2010年9月15日水曜日

連載コラム152 from 台湾

日本の警視庁が9月1日から30日までの1ヶ月間、
身元不明相談所を開設している。
これは警察が保管している身元が分からない
遺体の受取人を探す目的で開設したもの。
所在不明の高齢者のニュースで、
音信不通になっている親族の所在に関する
世間の関心度が上がっているためか、
はたまた遺体の数が増えすぎて
その保管場所に困っているからなのか。
それにしても、その数の多さに驚愕してしまう。
公開されている情報
警視庁の公式サイトでも公開されている
身元不明者の詳細。
遺体発見場所、死亡推定日、性別、血液型、
身体特徴、発見された時の着衣と所持品が
公開されており、衣服や所持品が写真で
掲載されている。
時計や鍵など手がかりとなりそうなものは
アップで掲載するなどの配慮もしており、
部分入れ歯まで掲載したケースもある。
性別や年齢などを選べば、ある程度まで絞れる
検索機能もついているのだが、
発見が遅かったからか、年齢が20~40歳など
幅が大きいものもあれば、血液型が不明というものも
ある。
しかし、ほくろや傷跡など身体特徴を細やかに記載
しており、発見につながりそうな情報も多い。
似顔絵があるケースもあり
こちらは警視庁に直接問い合わせると
見せてもらえることになっている。
身元不明遺体が多い日本
今回警視庁が公開している身元不明遺体には
番号がふられており、男性は682番まで。
女性は675番まで番号が振られている。
全てが公開されているわけではないが、
中には何も特徴がつかめない遺体や
すでに引き取り人が現れた遺体もあるのだろう。
しかし、これだけの人数が身元不明遺体として
扱われた/扱われているのだということは
異常なことではないだろうか。
しかもあくまで、これは東京都で発見された遺体だけ。
ほかの都道府県でも同じ数ほどの身元が分からぬ
遺体があるのだという。
自殺の多さとも関係か
日本は、なぜこれほどまでに
身元不明遺体が多いのだろうか。
外国人登録していない不法滞在者の
数が増えており、彼らが犯罪に巻き込まれた
ということも考えられるが、
現在日本に入国する際、外国人は指紋の
登録を強制的にさせられるため
指紋がある限り身元は判明するだろう。
世界的に見て日本の自殺数が多いことは
以前にも執筆したが、この自殺の数と
身元不明遺体の多さは関係しているのでは
ないだろうか。
格差が拡大したため犯罪に手を染めた挙句
命を奪われる人の数も増えているのであろう。
誰にも知られず死に、
死んだことを誰にも知られたくないという心境。
やはり日本は戦場なのではないだろうか。

