型掲示板の「2ちゃんねる」で騒がれたため
多くの人が動画のコーピーをとり、今も掲載し続けている。

現内閣は、このまま闇に葬るつもりだったテープが
当然、このような形で流出されてしまい大激怒。

そう、動揺というより激怒であった。

そして、犯人探しのことばかりに言及するようになり
犯罪だ、きつく刑罰を与えなければと発言した。

挙句の果てには中国に説明しなければとまで言い出し、
どこまで中国に気を使うのか、理解に苦しむことまで
言い出す始末。

ビデオ流出のそもそもの責任は政府にあるのは、
誰の目から見ても明確ではないか。

愛国者は誰なのか
海外のメディアはこのテープ流出を
「なんでこんなテープを今まで必死に隠してきたのか」
と「?」的にも伝えた。

ここまできても「テープの全面公開しない」という内閣に
「これ以上酷いシーンがあるのか」という疑惑も強まる。

10日に「自分が流出させた」とた海上保安官が
名乗りだし今、「罪に問われるかどうか」に焦点が
あてられているが、これが有罪になったら
一体、日本の立場はどうなるのだろうか。

衝突してきた中国人船長は釈放し英雄になり、
最初に公開すべきだった日本政府の代わりに
国民に真実を見せた人物は罪人になるのは
いくらなんでもおかしいだろう。

日本国民を守らない、と知ったら
中国だけでなくほかの国々も襲撃すると
考えないのだろうか。

子供手当ての件でもうんざりしているのに
現内閣はつくづく愛国心のない人間なのだなと
悲しく思わずにいられない。

▼写真は、圓山大飯店の1階ロビー。ホテルとは思えない豪華な建築物です。
















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム274 from北海道●今の政府に思うこと

尖閣映像は、機密事項に値するか、いなかで、論議を呼んでいる。
初め、映像は石垣海上保安部で「厳重に保管している」とのこと
だったが、現職の海上保安官が、みずから名乗り出て、警察に出頭
してからは、映像は、海上保安大学を経由して、保安官が常務して
いた巡視船でもみることができたことが明らかになった。
YouTubeの尖閣映像では、事件のようすがはっきりと伝わってくる。
中国漁船が、巡視船にぶつかってきたのは、明らかだった。
船の衝突は、危険きわまりない。
命を落とすことだってある。
だからこそ、彼らが、あの映像を自分たちで、対策資料として共有
したとしても、なんら不思議ではないと思った。
むしろ、そうするのが、普通だろう。
尖閣事件は、映像の流出より、もっとその前の対応にこそ問題があ
るわけで、先の国会でも既に事件への対応が問題視されているが、
政府側は同じような答弁を繰り返してばかりだ。
YouTubeの映像を見て、なぜこれを隠ぺいしようとしたのか、はなは
だ疑問に思う。
もし、中国との外交カードに利用するとしたら、あの事件直後、中
国人船長を逮捕した時点で、あの映像を中国側に突きつけて、相手
の反応をうかがうことだって出来たはずだが、それは出来かねぬと
言うならば、逮捕した後に、即刻強制送還という方法しかない。
だが、ぶつかってきた相手を、そくざに帰すなど、今回のような悪
質な事件では、あまりしてほしくはない。
いずれにしても、対応を明確にせぬまま、「フジタ」の社員が中国
で拘束され、レアアースがストップする事態になってから、船長を
あわてて釈放したのだから、交渉も駆け引きもあったものではない。
では、なんのために、あの映像を隠したのか?
私が、もっとも愕然としたのは、管総理が尖閣の映像を見たのが、
ずっと後になってからだと言うこと。
国会の質疑応答の中で、見たかという質問に、菅さんは、平然と
「見ていない」と答えたのだ。
信じられないと思った。
この人の中では、尖閣事件など、それほど重要ではないのだろう。
だからこそ、この案件は、仙谷さんや外務大臣らに任せればいいと
でも思ったのかもしれない。
事件をなめた結果が、今回の映像の流出に繋がったのだ。
海上保安官は、日夜、命がけで働いている。
事実を闇に葬られたまま、また同じような危険と遭遇するのかと思
うと、憤りや葛藤を抱えて当然である。
尖閣事件の映像が、国家機密であると主張するならば、あの映像を
政府は厳重に管理する必要があったのではなかろうか?
そういうやりとりが、石垣海上保安部と政府の間で、なされなかっ
たことも、想像できる話である。
現場にだけ責任を押し付ける姿勢は、政府として見苦しいだけだ。

