2012年8月1日水曜日

連載コラム315 from 北海道●脱法ハーブ・薬物の闇に思うこと


脱法ハーブの吸引事故のニュースが後をたたない。
いずれも「好奇心で吸った」とのことだが、店舗で扱う以外に、自
販機まで登場して堂々と売り買いされているのだから、汚染は広が
るばかりだ。
自販機があろうとなかろうと、薬物とは無縁に生きる人は大勢いる。
けれども、公共の場で合法を盾に、こうも堂々とされては、腹立た
しさ募るばかりだ。
吸引者の事故が相次ぐなか、条例で規制をかける自治体も、どこか
及び腰だ。
なぜ、脱法ハーブに、薬事法なのだろう?
薬事法で取り締まる限り、いたちごっこから抜け出せないのに、何
かそこに、積極的に取り締まりたくない理由が、隠されているよう
に感じてならない。
そもそも、あれはハーブではないし、ハーブの名なんか語ってほし
くない。
暴力団排除条例が全国に広まってから、もうすぐ一年。
脱法ハーブを未だに野放しにしているのは、私達一般にはわからな
いガス抜きがあるからと感じてしまうのは、私だけなのか。
暴力団排除条例を引くかわりに、彼らにもガス抜きさせる。
脱法ハーブという合法で、何らか捌け口を与えていると考えるの
は、想像が過ぎるだろうか。
ちまたには、ゲートウェイドラッグなどと格好いい言葉があるが、
要するに、入門薬物のこと。
さまざまな薬物依存に走るきっかけになる薬物を示す。
薬物への危険については、最低限、社会で生きぬく智恵として、教
育の場で子供たちに教え込んでほしいものだが、そういう教育が実
際問題どの程度あるのかも、わかったものではない。
夜回り先生が全国各地で、薬物の危険を訴える活動の一貫として、
我が町でも、講演されたことはあったが、それも随分前のことである。
薬物は危険。
ほんの少しの好奇心が、取り返しのつかない結果を招く。
依存を断ち切るのに、努力とか心の強さなんて関係ない。
一度使用すれば、脳がその味を覚えてしまうからだ。
それが、一度から二度になり、三度になり、依存へと繋がる。
NPO法人「ダルク」のような薬物依存者更正リハビリ施設も方々にあ
るが、一度でも薬物依存におちいれば、一生依存からは逃れられない。
更正施設を卒業したとしても、社会に出れば、その手の誘惑は後を
絶たないし、死ぬまで薬物の誘惑はつきまとうのだ。
たった一度の好奇心が、人生を変える。
そのことを想像してほしい。
そうした闇に落ちない方法は、一つしかない。
薬物には決して近づかないこと。
たとえどんな理由があろうとも。
けっして試さないと自分に決めるしかない。
興味を心から排除するしかないのだ。
それでも、世の中に薬物が存在する限り、依存者はいなくならない。
様々な理由によって、薬物を手にする人がいるからだ。
人間不信や、果てしない自己嫌悪、逃れたい喪失感。
自分自身のどこかに疑いをもったり、未来に激しい不安を抱えた
時、心の隙間が薬物が忍び寄ることもある。
脱法ハーブなど、私には到底認められないが、心の隙間なんてもの
は、薬物では絶対に埋まらないものだ。
使用すれば、あるのは破滅だけである。
ただいま某全国紙に、小説「海と月の迷路」を連載中の大沢在昌さ
んは、「新宿鮫」シリーズであまりにも有名だが、大沢さんの著書
に「心では重すぎる」という小説がある。
もう14年も前に書かれた小説だが、薬物依存者の実態や更正施設
も絡めたこの推理小説は、痛みを感じるほどリアルな小説だ。
一生、薬物のリスクを背負うかどうかは、個々の自由。
社会から、この手の物は、撲滅ができない。
だったら、自分の意志で、それらには近づかないことである。
好奇心などと、子供じみた理由をならべる前に、薬物の恐さやリス
クと向き合い、知るべきと思う。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