▼写真は、台北の街角にあるお寺の写真です。











コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム270 from北海道●人生は流れる雲のごとく

文藝春秋の九月号に、故つかこうへい氏を偲んで、俳優の風間杜夫
さんが、追悼文を載せていた。
つかさんは、7月10日に入院先の病院で亡くなった。
享年62歳、病名は肺ガンだった。
今年1月に、ガンを患っていることを公表した記事を目にしてか
ら、気掛かりではあったものの、まさかこんなに早くに逝かれると
は、露ほどにも思わず、私はショックをおこした。
涙が止まらず、悔しさでいっぱいになった。
風間杜夫さんの追悼文には、つかさんとのおもしろくも楽しい思い
出がつづられている。
風間杜夫と平田満は、劇団・つかこうへい事務所の看板役者だった。
当時の私は、北海道の片田舎で、高校の演劇部に手を染めていた。
部員に同期の学生はひとりもおらず、2コ上の先輩のみである。
新入部員獲得の呼びかけに、私は踊るような気持ちで部室の門を叩
いたが、それに続く仲間はけっきょくのところひとりとして現れ
ず、私自身は大いに部の先輩たちから可愛がられたけれど、先輩達
が卒業してしまえば、自然と廃部の道をたどるしかない弱体演劇部
だった。
その部に、私の入部と時を同じくして、新しい顧問の先生がやってきた。
教師に成り立ての若いその先生は、学園ドラマに登場する熱血教師
そのもの。
新劇を心から愛し、札幌を拠点とする劇団「極」のファンであり、
馴染みの仲だった。
私は、顧問の先生の影響をぞんぶんに受けた。
私の高校時代は、濃厚な演劇活動が全てだ。
月刊「新劇」を、学生の微々たる小遣いもおしまずに買い込んで、
それを読むことで、観たくても観られない芝居への思いまで満たそ
うとした。
雑誌に掲載される舞台のモノクロ写真は、つかこうへい事務所の公
演ものが多い。
「熱海殺人事件」に、「寝盗られ宗介」。
その次に多かったのは、やっぱり唐十郎ひきいる黒テントだっただ
ろうか。
私は、つかさんの本が好きだった。
つかさんの戯曲に小説に、エッセイまで、むさぼるように読んだ。
あの頃の私は、倉本聰の戯曲はまだ読んでいない。
映画「蒲田行進曲」だけに留まらず、テレビドラマ化した「青春か
けおち編」や「つか版忠臣蔵」を、お茶の間のテレビの前でうやう
やしく正座をして、崇めるような気持ちで見ていたからだ。
つかさんは、私にとって青春そのもの。
私は、今でもそう思っている。
映画「蒲田行進曲」がヒットし、つかさんもこの本で直木賞を受賞
された。
主役、準主役として起用された風間杜夫と平田満は、映画がヒット
したことで、人生が一変した。
役者として引っ張りだことなり、よくテレビにも顔を出すようになった。
劇団・つかこうへい事務所が解散したのは、それから間もなくのこ
とである。
劇団として、これ以上ないほどに注目され、脂がのりきった時期の
解散だった。
私は、劇団の解散にショックを覚えたが、後にして思うと、これも
つかさん流のステップだったのだろう。
劇団としては、申し分なく極めた。
そして、この先に続こうとする道は、それぞれの別れ道。
だから、達観したあの劇団は、解散したのかもしれない。
映画「蒲田行進曲」がヒットした当時から、銀ちゃん役で主役だっ
た風間杜夫は、くさい芝居がうまかった。
たぶん、あの当時は、役者として平田満のほうが、上質で目をひく
存在であり、演技ひとつをとっても、憂いを含んでいたようにも感
じるが、しかし、今ではこの二人の役者を並べて、うまさの度合い
を比較することもおこがましいほど、どちらも優れた役者になって
しまった。
けれども、もともと質の違うこの二人を天秤に掛けてお茶の間から
観察していたわけだから、それも愚かなことである。
脇役に照らされて光る主役肌の役者と、主役をひきたてることが天
才的に上手い役者なんて、間違っても比べてはいけないはずなの
に、つかさんは、あっという間に二人の才能を見いだし、開花させ
たのだから、凄いことなのだ。
つかさんのエッセイは、いま読み返しても、うなずけることが満載だ。
在日だったというけれど、つかさんほど日本人らしい日本人はいな
いのではないかと、私は思ってしまう。
私ができるつかさんへの追悼は、つかさんの本をまんべんなく読み
返すこと。
天才・つかこうへい殿が、この日本に残した素晴らしき芸術に、敬
礼を贈ります。

コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

2010年9月1日水曜日

連載コラム151 from 台湾

連日報道されている「所在不明の高齢者」ニュース。

事の始まりは7月。
東京都足立区で生存すれば111歳になる男性が
自宅で白骨遺体として見つかり、
実は何十年も前に死んでいたことが発覚した事件。

家族は年金目当てに男性の死を隠していた疑いが
生じ、他にも所在不明の高齢者がいないか
調査したところ、ボロボロ出てきたのである。

高齢者が家族と住んでおらず
誰もどこに居るのか分からないケースが続出。
役所のいい加減さをむき出しにしたようなニュースが
連日続いている。

問題すり替え
今回の「所在不明の高齢者」ニュース。

足立区の場合は男性が家族が住む自宅で亡くなり
長期に渡り放置されていたという特殊なケースであるが、
ほとんどが家族と離れて高齢者が一人暮らしをしている、
そのため所在が分からなくなったというケースである。

このためメディアは「今の日本は家族の絆が弱い」
「もっとお年寄りを大事にすべき」と報道。

ワイドショーのコメンテイターは
「昔の家長制度を復活させるべき」
「何世代に渡り暮らすべき」
と声たからかに意見し、同居を勧めだした。

しかし問題はそこではない。

何度も言うが、足立区のケースは同居していたわけだし、
所在が分からないケースは、死んでいるが年金目当てに
家族がだまっている。
生死が分からないわけでなく、分かっていながらお金目当てに
知らぬ存ぜぬを突き通しているのである。

110歳以上の高齢者の子供といえば80~90代。
役所や警察も強く詰問できないのであろう。

嫌な風潮
問題を摩り替えたメディアは
孤独死を引き合いに出し、特殊掃除人の特集まで出し、
お年寄りや高齢者独身者の不安を煽る。

その結果、まともの生活してる者へ皺寄せがくる。

良好な関係を築き上げているのなら、
遠距離に住んでいても週に最低1度は電話連絡するものだ。
それすらないのは関係が良好でない、
お互いに問題があるのだろう。

それなのにメディアに煽られ同居を迫られるケールが
最近増えているという。

高齢独身者も兄弟だけでなく甥や姪を当てにし始める、
そんな嫌な風潮が強まっているそうだ。

もともとお金があれば、手厚く面倒見てくれる施設に入れ、
不安などない。
親子関係が良好ならば孤独死の心配などまずない。

そもそも家族が機能していないから、今回のような問題が
生じるのである。

厳しい処罰を
アメリカによって無くされた家長制度を復活させろという声が
メディアで大きくなってきているが
今回問題を起こした家族たちは、家長制度を知っている
世代である。

