2012年11月2日金曜日

連載コラム200 from 台湾


個人的な話であるが、先日、親戚が亡くなった。

1年前に大腸がんが見つかり、
すぐに手術を受けたものの、ステージ4の末期だった。

抗癌治療をいくつか受けたが、体力が奪われるばかりで
最後は食事がまったく摂れなくなり
モルヒネを多めに、点滴を少な目に入れてもらい
餓死に近いような形で息を引き取った。

定期健診の大切さ
亡くなった親戚はまだ56歳。
高校生の子供が一人いる、妻子持ちの働き盛りであった。

自営業であったため、長いこと腹部に痛みがあったが
「仕事を休むわけにいかない」
と病院へ行くことをためらい続けたという。

定期健診も「半日コースでも、そんな休みをとれない」とし
休日は「休日らしく過ごしたい」と言い病院には行かなかった。

定期健診は決して安いものではない。
時間もかかるし、時には痛みも伴う。
胃カメラや大腸カメラも、嫌なものである。

だが、毎年、定期的に行っていれば、
病気の早期発見につながる。

ガンは怖い病気であるが早期に発見すれば治療できる。
克服して何事もなかったように何十年も生きる人も少なくない。

面倒であっても、無理やりであっても時間をつくり
定期健診を受けるべきでる。

親戚だが、酷い血便が出るまで病院には行かなかった。
病院に行ったとき、ガンはステージ4まで進行しており、
人工肛門をつけ、辛すぎる抗癌治療を開始。
余命もそれほどないと告げられた。

後悔しまくる彼を見て、何とも言えない思いがした。

死に方の選択
56歳だった親戚は、これっぽっちも死ぬ気がなった。
抗癌治療も積極的に受けてきた。
食欲がなくても体力がなくなるからと
無理にでも食べていた。

しかし抗癌剤のかいなくガンは再発。
肝臓、肺、脳にまで転移してしまった。
若いから進行が速いらしく日に日に病状は悪化。

抗癌剤の副作用で口のなかいっぱいに
デキモノができてしまい、何も食べられなくなり
倒れて入院。

病院も痛み止めを出し、腹水をためないように点滴は少な目に
という方針で、ホスピスのような治療を施すように。
でも本人が生きる気が強く、仕事関係の人を病院に呼び出した。

モルヒネで朦朧としていることが多いものの、
正気に戻ると仕事の話をした。

彼は最後まで死ぬ気ではなかったと思う。
沢山の人たちに囲まれ、本当に眠るように死んだ。

これはこれで故人が望む死に方だったのかもしれない。
しかし看取った我々からすると「こんなに沢山の人たちに
見られて死ぬのは嫌」だと思ってしまうような死に方だった。

迷惑をかけない生き方
最近、孤独死が話題に上がることが多く
テレビや雑誌などで特集が組まれることが多い。

高齢でなくても50歳を過ぎるとどんな病に襲われるか
分からないものである。

一人で住んでいると、倒れてしまっても助けてくれる人がおらず
手遅れになってしまうことがあるだろう。

しかし、それも「寿命なのだ」と受け入れることが大事だと
主張する人たちがいる。

結婚に魅力を感じず、一人で生きている友人たちも
「迷惑をかけずに生きて、迷惑をかけずに死にたい。
孤独死になっても、可哀そうだとは思わずに、
あぁ、寿命を迎えたのだなと思って欲しい」
そう言っている。

「迷惑をかけずに生きて、迷惑をかけずに死ぬ」

これは一人暮らしでなくても言えることではないだろうか。

当然のように身内に介護を求めず、
国に生活保護を求めるのではなく、
自分でぎりぎりのところまで頑張り、
だめならば、死を覚悟する。

尊厳とはそういうものではないのだろうか。

今回亡くなった親戚は、死ぬつもりはなく死んでいった。
故人の妻は「あれだけ生に執着するということは
ある意味不幸だったのかもしれない」と言っている。

でもまだ50代。生に執着するのは仕方のないこと。
生きることも難しいが、思うような死を迎えることも
難しいことなのだとう。



写真は、タイ、バンコクの大通りです。


















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住

連載コラム318 from 北海道●日本と中国


戦争の過去を乗り越えて、日本と中国が国交正常化を結んだのは今
から40年前、1972年のことである。
当時の日本は高度経済成長の波に乗り、私達国民も暮らしが上向き
になりはじめて、日本は希望と活力に満ちあふれていた。
一方、中国はというと、まだ貧しさの中にいた。
12億の人口を抱え、中国は苦境の時代を長きに渡って生き続けて
きたのだ。
日中国交正常化によって、日本と中国は経済的な友好国となり、互
いに実りを分かちあうこととなる。
中国に進出する日系企業は、大型の工場を建てて中国に雇用をもた
らせた。
だが、その多くは、地方から仕事を求めて働きにきた出稼ぎ労働者
の農民工である。
彼ら彼女らは、安い賃金で中国の労働を支え続けた。
もしも、農民工の存在がなければ、中国はここまで発展しなかった
だろう。
特にこの10年の中国の目覚ましい成長は、そうした労働の支えが
あったからこそである。
出稼ぎ労働で身を粉にして、故郷に自分達の家を建てることだけを
夢見た人々の血と汗の結晶が、中国をここまで成長させてきた。
経済成長の過程で、単純労働に勤しんできた人々が人権や労働条件
に目覚めるのは、特別なことではない。
むしろ、そういう流れがあるからこそ世の中は良くなってゆくはず
なのだ。