ソウルで行われたG20サミットに続き、横浜で開催された
APEC首脳会議でも、日本の影はとても薄い。
菅さんが、首脳会議に向けてギリギリまで勉強していた姿勢は、脇
に抱えたファイルからもうかがいしれるが、果たして日本は会議に
向けての戦略があったのかどうかも、あやしい限りだ。
あるのは、TPPへの参加を希望しているという姿勢だけ。
それも、中身については、国会でも詰めた話し合いなどまだされて
いないから、いたって不健全だ。
私は、TPPへの参加も意義はないけれど、この参加は戦略を
もってのぞまなければ、たちどころにこの国の第一次産業が危険に
さらされる不安もぬぐえなくはない。
TPPに参加することで、海外の輸入品を我々日本人は、もっと安い価
格で買うことができるけれど、もともと国土が狭い日本である。
日本の農家さんが作った作物は、必然的に輸出にまわされ、私たち
の口に入ることも少なくなっていくことを想像すると、この自由貿
易は、いったい誰のためのものだろうなんて、少し悩ましくなる
が、せめて最低限の保証くらいは、国が農家にすべきだ。
その保証も、以前のように公共事業などに流れたりしない、しっか
りとしたルートで保証するべきだし、日本の農家の存続や、後継者
の確保に繋がるような手をうってからでも、この参加は遅くないの
ではなかろうか。
なにか、政府の焦りのようなものが、漠然と感じられる。
世界の流れに出遅れることだけは、どうしてもさけたいと、そんな
焦りばかりが伝わってくるのだ。
オバマさんは、ちゃっかりとアメリカを売り込む作戦で、腹案を
持って、この会議に臨んだという。
できることならば、日本にも、しっかりしてほしい、そんな気持ちです。
日本の外交がしたたかで、強かった遠い時代が、少し懐かしくなります。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年11月1日月曜日

連載コラム155 from 台湾

10月23日、日本で小学校6年生の女児が
自ら命を絶った。

自宅のカーテンレールに首をつり
自殺したのだという。

父親は「学校でのいじめが原因」だと主張。
母親が外国人だからと同級生から
いじめられたのだとメディアに明かしたそうだ。

そして学校は相変わらず
「いじめがあったとは認識していない」と主張している。

日本のいじめ
いじめは日本の学校だけが抱える問題ではない。
アメリカでもイギリスでも、どんな国でも
程度の差はあれいじめは存在する。

日本はもともと島国で村意識が強い国だからか
「何でも一緒に」と強いられ「平均」を意識させられる。

例えば子供の体重や背の高さを平均値を使い
強く意識するのは先進国では日本くらいだろう。

個性という言葉を嫌い、平均だから安心、
平均以上は凄いと言われながら子供は育つのである。

子供たちは自然と「みんなと違う、あの子は変」と、
思うようになり、その意識がいじめへと発展するのだ。

母親の言葉の影響
「平均」「みんなと一緒」を意識して育った大人たちが、
子育てをするようになると、どうなるか。

やはり子供に「みんなと一緒」「またはそれ以上」を
求めるようになるのだ。
そして、親同士が会えば、当然そういう話になる。

母親の言葉や会話を子供たちは本当によく聞く。
そして、その言葉に強い影響を受ける。

国によっては小学校入学前に学校から、
「子供の前で決して先生の批判をしないこと」
と強く指示されるほど。
国籍、人種、関係なく子供は親や養育者の鏡となるのだ。

いじめの発端が、実は親が何気なく発した
言葉であったということは、きっととても多いだろう。

日本のいじめは、親の影響が強く出ているため
とても性質が悪いものなのだ。

先生のいい加減さ
そして日本のいじめが10歳前後の子供たちを
死に追いやる最大の原因は、
いじめが起きている現場にいる大人、
先生のいい加減さだといえよう。

一昔前は、先生が威厳があるとして崇められたが、
今の子供たちは、親が先生の悪口を言うのを聞いている。

そして、親が先生よりも強いという強弱関係まで
敏感に認識してしまっている。

そのため、先生も子供たちに強く言えなくなっているのだ。

今回自殺した女児は、いじめられっ子にありがちな
とても大人しい子で、学校側は

「いじめられると母親から訴えられていたが、
本人に聞くと別にと何も話さなかった」と弁解。

恐らく母親のことも「途上国から来た外人だし」と
なめきっていたのだろう。
子供も大人しいし、このままいじめに耐えてもらって
卒業して終わればいい、と思っていたに違いない。