足立区の件は年金詐取容疑で立件されるそうだが
厳しい処罰を下して欲しい。
もちろん手を抜きまくっている役所も責任を取るべきである。

そしてメディアには事実と本当の問題点を
きちんとピックアップして報道して欲しい。

もう二度とこのような事件が起こらないためにも。


▼写真は、映画「海角七号」の舞台になった台湾南部の美しい海辺です。














コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム269 from北海道●アウトレイジ

北野武監督15作目の『アウトレイジ』は、タイトルそのまんまの
通り、極悪非道なバイオレンス映画だ。
登場人物は、みんなヤクザ。
いや、ひとりだけ刑事がいるけれど、この人も極悪で非道な人間である。
ヤクザ社会の抗争劇『アウトレイジ』は、暴力のバリエーションを
追求した、痛さと笑いが同化した映画でもある。
目を覆いたくなるほど、むずがゆくなるほど、痛さが伝わってくる
かと思ったら、次のシーンで、お腹がよじれるほど笑いがとまらない。
これほど、痛快で、発散できてしまう映画に、見事としかいいよう
がない。
まったく、この監督の頭の中は、どうなっているのだろう。
ビートたけしと芸術家・北野武の間を自由自在に行き来し、彼が提
供してくれるあらゆる物は、面白くて、魅力的で、多様性に満ちて
いて、限りなくどこまでも可能性を感じてしまうし、たくさんを考
えさせられる。
それでいて、世の中をどこかシビアに、容赦なく冷淡に見つめてい
る、そんな目線をも感じる。
私は、巨匠・北野武さんのことを、愛敬をこめてタケちゃんと呼ん
でいる。
そして、タケちゃんが提供してくれる映画も、お笑いも、テレビ番
組も、エッセイや短編も、とにかく大ファンだ。
ビートたけしと北野武が混在する「たけし」という人は、その全て
が作品で、エンターテイメントなのだろう。

今年、5月17日に、『アウトレイジ』は、第63回カン
ヌ国際映画際コンペティション部門で上映された。
その評価は賛否両論とのことだが、反響は大きく、今年のカンヌの
一番の話題作だった。
北野作品のカンヌ国際映画祭は、『菊次郎の夏』以来。
11年ぶりである。
そして、1989年の初監督作品『その男、凶暴につき』や、
『BROTHER』『座頭市』から数えると、バイオレンス映画は、
まさに7年ぶりのこと。
今回も、さまざまな実験的な要素を含んだこれまでの北野作品か
ら、原点に立ち戻った暴力映画を想像していたが、過去の暴力映画
とはまったくの別ものである。
北野映画の進化を見せつけられた気がした。
映画『アウトレイジ』は、完全無欠の娯楽作である。
しかし、究極の暴力や残酷と背中合わせに、笑いが散りばめられてる。
この笑いは計算だろうか?
監督はインタビューで、こんなことを語っている。
『暴力とお笑いというのはかなり近いものがあって、立場の違いだ
けだから、フェイントを使ってどうするのかとか、それで笑うか笑
わないか。殺し方のシーンをうまく描けるかどうかは、うまく笑わ
せられるどうかに似ている』と。
この映画の登場人物は、みんな悪いやつらばかり。
身勝手で、自分の保身しか考えず、人の顔色をうかがい、その時々
で話をコロコロと変える姿に、思わず呆れてしまう。
しかし、こんな人達を、私たちは確かに何処かで目にしていないだ
ろうか?
手頃なところでは、近頃の政界。
互いに腹の探り合いをしながら、イス取りゲームさながらの争い
は、もうそっくり。
思わず、失笑したり、冷笑してしまう。
笑う自分をサディスティックに感じるのも、この作品の意とすると
ころなのかどうかは解らないが、非常に発散させられる。
政治に対する不満や不服、もやもやした気持ちを、この映画は、見
事に吹き飛ばしてくれるからだ。
『今回は、もう完全に男の、しかもバカな男たちの話で、「ヤクザ
は義理だ、人情だ」と建前を言っていたけど、結局、誰もそんなこ
とを思っていなかった、という男の世界の話』と、監督は言っている。
自分は、この中の誰に近い? なんて観点で見るのもいいし、北野
ファンに限らず、あらゆる人々、特に男性陣、特に政治家の方々に
は、この映画、観た方がいいなんて、お節介な気持ちにもなる。

人間の中に潜む暴力は、中途半端な形の提示より、徹底した物の方
こそ、恐さや痛さがリアルに伝わってくる。
ここまでやると、人は死んでしまうとか、その限度やこわさ、痛さ
をあらためて再確認し、知る意味でも、感情や想像力が欠乏気味の
今の時代には、『アウトレイジ』は、時代にあった映画ともいえよう。
サクッと殺すゲーム感覚の娯楽もいいけれど、今の日本人は、こん
なリアルな痛い映画をみんなが観たほういいと思う。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住