尖閣諸島の日本国有化から、中国は感情的な激しさを日本にぶつけ
ている。
中国内で何度も頻発した反日デモは、日系企業に多大なる損害をあ
たえ、今や中国から撤退を考える企業も少なくはないくらいだ。
反日を掲げたデモの凄まじさに、恐さや憤りを覚えた日本人は多
かっただろう。
尖閣の国有化で、なぜあれほど感情をむき出しにするのか、私達日
本人には理解しがたいものがあったからだ。
中国との経済的友好には、ほとほと難しいものがあると思い知らさ
れたと言ってもいい。
それと同時に、私達日本人は、一体どれほど中国という国を理解し
ているのだろうかと感じてしまったものだ。

今や13億もの人口を抱える大国中国だが、彼らの変化もインター
ネットが大きな役割を果たしている。
それまでの不満や鬱積を一気に吐き出すかのように、テロにも匹敵
する暴徒は、建物を破壊し、店の商品を次々に奪い去った。
中国はもはや一枚岩ではない。
共産党の一党独裁政治の下で、ここまで成長してきた中国だった
が、その体制は自由化の流れの中で、バランスを失い今にも崩壊し
つつあるからだ。
中国国内の格差も、不満のひとつと言える問題だ。
かつて12億の中国を支え、実りをもたらし、犠牲となった農民工
の人々。
その人々の子供世代が、自分の親と同じような過酷な環境で労働に
あえぎ、機械の部品のような扱いに将来の展望も見いだせずに怒り
が爆発してしまったのが、あのような激しいデモとなった。
日系企業は、その前々から年々雇用者の賃金が上がり続けていたた
めに、こちらにも苦しい事情はあった。
急激な国の発展と経済成長が、豊かさの陰で確かなひずみを起こし
たのだ。
農民工に生まれたがゆえの苦悩もある。
中国は、日本とは違う。
民主主義の道理が通らない国である。
農民工の家に生まれたなら、その子供は農民工として生きるしかない。
同じ国に生まれながら、一方では自分達とはかけ離れた贅沢な暮ら
しをする富裕層がいるのに、彼らはそこを目指すことも恩恵にもあ
ずかれない。

だからこそ、尖閣諸島の領海に中国船が未だに侵入しようが、その
こととデモとは分けて受け止めなければならない。
中国当局が裏で糸を引くような細工と、中国国民の気持ちは別なと
ころにあるからだ。
尖閣の国有化宣言後、中国からの観光客が大幅に激減してしまった
日本だが、それも当局による嫌がらせもあるはずだ。
それでも、日本と中国がこれほどの緊張状態にありながら、わずか
ながらでも日本を訪れる中国人は存在するし、日本に好意的な中国
人は多くいる。
私達日本人は、そうした彼らを今は大切にするべき。
時間は掛かるかもしれないが、そうした小さな積み重ねが、いつか
は全体の緊張もほぐすことに繋がってくれるかもしれないからだ。

それにしても、中国との摩擦は決して日本だけではない。
アジアの隣国やロシア、オーストラリアやアメリカ。
そして、アフリカのような国でもトラブルは頻発している。
今や世界の経済大国2位の中国を他国は歓迎しながらも、中国との
つき合いの難しさに頭を悩ませているのが今日の世界の現状である。
ましてや、軍事力も強化してきた中国だ。
経済成長を盾に、そうとう鼻息は荒い。
それゆえに、中国との問題解決は時間が必要なのだ。
それでも、中国国内で起きたデモは、確かな形であの国に影響を与
えたはず。
私達日本人は、それを冷静に受け止めて、粛々と主張することは主
張してゆくだけである。

「単騎、千里を走る」という映画がある。
これは、2005年に高倉健が主演し、中国の農村部を舞台にした
映画である。
中国人の素人を多く出演させたこの映画は、中国のどこまでも広が
る広大な農村部を背景に、人間の素朴さと温かさが涙を誘う作品である。
なんのことはない作品なのに、なぜか涙が止まらなくなってしまう。
私に限らず、この映画を観た人達の感想をうかがうと、実にそんな
意見が多かった。
私は、この映画にこそ、中国の田舎の本当の姿があるように感じて
しまう。
素朴さと人間の温かさが込められた映画である。
きっとこの映画を観ると、中国という国を優しく受け止められるだろう。

日本は中国とも台湾とも、もちろんそれ以外の国とも、これからも
上手につき合っていかなければならない。
難しい国なら難しいなりに時間を掛けて、外交に関してはことさら
下手くそな日本だが、それでも今からでも遅くはないはず。
そんなふうに明るい未来を描きたいものである。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住