2012年10月2日火曜日

連載コラム317 from 北海道●かぞくのくに


「かぞくのくに」という映画を観た。
この映画は、北朝鮮と日本、帰国事業とヤン・ヨンヒ監督の実体験
にもとづいた映画である。
在日の人々が抱える問題は、日本でも一般的にそれほど知られていない。
帰国事業とは、その名の通り北へ帰ることを意味するが、1959
年の8月13日に、日本と北朝鮮の両赤十字代表がインドのカル
カッタで、在日コリアンの北朝鮮帰国に関する協定に調印したこと
から、この年の12月から北朝鮮への帰国事業が始まる。
北朝鮮帰還第1船は新潟港を出港し、その時に北へ渡った人々は9
75人にものぼるが、1967年までには8万8600人が渡り、
その後この帰国事業は何度かの中断と再開を繰り返しながら198
4年まで続いた。
おおよそ9万人以上の人々が北へ渡ったと言われている。
その当時、日本に住む在日コリアンは、戦前戦中に朝鮮半島から動
員として掻き集められた人々がほとんどだったが、1945年に日
本が終戦を迎えた後に、在日の人々は自分たちの人権問題獲得のた
めに、「北」か「南」をそれぞれに支持し、祖国を選んだという。
当時の日本には、思想の違う「北」と「南」の団体があった。
それが、南北政府の樹立と、その後の両政府の対立と戦争によっ
て、朝鮮半島は分断される。
北朝鮮と韓国という別々な国に、はっきりと分かれてしまうのである。
今もなお、社会主義国として歩み続ける北朝鮮はベールにおおわれ
た部分が多いが、帰国事業が始まる以前から日本でも一部メディア
などを通し、北朝鮮を「地上の楽園」などとあおった。
北朝鮮では大学も無償で行けるし、すべてが自由。
きっと誰もが、そのことを信じてしまったのだろう。
ヤン・ヨンヒ監督のご両親は、韓国の済州島出身だが、「北」を祖
国に選んでいる。
そして、父親は「北」を支持する団体の中心的な活動をしながら、
祖国への忠誠を誓い、自分の子供たちを三人も北朝鮮へ送った。
それが、監督の兄たちである。
帰国事業で北朝鮮へ渡った人々の中には、監督の家族のように、実
際は韓国の出身でありながら、北朝鮮を祖国として選んだ人々も多
かったが、その中には日本人もいたという。
映画「かぞくのくに」は、北朝鮮へ渡った兄ソンホが、25年ぶり
に帰国するところから始まる。
ソンホは、病気の治療のために、3ヶ月だけ許された帰国だった。
25年ぶりに団らんを囲む家族。
その微妙な空気感がさりげなく描かれていく。
日本で暮らしてきた家族。
北で生きてきたソンホ。
25年ぶりの再会なのに、越えることの出来ない溝が横たわる。
家族は、どれほどまでにこの日を待ち望んだことだろうか。
ようやく実現した再会。
食卓を囲み、互いに触れられる距離にいるはずなのに、ソンホの表
情は硬い。
帰国したソンホは、北朝鮮から同行した責任者のヤンを連れていた。
滞在期間中、事故や事件が起きないようにという理由で、見張りが
つけられていたのだ。
友人たちやかつての恋人との再会。
父親、母親、妹のリエ、そして叔父。
ソンホの病気の行方。
そして、突然の帰国命令。
静かな画面を通して語りかけてくるものは、当たり前な生き方も、
幸福も許されない国の不条理さに翻弄される一家族の姿だった。
家族の誰かが北で生きるということは、そういうこと。
人質も同然なのだ。
日本で暮らし、奔放に生きる妹リエもまた、北朝鮮国籍であるため
韓国への入国は許されない。
この映画は、けっして幸せな映画ではない。
観る人の心に、確かな痛みを植え付け、その棘がいつまでも心に
残ってしまう映画だ。
悲しくて切ないままに、「かぞくのくに」を見終わった後も、ずっ
と忘れられないまま続いてしまう。
だが、真実の物語である。

映画「かぞくのくに」を通して、私は高校生の時分に韓国側から見
た国境38度線を思い出した。
私が自分の目で見た北朝鮮は、その一度っきりである。
だが、あの時に見た国境の向こうに広がる貧しくて淋しい風景は、
今も私の胸に焼きついたままだ。
そして、時々は何かのメディアを通して知ることのできる北朝鮮の
現状から、平壌はともかく、あの国で生きる農村部の暮らしぶり
に、私は激しい憤りを覚えることもあった。
国を変えることは、外の力より中から自分たちの力で変えていくこ
とが望ましいと言うのは簡単だが、あの国で生きる人々は、その力
すら削がれている。
国を変える以前に、常に飢餓との闘いがあるからだ。
日本人にとって、北朝鮮とは未だに解決できない拉致被害者の問題
もある。
だが、日本に暮らす在日の人々の中にも、北朝鮮に心を縛られ、逃
れられない監視下にある、そんな家族もいるのだ。
普通に生きること。
普通に暮らせること。
当たり前の自由。
それをこの人たちが取り戻せたら、どれほど幸福だろうか。
ヤン・ヨンヒ監督は、映画「かぞくのくに」の前にも「ディア・
ピョンヤン」「愛しきソナ」などのドキュメンタリー映画を世に送
り出しているが、映画発表後、監督は北朝鮮への入国が禁止され、
謝罪文の要求や自身の映画作りをやめるよう言われたという。
映画を作ることで、家族に危険が及ばないか心配がある反面、映画
という仕事に、強い覚悟と責任を感じているように、監督のインタ
ビュー記事からその心情がうかがえた。
映画「かぞくのくに」は、第62回ベルリン国際映画祭でアートシ
アター連盟賞を受賞した。
また、第85回米国アカデミー賞・外国語映画賞日本代表作品でもある。
主演は、兄のソンホ役に井浦新、妹のリエ役に安藤サクラ。
また、この映画の原作本「兄 かぞくのくに」も小学館から発売し
ている。
「かぞくのくに」に込めた監督の叫びが、世界中の多くの人々の心
に届きますように。
私も映画の力を信じたい。