ほかの発展国の学校では、よほど貧困層の荒れた学校で
ない限り、先生、学校、そしてカウンセラーが連結し
いじめっ子を徹底的に追求するはず。

いじめられ苦しむ子供を、すぐそこに居る大人が助けず、
誰が助けられるのだろう。

しっぺ返しは必ずくる
野放しにされた、いじめっ子がどんな大人になるか、
想像はたやすい。

いじめっ子は「先生もいじめをOKだと思ってくれてる」と
思っており、いじめを何とも思っていない。

親が介護が必要になったとき、「普通の状態」でなくなった、
そのとき、何の躊躇もなく虐待するだろう。

そう、しっぺがえしは必ず来るのである。

親も先生も大人の心がけ次第で、いじめの数は減る。
一日も早くそのことに気がつかねばならない。



▼写真は、圓山大飯店からみた台北市内。川の向こう側は11月にスタートする花博会場になっています。
















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム273 from北海道●癒し系たっぷりの映画

映画『めがね』も『プール』も、とても不思議な映画だ。
凝ったストーリーがあるわけでもなく、実にそぎ落とされた内容
で、ただ、ゆったりと過ぎていくだけの映画である。
どちらの作品も、主人公が旅に出たところから話は始まるのだが、
主人公のかたくなな心が、出会う人々のさりげない温かさによっ
て、ほぐれてゆくストーリーだ。
しかし、主人公が抱える複雑な心の葛藤については、なにも掘り下
げない。
映画『めがね』では、特にそうである。
あまり観たことのない、その不思議な世界観は、観る人を優しい気
持ちにさせる。
景色の美しさに魅了される。
砂浜から見渡す海がとても美しかったり、どこまでも晴れわたる空
がきれいだったり、緑が生い茂って、風がさわさわと鳴くさまは、
素朴な自然の美しさが、映像からよく伝わってくる。
映画『めがね』の舞台は、与論島。
日本にも、こんな場所があるんだと思ったのが、正直な感想である。
しかし、これだけのゆったりとした映画なのに、まるで飽きさせな
いのは、凄いことだ。
映画『めがね』では、「たそがれる」というセリフが、たびたび聞
かれる。
「たそがれる」を漢字で書くと、「黄昏れる」になり、その意味
は、黄昏を動詞化したもので、夕方になることを示すが、一般的
に、「たそがれる」は、そうそう使われないのではなかろうか。
とすると、このセリフひとつを取っても、これは制作者の世界観な
のだろう。
『めがね』も『プール』も、食べるシーンが多い。
テーブルをみんなで囲み、ただもくもくと食べるだけなのに、なん
だか面白い。
面白くて、実においしそう。
茹でた大きな伊勢エビを、みんなでもくもくと食べている。
彩り美しく重箱に詰められたご馳走。
バーベキューもおいしそうだし、もたいさんが作るかき氷なんぞ
は、実に食べたくなった。
かき氷用の小豆を煮る場面では、小豆の音にそっと耳をそばだて、
真剣勝負である。
その丁寧さに、おかしさが込み上げる。
実は、この丁寧さ、映画の随所でうかがえるので、それも楽しい限り。
鍋も出てくる。
映画『プール』の話である。
この映画は、タイの古都チェンマイが舞台なので、鍋もタイ風だ。
主人公・さよの母役の小林聡美のギターでの弾き語りの場面が、す
ごくいい。
透き通るような美しい歌声に、ただ驚き、この映画では、実にいい
エッセンスとなっていた。
それにしても、これだけのゆるい映画なのに、ラストは少し謎である。
謎というより、動揺したのだ。
菊子さん役のもたいまさこを意外なところで、さよが見掛けるシー
ンのこと。
これだけのゆるい映画だから、ありえない発想だけど、私は菊子さ
ん役のもたいさんが死んだと思ったけれど、たぶんこの解釈は、間
違いだろう。
「菊子さんは、ときどき、心だけで移動するから」
さよに、母の小林聡美が言うセリフである。
そして、車で空港へ向かう道の両側には、僧侶たちが列をなして歩
いているのだ。
托鉢の僧侶たちである。
風景に同化する僧侶たちを、映画のセリフぬきに、美しいと感じら
れるだろうか?
私は、原作の漫画を読んでいないけれど、自分の中にはないセリフ
や会話が、とても新鮮で、のびやかで、ひょうひょうとしていて、
いいなという気持ちだった。
映画の舞台になった与論島も、チェンマイも、天国に近い島に思え
た映画だった。

映画『マザーウォーター』は、10月30日から全国公開である。
小林聡美や、もたいまさこ、市川実日子、加瀬亮、光石研など、お
馴染みの俳優に、小泉今日子や永山絢斗がくわわった味のあるメン
バーである。
監督は、『めがね』や『プール』で制作に関わった松本佳奈さん。
これが、監督デビュー作であるとのこと。
実に、興味深い限り。
癒しをもとめて、映画館に出掛けようと思う。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住