連載コラム197 from 台湾


7月20日、アメリカのコロラド州デンバーで
『バットマン』シリーズ最新作『ダークナイト ライジング』
を上映していた映画館で、銃乱射事件が発生。

12人が死亡し、58人が負傷するという大参事となった。

ジェームズ・ホームズ容疑者はアメリカの銃事件として
珍しく、生きたまま、警察から銃で撃たれることなく逮捕。

逮捕時、髪をオレンジ色に染め、
映画に登場する悪役を名乗るなど、
精神的におかしいところが多い容疑者だが、
警察は顔写真を公開し、メディアも公開。

その後、両親の顔もニュースで流し、コメントも発表している。

顔写真公開は当たり前
アメリカでは、冒頭の事件などの重罪事件容疑者の
顔写真をすぐに公開する。

年齢関係なく公開されることがほとんどで
小学生くらいの子供であっても容赦しない。

容疑者であるとはいえ、罪は罪であるというスタンスを
持っているからだろう。

また、犯人の親などの写真も報道されることが多いが
これも当然として受け止められている。

人権、人権と叫ぶアメリカだが、被害者の人権を
最優先させた結果だといえよう。

O・J・シンプソン事件のように限りなく有罪であっても
無罪になることが多いアメリカでは、
無罪を勝ち取った容疑者のその後も
タブロイドが追い掛け回すことが多い。

日本で同様のことが起こったら大問題に
発展しそうだであるが。

大津のいじめ事件
昨年10月に、滋賀県大津市の中学校に通う
中学2年生が、同級生からのいじめを苦に、
自宅マンションから飛び降り自殺した。

またもやいじめられた若者が自殺という道を選ぶという
悲惨な事件が発生したのだが、
このいじめは犯罪ともいえるような過激なもので、
担任教師もいじめを目撃しながらも、
怖かったのか、面倒だと感じたのか黙認。

親には心配させたくないという心を持つ生徒
であったからこそ、学校にも強く相談できず、
最終的にいじめから逃れるために死を選んだ。

いじめは複数の生徒に目撃されており、
いじめた者が誰なのかも明確であるのだが、
大事にしたくない学校は、いじめなどないと放置。

ネットでいじめた者が誰なのか特定されると、
いじめた者の家庭は複雑だったの、
転校先で無視されるいじめになっているのだの、
加害者が被害者であるように報じられるようになった。

誰が被害者なのかを明確に
日本のマスコミは、お涙頂戴さながらの報道を
よくする。

加害者にも事情があったような、
加害者の人権を守るような、妙な報道が多い。

被害者の顔は当然のごとくニュースで流し、
被害者の遺族にはしつこく取材をする。
被害者の遺族は取材に応じるのが当然で、
取材してやってるんだという態度まで感じられるほどだ。

一方、加害者の家族がニュースに登場し
コメントすることはない。

加害者に可哀そうな家庭に育ったというのなら
そういう環境を作った親の責任は重大ではないか。

なぜ、加害者の親には取材をしないのか、
不思議で仕方ない。

写真くらいは公開を
大津のいじめ自殺事件では、加害者の顔写真が
ネットで割り出され流出している。

それを悪だ、ネットリンチだと騒ぎ立てる者もいるが、
なぜそうされるのかということを考えてもらいたい。

人間誰しも危険な人間との接触は避けたいもの。
加害者の顔を見ておきたいと思うことはごく自然な欲求である。

学校も教育委員も市も警察も動かず、
大騒ぎになったから、やっと動き出すというこの事実も
酷いものである。

日本のメディア、そして警察は、被害者側の人権を、
もっと考えるべきだと思えてならない。



写真は、台北の道端で販売されているパイナップルです。
台湾パイナップルは、シンまで甘く、大変おいしいです。


















コラムニスト●プロフィール
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岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住