コラムニスト●プロフィール
……………………………………
赤松亜美(あかまつあみ)
北海道在住

連載コラム199 from 台湾


2012年9月、日本と中国の関係は大きく悪化した。

日本と米国が「日本の領土である」と認識している、
尖閣諸島を日本政府が購入したことを発表したため、
「自分の領土だ」と主張している中国が大激怒。

尖閣、反日という言葉は多くの中国人の怒りのスイッチを
入れるため、中国国内で大規模なデモが巻き起こった。

デモはかなりの規模に膨れ上がり
愛国無罪の名のもと、日系企業をめちゃくちゃに壊したり
放火したり、略奪したりとやりたい放題。

デモではなくテロだと言った日系企業関係者がいたが、
まさしくその通りであった。

反日デモの恐怖
今回の反日デモの報道をニュースで見て感じたことは、
参加者は圧倒的に若者が多いということだった。

若い世代が率先して「日本を倒せ」と叫ぶ姿は異様であり
これから戦争に突入してもおかしくない程の
暴れっぷりを見せていた。

彼らは激しく暴れまくり、制止しようとする警官にも
殴りかかったり、蹴りを入れたりとやりたい放題。

ペットボトルを思いっきり投げたり、
周りのデモ隊が巻き添えを食らってもよいという感じで
暴れまくっていた。

現地の日本人も叩かれた、蹴られたなどの被害があり
上海に住んでいる友人は、

「住んでいるマンションは外国人地区にあるし、
食べ物も出前などデリバリーが沢山あるので大丈夫。

あまり外に出ないから、とても静かに過ごしているけれど、
情報があまりないし、子供が怪我や病気などになったときに
病院でスムーズに診てもらえるかが心配」

と言っていた。

誰もが大使館を頼りにはしていないと語っており、
在留邦人にとって、やはり大使館は頼りにならないのかと
心底がっかりしてしまった。

変化するデモ
日系デパートを略奪したり日経企業に火をつけたりして
大喜びしていた中国人デモ隊。

しかし、次第に毛沢東の写真を掲げる若者の姿が
目につくようになった。

怒りの矛先は、どうやら日本だけではないようだと
世界中の人々が感じ出したころ、
中国政府は本気を出してデモを取り仕切るようになった。

今回のデモを取り仕切っていたのは政府であるが、
デモ隊は反日教育を叩きこんだ90年代生まれの世代が中心だった。

この世代の子供たちは一人っ子政策のため兄弟がおらず
ワガママに育てられており我慢ができない。

そんな彼らだから、大学卒業後ちゃんとしたところに就職できず
常日頃から様々なことに不満を抱いている。

多大なるストレスをため込んでいる彼らは爆発できるきっかけを
今か今かと待ち構えているのだ。

今回の尖閣諸島から起こった反日デモは単なるきっかけであり、
彼らは次第に矛先を本命である政府へと向けたのである。

その絶妙なタイミングで政府は「ここまでは愛国無罪で目をつぶるが、
ここからはそうはさせない」と睨みを利かしだしたのだ。

あっさりとデモがトーンダウンしていくのに驚いた人も多いと思うが
政府相手のデモを報道するわけにはいかないので
継続していたとしても私たちが目にすることはできないだろう。

また、中国人は天安門事件を忘れてはいない。
政府がどれだけ恐ろしいかも知っている。
だから線引きをするのである。

何よりも大事なメンツ
中国人は何よりもメンツを大切にする。
そしてコネも大事にしている。

尖閣諸島であるが、最初に東京都が購入したのなら、
デモは起こっても、中国政府はここまで頑なに反発
しなかっただろう。

東京都知事は中国が嫌いなことは有名であるし、
そういうこともありえると思っているからだ。

何のクッションもなく、日本政府がいきなり購入すれば
世界が見ている中でメンツをつぶされたと激怒するもの。

購入することは事前に中国に伝えていたというが、
メンツをつぶされると思ったことだろう。

そしておそらく今も日本政府には中国政府とのコネが
ない。だからメンツはつぶれっぱなしなのだ。

「まーまー」と間に入って行ってくれる人がないことは、
かなり致命的なことだといえよう。

メンツをつぶされたと激怒する中国を今後、どうなだめるのか。
やはり日本はアメリカ頼りになってしまうのか。

今の政権は本当に嫌なことばかりしてくれるが、
これが最も頭の痛い問題だと言えよう。

写真は、台南の人気夜市にある料理店です。美味しい食材がずらりと並んでいます。


















コラムニスト●プロフィール
…………………………………
岩城 えり(いわき えり)
1971年12月東京生
オーストラリアで学生時代を過ごし
アラブ首長国連邦・シンガポールで就職
結婚し帰国したものの夫の転勤のためすぐに渡米
2005年12月より台湾在住